76.逸脱する者
目を開くと飛び込んできたのは、いつも通りの自室。
ではなく、見知らぬ部屋の天井だった。
どうも寝台の上に横たわっているらしい。
「…………」
記憶ははっきりしている。
どうやらあれは夢じゃなかったらしい。
「エッセ……」
小さく呟く。
返事はない。
たった二ヶ月の短期間しか一緒に居なかったというのに、すでに彼女が代え難い存在になっていたことを自覚する。
あのときは激昂したが今冷静になって考えてみれば、あのとき消滅したのはおそらく彼女がオレのために左腕に残してくれた力で構成された意識。
つまり例え消滅したとしても本体のほうは無事ということ。
ならば、オレが約束通り頑張っていれば、またいつか会えるはずだ。
……そう、なんとか自分を励ます。
それでも胸の感傷は抑えきれない。
目頭が熱くなる。
頭が焼け付くように痛い。
とりあえず状況を整理しようと周囲を見回そうとして、
「~~ッ!!?」
全身を走る激痛に顔を歪めてしまう。
そこに声がかけられた。
「お目覚めのご様子ですな、三木様」
静かで落ち着いた口調。
夥しい労力を費やしてなんとか首だけを向けると、室内には榊さんが居た。壁や敷かれた絨毯などアンティーク調の内装をした室内は、新台の他には小さなテーブルと椅子があるだけで必要最低限の家具しかない。そのため簡素な印象を与える。
喫茶「無常」の店長。
だがしっかりと覚えている。
彼は羅腕童子の攻撃をいとも簡単に受け止めた人だ。
もしかして主人公だったりするのだろうか。
それとも……。
「警戒を解いて頂きたい。こちらには三木様を害そうという意志はございません」
コポコポコポ…。
湯気の立つ透明な液体をマグカップに注いでいく。
「傷のほうは治療させて頂きました。鬼の再生能力は基本的に本人の霊力に依存する自動回復ですからな。可能であれば外から治したほうが、霊力の回復のためにはよいかと思いまして」
差し出されたのは、ややぬるめの白湯だ。
訝しがりながらも受け取る。
体を動かす度に全身がひきつるような痛みを感じる。
彼の言葉を信じるなら傷は治ってるはずなんだけど、この痛みは……。
その疑問に首をかしげると、補足するように榊さんは続けた。
「しかしながら筋肉痛は残っておりますのでご注意下さい。それまで消してしまいますと、せっかくお身体が順応しようとしているのを妨げることになってしまいますゆえ」
勧められるままに白湯を口にする。
熱すぎないその液体が喉を通っていくと、如何に自分が水分を欲していたかに気づいた。
「……霊力、ですか」
「おや、聞いてはおりませんでしたかな?」
えぇと…どっかで聞いたことがあったような、ないような。
おぉ、そういえば前にステータスチェッカーに出てきたステータスの項目について調べたときに見たんだった。確か能力値の精神に依存する項目で、MP的なものだったような。
魔法的なものがいくつか存在しており、例えば前に鎮馬が使っていたような神聖祈術ならば聖力、咲弥が使っていた魔術なら魔力、というように自らの精神力を使おうとする力の指向性と混ぜ合わせると発生する力がある。
そのうち、最も指向性が薄いのが霊力と呼ばれるものだったはずだ。
「……とりあえず、いくつか質問してもよいですか?」
「なんなりと」
白湯を飲んで落ち着いたところで本題を切り出す。
「榊さん…一体何者ですか?」
その質問を投げかけられた本人は口髭を触りながら少し考え、
「呼び名はいくつも持っておりますれば、どれを名乗ればいいのか返答に困るところですな。三木様や出雲様にとっては、しがない喫茶店の店長の榊でございますが……」
「…他の主人公の方々にとってみれば、“神話遺産”保有者、と呼ばれるやもしれませぬ。
ただ私など、精々伝説レベルがいいところ。神話などと言われては正直なところ畏れ多い気分になってしまいますな。
恥ずかしながら私が酒呑童子などと呼ばれ、血気盛んだったのは平安時代の話でございますから、神話に謳われる方々と比較されれば若輩の徒です」
淡々と告げられた。
な、なんか今聞き捨てならないような内容が含まれていた気がする。
「え、えぇと……榊さん、鬼なんですか?」
「ええ」
あっさり肯定されてしまった。
羅腕童子の一撃を軽く受け止めて、あっさり蹴散らしてしまったところを見ている。つまりもし鬼であるとするならば、羅腕童子なんて比較にならないくらいヤバい相手なのは間違いない。
「そのように警戒なさらなくても大丈夫ですよ。
ご覧のとおり、今の私はただの喫茶店の主でございますからな。そもそも私があの場に現れたのも、小僧っ子の鬼の気配につられたからに過ぎません。それでも申し訳なく思われるのであれば、今後ともうちの店を御贔屓にして頂ければ十分です」
はっはっは、と笑う榊さん。
いい人っぽくはあるんだけどなぁ。
「……ちょっと携帯弄ってもいいですか?」
「構いませんよ。ベッドの脇の棚の上に荷物は全部置いてありますので」
荷物の中に入っていたスマートフォンを取り出して、検索サポートを起動させる。
すぐに立ち上がったそのアプリに、さっき聞いた単語を入れて検索。
“酒呑童子”
適正レベル:???
ドロップアイテム:???
かつて大江山を根城としていた鬼たちの王。三大妖怪の一人として数えられるほどの強さを誇る。大規模イベント戦である大江山掃討戦で特殊アイテム「神便鬼毒酒」を用い弱体化させられた上での数十人もの主人公と渡り合い、最終的に武士団パーティー「源」に討ち取られた。
………なんだ、これ。
とりあえず個人でどうこうなるレベルじゃないのはわかった。
下手したら上位者たちが参加するような事件のボスとかで出てきてもおかしくなさそうではある。そりゃあ羅腕童子じゃ相手にならないわけだ。
「………ん?」
ふとスマートフォンの端でチカチカしているお知らせが気になった。
タッチしてみると、
『レベルアップしました』
おぉ、そういえば強敵と戦ったんだった。
? まだ続きがあるな。
『レベルアップしました』
『レベルアップしました』
『レベルアップしました』
『レベルアップしました』
・
・
・
延々と続くレベルアップの表記。
表記を一通り見てから恐る恐るステータスを開く。
三木 充
称号:な し
年齢:16
身長:170センチ
体重:63.7キロ
状態:良好
種別:重要NPC▼
属性:???/???/???/???
斡旋所ランク:10級
評価ポイント(貢献ポイント):100(100)/100
筋力:27
敏捷:9
巧緻:9
技術:8
極め:16
知力:7
生命:18
精神:13
霊力:20
運勢:0
所持金(P)/借金(P):390/2700
総合Lv:18
所有職:
逸脱した者 LV.18
武芸者 Lv.11
潜伏者 LV.9
拳闘士 LV.15
技能:
杖 11.99
刀 4.19
見切り 18.52
投擲 3.82
狙撃 2.28
拳闘 15.04
初歩隠密 9.78
感知 1.01
特殊:
簒奪公
自動再生(弱)
武器:小太刀 種別:刀 使用条件:腕力9、技巧10、刀5
防具:百眼の小手 種別:手防具 使用条件:な し
:紫印の手甲 種別:手防具 使用条件:腕力4
:隠衣(弱) 種別:背装備 使用条件:な し
その他:抗魔の朱毛(5) 尻子玉(1)
おぉ、なんか凄いことになってる!
一番吃驚したのは腕力だ。元の数値から比較すると倍以上になっている。おそらくこれは鬼の腕力を吸収したせいだろう。
あと精神の下に霊力とかいうのが出ている。
さっき榊さんから聞かされた霊力の回復、という言葉から推測するにあの“簒奪公”は霊力を使うのかもしれない。そのため、新たに霊力の残を示す項目が出たのではないだろうか。この推測が正しければ、もし今後魔術を使えるようになったら魔力の項目が増えるのかもしれないな。
え? 乳切棒が折れたからまた無くなってるって?
…………ま、まぁまた買いにいけばいいのさ、うん。
この特殊ってのは特殊能力のことかな?
なんとか起動できるようになった“簒奪公”と、鬼から奪った自動再生が表記されている。
おそらくはその“簒奪公”と密接な関係があるのだろう。勿論見切りとか拳闘とか上がっているものは色々あるけれど、一番上がっていたのが逸脱した者だ。
「…………ッッ!!!」
気づいた。
種別:重要NPC▼
この表記に、だ。
やった!
オレはついにやったんだ!
永く求めてきたその表記。
未だに主人公になれているわけじゃないけど、これはこれで確実な一歩だ。一般のNPCと違って、無闇やたらに主人公に危害を加えられる可能性は低くなる。
警察という名の衛兵システムに引っかかるリスクを冒す必要が出てくるのだから。
「あれ?」
重要NPCの右に▼がついている。
一体なんだろうか?
おそるおそるタッチしてみる。
すると小さな窓が開き、そこには「重要NPC」「一般NPC」「???」の3つの項目が。どうやら任意でこの種別を切り替えることも出来るらしかった。
結構便利だな、これ。
「すみましたかな?」
「あ、はい」
榊さんの言葉に我に帰ってスマートフォンを止める。
「急かしてしまって申し訳ありません。三木様に渡さねばならぬものがあるのですよ」
そう言ってジェラルミンケースをテーブルに置いた。
よく映画とかで「ブツを持ってきたか」とか言いながら、開けて中に入っている札束を見せつけるのに使いそうなケースだ。
ゆっくりと開かれる。
中に入っていたのは太さ5センチほど、長さ30センチの骨が6本、そして革で出来た袋だ。
「…これは?」
「羅腕童子の残したものですな。これは正々堂々と戦った勝利者である貴方が持っておくべきだと思い回収しておいたのですよ。羅腕骨と隠袋ですな」
ケースを渡される。
検索してみよう。
羅腕骨:売値2500P。伸縮性と強度を備えた羅腕童子の骨。武具の素材に混ぜ込んで使うことで、持ち主の霊力を使用して形状変化する特性を持たせることが出来る。
隠袋(絶):売値27000P。羅腕童子のレアドロップアイテム。拳大の袋であるが、2メートル四方の立方体ほどの空間が圧縮された状態で袋の中にあり、直径40センチほどまで広がる口に入るものであれば多くのものを入れることが出来る。
また鬼属の特殊能力である隠の能力を強く受けており、十分な感知や探査系の能力が無い相手には袋及びその中に入っているものが認識できなくなっている。
「……うっそぉぉっ!?」
なんかちょう便利なものをゲットしちゃったな。
それだけ苦労はしたわけなんだけども。
「ご満足頂けたなら何よりです」
「え、あ、はい」
ボーン、ボーン、ボーン…。
柱時計の鳴る音。
気づけば午後の7時。
「この後はどうなさりますかな? まだ体がお辛いでしょうから、よろしければお泊りに…」
「……いえ、帰ります」
「畏まりました。では出口まで案内しましょう」
そろそろ帰らないと門限がヤバい。
榊さんに案内されるまま店のほうへ出て、
「色々とありがとうございました」
礼を言って立ち去った。
□ ■ □
「あれ、三木君は帰ったのかい?」
「ええ。お帰りになられました」
和服を着た男は書斎のような部屋の机で書類を捲りながら、残念そうに言った。
「どうせなら少し挨拶して名刺くらい渡してあげてもよかったんだけどね。彼なら今後ビジネスとしてお付き合いしてもらうこともあるかもしれないから」
読み終わった書類を机に投げ出す。
「………榊の報告だから、嘘偽りがあるとは思わないけれど、中々容易に信じがたい内容だね」
「しかし事実でございますれば」
わかっている、とでも言うように目の前の男は、初老の老人にひらひらと手を振った。
「事実だとすれば、どこぞの狗よりは余程使えそうではあるよ」
「またそのような言い方を……八束様がお聞きになられましたら、どうなさいますか」
そんな榊の諌めも彼にはどこ吹く風だ。
「いいんだよ。あんな人間の女になんか尻尾振って言うこと聞いてるような奴、狼じゃなくて狗以外何者でもないんだから」
「惚れた弱み、というのを理解せよとは言いませぬが…」
苦笑しながら、
「では明日の仕込みがございますので」
「ご苦労さま。また彼が喫茶店に来たときにでも連絡を入れてくれ。仕事が溜まっていなければ、顔を見せにいくとしよう」
丁寧に一礼してから、酒呑童子と呼ばれた男は、社長室と書かれたプレートが扉についている部屋を後にした。
□ ■ □
はぁ…今日は本当に色々なことがあった。
石塚とのボクシング試合に、羅腕童子、そして………。
最期のエッセの言葉が頭を過ぎる。
………。
考えるのはやめよう。
こういうときは一晩ぐっすり眠って頭を整理するに限る。
明日になれば、また学校で出雲とも話が出来るだろうし、今後のことはそれから考えればいい。
なんとかカラ元気なりに頑張って家へと帰ってきた。
インターフォンを押すと、すぐに母親が玄関までやってきて鍵を開けてくれた。
「ただいま」
いつも通りの一日が終わる。
そのはずだった。
「……どちらさまですか?」
見知らぬ他人を見るその視線。
このときのオレは知らなかったのだ。
逸脱するということの本当の意味を。




