82.魔女との取引
「まったく…何をしてるんだい、アンタは」
呆れたような、それでいて驚いたような声が耳に届いた。
だがその程度でオレの眠気は取れない。
ふかふかしたソファともふもふした抱き枕。
こんな快適な環境での睡眠は貴重なんだから。
「………起きないなら、こっちにも考えがあるけどねぇ」
うーん。
あともう5分。
ピリ…ッ、バヂンッッ!!!
「ぎゃあああああああッ!!?」
うおぉぉぉ。
今ビリっときた! ビリっと!
まるで静電気のビリビリを10倍くらいにしたくらいの痛さ。
思わず目を覚まして飛び上がった。
「ぐ…い、一体何を……」
「そりゃこっちのセリフさね。一体全体こりゃどういうことなんだい?」
突然の痛みにソファから転げるように立ち上がったオレ。その目の前にいたのは、ここに飛ばした張本人である女だった。出会ったときに見たのと同じ格好でこちらに視線を向けている。
最初に見たときと同じように美貌に陰りはないが、どこか呆れたように力が抜けていた。
「えぇと……どちらさまでしょう?」
「それを今更言うかねぇ…」
思わず身構えるオレに、女性はため息をつきながらサングラスを外す。
「アタシが聞きたいのは2つ。なんでアンタがそんなトコで寝てたのか、ってコトと―――」
頭を押さえながら、じろり、とオレの足元を見た。
そこには、
「―――なんでうちの使い魔がアンタに懐いているのか、ってコトだね」
白い犬、もとい狼が尻尾を振ってまとわりついていた。
使い魔ってコイツのことだろうか。
「いや、なんでも何も突然オレをここに放り込んだのは……ッ」
思わず反論しようとして、
グゥッゥゥ……。
盛大に腹の虫が喚いた。
そういえばクラッカーしか食ってなかったもんな…あそこから寝たら、また腹空くよなぁ。
「……っ…ふふふ…」
絶妙のタイミングに思わず笑う女性。
なんというのか、ちょう恥ずかしい。
女性が指先を軽く振ると、さっきまでオレが寝転がっていたソファに放り出されていた緑色の酒瓶が浮かび上がった。そのまま、ふよふよと女性の手元まで浮かんでくる。
「まったく、帰って飲もうと思ってたシャンパンを遠慮無く開けてくれちゃって……仕方ない。ルームサービスを取るからアンタも食っていきな。いいね?」
それを聞くと、我ながら現金だとは思うんだけど。
………思ったよりいい人かもしれないなぁ。
そんなことを思った。
女性が部屋から内線で注文する。
結構な品数頼んでたみたいだけど……食い切れるのかドキドキしてきた。
ホテルのルームサービスって結構高いイメージあるし、金持ちなんだろうか。まぁこんな部屋に宿泊している時点で半端なく金持ちっぽいけど。
すこしするとホテルのスタッフがルームサービスを届けにやってきた。
スタッフは室内の魔方陣やら杖やら狼が見えていないのか、まったく気にせずにワゴンを押してテーブルの方へと近づく。
「いつまで馬鹿面さげて突っ立っているつもり? さっさと座りな」
慌ててテーブルにつく。
目の前でカチャカチャと配膳されていく料理。
まず置かれたのは生ハムとメロンの盛り合わせ、そしてスモークサーモンの皿。
席についたオレの前と、反対側の席の前にそれぞれビーフコンソメのスープ。
そこにサラダと何か手の込んでそうなソースがかかったステーキ。
パリパリに焼きあがった若鶏のグリル。
でっかい車海老を使って贅沢に揚げたフライ。
籠に入った様々な形のパン、そしてバターが入った冷たそうな器。
おそらく自家製なんだろうカスタードプディング。
さらにテーブルには大きさの違うグラスが4つほど置かれている。
さっき飲んだときの細長い奴、ちょっと寸胴なやつ、底が丸みを帯びてるやつ、さらにはそれの大きなやつ。ホテルスタッフはそれぞれに飲み物を注いでいく。
どうやらグラスの形の違いは入れる飲み物の違いらしい。
細長い奴には、さっきのスパークリングを。寸胴な奴には水を。丸みを帯びているやつで小さいほうにはかすかに薄い黄色のような色がついた透明な液体、そして大きいほうには赤い液体。
注ぎ終わった瓶はテーブルに置かれる。
ナフキンやナイフとフォークなども配膳されていく。
やっべ、マナーとかわかんねぇよ、と思ったけど幸い気を利かせてくれていたのか箸の用意もあったのでもらっておいた。
一通り配膳が済むと、女性がチップらしき札を一枚渡し、そのままスタッフは下がっていった。
「…………………」
もうなんか違う世界の光景を見てるみたいだ。
「どうせなら給仕させてもいいんだけどねぇ、込み入った話になるかもしれないし…、所詮ホテルのルームサービスなんだから気楽に食べていいのよ?」
ふふ、っと女性が微笑む。
なんか見透かされてるなぁ…。
「…いただきます」
背に腹は替えられない。
せっかくなので食べるとしますか。
ちなみに狼君(仮)は魔方陣の側で寝そべっていたりする。
たまに欠伸をするのが可愛い。
「まずは乾杯から、ね。アタシはモーガンよ、アンタは?」
「み、三木充です」
「miki? ああ、いえ、こっちじゃあ名前が先だったわね。じゃあミツル。乾杯しましょう」
細長いグラスを掴んだのを見て、こちらも慌てて同じように掴む。
軽く持ち上げて乾杯。
モーガンさんはぐぃ、っと煽ったのでこちらも同じように一気に飲んだ。
「それで、ミツルはアタシの名前を聞いて何の反応もないわけ?」
「…? と、いいますと…?」
「いや、これでもアタシ有名人のつもりなんだけどねぇ。モーガンよ? モーガン。それでもわからないならフルネームはどうかしら? モーガン・ル・フェイ」
「…………え、えぇと…」
脳内を大搜索するもわからない。
ここまで言うということは、もしかして芸能人か何かなんだろうか。確かにこの人なら女優とか言われても納得してしまいそうではある。
他にある可能性としては……、
「あ、もしかして有名な主人公の方ですか?」
「アンタねぇ……アタシが、あんな惰弱な連中と同じに見えるのかい?」
「…ぅ………」
どうやら違ったらしい。
主人公を惰弱呼ばわりとは…おそるべし。
「……はぁ…。その反応じゃ全く聞き覚えがない感じね。これだから極東は怖いところなのよね…」
ちょっと不満そうに口を尖らせている。
「まぁいいわ。知らないものをどうこう言っても仕方ないものね。
ああ、別に気にしないで会話しながら食べていいわよ。別にマナーとかそういうので揚げ足を取るつもりもないから」
「あ、はい」
とりあえずスモークサーモンに箸を伸ばした。
ひと切れ口に放り込む。
絶妙な塩気と胡椒に彩られた柔らかいサーモンを味わった。
「………~っ」
「何度見ても日本人って凄いわよねぇ。そんな細い杖みたいな木の棒2本だけでほとんどのもの食べちゃうだなんて。ある意味、アタシよりも物理的な杖の使い方上手いんじゃないかって思うわ」
舌鼓を打っていると、冗談っぽく言われた。
まぁ同じ道具で小さい物から柔らかい物、挙句滑りやすい物まで掴んじゃうんだから、気持ちはわからないではない。
「話を戻すと……アタシはこう見ても世界的に有名な魔女なワケ。こと魔術においてアタシの右に出る者はいないわね」
生ハムをナイフで適度な大きさにカットして口に運んでから、モーガンは誇らしげに胸を張った。
うぅむ、凄ぇ。
一瞬揺れたぞ…ッ、く! なんて破壊力だ。
思わず一点を凝視しそうになるが鉄の意志で我慢だ。
我慢ついでに誤魔化すように香ばしさに惹かれて車海老のフライを齧る。中はしっとり、外はサクサク。殻まで食べられちゃうぞ、これ。
「さて……落ち着いたことで説明をしてもらおうかねぇ。
アンタ、どうやってアタシの使い魔を手懐けたんだい?」
使い魔。
狼は尻尾をぱたぱたしつつ伏せている。
確かに最初は魔方陣を守る感じで刺々しかったもんなぁ、それがあんなふうに懐いていたらびっくりするのは仕方ない。
「言っちゃ悪いがねぇ。あの煙狼はアタシが手ずから作った特別製さ。物理的な攻撃は一切無効、しかも煙だからどんな小さな隙間も突破できる。唯一ダメージを与えられるのは魔術のみ。にも関わらず吸収術式を練りこんであるから、一定強度以下の魔術じゃあ吸収して自分を強化しちまう優れモノさ」
物理攻撃無効か…よかった、初手に小太刀の攻撃を選んでなくて。
「それが倒されたならまだしも、完全にアタシから主導権を奪ってアンタの使い魔になってる。アタシからの命令権を術式ごとそのまま奪われた感じで、繋がりも完全に断ち切られてるしねぇ」
どうやったか。
それを教えるのは簡単だ。
“簒奪公”の能力を説明してしまえばいい。
だがそこまでしていいものだろうか。
「ふふふ……まぁそうだろうねぇ。魔術師も自分の秘匿しておきたい術式のひとつやふたつあろうというもの。増して、アンタみたいに魔術の欠片も才能がないような少年がアタシの使い魔の術式を破るほどの手段を持ってるとすれば、そう簡単に明かすわけにもいかない…ってところ?」
ひでぇ言われようだ。
面と向かって才能がないとか勘弁してくれ。
「い、いえ…そういうわけでもないんですが…」
誤魔化すようにスープを飲んだ。
これまた美味い。
コクが深いというのか、飲んだことのあるコンソメよりも遥かに味が濃厚だ。
「確かに取引は等価を用意した上での交換が前提だしねぇ。アンタにその切り札を明かさせるためには、アタシからも何か提示する必要があるわけだ」
サラダのミニトマトをサクっとフォークで突き刺して、ビシ!っとオレのほうに突きつけた。
「よし、、アタシからもひとつ土産をあげようじゃないか。あんなところで蹲ってたんだ、アンタ、何か困ってることがあるんじゃないのかい?」
うぐ。
ピンポイントでツッコまれて思わず言葉に詰まった。
「もしアンタが情報を明かすっていうなら、アタシがその問題を解決する手助けをしてやろうじゃないか。この世界最高の魔女たるアタシが、だ」
じっとりと視線がオレに絡みつく。
これは……もしかしてチャンスかも?
もしこれが本気であるなら、少なくともオレがこれから居場所を取り戻す上で大きな力になってくれることは間違いない。一瞬でオレを移動させたことからしても、世界最高かどうかは確かめようがないのでおいといて、凄い魔術の使い手であることは間違いない。
この人の助力が得られるなら、わかってくることも色々とあるのではないか。
問題はそれを話すということは、その原因も話すということ。
それは能力だけではなく、逸脱する者という、よくわからない不可思議な存在としての立場となった経緯もだ。
「……………」
うーん………。
話していいんだろうか。
話したとして、本当に協力してくれるんだろうか。
オレの能力について話すだけ話させられて助けてもらえないとか最悪だろう。
と、なれば、結局オレ自身の目にかけるしかない。
モーガンさんをじっと見る。
今までの言動などを思い出しながら。
うん、まぁ信じてもいいか。
ダメならダメだったときのこと。
「わかりました。その条件でいいです」
「ふふふ、話が早くて助かるねぇ」
「じゃあまずオレの能力について、ですね。
さっき言ってた困り事の内容とちょっと被るんですけど……」
「ああ、ちょいと待ちなよ。能力だけじゃなく、その困り事の内容も聞かなくちゃならなくなったし、長くなりそうだから先に料理を片付けようじゃないか。
せっかくの料理だ、冷める前に食べたほうがいいってのは、東西問わない真理だろう?」
「あ、はい」
うむ、ごもっとも。
と、いうわけでオレは料理に夢中になることにする。
「あ、そうだ。一個聞きたいんですが…」
「なんだい?」
ステーキをナイフで小分けにしつつ箸で口に運ぶ。
和風のソースが絡みつき肉汁が広がる。適度な歯ごたえはあるものの、筋張ったり噛みきれないというほどのものでもなく、むしろとろけるように柔らかく口の中を味で満たしてくれた。
これ牛肉っぽいけど、どんないい肉なんだろうか…美味すぎる…ッ。
「さっきのスタッフさんですけど、なんでそっちの魔方陣とか狼とか見てみぬフリだったんでしょう」
「関係ない一般人が視認できるような手抜きをアタシがするわけないでしょうに。視覚阻害の術式は簡易拠点構築には必須さ」
……とりあえず、あの魔方陣が何か大事な拠点で、それを作るときに一般人には見えなくしてある、ってことかな?
わからんけど、そういうことにしておこう。
「そういうことを聞くってことは、アンタ本当の魔術に関しちゃ素人なんだねぇ」
実際、素人もいいとこですし。
言いながらモーガンもステーキを口に運びつつ、赤い液体を飲む。
釣られてオレもそれを一口。
「うぐ……これ、ワインじゃないですか」
「? 赤ワイングラスに入っているんだから、ワインに決まってるでしょうに」
どうやらこれは赤ワイングラスというらしい。
覚えた。
「いや、オレ、未成年なもんで……」
「あら? いくつなの?」
「15です」
「アタシ的には15なら飲酒はアリなの。
水みたいなもんなんだし、男なら女々しいこと言わないで残さずに飲みなよ。そもそもシャンパンをあれだけ飲んだんだし、今更でしょ」
「………はぁ」
確かに飲みやすくて気にならなかったけど、この部屋に飛ばされたときに飲んだのも、乾杯のときに飲んだのもアルコール入ってたっぽいしな、確かに今更だ。
食事を堪能しつつ、グラスを傾ける。
パン、サラダ、若鶏のグリル、プディング…。
料理がいちいち美味すぎて叫びそうになった。空腹のせいもあるだろうけど、それを差し引いてもぐうの音も出ない味だ。
おまけに、なぜかモーガンさんは空になったグラスに次々注ぎ足してくれる。
結果、ついつい痛飲してしまう羽目に。
にやにやしているモーガンさんに気づくことなく。すっかりへべれけになったオレは食事を終えて、スタッフが食器を片付け終えた後、話をしようと思いながらそのまま突っ伏して意識を失った。
今日は休みだったので2本立てでお送りします。
………まぁ先週、仕事が忙しくて1日更新できなかった日がありましたので、その分ですが(笑)




