63.仕組まれる賽
すっかり日が暮れた頃。
数人の男たちが部室を出ていく。
そのまま飛鳥市立第一高等学校と書かれている正門を抜けていった。
集団の中心になっているのは石塚毅。頭を角刈りにした長身の青年だ。身長は180センチ弱ほどか。肩周りの筋肉が発達しており鍛えられてはいるものの、全身はどちらかというと細身でひょろ長い印象を覚える。
彼を中心にまるで取り巻きのように男たちが集まっていた。頭を金髪にしていたり、鼻にピアスを入れていたりチンピラにしか思えないような学生たちも混じっている。
飛鳥市第一高等学校ボクシング部。
それがこの集団のメインである。
勿論直接的に部活に所属しているわけではない生徒もちらほらいるものの、ボスである石塚に群がるように付き従っているという意味で違いはない。一般でいう不良、のような生徒も混じっているが、どいつもこいつも石塚の強さに惹かれて集っている点では共通していた。
元々この学校のボクシング部はそれほど強いものではなかった。統合でマンモス校になった飛鳥市第二高等学校と比較すると、立地上や学力の問題もあり生徒数そのものが多くない学校だ。必然的にボクシング部に入ろうなんていう奇特な生徒も少なく廃部寸前までいっていた。
それを立て直したのが何を隠そう石塚である。
元々叔父の家がボクシングジムをやっていた関係もあり、幼少の頃からボクシングに触れていたため、高校入学時点で部活レベルでやっている相手より数段強かった。
本来はもっとボクシングの強い高校に行きたかったのだが偏差値の問題でいけなかったのがまだコンプレックスらしいが、それはそれとして、いつか自分がプロになったときのための実績作りとしてボクシング部に入部。
そのまま彼がタイトルを取ったことがボクシング部の立て直しに繋がったのである。ライト級にしては長身なのがアドバンテージになるアウトボクシングスタイル(接近しての強打よりも、間合いを図ってコツコツと手数を重視するスタイルである)がポイント重視のアマチュアルールに適していたということもあり、今や高校ボクシング界でもかなり有名になっていた。
結果、その彼に憧れて翌年の新入部員はかなり増えた。その中にいた中西弘樹と小林景も今や全国レベルの選手だ。
それだけに今回のことは学校側にとっても頭痛の種だった。
飛鳥市第二高等学校のボクシング部の連中と石塚の取り巻きたちがいざこざを起こした一件だ。しかも経緯を聞けばどちらかといえば絡んだのは取り巻き側。
ボクシング部員ではない取り巻きたちの行動ではあるものの、彼らが石塚とツルんでいたのは周知の事実。目撃情報を確認すれば現場に石塚が居た可能性すらあった。
さすがに放置しておくわけにもいかない。
ではどうするのか?
彼を処分するのは簡単だ。
だが石塚の取り巻きたちを黙認していた、という負い目があった。学力が低く不良が多いこの学校では全員を管理するのは難しい。そのうち、いくらかがボクシング部の石塚の子分的な立場になっているとしても敢えてどうこうすることはなかった。
むしろ一部の教員からは下手に町中で暴れられるよりは石塚の取り巻きとして行動してもらうほうが彼に迷惑をかけるような事件を起こさないだろう、なんて意見があったくらいだ。
そしてもう1つ。
彼のあげたボクシング部での目覚しい活躍も処分できない理由。ここで彼を処分すればボクシング部そのものの活動に支障をきたす可能性が高い。他の全国選手である中西弘樹と小林景も彼に心酔して入部したクチであり、石塚が不服な処分をすれば試合をボイコットしかねない。
ボクシング部の大会における成績はあまり名誉なことで名前があがることのない学校にとってもありがたいものだから、彼ら3人全員が大会に出れないような事態は避けたいところだ。
警察沙汰になるような大事ならともかく、学生同士のいざこざくらいで済むのなら内密に処理してしまいたい、というのが結論である。
そんな折、どうするかを当事校同士が話し合う場、そこの飛鳥市第二高等学校側に居た副生徒会長の提案により話は意外な展開を見せた。
近々行われる対抗戦で白黒つければよい、と。
どんな意図があってのことかはわからないが、全国レベルの選手を3人も抱えている第一高等学校側にとっては願ってもない条件だった。
異論も出ないままその申し出を受け入れ今に至る。
「ふん…しっかし第二高の連中も馬鹿なこと申し出たもんだぜ」
道を取り巻きたちと共に帰りながら、石塚は鼻で嗤った。
勝てる可能性などほとんど無いというのに、そんな条件を持ち出した相手の馬鹿さ加減を。
なるほど、佐々木俊彦という難敵はいた。
去年はバンタム級にいたため、ライト級である石塚と直接的に戦ったことはないが、選抜大会でその試合を見ていれば実力のほどはわかる。
攻防共に一人だけダントツに飛び抜けていた。その佐々木が身長の伸びなど体格的な問題で春先にバンタム級からライト級にあげていたのも知っている。
ならば同じライト級である石塚と当たるのは確定事項だ。期せずして全国クラスの選手が2人激突するということになる。油断のならない戦いになるだろう。
だがそのうえで石塚は自分の勝ちを疑っていない。
階級をあげたことによるバランスの変化、弱小校ゆえの練習相手の不在、身長の差による射程距離の違いなど、有利な条件はいくつもある。
もう1年後くらいならいざ知らず今ならば十分に勝算が立つ。
そして佐々木以外に目立った強さの選手がいない相手に対し、こちらには全国レベルの選手がもう2人いる。これで5戦のうち3勝は確定。あとの2試合の選手も弱い奴ではないから、もしかしたら全勝してしまうかもしれない。それくらいの差だ。
「まぁ、こいつで向こう側が一年くらい活動停止になってくれりゃあ、今後面倒な相手とやらずに済むってことか」
別段負けたから必ずペナルティ、というわけではないが話の流れ的には勝った方はお咎めなしなのは間違いない。その上で都合のいい展開になれば申し分ないところだ。
佐々木さえいなければ今年も全国優勝はまず間違いない。
高校で実績を作って卒業と同時にプロデビュー。
2,3戦こなして東日本新人王、全日本新人王、日本チャンピオン、そして最後に世界チャンピオンにまで一気に駆け上がる。
未来はバラ色に思えた。
「なんだ、テメェ!?」
「オレたちがどこの……ぅ…っ……」
どさり、と倒れる音がした。
気づくと先を歩いていた取り巻きが2人倒れている。
その先、街灯に照らされた道路にひとりの男が立っていた。
そこにいたのはフードを目深に被った優男。
細身でどう見ても荒事に向いているようには見えない。
だが他に人影も無く、取り巻きを倒したのはこの男以外に有り得ない。
「家路を急いでいるところを済まないね。何、すこしの時間だけ貰えればちゃんと終わる」
フードのせいで目元が見えないが、男の唇が歪んだのはわかった。
歪に嗤う。
「てめぇ、何しやが…ッ」
叫びながら殴りかかった取り巻きに対して、男は避けながらすっと体を横にスライドさせた。
ただそれだけ。
にも関わらず、殴りかかった男子生徒はそのまま崩れ落ちて動かなくなる。
男が殴ったわけでもなく、何かしたように見えないのに、なぜか失神している。
異様な光景。
恐怖にかられたように取り巻きたちやボクシング部の連中が一斉に飛びかかっていく。
が、男は取り乱した風もなく向かってくる攻撃を体捌きだけで避けていく。ボクシングのステップとは違う体軸をぶらさない奇妙な動き。
ただ避けた後に必ず攻撃をした側が倒れていく。
ほんの1分ほどであたりは倒れた男子生徒だらけになった。
「三下風情ではこんなものだろうね。もっと時間をかけてあげてもよかったのだが…君たちの小さなプライドよりもボクの時間のほうが惜しいのだから諦めてくれ。
本来であればボクがここに居る必要もなかった。あの佐々木とかいう男に恩を売るためだけに仕組んだ話がどうしてこうなったのやら……」
ゆっくりと男は近づいてくる。
ぞくりとした悪寒に突き動かされて思わずガードを上げた。
確かに身長は同じくらいあるがそこまでパンチ力があるようには見えない。ましてさっきからボクサーである自分の目をもってしても、パンチを出したように見えないのだ。にも関わらず一瞬で取り巻きたちを倒している。
スタンガンか何かを隠し持っているに違いない、と石塚は推測した。
ならば危険な接近戦を避けて遠距離からの渾身の一撃で仕留めるしかない。間合いを計りながら攻撃する機を窺う。
「ああ、勿論抵抗するのは自由だ。むしろちゃんと使えるのか見せてくれないか」
「……どんなトリックを使っていやがるか知らねぇが、素人の癖にボクサーを舐めんじゃねぇッ!」
たんっ!!
アスファルトに踏み込み音が響く。
一歩踏み込んだ勢いをそのままに左ジャブを放つ。
ボッ!!
だがそれは空を切った。男はすこし体をズラして避けたらしい。だがそんなことは想定済みだ。そのまま追撃の右ストレートを放とうとして気づく。
「なるほど。まぁ及第点といったところだね。このままでも悪くはないんだが…足りないな。拳の速度も、踏み込みも、体重の載せ方も、なにもかも。轟のような人外を期待していたわけでもないが、いくらなんでもこれでは隙がありすぎる」
「…ッ!!?」
ジャブを放った姿勢のまま体が動かない。
伸ばしきったまま硬直した左腕をぽんぽんと軽く叩きながら男は残念そうに続ける。
やはり手を加える必要がある。
そのためにはまず下準備が必要だ、と結論づけた。
「仕方ないので当初の予定通りゆくとしようか」
ずるり、とそんな音が聞こえた気がした。
男が袖口に隠していた手、そこには百足を象った禍々しい造形がされた金属の指。錆びの浮いた鉄色のガントレットがあった。
ゆっくりとガントレットに入った手が近づいてくる。
動かない体はそれを避けることすら許さない。
待つ時間こそが石塚にとっての絶望。
なぜ体が動かないのか何が何やら意味がわからないが、それでも尚ひとつだけわかる。あの近づいてくる手が自分にとっての最悪であると。
恐怖のあまりカタカタと歯が鳴りそうになるが、それすらできない。
ひたり、と5本の百足が頭に触れた。
「があ゛あ゛ぁぁあ゛ああ゛あ―――ッ!!!??」
動けなかった石塚がようやく出来たのは叫びをあげることだった。
指についていた装飾の百足が頭に喰いついていく。
皮膚を喰い破りながら頭の内側に沈み込んでいくのを動かない石塚は体感させられる。指一本すら動かせないというのに、意識と痛覚だけが鮮明だった。
「―――――-~ッ!!?」
「一度こうしておかないと術式のかかりも制限させるからな。
下拵えを粗雑にしては良い料理はできやしない」
男は無情に淡々と語りながら手を引っ込めた。
ガントレットから分離した百足だけが残される。
目の前で起こっていることは当たり前のことでさして興味はないとでも言うように。
石塚はあまりの激痛に叫んでいたのに、脳をやられたのかすぐに声を出すことすらできなくなった。
ごりゅ…ッ、ごりゅ…っ。
頭の内側で咀嚼する音が響く。
ぐじゅ…、ぞぞぞ、ごきゅ……っ。
「……うん? もう聞こえていないか。残念だな、さっきの言葉に反論してみたかったのに」
ぎゅら、ぎゅる、っん。
石塚の目から血が流れ出し同時に眼球がめまぐるしく動いた。
びくびくと全身が震える。
かと思えば時折びびび!!と何か電流でも流されたかのように痙攣する。
くっくっく、と男は嗤いながら、ばさりとフードを取る。
現れたのは長い髪をした細面の青年。
「そっちこそ、NPCの癖に主人公を舐めるなよ」
名は伊達政次。
片目に革の眼帯をした彼が狂ったように嗤うと、残りの隻眼が淡く輝いた。
じじじ……、ふ…っ。
寿命が近いのか街灯が音を立てて消えた。
あたりは暗闇に包まれる。
それもすこしだけのことで、すぐに復旧して光を放つ。
倒れている男子生徒たちを再び明かりが照らす。
ただそこから伊達と石塚の姿だけが消えていた。
賭けとは相手にとってのものであるべき。
そして自分にとっては出る目をいじれる賽を使う。
勝利とはその後に掴んでいるものなのだ、ということを彼は知っていた。




