56.剣崎への注文
かつて武芸の達人が言った。
武器とは己の体の延長上であるべきだ、と。
いたってシンプルなその一言。
その理念の中には武器に対する並々ならぬ思いが満ちている。
赤ん坊が自由に手足を動かせるようになるのと似たような労苦をかけてでも、自由自在に武器を扱いたい、そんな決意だ。
手にした武器が指のように繊細で、肌のように敏感に、そう感じられるほどの技を身につけるのが、どれほどの苦労かは想像に難くない。
修羅の如くただひたすら身を削るような修練の先にあるその境地。
それくらい武器に全てをかける者がいるのであれば、そういった者たちがいる場所では武器への要求も必然的に高まる。
より強く、より使いやすく、より鋭く。
その果てのない欲求に真っ向から立ち向かう者たちがいる。
ひたすら己の全てをそのひとつに注ぎ込んでいく人種。
そう、職人である。
………かどうかはさておき。
水曜日の放課後、オレは今加能屋に向かっていた。
勿論目的は武器を新調するためである。
週末は狩り場を優先する以上、平日のうちに準備しておかないと困ったことになるからだ。
商店街に向かって歩きつつ、昨日斡旋所でもらった冊子を読んでいる。
『10レベルを超えられた皆さんへ』
そんなタイトルの一冊だ。
内容としては大きく2つ。
前半は今後レベルが上がっていく度に増える特殊な討伐系依頼の心得や適正狩り場の情報など、主人公にとっての攻略情報。
そして後半は定期懇親会のお知らせである。どうやら10レベルを超えると、3ヶ月に1回、つまり1年に4回ほど斡旋所主催で定期懇親会が行われているらしい。普段なかなか同レベルでPTを組める知り合いができない、といった要望に応えるために出来たものらしい。
「情報交換がてら他の主人公をチェックしておくにはいいかもなぁ」
ちなみに上級、中級、下級の3つに分けられており、ギルドランクが1から3までが上級、4から6までが中級、7から10までが下級に当たる。
その区分毎に会場を設定して食事会をするような内容らしかった。だから必然的に同じくらいの依頼を受ける人間と知り合えるということになる。ちなみに下級の会場は町のレストラン、中級はホテルのレストラン、上級になると高級フレンチの店らしい。参加費は年1回までは無料だそうだ。
さらに1級を超えた上位者クラスになると会員限定みたいな凄い料亭に連れていかれて、来ている著名人とかと人脈が作れたり、なんてこともあるらしい。もしかしたら出雲と伊達が知り合ったのってこういった集まりなのかもしれない。
なんつーのか、結構斡旋所もマメだねぇ。会場を手配するだけでも大変だろうに、加えて出席者の管理とかまで、よくもまぁ…という感があった。
ちなみに次回は7月に開催予定とのこと。
その頃には色々なこともケリがついているだろうし、忘れてなかったら足を運んでみますか。
そうこうしているうちに加能屋に到着。
「どもー」
「いらっしゃい」
カウンターにはいつも通りボブカットをした若い女性。
剣崎 弥生さんと言うらしい。父親が結構有名な職人で、実は出雲の持っている武器は彼が鍛え上げた代物だ。ギックリ腰で一線を退き引退した、と最初は聞いていたがどうやら余りに有名になりすぎて不相応な連中まで武器を作って欲しいと詰め掛けてきたため、口実をもうけて隠れてしまった、というのがその真相だそうな。
今では弥生さんがその跡を継いでこの店を切り盛りしている。ちなみに彼女も若いが歴とした武具職人である。
残念なことに、すでに買ったその日に乳切棒を買い直した件でダメな意味で顔を覚えられてしまっている。あと河童の軟膏をしょっちゅう買いに来てるせいもあるかもしれない。
「なんか今日は充、顔色悪いねぇ。ヘンなモンでも食べたのかい?」
「別にそんなことはないですよ。まぁちょっと事情によりボクシング始めることになっちゃいまして。その練習が思ったよりキツくてやつれてるだけです………」
相も変わらず俊彦先輩による過酷なトレーニングは続いている。
今日も放課後からシャドー、サンドバッグ、ミット打ち、寸止めのスパーリングなど本当に倒れそうになる寸前まで酷使された後である。
正直なところ今襲われたらロクに動けないくらいの筋肉痛が全身を蝕んでいた。でもまだ2日目なんだぜ…? 本当に対抗戦までに耐えられるのか不安になってくる。
「今日も軟膏かい?」
「いえ。武器を買おうかと思いまして」
きらーん。
弥生さんの目が煌めいた気がした。
「え、何? 急にどうしたの。ようやくあの棒じゃ物足りなくなったとか!? まぁ応用が利くとはいってもやっぱり初級の武器だからさ、それもやむなしだ。もし武器が決まっていないなら相談に乗るよ、あたいの専門分野でもあるからねぇ」
うぐ…。言いづらいなぁ。
「充は杖術だから、今ならどんな武器だって対応できそうだねぇ。無難なところじゃ太刀とか槍とか、ああ、薙刀なんてのも捨てがたいね。
クズノハが使い出してから、女性の薙刀使いが結構増えたけど男が使ってもいいもんだよ、あれは」
絶好調で喋る彼女に、オレは無情にも事実を告げることにした。
「それが…また折っちゃいまして」
「………」
すっげぇガッカリされた!
猛烈な勢いでカウンターに突っ伏した弥生さんに申し訳ない気持ちが沸いてくる。
「で、また乳切棒を買おうかと」
「……………ンなボキボキ折るんなら、今回は赤樫じゃなくて白樫のやつを買うといい。ちぃと値は張るが白樫のほうが硬いからまだ保つはずさ。そのへんにあるはずだから適当に探すんだね」
そう言いながら彼女はいつも通り小屋裏へ続く梯子を下ろしてくれた。
登っていこうとしてふと、
「あ、でもそれだけじゃないんですよ。実は素材を手に入れたんで、それで何か作ってもらえないかなぁって思いまして」
「へぇ」
持ってきた玉鋼をカウンターに置く。
「玉鋼かい。中々のモン見つけてきたじゃないか量がそこまでじゃないから太刀までは無理だけど、槍とか脇差みたいなもんは作れるよ。何か希望はあるかい?」
「うーん…」
少し考える。
武器が乳切棒なわけだし、斬撃じゃないと有効打を与えられない相手に備えて刃物が欲しかった。それ以外にも野外で刃物があれば何かと便利そうだし。またいつ乳切棒が折れるかもわからないからサブの武器として使おう。
え? 折る前提で考えるなって?
いやいや、二度あることは三度あるんですよ?
「…それでしたら刃物で。いくらくらいかかります?」
「んー、そうさねぇ。1000Pってトコかな」
高っ!
でも相場もわからないのでそれで作ってもらうとしよう。
「じゃあそれで」
白樫の乳切棒を探し出してから、カードを取り出して一緒に決済。1100Pの出費となりました。
せっかく依頼をこなしてリッチになったと思ったら、早速心許なくなってきたな…借金を完済できるのは一体いつのことやら。
帰ろうとするオレは弥生さんに呼び止められた。
「ちょっとちょっと。一体どこに行くつもりだい?」
「? 会計終わったんで帰ろうかと」
「馬鹿言っちゃいけないねぇ。これからじゃないか。ほら、手ぇ出しな」
意味がわからないまま、言われたとおり両手を出した。
弥生さんはその差し出された手のひらをじっと見つめ、
「利き腕はどっちだい?」
「右です」
「ふむ……」
えらく真剣な表情で何かを考えこんでいる。
「…あの………」
「ん? ああ、そうか。充は初めてだったねぇ。
他所じゃどうかわからないけど、うちじゃオーダーの武器を作る際にはこうやって使い手の技量や癖なんかを調べてからやるのさ。使いこなせない武器を作ってもお互いにメリットないからねぇ」
なるほど…。
主人公でいうところの、必要技能とか能力値的なものを勘案して使えるものを作る、というのをこの人たちはステータスチェッカーなんか無い時代から体感的にやってたわけだ。職人さんおそるべし。
そのまま5分ほどして確認し終えたのか、
「10日もすりゃ出来上がるから取りにおいで。
それまでに後悔させないものをしっかりと作っておいてあげるから、さ」
うむ、楽しみにしていよう。
やっぱりオーダーメイドの武器と聞くと、既製品と違う感慨深いものがある。今のところ技能で扱えるのは杖と投擲武器くらいだから、刃物が完成したら特訓は必要だな。
そんなこんなで加能屋を後にした。
そのまま帰路につく。
【とはいえ、先程の弥生嬢のセリフではないが、そろそろ本格的に得物をどれにするか決めてもいい頃かもしれぬな。杖術を極める、というのなら今のままでも構わぬが】
確かに乳切棒を使い始めたのだって、将来的に色々なものに応用が効くから、って出雲に勧められたからだし。大分慣れてきたので次のステップに進んでもいいかもしれない。
さっき頼んだ武器が出来上がったら考えてみるか。
それまでは杖術をメインにして、投擲をサブで使う感じだな。
そのまま電車に乗って最寄駅で下車。
駐輪場に停めてあった自転車に乗ろうとして、
「………ん?」
ふと気づいた。
尾行するような気配がひとつ、ふたつ…みっつか。
残念ながらオレが気配を察知するのが上手くなってる、というわけでもなく単純に尾行している相手が素人なだけだろう。
「何か用ですか?」
すこし待って近づいてくる人影を確認する。
3人の男。年はオレとあんまり変わらなそうな感じだが、なにやら不穏な雰囲気を醸し出している。
「へっへっへ、用…用ねぇ」
そのうち一人がニヤニヤしながら近づいてくる。
「まぁ用っちゃあ用だな。お前に頼みたいことがあってよぉ」
そもそも初対面なのにいきなり頼みかよとツッコミそうになりつつ。
聞く前に断りたくなる気持ちをぐっと堪えて続きを聞く。
その間に残りの2人はジリジリと距離を縮めてくる。
「今度のボクシング部の対抗戦、辞退してくれねぇかな」
むむ。
そうきたか。
「正直色々キツいからそれでもいいかなぁ、って思うけども……なんでオレがそんな一方的な頼みを聞かないといけないのかって説もあるよね」
「へぇ…残念だな。痛い思いをしないとわからないらしい」
チンピラっぽい言い回しで男たちが指を鳴らす。そこそこ喧嘩ができそうな相手なのは推測はできるが、いかんせん凄まれても伊達に比べたらとてつもなく雑魚だ。こちとら命のやりとりを一ヶ月やってきてるんだ。町の喧嘩レベルじゃ正直3対1でも負ける気はしない。
負ける気はしないが……、
「イヤだな。あ、お巡りさーん、こっちこっちー」
相手の後ろに声をかけると、お巡りさん、に反応したのか3人が咄嗟に振り返った。
はっはっは、馬鹿が見ーるー。
その間にオレは脱兎のごとく逃亡。
「あ、待ちやがれ!」
待てと言われて待つ奴が本当にいるとでも思ったか!
足を止めることなくそのままぶっちぎった。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
無事に振り切ったのを確認して呼吸を整える。
自転車を置いてきてしまったので明日は残念ながら駅まで徒歩だな。ロードワークならうロードウォークだと思えばいいか。
「しっかし、いきなり対抗戦辞退とか。どこのどいつの差し金かねぇ」
【考えつくのは限られるじゃろう?】
「……伊達か、対戦相手の可能性が高い、か……」
とはいえさすがに伊達ならば、あんな三下をいくら送ってもオレをどうにかできるとは思っていないはずだ。となると対戦相手のほうが濃厚なんだが……。
「わざわざこんなに手の込んだことするような相手なんだろうかねぇ」
単純に考えても向こうは全国クラスの選手が3人はいるのだ。普通に考えてこんな回りくどいことをしなくても優位なのは間違いない。そのうえで敢えてこういった搦手を使ってくるとは、よほどの馬鹿か、よほどの策士か。
「ま、考えても仕方ないか」
どのみち明日もボクシング部には顔を出さなければいけないのだ。そのときにでも俊彦先輩に相手のことを聞けばいいだろう。
「なーんか、また色々と面倒なことに巻き込まれてるよねぇ、オレ」
【充らしい、といえばらしいがの】
「フォローになってねぇっ!?」
そこは「運が良い」とか言うところじゃないの!?
軽口を叩きあいながら家へと向かう。
口では面倒と言いながらも裏で蠢く何かを感じたことで、これまで以上に対抗戦を楽しみにしているのだった。予感、とでも言えばいいんだろうか。これを乗り越えることでまたひとつ山を超えられそうなそんな感覚。
【うむ、充も立派な戦闘狂になってきたの】
「うっわ、ひでぇっ!?」
ボクシング部の対抗戦まで後20日。
運命のときは刻一刻と近づいてきていた。




