81.誘拐されちゃいました!
今回飲酒シーンがありますが、未成年に飲酒を勧めるものではございません。
お酒は二十歳になってから!
……まぁ一応、ね(笑)
どうしてこうなった。
いや、冗談とかじゃなくて切実に。
誰もオレのことを覚えていない。
その事実に打ちひしがれて何もしたくなくなったまではいい。
路地裏でそのまま一夜を明かし、それでもなお動けずにそこに居た。
これもその通りだから別にいい。
その後だった。
―――あの女性と出会ったのは。
「そこで何をしてるンだい?」
「…ッ!!」
かけられた声に、伏せていた顔をあげる。
まぁきっと酷い顔をしていたんだろうという自覚はあった。
そこに彼女はいた。
緑を貴重としたスーツを纏ったその女性はありていに表現すれば美女だった。それも極上の。
目鼻立ちからするとヨーロッパ系だろうか。
男ならつい見てしまう豊かな双丘、腰周りはまるでコルセットを巻いているかのように細く見事にくびれ、出るところと引っ込むところがそれぞれちゃんと主張しており絶妙な色気を醸し出している。
しかもオレよりもすこし高いくらいの、おそらく170センチは超えているであろう長身が全体のバランスを取っており、豊満な体も自然なものとして感じられた。
艷やかな亜麻色の髪と、ぷるっとした唇。
総合して見れば、まぁオレが言ってもあまり似合うセリフじゃないけど、セクシー以外の言葉で表現出来ない。
もし10人の男がすれ違ったら、まず10人振り返ると思うし、オレも多分振り返っちゃうと思う。
月音先輩とか目を見張る美人は何人か見てきたけど、本当の意味で大人の色気を感じさせる女性。
「…………?」
しかしどうしてオレが声をかけられたのかわからない。
こんなところで蹲っているから心配してくれたのだろうか。
だが向けられている視線はちょっと質が違うような気がする。
あれは憐憫やら同情やらではない。
もっと異質なもの。
わかりやすくいうのなら、子供が玩具を見つけたときのような、犬がボールを投げられたときのような感じに見える。
……いや、今のオレってそんな興味湧くような感じじゃない気がするんだけど。
もしかしたらオレの間違いで何か別の用事なのかもしれないが、雨に打たれるがまま野宿をしてフラフラになっている状態ではそれが精一杯だった。
「アンタ、持って帰ってアタシのモノにしてやろう」
…は? いや、それは一体……?
オレが何かを言う間も無く、女性は履いていたハイヒールのカカトを地面に打ち付けた。
コッ!!
変化は一瞬。
女性の足元から伸びていた影が、まるで触手のようにいくつもの線のように細く伸びて、オレの足元に迫ってくる。慌てて起き上がろうとするが間に合わない。
足元に到達すると、そのまま黒い線は中に複雑な模様が組み合わさった円形を描く。
魔方陣。
淡い黒の光が発せられると同時に、オレがそれまで体重をかけていた路面が突然消失した。実際は消失したというよりは、抵抗が激減した、とでも表するべきか。
まるで底なし沼に嵌っていくかのように、オレは地面の中にずぶずぶと沈み込んでいった。
慌ててもがいてなんとかしようとするが、気がついたときには体のほとんどが沈み込んでしまっている。抵抗むなしくそのまま飲み込まれた。
黒い空間が視界一杯に広がる。
ここは影の中なんだろうか?
というか、あの女性は一体誰なんだ…?
とめどなく浮かんでくる疑問を解決する間も無く、視界が回復する。
気づくとそこはどこかの部屋だった。
ソファに腰掛けた状態のオレは、きょろきょろと周囲を見回した。
いや、部屋といっていいんだろうか、ここは。
畳30帖ほどはありそうな広いリビング。ソファ以外に天板がガラスになっている高そうなテーブルや書斎机などもあるから、どちらかというと多機能型のリビングダイニングといった感じなんだろうか?
床は不規則な格子状の黒と白の線が入った黒っぽい薄い紺の絨毯。壁紙は白だが、扉をはじめとした建具などはシックに黒や茶色ベースの重たい色で艷やかに仕上げられていた。
扉がいくつもあるので、おそらく他にも部屋があるんだろう。
窓一面がガラス貼り。
かなりの高層階らしく、そこからオフィス街の高層ビル群が見える。
テーブルの上にはバケツっぽい形をした金属の入れ物があり、中にラベルが張られた緑色の瓶と、それを冷やすように大きめの氷が入っている。
「……こう、映画とかでありそうな感じのオシャレ具合なんだけど」
そう、まるで何かのお話のようである。
リビングの真ん中にふわふわと浮いている杖とその下から伸びる妙な丸い模様、その横に鎮座する真っ白くてデカい犬みたいな奴も含めて。
床の模様は淡い光を脈打つように放っている。
よく見ると、オレがここに飛ばされたときに足元に出てきた魔方陣に似ている。残念ながら魔方陣の中にある文字や模様についてはさっぱりなので、まるっきり同じかどうかはわからないが。
ただアレが魔方陣であることは間違いがないように思える。
「つまり、アレの上に乗れば下の場所に戻れる、のか…?」
可能性だけで、自分でも確信できない考えを口に出す。
現状のオレの立場を冷静に考えれば、いきなりどっかに誘拐されたようなものだ。
まぁあんな美人に誘拐される、とか自分のモノにする、とか言われるとまんざら悪い気がしないのが男の哀しいところだよねぇ………。
と、いかんいかん。
脱線はさておき。
突然オレをこんなところに飛ばしたあたり、あの女は普通じゃない。ここがどこかはわからないが、少なくとも普通の人間にあんな芸当はできやしない。
もしかしたら主人公なのかもしれない。そう考えれば咲弥のように魔術を使う奴もいるんだし、転移の魔術のひとつやふたつ使えるのもわかる。だがその場合、咲弥よりも遥かに腕が上の相手というのも確定だ。
ただでさえ現状がややこしいことになっているのに、これ以上わけがわからなくなるのは困る。
なんとかここから逃げて距離を置きたいところである。
そっと魔方陣に一歩近づく。
ぴく…っ。
おぉぅ。
犬の耳がほんのちょっとだけ動いた。
まるで彫像のように動かないけども、どうやらこちらの一挙手一投足を警戒しているようだ。
恐る恐る魔方陣にさらに近づいていく。
近くにいくに従って犬の反応は顕著になっていった。
「グルルルル…ッ」
「うぉッ!?」
ある一定から近くに寄ろうとすると、犬が毛を逆立ててすっげぇ怒ってきた。
唸り声をあげて威嚇される。
何これ、ちょう怖ぇ。
迫力に押されて思わず一歩下がると、犬はまた落ち着いた。
「どうも、2メートル以内に近づくと迎撃体勢に入るっぽいか…」
この魔方陣を守っているのはおそらく間違いない。
犬の大きさはハスキーとかそれくらいの大型犬くらい。確かあのクラスの犬って、ガチで戦うとなると人間よりよっぽど強いんだよなぁ。
一応羅腕童子を倒した後そのまま家に戻って今に至っているため、武器とかそういうのは持ってるんだけども……うーん。
ん? 冷静に考えたら、敢えて魔方陣からじゃなくて、歩いてここから出ていけばいいじゃないか。
ここがどこかわからないが、建物である以上どこかに出口はあるはずだ。そこから普通に外に出て逃げればいいだけの話。
意を決して部屋にある扉を片っ端から開けて確認しようとする。
幸いなことに犬は特に反応を示さなかったので、安心して調べることが出来た。
「いやぁ、凄い広いな……」
思わず感心する。
ウォークインクローゼットに寝室。ジャグジーのついた浴室、ミストサウナ用のガラスで囲まれたスペース、2メートル近い人造大理石で出来た洗面カウンターがある洗面室、広いエントランスにトイレ。奥にはカウンターバーっぽいのまで併設されている。どっかの高級ホテルなんだろうか、ここ。
まぁそんなことはどうでもいい。
正直こんな凄いところに泊まろうと思ったら、いくら金がかかるかわかったものじゃない。おそらくオレには縁がないところだろうし、さっさとおさらばだ。
ガチャリ。
エントランスのドアの扉を開けた。
もしホテルだとするなら、ここから廊下に出れるはずだ。
「……………うっそぉ」
扉を開けると、そこはなぜか壁だった。
継ぎ目のない大きな石壁とでも表現すればいいだろうか。
おっかなびっくり触ってみるが確かにザラザラした感触が手に返ってきた。
つまるところ出られない。
いっそ鬼の膂力で殴ってみてもいいんだけど、触った感じからすると密度の高い岩のような壁だ。あれを砕けるかどうかというほど力を込めたら間違いなく、体のほうが耐えられずに拳が砕ける。
仕方なく途方に暮れてリビングに戻った。
トボトボと歩いてソファに腰掛ける。ふかっとした感触に体重を預ける。ふと犬を見ると、無駄な行動お疲れさん的ににやにやしているように見える。畜生、馬鹿にしやがって。
まぁ犬はぴくりともしてないから錯覚なんだろうけど。
手詰まり感は否めない。
残る選択肢は犬と戦って魔方陣に飛び込むくらいだ。
どうしたものか……………。
ぐぎゅるるる……。
気づくと腹が鳴っていた。
あー、そういえば昨日の昼間から何も食ってなかったな。
何か食べるものはないだろうか。
探し回ってみると見つかったのはクラッカーなどの簡単なつまみ類。「ASUKAセントラルホテル」の名前が入ったルームサービスのメニューも見つかったから、どうやら食べたいものがあれば注文してくれ的なことらしい。
ホテルだったことが確定できたものの、さすがに人様の部屋でルームサービスを頼むわけにもいかない。というか、入口があんなだと入ってこれないんじゃないかという疑問もある。
仕方ないのでクラッカーをばりばりと齧る。
「やば、美味ぇ…」
普段クラッカーだけで食べるとパサパサしてて味気ないのに、なんで腹が減ってるときはなんでもこんなに美味いんだろうか。
夢中でもぐもぐと食べていると、あっという間にクラッカーは無くなってしまった。
ふぅ、美味かった……。
少しだけ腹に物を入れると、今度は喉が乾いてきた。
何か飲み物はないだろうか…。
目に入ったのは、さっき見た金属のバケツの中に入った緑の瓶。引っこ抜いてみると、どうやら中に液体が入っている。
「んー……ドン…ノン??」
ラベルを読もうとしてみるが、筆記体っぽくて読みづらい。
まぁいいや。
ゴツい瓶を開封。
ポンッ!
おぉぅ、びっくりした…!
なんか一定のところまで抜くとコルクが弾けるように飛び出してきた。押さえてなかったらどっか飛んでくところだったな。
一緒に用意されていた長細いグラスに入れる。
シュワワワ……。
「おぉ、スパークリング??」
もしかしてアルコールじゃないだろうかと思ったが、乾いた喉の欲求は止められない。グラスを手に取ると一気に飲んだ。
喉を鳴らして飲むと、
「うん、アルコールだな。これ……まぁちょっとくらいなら平気か」
なんてスパークリングかわからないが飲みやすい。アルコール入っているとわかっていながら、そのままぐびぐびと飲んでいく。
あっという間に半分開けてしまった。
ちょっとだけ…飲みすぎた……かな?
なんかいい気分になってきたぞ。
室内を見回すと、魔方陣の前に座った犬が目に入った。
さっきまであれほど威圧感のあった犬が、あまり怖くない。
今ならやれるんじゃないか?
そんな気さえしてくる。
あの犬さえなんとかして魔方陣に入れれば戻れる。
なんだ、万事解決じゃないか。
「よく考えたら…犬じゃないか! よっし、お手をさせてやるぞぉぉぉ!」
テンションが上がってきた。
グラスと瓶をテーブルに置いて、ゆっくりと近づいていく。
案の定、2メートルほどに近づくと犬は戦闘態勢に入った。
気にせずに進んでいくと1メートルほどのところで飛びかかってくる。
「はっはっは。ジャレついてくるなよぅ」
我ながら喉笛をかみ切ろうとしてくる相手に、のんびりとした言葉を放つ。
そのまま左手を前に突き出した。
“簒奪公”
澱みなく、とはいかないものの、すでに意思を込めれば発動する程度には能力を認識していた。いや、なんか普通に起動も鈍いな…? ちょっと頭がぽわぽわしてるせいだろうか。
とはいえ、飛びかかってくる犬がその牙でオレに食いつく直前に手が触れる。
「………ひゃれ?」
感触はない。
まるで雲でも掴んだかのようにすかっとした手応えのなさ。
ただ能力によって生じた溢れる黒い気流が犬の体にまとわりつく。
瞬間、理解した。
「あー、お前、犬ひゃなくて、おおひゃみらったのかぁ……」
なぜか呂律が回らない。
本来であれば例外なく能力を奪うはずの“簒奪公”だったが、なぜか効きが悪く、完全にこの犬、もとい、狼の能力を奪いきるには至らない。
結果―――
「はーい、よしよし」
誰かから与えられていた命令の権利だけが手に入る。
狼はオレを主と認識したかのようにジャレついてきた。どうやら実体化が出来るのか、それとも主にしか触らせないのかわからないが、ジャレつかれると確かに感覚があった。
おー、なんというもふもふ感。
尻尾を振りながら楽しそうにしている狼を見て、
「よっし! いっひょに飲もう!」
我ながらどうかと思うが、すっかりテンションが上がってしまった頭から、魔方陣のことは吹き飛んでしまっていた。すでに当初の目的がなんだったのかなんて覚えていない。
今はただこの楽しい時間を満喫するだけ。
そして、オレを送りこんだ彼女が戻ってきたとき。
オレと狼はからっぽになった緑の酒瓶を片手にソファで爆睡している有様だった。
ドン・ペリニヨンって、元々の名前知らないとラベルだけで読むの難しいですよねぇ(笑)
個人的にはシャンパンはモエシャンのほうが好きですが、なんか高級品なイメージということでこのチョイスとなりました。
………そういえば未成年だったのは内緒で。




