74.絶望の貌(3)
まるで暴風。
羅腕童子の攻撃を評するならば、まさにその一言。
攻撃する腕が次から次へと途切れることのない連続性を持って繰り出されていく。人間ならば有り得るはずの攻撃準備から攻撃までのタイムラグを、数の利が完全にカバーしていた。
「おおぉぉぉぉっっ!!!」
息つく暇もなく攻撃を避ける。
視界の中から、視界の外から、次から次へと飛んでくる攻撃。
上下左右はおろか前後も含め全方位からの猛襲に、攻撃どころか防戦一方。だがそれでもなんとか避け続けていれるのは理由があった。
【1秒後に右斜め前から1発! そのすぐあとに頭ひとつ分さらに右にもう1発!】
単独でオレが捌けるのは3本まで。
では残り3本はどうするのか。
その答えはオレの死角を絶えずカバーしてくれるエッセに任せる、である。ぐねぐねと視界の外を回り込むように不規則に向かってくる腕であっても、最終的にはオレに向かってくる。そうとわかってさえいれば対応できなくはない。
次々と矢継ぎ早に発せられる警告に対して、オレは疑うことなく回避行動を取っていく。
だが、それでも尚無傷では済まなかった。
回避する度に鋭い爪が体に浅い切り傷を作っていく。
ひとつひとつは大したことがなくても、蓄積すればやがて出血多量で戦闘不能になるだろうが、今はそんなことを気にしている暇もない。
目の前の相手に向き合うので精一杯。
傍から見ればなんとか渡り合えているように見えているのかもしれない。だがその実、全く状況が好転していない。
羅腕童子。
あの夜に見ていたはずだった。
だが、その暴威が自分だけに向けられるとなるとここまで違うのか。
ただひたすらに避けながら感じる。
腕力。
存在感。
圧力。
機敏性。
殺傷本能。
全てがこれまでのどんな敵とも違う。
その違いこそが致命的なものになってしまいかねないほど。
避け続けていると言えば聞こえはいい。
だが自分の持っている全てを動員し尚且つエッセの力を借りても尚不完全な回避が精一杯。しかもそのまま待っていればこちらが先に消耗して倒れる。
そうかといって博打に出るには相手の攻撃力が圧倒的過ぎる。もう1発喰らえば、今度こそ追撃まで喰らって御陀仏になること間違いない。
死線上の舞踏。
一歩踏み外せば死へ真っ逆さまのその状況の中、オレはそれを見つける。
“蛮化”による凶暴化の体験、石塚からの強烈な一撃に対しての脳内麻薬の分泌、そして今、それら半ば日常と隔絶した異常な状況という土台の上に何かが目覚める。
最初はかすかに、そして次第に朧気に。
ピースが噛み合う、と言えばいいのか。
狂っていた歯車の1つが急に噛み合うようになる、それによって他の歯車が正常になり、全てが淀むことなく動き出したかのような一体感で理解した。
わかる。
どうすればいいのか。
漠然とした頭の中のイメージはスイッチ。
オレは迷うことなくそれを押した。
カチリ。
頭の中だけが切り替わった。
刹那。
世界が凍る。
もっと正確には凍ったように感じられた、だ。
時間の流れが澱んで止まったのかと錯覚するようなゆっくりとした遅いものになっている。鋭く研ぎ澄まされた知覚が余計なものを削ぎ落とし、必要なものを必要なだけ供給してくれる。
唐突に理解する。
否。
思い出した。
この感覚をオレは知っている。
―――お主、わらわをこの軛から解放してくれぬか?
ああ、忘れてなどいられない。
今オレがここに立っていることの意味を忘却するなど有り得ない。
懐かしい思いが去来する記憶を引きずり出した。
あのときの、ここだ。
あのとき、体がまっぷたつになって、すぐにでも絶命しかねないオレに会話の時間を与えるため、エッセは脳に負荷をかけたと言った。
同じ彩りを失った灰色の風景を見て思う。
目前では羅腕童子が攻撃を続行しようとモーションに入っていた。焦れてしまいそうなくらい遅い動きで腕が2本、上と右から強襲をしかけんと力を溜めている。
絶望的な状況。
羅腕童子。
エッセ。
そして加速する体感。
いくらなんでも出来過ぎだ。
全てがあの日の再現のよう。
ならば。
オレはゆっくりと遅れる時間をかき分けるように体を動かした。
まるで密度の高い粘性の液体の中を泳ぐように、体の動きに対して抵抗がかかる。必然的に遅くなった動き、だが羅腕童子の攻撃はさらに遅かった。
たった2歩。
両方の足をそれぞれ1歩ずつ軽く後ろに踏み出しただけ。
それだけで上からの打ち下ろしの一撃と、右からのフック気味の一撃は目の前を通り空を切ろうとする。だが通り過ぎようとしていた右の腕は人間でいう手首から少し上の当たりが逆に曲がる。
避けきったオレに左から右へ逆転した動きの突きを当てるために。
それを体捌きだけで避ける。
体の表面を擦るようにぶつかった突きは、それ以上触れることなく滑っていく。
歓喜する。
『充もすぐにわかるだろうが…あの爽快感には敵わないからな』
見切りについての解説された最中、こんなの四六時中やってて飽きないのか?と問うたオレに、親友はこう言った。
『例えば……そうだな、腕力を鍛えるとしよう。今日100キロを持ち上げられた奴が明日急に120キロ持ち上げられるようにはならない。だけど武術は違う。
いくら鍛えていても壁にぶつかったかのように進歩しない日がずっと続いたりする。その反面、ある日突然劇的に変化する時が来る。階段のようにあるところから先が突然高みになる。
その瞬間を味わったことがあるなら、やめられないさ』
あのときは何か武術オタクが変なこと言ってるな~、くらいにしか思っていなかったけども。
出雲、すまん。
だが今ならわかる。
一皮剥ける感覚。
コンピューターゲームでファンファーレが鳴ってレベルアップした瞬間、能力値が上がって一気に強くなるのに似ている。
「ギァルォォァァァッァッ!!!」
鬼の絶叫と共にさらに暴力の嵐は続く。
まるで波に翻弄される笹の葉のように、オレはゆらりゆらりとその間を翻弄されるように動いた。
右、下、体当たり、上、上、左、斜め右…。
先ほどまでエッセの手助けがなければ半分も見切るのがやっとだった攻撃が、全て見える。視界に入っていない死角からのものすらも、なぜか知っている。
それは勘でもあるし経験からくる予測でもある。
―――“見切り”
出雲はそれこそが戦いにおける究極の技能だと言う。
だからこそ、初めて狩場に出たときからそのための訓練をオレに課した。
今なら納得できる。
とどのつまり人間の体感は全て感覚。見切りに必要とされる動作は感覚であり、逆説的に感覚を磨くには見切りが最も効果的なんだ。
先鋭とした感覚が時間を見切った結果が、今。
さらに言えば多種多様な魔物や海千山千の強敵と戦う場合、相手がどんな鬼札を隠し持っているのかわからないゆえに、それを見切る力こそが明暗を分ける。
嵐のような腕の暴風の一瞬の切れ目。
そこにゆっくりと小太刀の刃を差し込んだ。
ぞぶり…ッ。
「ガァァァッ!!!?」
羅腕童子の腕の一本、その手首を切り落とした。予想外のダメージに今度こそ動揺する鬼をこれ幸いとばかりに、そのまま距離を取る。
【充…おぬし……ッ!?】
状況が飲み込めていないエッセの声。
確かにさっきまでずっと防戦一方のオレが唐突にあっさりと反撃を成功させたんだから、驚くのも無理はない。
まぁ、オレの力ではあそこまでの一撃を食らわせるのは確かに不可能。だが相手の攻撃の切れ目を見て、そこに刃を滑り込ませ動き出す腕の動きにカウンターで合わせてやれば可能となる。
鬼の腕力が強ければ強いほど、それは自らにはね返るのだから。さすがに手首が落ちるまでいけるとは思っていなかったけどね。
「エッセ、心配かけた。ちょっと急速にレベルアップしちゃったらしくてさ。
腕力はともかく、攻防の反応だけならなんとかついていけるようになってきた」
小太刀を握り直す。
本当にこれを作っておいてよかったと思う。
今のこの状況ではこの刃こそが最後の逆転のための武器なのだから。
「さて、鬼退治といこうか」
目の前の鬼と会ってから積み上げてきた全てが今この身に宿っている。
十分に勝機は見えた。
「……中々ヤルナ」
しばらく切り落とされた手首を見ていた鬼が再び嗤う。
ぎぬろ、とその黄色い瞳がこちらを見据えた。
「ダガ、ソレガイツマデ保ツカ」
めきべきめき…ッ。
鬼の腕がさらなる変態を見せる。
腕が全て一気に太く膨張し体積を増加させていった。
「なッ!?」
何かが爆ぜる音がしたかと思うと、羅腕童子の張り裂けんばかりだった腕は、まるでところてんを押し出すかのように腕の先端から肉が押し出されて伸びていく。
みりみりみりみりィ…っ!!
6本が全てそれまでよりも遥かに長大にして、一回り大きい腕へと変貌した。
その長さはおよそ4メートル。
まるでその姿は蜘蛛のように体と腕のバランスがおかしい歪なものだ。
「………マジかよ」
おまけに切り落とした手首もゆっくりではあるが再生を始めているようだ。
再生能力。
腕の増加。
そして今度の腕の強大化。
一体いくつの特殊能力を隠していたというのか。
しかしこうして並べてみると、さすが羅腕童子だ。特殊能力も腕に関することばっかりだな。
ごぅっ!!
驚いている間はない。
長く伸びた腕が戦いの再開を告げるべくこちらへ殺到した。
6本の腕が蛇か何かを思わせるような奇妙な曲がりくねった軌道を描く。ここまで来ると最早ただの腕ではなく、一個の独立した生命のようにすら思えた。
【充、待て。それ以上使っては―――】
だが問題ない。
どれほど不規則な動きであろうとも、どれほど射程が長くなろうとも。
動きそのものが緩慢になる今の感覚であれば、結局のところ攻撃が自らに当たる瞬間を待って対処すればよいのだから。途中の経過がどうであろうと、どれほどわかりづらかろうか関係ない。
まず1本目。
伸びてくる腕の動きに合わせて単純にかがむ。
かがんだ拍子にオレが潜った下に手先を切り返そうと慣性を殺すため、動きを止めた瞬間を狙い一瞬早く肩で体当たりをすると、軌跡を大きくズラしていく。ちなみに慣性制御のために動きのないときでなければ、多分体当たりしてもこっちが当たり負けしていたはずだ。この太さなら、それくらいの腕力はあるだろう。
そして2本目。
ほぼ同時に沈み込んだオレの目線に合わすよう少し低く飛んでくる手に対し、1本目を肩で弾くようの伸び上がった勢いを利用して上から小太刀を刺すように全力で叩きつける。
地面に縫いつけられ、手がどす黒い液体をまき散らしながらビクビクと震えた。
次は3本目。
小太刀を突き立てたオレの頭上から腕が降ってくる。
体勢はそのままに40センチだけ体を横にズラすと上から降ってきた手はそのまま通過していく。これも同じように妙な位置の関節を曲げようと一瞬動きを止めた瞬間を見計らい、ズレた体を戻す勢いでショルダータックルをぶちかまして弾く。
さらに4本目。
右方向から振り回された腕だ。実際はこれは3本目とほぼ同時にやってきている。2本目を突き刺し3本目を避けた動きを利用して低くした体勢のため、頭上を掠めていく。
しかしその前に動き出す。突き立てた小太刀を力任せに地面と手から引き抜く勢いを使い、腕が妙な動きを見せる前に下段から上段まで斬り上げる。
これまた手首が飛んだ。
ついに5本目。
左下から跳ね上がるように弾む一撃。
咄嗟に腰を引き、小太刀を切り上げた勢いを敢えて殺さずにまるで海老反りのような姿勢を取ると、そこを抜けていく。同時に通過した肘を内側から足で踏みつけた。
最後に6本目。
失った手首をすこしだけ再生して向かう、背後からの強襲。
回り込んだゆえに一番遅い攻撃。まだ指は再生されておらず手のひらが半分ほどあるだけにも関わらず、そこで張り手をするように攻撃してくる。
その最後の攻撃を敢えて肩に掠らせるようにした。
触れた瞬間、衝撃が弾ける兆しを感じると同時、それに反発させるように自ら飛ぶ。
結果として、殺しきれなかった衝撃の分だけ5メートルほど弾き飛ばされることになった。
だが最初に喰らったときとは違い、自分で飛んでいる分姿勢制御も用意だし、その分勢いも殺せているので着地に問題はない。
「よ……っと」
再び間合いが開ける。
時間にすれば2秒ほどのやりとり。
だが着実にダメージを与えることができている。回復不能なほどの致命傷ではないものの、あのゆっくりとした再生速度ですぐに回復しきるような傷でもない。
いける…ッ。
ぞわぞわと背筋を駆け登っていくのは興奮か。
再び迫る6本腕。
だが傷ついた分だけわずかとはいえ動きが鈍い。
勝利を確信した、その瞬間だった。
―――世界が色を取り戻した。
「………え?」
時の歩みが冷酷に戻った。
猛スピードで殺到する羅腕童子の腕。
視界が暗転する。
それも一瞬のこと。
背中に強烈な衝撃を感じ、その刺激で視界が戻る。
広がっているのは商店街のアーケードの天井。
「がは…ッ、ご! は…ッ…はッ!…」
背中を強打したらしく肺が機能を果たさない。
横隔膜が痙攣し役目を放棄しているのか。
おそらく殺到した腕のうち1本をまともに喰らって吹っ飛んだのだろう。
強烈すぎる衝撃だったが、それは納得できる。
問題は、どうしてあの見切りの感覚が切れてしまったのか、だ。
そう思い返していると鬼の言葉が過ぎった。
―――ダガ、ソレガイツマデ保ツカ
ぞくり。
痺れているどころではなく、今度こそ全く反応しない全身。両方の足に至っては膝が逆方向に曲がっているように見える。なぜか痛みを感じないのが救いか。
だが、それどころではない。
オレは忘れていない。
まだ戦闘の最中だということを。
そして奴も忘れてはいなかった。
最初に一撃入れてから詰めを誤ったために、オレとの戦いが長引いたことを。
想像を絶する苦労をして頭を挙げると、すでに目と鼻の先に羅腕童子の腕が全て存在していた。応答のしない体のオレに、その6本の脅威を退ける術などない。
「……ぁ…ぁ…」
カタカタと歯が震える。
本能的な恐怖が心を捉える。
鬼が嗤った。
それは決着の時。
「ぁ……ぁぁ、ぁ……」
6本の腕はそれぞれの爪をさらに鋭く尖らせ、まるで剣を刺し込むが如く、その全てがオレに向かって突き出された。
「ぁあああああぁぁぁぁっぁぁぁぁっっ!!!??」
鮮やかな切れ味に、体が八つ裂きにされていく。
朱に染まった視界に写る羅腕童子の貌は、それを見ても嗤いを消さなかった。
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今後ともよろしくお願い致します。




