70.敗北がもたらすもの
あれから数日。
対抗戦は幕を閉じた。
オレは部活棟の屋上で空を見上げながら寝転んでいた。
酷使した体中が軋むが、あっさりと失神させられたせいで怪我そのものは大したことはなかった。鼻の骨折も河童の軟膏で治療済みだ。
だがそれよりも致命傷があった。
あれだけ大見得を切っておいての敗北。
一体どの面さげて月音先輩に会いに行けばいいのだろうか。
そう考える度にズキズキと胸が痛む。
最初から無謀だったと言われればそれまでだ。
だけどそれでも勝つつもりでやってきたのに。
「…………ふぅ」
ため息をつきつつ立ち上がる。
だがそれでも生徒会室に行かないわけにはいけない。
伊達の配下。
それが賭けに負けたオレの今の立場だからだ。
敗北後、やはり間者であった咲弥が控え室にやってきた。
伝えられた伊達からの言葉は今後のオレの動きについて、だった。
まずやらされたのは以前言及した通り、出雲との関係改善。
そのために翌日、場を設け伊達と出雲の会談をセッティングした。
そこでどんな会話がされたのかわからない。
だがどうやら不可侵の約が為されたらしいことはわかった。
今日は新たな任務についての話があるとかで、この後生徒会室に呼び出されていたりする。
「…………あー、行きたくねぇ」
ちなみにあの戦いの敗北のせいでボクシング部は解体されてしまった。
俊彦先輩をはじめ部員の皆は責めはしなかったし、むしろよくやったと労われたがこの結果を見れば悔いしか残っていない。
おまけに生徒会所属になってしまったから、オンラインゲーム部の活動も制限されてしまっている。
そのためここ最近俊彦先輩やジョーとは話も出来ていない。
結果、改めて謝ることも出来ず、鬱屈した日々を過ごしているわけである。
「行くか」
ゆっくりと屋上を後にした。
そのまま生徒会室へ。
重い気持ちを振り払うように一度深呼吸をしてから、扉を開く。
ガラ…ッ。
引き戸を開く。
中には見知った顔があった。
「…な……ッ」
哀しげに視線を逸らす月音先輩、伊達、そして…、
「…綾?」
見間違えることなどあろうはずもない、幼馴染の姿。
「紹介しておこう。今度第二書記として生徒会で活動してもらうことになった綾君だ。おっと、すでに知り合いだったか、紹介の必要はなかったようだ」
伊達がにやりとしながら語る。
ずっと綾の護衛だったはずの出雲の姿はない。
その事実が雄弁に物語っていた。
綾は不可侵条約の条件として、伊達の下へ出された人質だと。
「……………ッ」
拳を握る。
どうしたこんなことになったのか。
月音先輩も救えず、大事な幼馴染ですらも命を握られる。
こんな風にしてしまったのは一体何が原因だ?
それは単純。
たった一度の敗北。
連戦連勝など出来るはずもない。誰しも一度や二度の敗北は有り得る。
だがそれが取り返しのつかないものであることだって有り得るのだ。
それがこの敗北。
今の事態全て、オレの負けが原因。
……ィィィィン。
遠くで耳鳴りがする。
周りの風景が目に入らなくなった。
自問する。
こんな結末を認められるというのか。
答えはひとつ―――、
「認められるわけねぇだろ…ッ!!!」
熱を解き放つように叫んだと思った瞬間。
一気に意識が覚醒する。
気づけば目の前になぜか壁がある。
びくともしないほど強固な壁。
まるでオレの運命を阻むようなそれに手を当て、力任せに勢いをつけて押しやった!
□ ■ □
ズガンッッッ!!!!
男が右のストレートを振り抜くと、まともに食らった充がまるで交通事故にでもあったかのように1メートルほど吹き飛んでリングに沈んだ。
「……、なんだ、ありゃあ」
思わずおいらは呟く。
充がアマチュアボクシングの試合をやるって話だったから見に来てみたが、あんな化け物が出るなんて話は聞いちゃいねぇ。相手の石塚って奴ぁどう見てもライトウェルター級には見えない。
大学生のおいらとあんまり変わらない体格だ。
寝技とか投げ技なら多少の体重差はひっくり返せるが、打撃競技ではそうはいかない。いくつか例外はあるものの、基本的に体重から来るパンチ力の増加、体格によるリーチの増大、その差が圧倒的なアドバンテージになるからだ。
それくらいのことはおいらでもよく知ってる。
勿論多くの人がそれをわかっている、だからこそ厳密に階級差を設けているんだ。
早い話が、あの石塚って野郎が競技の枠をぶっ壊しかねねぇ規格外の存在だってことだ。
「……ん?」
横にいた咲弥の視線を感じてそちらを見た。
「蛮化、かけた…?」
「いやいやいや、どうしておいらがあいつに蛮化かけなきゃならねぇんだよ!?
つーか、そもそも蛮化は筋力とか含め脳のリミッター外すだけだから、消化器官とかまで強化するわけじゃねぇし!」
まぁあの自らを顧みないくらいの狂乱っぷりを考えれば、そういう結論に至ったとしてもおかしいことじゃねぇんだけどよ。
悔しいが計量後からあれだけ体重を戻すだけの消化吸収能力を含め、もしあの石塚とやらが何かされてるってんなら、仮に同系統だとしてもそれは蛮化よりも一段階以上上の術だろう。
ちらりと観客席を見回す。
そこには上位者がいた。
伊達政次。
どんな理由かは知らないが、今の充が彼に注目されているのは間違いない。だからこそこんなことが起こる。上位者に目をつけられるということはそういうことだ。
「まぁ充は充なりによくやったんじゃ……!?…」
ざわっ。
会場内がざわめいた。
その中心はリング上に向けられている。
完全に失神していると思われた男が、カウント5で立ち上がったのだ。
さすが、やるぅ。
内心感嘆しつつ隣へ目をやると、その光景を咲弥は凝視していた。
一挙手一投足を見逃さないように。
? 珍しいな?
普段あまり物事に執着を見せない咲弥のその態度に違和感を覚えつつ、おいらも試合に集中した。ようやく面白くなってきそうだったからな。
□ ■ □
壁だと思っていたのは、どうやらリングの床だったらしい。
押しのけると反射的に足に力が入り立ち上がっていた。
「ひゅめ、か……?」
さっきの光景はどうやら気を失っている間に見た夢だったようだ。
現実じゃなくてよかった……ッ。
というか、なんか上手く喋れないな。
なんでだ?
「…………ッ!!?…」
主審が確認していることに気づいて、拳を上げてガードの体勢を見せた。平衡感覚がやられているせいなのか、歩き出せばフラフラしてしまいそうだが、それを隠して膝に力を入れる。
周囲を見ると石塚がニュートラルコーナーにおり、主審がオレにまだ試合続行する意志があるかどうかを探っている状態。どうやら気を失っていたのはそれほど長い時間じゃなかったらしい?
かろうじて立っているだけだということを気付かせないように神経を集中した。
なんとか隠し切れたらしく、主審が試合再開を宣言する。
ほっと一安心。
だが問題はここからだ。
さっきは五体がまともに動く状態で、右ストレートを喰らってしまった。今度はフットワークが使えないまま、それを避けなければならない。
前に伊達とやりあったときに使えた能力が発動すれば…!と思って左手を見たが無理なことに気づいた。あのときは素手だったが今はグローブをしている。
つまり今ある手持ちの武器だけでなんとかしないといけない。
だが不思議と恐怖はなかった。
それどころか鼻の骨折、ダメージを受けた頭痛すら感じない。
ボ…ッ!!
石塚のジャブが飛ぶ。
笑う膝を叱咤して無理矢理体勢を変えて崩れながら避ける。
ボッ…ボ…ッ!!
さらにジャブが迫る。
体勢を崩した状態のため出来ることは少ない。ヒットしそうになるジャブを肩に当てさせながら、上半身を回して受け流すようにして弾く。
もう1発…ッ!
下半身を崩して倒れそうになり、そこからさらに上半身を捻っている以上動きようがない。だから体勢を戻すのを諦めた。
敢えてさらに体勢を崩す。
結果崩れかけていた体勢が加速度的にバランスを失っていくが、狙っていたジャブは空を切る。
ドタンッ!
リング上に転んだ。
パンチは当たっていないので、スリップと判定されてすぐに立つよう要求される。
遅延行為にならないくらいのゆっくりとした速度で立ち上がる。
恥や外聞を気にする必要はない。勿論オレだってカッコよく勝ちたいけど、負けるよりはずっとマシだ。さっきの夢のような光景を防ぐためならなんだって使う。
立ち上がる際にグローブでぐっぐっ、と太腿を押してダメージを確認。
すこしは回復したようだ。
うーん。
しかし避け続けていてもジリ貧だな。
すでにダウンを取られているし、判定まで持ち込まれたら結局こっちが負けてしまう。なんとか打開策を考えないと……。
ボッ!!
ジャブを避ける。
先ほどまでよりも膝の踏ん張りが利いているので、体勢はそこまで崩れない。が、無理に逆らわず敢えて体勢を崩す。そのまま再び倒れこむ。
今度は前へ。
どんっ!
体当たりするような形で懐に飛び込む。
体格差があるせいか当たってもビクともしないのがシャクだが。
お? 密着すると相手はジャブを出しづらいのか、なんとか離れようとしてくる。予想通りリーチが長い分短い距離は苦手なのはわかるし、アッパーをねじ込もうにもその腕が太すぎてオレと自分の間の空間を通らない。必然的に後ろに下がるか横にズレるかして距離を開けたくなる。こっちは別に相手をホールドしてくるわけじゃないので、別段離脱は難しいことじゃない。
オレがついていかなければ。
静かに集中する。
不思議と感覚はクリアだった。倒れて起き上がってからは、むしろクリア過ぎるほどだ。相手の重心、ぶつかっている体の緊張具合、視線から動きを予測する。
相手が後ろにいった分だけ前に進み、横にズレた分だけ横に行く。前に出れば引き、止まれば踏ん張る。絶妙なさじ加減をひとつ失敗すれば必殺の一撃が飛んでくるその作業。
「ガァ……グァァァォ…ッ!!!??」
巨獣が戸惑いの声をあげる。
いや、わかんないけど、戸惑いの声だったらいいなぁ、と思う。
その予測を裏付けるかのように石塚が攻撃を繰り出そうとするもキレがない。
味をしめて間合いを潰したまま。相手の攻撃を封じることに専念する。
まぁ、そろそろ俊彦先輩に聞いたとおりのルールなら主審がブレイクさせに来るはず。そしたら離れて仕切り直しを……、
「ガァァァァッ!!!!!」
「ッ!?」
我慢の限界に達したのだろう。
イラだった石塚がオレを腕でホールドするようにつかみあげた。
そのまま強引に投げ飛ばす。
「~~~ぉぉっ!!?」
咄嗟に受身を取る。
だんっ!!!
しこたま打ち付けられたが、なんとかダメージを軽減することに成功させる。
ま、まさか投げ技を使ってくるとは思わなかった……。
とはいえ、これはボクシングの試合。
これは歴とした反則だ。しかも悪質な。
オレはニュートラルコーナーに行くように言われ、主審が石塚に注意をして減点を与える。
これはラッキー。
オレは回復する時間を稼ぎつつ、ちょっとだけポイントを返した。
そうこうしているうちに足は大分回復してきた。これでなんとか普通に避けることが出来る。さっきまでのように間合いを潰してクリンチ気味にすれば攻撃を防ぐことは出来るが、こちらも攻撃しづらいことに変わりはない。
1ラウンドも相手のほうが有効打があるし、2ラウンド目は有効打を喰らいダウンまで奪われている。多少減点があったところで、逆転するためにはこちらも攻撃が必要だ。
試合が再開される。
向かってくる石塚を見る。
別に呼吸は乱れていないが少し疲れているのだろうか? 動きが少し緩慢に見える。
いや、違う。
さっきの懐に飛び込んだときも感じたが、感覚そのものが鋭敏になっているのか。
その感覚には覚えがあった。
―――蛮化
あそこまで強烈ではないが、それに近いものを感じた。
苦痛や疲労が消え去り、戦いに関して意識が先鋭になる。理由はさだかではないが、使えるものは使わせてもらおう。
ゴツい体格が近づいてくる。
もしこれがボクシングの試合でなければなぁ、と思わなくもない。豪傑河童みたいにデカいのと戦った経験もある。ルールさえなければやりようはあるはずだ。
ボ…ッ!!
キュキュッ!!
足の感触を確かめるように最初は恐る恐る。
次第に本気でフットワークを使ってジャブを避けていく。
そう、もしルールがなければ。
まずあの膝を攻撃したいところだ。あれだけの巨体なんだから体重がかかっていればモロいだろう。だが関節を狙うのは有効そうだな。
だとしたら肘か…?
でも肘を殴ったりしたら怪我をしそうだし、そもそも肘には体重のような力がかかっては……、
「―――ッ!!」
なんとか打開の方法を考えたオレに、石塚の右ストレートが迫る。
ぶぉんっ!!!
考え事をしすぎて反応が遅れたものの、なんとか避ける。
顔の横をストレートが通過していった。
ゴォォィンッ!!!
コーナーにパンチがヒットしリング全体を痺れさせる。
ホント、ライトウェルター級のパンチ力じゃないよな、アレ。
そのまま平気な顔をして石塚が再び攻撃を放とうとして、
カンッ!!
ここで2ラウンド終了のゴングが鳴った。
「ふぅ……ッ」
最後はちょっとドキっとしたがなんとか無事に戻ってこれたことに安堵する。
だが収穫はあった。
今ので確信した。
つけいる隙は、ある。
コーナーに戻る。
「…よく立ったな。さすがにもうダメかと思ったぞ」
俊彦先輩のその言葉に返事をしようとするが、上手く喋れない。彼はその様子を疲労と見たのか、1ラウンド終了時と同じように喋らないでいい、と制した。
「さっきの作戦の続きだが……相手の右ストレートを振らせるんだ。石塚の左側へ回り込むような位置取りで打たせていれば、通常の右ストレートよりも距離が長い分若干遅くなるはずだ。
そのタイミングならカウンターを取れるはずだ。あと石塚の足さばきに注意するんだ。さっきダウンさせられたフェイントのとき確認した。フェイントで右ストレートを使うときは踏み込む前足がすこし外に開いていた」
えぇと、つまり相手の右拳から遠い位置にいろ、その位置で右打たれたらカウンター狙え、右ストレートと見せかけてフェイントのときは踏み込んだ前足が開くので見極めろ…ってことか。
うーん、難易度高いな。
が、やりようはある。
カンッ!!
運命の3ラウンドがはじまった。
予想以上にボクシングが長引いてしまいました。
早く剣と魔法モノに戻せゴルァ!!という方はもう少々お待ちいただければ幸いです。
読んで頂いた皆様に感謝を。




