73.絶望の貌(2)
あまりのことに硬直するオレ。
だが対抗戦に向けて鍛えた体は無意識のうちに反応してくれた。
ごうンッ!!
耳元間近に聞こえる風を切る轟音。
反射的に横に避けると、すぐ傍を羅腕童子の豪腕が通り過ぎていた。舗装された商店街のブロックが割れて砕ける音があたりに響く。
「………マジか」
思わず呟いてしまう。
先ほどまであった、5メートルはあったオレとの間合いを一瞬にして潰して攻撃を繰り出してきた。おまけにその一撃は外れて地面にめり込むなり、半径1メートルほどのクレーターを作ったのを見て。
石塚も恐ろしい攻撃力を持っていたが、それはあくまで通常の人間レベルの話。ヘビー級といってもあくまで想像出来る範囲内の力だ。
しかしこの相手は違う。
体格だけならば豪傑河童など同じくらいの相手とも戦ったことはある。だがそれを差し引いてもこれまで戦った魔物と次元が違った。
「…………ヨモヤ避ケルトハ」
そう、あらゆる意味で。
「面白イ。ドコマデ耐エラレルカ、ヤッテミヨウジャナイカ」
あの口でどうやって発音しているのか定かではないが、鬼は低い声でそう言って嗤った。
久しぶりに歯ごたえのある獲物に出会えた、とでもいうように。
鬼の四本の腕がまるで肩慣らしをするかのようにゴキゴキと蠢く。
見た目は普通の腕に見えるが、丸太のように太い以外にも関節ではないところで時折曲がっていた。
【どうやら戦いは避けられぬようじゃな】
膨れ上がる鬼の戦意を感じたエッセが意思を伝えてくる。
【出雲から聞いておるからわかっておるじゃろうが…此奴の特殊能力で厄介なのは“廻腕”じゃ。もって生まれた身体能力を使ったその一撃は見たとおり非常に重い。
予想のつかない方角から来ることで惑わされて一撃もらってしまえば最悪の事態になるじゃろうの】
「だろうねぇ」
軽く応じるが内心それどころではない。
石塚以上の攻撃力。
石塚以上の速度。
それが人外の理を持って襲いかかってくるのだ。
ようやく準備が出来たのか、羅腕童子が一瞬だけかすかに足に力を込めたのに気づいた。
横にステップして移動すると再び掠めるように強烈な拳が通り過ぎていく。
出雲から聞いていた対策通りだ。
羅腕童子は攻撃が粗い。そもそも魔物は特定の種類を除けば自ら鍛錬をして強くなる、という発想そのものを持たない。ゆえに生まれたままの能力を使って襲ってくることになる。相手に動きを気づかれないように前兆を消す練習をしたり、などということもしない。
結果として予備動作の大きい行動をしてくるのだ。
石塚というボクシングの手練れ相手に見切りを鍛えたオレにとっては、その攻撃の予備動作こそがつけいる隙となる。
動きが見えた瞬間に回避行動を取ってしまえば、速度で多少劣っていてもそれをカバーすることが出来るからだ。
攻撃を避けながら、なんとか荷物の中から武器を取り出す。
「……たっ!!!」
攻撃を避け様に小太刀で斬りつける。
羅腕童子の腕に一筋の傷が走り黒い血のようなものが飛び散った。
うーん、浅い…か?
だがイケる。
あまりにレベル差があって不安だったが、30レベルを超える魔物であっても、やり方次第でオレでもなんとかダメージを通すことは出来る。で、あるならば倒せないわけじゃない。か細くとも勝機が見えればやりようはある。
「クックック…」
思わぬ反撃を受けた鬼はしばらくその傷を見た後、また愉しそうに嗤う。
それまで腕1本だけ攻撃に使っていたところ、動かさずにいた3本の腕のうちもう1本が動き出す。
「…ぐっ!!?」
攻撃が再開された。
拳が繰り出される腕の数が1本から2本になり、単純に手数が倍になっている。
なんとか行動の起こりを見切って回避に専念する。出雲に注意された通り、紙一重での回避は出来るだけしない。通常の腕と違い可動箇所の多い“廻腕”は思いもしない方向からこちらの回避や防御を掻い潜ろうとする。そんな相手にギリギリの回避を行なっては食らう確率を自ら上げるようなものだ。
勿論距離を取るような回避をすれば攻撃に移るのが遅くなり、すぐに反撃するのが難しいのは承知。それでも攻撃のチャンスを失ってでも安全に行くように、というのが出雲の対策だ。
“廻腕”は魔法でもなんでもなく、あくまで特殊な身体能力。可動箇所が10か20かわからないが、戦いの途中で増えるというわけではない。だから攻撃をひたすら回避して動きの癖とか、そのへんを覚えれば回避は可能となる。
それまで無理をする必要はないのだ。
避けきれれば、の話だが。
腕が2本になった現時点でギリギリの回避を強いられている。だがこれは羅腕童子にしてみれば小手調べもいいところのはず。いくら相性のいい見切りの技能を持っているからといっても、最後までこれが続けられるかどうかは分の悪い話ではあった。
これを相手にすべての攻撃を完全に見切って無傷で倒しそうになるところまでいった出雲には、素直に感心するばかりだ。
だがボクシングのときよりもずっといい。
オレは右手に小太刀、左手に乳切棒を持ったまま回避を続ける。その合間に手にした武器でお馴染みチクチク戦法で間合いギリギリから浅い傷を負わせていく。
ボクシングでは得物を使ってはいけなかったから、リーチの差をいかんともし難かった。だが今はそんなルールはない。
いくら羅腕童子がデカいといってもせいぜい2メートルを超えているくらいで、武器を持ってしまえばリーチの差を埋めることが可能だ。
切り結ぶこと数分。
まるで玩具で遊んでいるかのように手を抜いたままの羅腕童子だったが、ついにもう1本の腕も使い始めた。3本の腕がオレを傷つけるためだけに動き出す。
問題はここからだ。
これまでの2本の腕は、関節が多いといっても所詮人間の腕の本数と同じ。だが3本となると、これまで対人相手で培った見切りが通用するのかどうか。ついいつもの感覚で2本の腕のみを目で追っていたりすると危ういだろう。
そして問題がもうひとつ。
「嘘だろ……」
何度か攻撃していたうちのいくつか。
最初のほうにつけていた浅い傷が消えていた。
再生能力…?
そんな能力があるとは聞いていない。
だが現に傷が癒えている。
勿論河童の軟膏とか“癒し”といった回復系ほどの急速なものではないが、間違いなく確実に。
思わぬ事態に動揺したオレは一瞬だけ意識の警戒を解いてしまっていた。
そのことに気づいたのは目前にまで迫った巨大な拳を見た瞬間。そこからなんとか回避しようとするものの、その攻撃の威力を想像してしまい足が竦んだ。
刹那の後、凄まじい衝撃に襲われる。
「………ッッッ!!!??」
なんとか出来たのは右手の乳切棒を前に出し、少しでもその衝撃を殺すことだけ。
その威力に乳切棒は粉々にへし折れ、さらには持っていた右手の感覚までおかしくなる。それでも殺しきれず体が浮遊感に包まれた。
吹き飛ばされるまま地面に何度か激突しゴロゴロと転がっていった。ぶつかる度に鈍い痛みが体の至るところに出てくる。
「………が…ッ」
しまった……。
悪手を打った自覚がある。
どれだけ警戒しても避けられるかわからないと自分で言っていたにも関わらず、予想外がひとつ起こっただけで容易く隙を晒してしまった。
しかしまだ命があるだけ運がいい。
倒れたこの状態から、なんとか体を起こして追撃を避けないと……。
そう思って体を動かそうとするものの、ぴくりともしない。
体中に甘い痺れが駆け巡っているせいか。
まるで全身がバラバラになったかのように不協和音を奏でており、頭が下した命令に従ってくれない。
なんとか力を込めてみるものの、びくびくと震えるばかり。
不味い…ッ。
冷たい汗と恐怖。
なぜ体が動かないのか。
食らった拳のダメージなのか、転がっている間に打ちどころが悪かったのか、それとも別の理由なのか、それはわからない。
ただひとつ言えるのは、悠長にそれを考えている暇がなさそうだ、ということ。
倒れたまま、なんとか視線を巡らせてみれば、鬼は悠然とこちらに近寄ってきている。
まだ距離はあるが、すでに勝利を確信したのか一歩一歩ゆっくりと。その油断自体はこの絶体絶命のピンチにはありがたい。
その距離はあと10歩ほど。
動け動け動け動け――――ッ!!!
叱咤する勢いで全身に命令を送り続ける。
羅腕童子の一撃の威力の大きさはわかった。このままここに倒れたままではチェックメイト。まるで稲穂を刈りとるように容易く命が摘まれてしまうだろう。
ぴくり。
かすかな反応。
指先にほんの少しだけど動く感覚を見つけた。
急流の中にある岩にしがみつくかのように、その消え失せそうな小さい感覚だけを頼りにして再び体を動かそうとする。
鬼はあと5歩の距離。
じわじわと指先から腕へと広がる感覚。麻痺していた体のうち、その部分が正常とは言わないまでも機能を回復させていくのがわかる。
だがその速度は遅々としており間に合わない。近づく鬼に対して、ただ地道に感覚を呼び起こすことしかできないことに焦る気持ちが膨れ上がっていく。
残り2歩。
そこで唐突に感覚が回復した。
一気に体の自由を取り戻したオレは敢えて起き上がらずに、仰向けから横に転がって俯せになる。
ズガガッッ!!!
砕かれた路面のタイルの破片が宙に舞う。
だがそれを気にしている余裕はない。その破壊力に背筋を凍らせながらも足に力を込め前のめりに、つまり羅腕童子の懐のほうへと転がっていく。
意外と足元を素早く転がる相手を攻撃するのは難しいのだ。ましてや鬼はその巨体である。足元への動きは鈍いはずだと判断した。
頭の上を何かが通り過ぎる感覚。
おそらく別の腕が通過したのだろう。再び路面が砕かれる音がする。オレはそのまま鬼の横を抜けて転がりながら立ち上がると、羅腕童子がこちらに振り返る前に距離を取った。
見ると、倒れていた箇所の周囲はいくつも破壊痕があり無残にクレーターが出来ていた。まともに食ったら人の頭程度あっさりひしゃげてしまうのは間違いない。
「…はぁ…ッは…ぁっ………っぶねぇ」
激しい呼吸でなんとか酸素を取り込む。
このスタミナの消耗は単純に運動量だけの問題ではない。生死を天秤に賭けたギリギリのやり取りを経た重圧によるものも一因だ。
さらに追撃してくるか、と思っていたのだが、予想に反して敵は静かに佇んでいる。鬼の表情の違いなど細かくはわからないが、敢えて言うのならば戸惑っているような感じだ。
もしかすると仕留めた!と思っていたのが、直前で避けられたので驚いているのかもしれない。
ちなみに視界の隅にある乳切棒の破片を見て内心で合掌。これで3本目である。
「アア……良イ」
変化が訪れたのはその言葉からだった。
「アノ男ノ気配ノ残滓ヲ求メテ、出会ッタ餌。ソレガ、コレホドノ相手トハ」
めぢっ、と肉が隆起する音が耳を叩いた。
「新タナ力ヲ…試スニハ、モッテコイダロウ」
腕が動いた。
今まで使っていた3本とは別にもう1本。
羅腕童子の本領たる4本の腕が全て解放される。
これまでよりも、さらに危険度の高い攻撃がオレを襲うのは明らか。その全てを見切れるかどうか定かではないが、できなければ死ぬだけ。
そう覚悟する。
にも関わらず、
みりみりみり……。
しかし耳に届く不吉な音は止むことはない。
嘘であってほしいような、そんな光景と共に。
羅腕童子の4本の腕は、普通の2本に加えて肩口にもう1本ずつ生えている…だがそれとは別に。
背からもう2本生えてきた。
6本の腕。
さらに、その全ての指の爪が伸びる。
長さ30センチほど。肉厚で先端が鋭く、まるで短い刃物のように。
「…………こりゃ、参ったな」
3本の攻撃もなんとか凌げるかもしれない、あわよくば4本でも。
そんな風に考えていた自分が馬鹿らしい。
その前提は崩れさってしまった。
とはいえ、疑問は尽きない。
元々6本であったのであれば、出雲に殺されそうになったときに使わない道理がない。だとするのならば先ほど鬼が言った通り、この2本は奴の新しい能力。
なぜ腕が増えているのかはわからない。主人公にとってこの世界がゲームだというならば、魔物は固定された強さのはず、と知らず知らずのうちに思っていたせいもある。現にこれまで狩場で出会った魔物は知られている能力以外を得ていたりはしなかった。
ならば、この羅腕童子が特殊なのか。
それとも………。
今理由を探したところでなんにもならないとわかっていても、考えずにはいられない。
そんなオレを見て、
「サァ、オ前ノ力ヲモット見セテクレ!!!」
鬼が嗤う。
その愉悦は最高潮に達していた。




