51.持つ者との対峙
部活棟へとやってきた。
一歩一歩踏みしめるように階段を登っていく。
生徒会室に行くのは二度目。
とはいっても、前回は通りすがりに月音先輩が出てきたのを見ただけだったから、中に入るのは初めてである。
思えばあのときは、よもや今の自分がこんな立場に置かれるとは夢にも思っていなかった。
月音先輩や伊達副生徒会長といった生徒会役員と知り合っているものの、それだけに階段を登っていく緊張感は前回の比ではない。
だが時間は待ってくれない。
途中で階段を引き返して家に帰りたい気分に駆られなかったといえば嘘になるが、覚悟を決めた以上ここで戻ることは何の意味もない。
一歩、また一歩。
5階の階段の踊り場。
生徒会室はもう目と鼻の先。思えば先月、ここで月音先輩を見かけた日から、色々なことが大きく変わったんだっけ。今思うとあれがターニングポイントだったのかもなぁ。
まぁ後悔はしてないけども。
ガラ…ッ。
「ッ!!」
5階の廊下を歩き出そうとしていたとき、生徒会室の扉が開いた。
反射的に少し後退して階段と廊下の角に隠れた。
…いやいや、なんで隠れるんだ、オレ。誰か見てたら思いっきり不審者じゃないか、などと内心苦笑してしまうが、結果的にこの行動は正しかった。
生徒会室から出てきたのはひとりの女の子。
付き合いは浅いものの、よく見知った顔。いくらなんでも生死を共にした仲間の顔を見間違えるはずもない。
「………咲弥」
思わず呟いてしまった。
生徒会室から出てきたのは咲弥。
勿論同じ部で、主人公として赤砂山で一緒に戦った、あの咲弥である。
偶然、というのは出来すぎているタイミング。
やはり伊達副生徒会長の間者かもしれない、という疑惑が正しかったのではないか。そう思わせるのには十分過ぎた。
かといって少し落胆しただけでそれ以上の動揺はない。内心面白くはないが、その可能性を踏まえてあの時信じると決めたのだ。完璧を期するならなんでもかんでも疑っておくべきなのかもしれないが、そんな風にして生きれるほど器用でもなし、見立てが甘かったことを反省するくらいだ。
彼女は少し周囲を確認してから廊下の奥のほうへと歩いていってしまった。
どうやら見つからなかったらしい。
ほっと胸をなで下ろした。
間者云々についての話はとりあえず横に置いておくとして、問題はこれから会うかもしれない伊達副生徒会長がオレの情報を持っている可能性が高い、ということか。
呼び出されたのが生徒会、っていうだけだから、もしかしたら月音先輩と顔合わせして事務的に話をして終了、ってのが一番いいパターンなんだけど、現実はそんなに甘くないだろう。
咲弥の姿が完全に見えなくなるまで色々考えながら、生徒会室の扉の前まで歩いていった。
大きく深呼吸ひとつ。
「失礼します」
扉の外から声をかけて、すこし待ってから扉を引いた。
ぞくり。
「…………ぇ…?」
張り詰めた空気を感じる。
生徒会室そのものは教室を流用しているだけの普通の構造だ。
入口から向かって奥に窓がありそこに生徒会長用の机と椅子、左右の壁にはスチール製の書類棚や本棚、ロッカーなどの収納。部屋の真ん中に長テーブルと椅子、あとは副生徒会長用の机と椅子に、各自支給されているパソコン用のテーブルが置いてあった。
ちなみに余談ではあるが、机と椅子は一般的に学校で使っているものではなく家具屋さんで売られていそうな結構スタイリッシュな高価そうなやつだ。なんでも生徒会OBに大きな家具屋を起こした人がいるらしく、そこから寄付してもらったとかなんとか。
まぁオンラインゲーム部ほど凄くないけどな!
さて、室内にいたのは二人だけ。
月音生徒会長、そして伊達副生徒会長だ。
奥の生徒会長用の机の脇に立っている月音生徒会長と、長テーブルの奥の椅子に座っていた副生徒会長は何事か話していたのか向き合っていたが、オレが扉をあけたのに気づいて両者こちらに視線を向けていた。
驚いたのはその雰囲気。
それはさっき感じた通り、張り詰めたとても危うい感じのものだ。とてもじゃないが恋人同士が二人っきりにいるときに出していると思われるものじゃない。
余裕たっぷりの副生徒会長と、怜悧な表情で感情を感じさせない生徒会長。
一体何が…。
「………何をしているんだ。早く入りたまえ。
そのように入口で突っ立っていられると周りの迷惑になると思わないかね?」
副生徒会長に淡々と告げられ、オレはゆっくりと中に入る。
さすがに背中を向けるのは怖かったので、後ろ手に扉を閉めた。
うーん、これで逃げられないな。ここって5階だっけ? 奥の窓から飛び降りたら死んじゃうしなぁ、どうしたもんかなぁ。
「丁度いい。今雑事が一段落したところだ。
お互い主人公同士、忙しい身だろう。手早く済ませようじゃないか」
ぴくり。
主人公、というところで月音先輩が一瞬だけオレのほうへ視線をやった。
月音先輩にはNPCだって自己紹介してるんだったなぁ…誤解されたかもしれないけど、とりあえず今の状況で否定してもどうにもならんので我慢する。
「いや、本当に騙されたよ。灯台もと暗し、とはよく言ったものだ。
まさか自分と同じ高校に上位者とそして知らない主人公がいたのを把握していなかったとは、ね。
ああ、騙された、というのは的確ではないか。ボクが有名なのは仕方のないことだから、キミのような無名な相手との露出の差からくる情報量の違いはどうしようもないのだから」
中身のない言葉にちょっとイライラする。
手早く済ませるんじゃないのか、と思わずツッコみたくなるが黙っておく。
相手の要求がわからないのに怒らせてもいいことは何もない。
「ボクの目的はひとつだ。
何、そう身構えることはないよ、大したことじゃない。ボクと“刀閃卿”の間に生じた要らぬ誤解を解いて友好的な関係に戻したい、ということだけだ。
そのためには、まず諍いの原因となったキミと話してみることが先かと思ってね」
つまるところ、商店街で月音先輩を庇ったオレの行為が、出雲との関係悪化の原因であると結論づけているわけか。実際はその前からなんだけどね。
やっぱり出雲の読み通りこの人、オレを殺したことは覚えていないらしい。
「キミのことは少し調べさせてもらったよ。
正直、“刀閃卿”と親しいのが信じられないほどレベルは低いようだが…、それでいて一カ月足らずで10レベルまで伸ばしたというのは悪くないじゃないか。先日は仲間の援護があったとはいえ槍毛長の大将格を仕留めたらしいから、多少格上でも接戦を制する力はあるのだろう。そこも素晴らしい」
……。
間者云々の話で覚悟はしていたけど、赤砂山の行動は全部バレてるか。
「さて………。
キミのことを調べてその繋がりから“刀閃卿”、この場合は龍ヶ谷といったほうがいいかな? 彼を含め、その周囲まで把握させてもらった。その上でこちらの申し出はひとつだ」
ぴ、と伊達副生徒会長は人差し指をオレに向けた。
「三木君、ボクの手駒になりたまえ」
一方的な要求。
最初は冗談かと思って、見返すがその瞳の光は心底本気の色だった。
「手駒というと聞こえが悪いというなら部下ということにしよう。仕事はただひとつ、ボクの命令を聞くこと。心配しなくてもキミが忠誠を見せる限り破滅的な命令をしたりはしないさ。苦労してようやく手に入れた駒を使い潰すなんていうのは経済感覚のない愚か者のすることだからね」
「……それを受け入れてオレにどんなメリットがあるんでしょうか?」
「メリット? ああ、メリットなら盛りだくさんさ! まずレベルアップの手助け、これはキミも実感しただろうが効率で大分違うからね。他にも余った素材の提供、人脈の紹介、それにボクの部下になるということは他の主人公連中に対しての抑止力にもなるだろう。
なにせ上位者の仲間だ。そこらへんのゴロツキとは訳が違う」
うん、まぁ予想通りのメリットだな。
もしここで「そんなものはない。馬車馬の如くボクのために働きたまえ」とか言われたらどうしようかと思ったけど。
そこで彼は一旦言葉を区切る。
「さぁ、どうするね?」
気づくと彼の手にはダーツが握られていた。
2本のダーツを左手に、もう1本をくるくると右手で弄んでいる。
じんわりと空間に染み出す殺気。
「……ッ」
そこで濃密な殺意に気づく。
陽炎のように景色が一瞬霞むような錯覚。
押し殺してはいるけれど、副生徒会長から漏れ出すそれは明確にオレという存在への拒否が漂っていた。まるで張り詰めた風船のように、あとひと押しすれば破裂し溢れ出すだろうことは間違いない。
つまるところ、断ればどうなるかを物語っている。
「…………」
ごくり、と唾を飲んだ。
少し前の覚悟を決めた、と言っていた自分が情けなくなる。決めたはずの覚悟ですらヒビ割れ砕け、恐怖で膝が笑う。
学校だから手を出さない?
それは一般の主人公の話だ。相手をするのはその中でもトップクラスに位置する相手だということを完全に失念していた。
「いやぁ、ありがとう! これでキミもボクの部下だ。歓迎するよ」
こちらが返答しない、つまり無言でいることを肯定の証と受け取ったのだろう。
楽しそうに拍手をする。
「では早速ボクの言う通り行動をしてもらおうか。
まず第一。これがとんでもなく重要だ。もし他の命令と重複した場合でもこれを一番優先してもらいたいね。それくらい重要な命令だ」
………。
「“月音くぅんに今後一切関わり合いを持つことを禁止する”」
それまでのどんな台詞よりも力の入った言葉。
暗く狂気的な重み。
おそらくはこれが伊達政次という男の全て。
関わるな、というその言葉にかすかに彼女が反応を見せた。それも一瞬だけのことですぐに何事もなかったかの如く怜悧な無表情を装ったが。
「あぁぁ、わかる、わかるよ。彼女はこんなにも美しいぃぃ。そりゃ話しかけたくなる気持ちは痛いほどわかる。むしろボクほどそれをわかる人はこの世に存在などしないだろうねぇぇぇ」
その様子を楽しそうに見ながら副生徒会長は話を続ける。
「でもいけない。キミはボクの部下なのだから、節度をもちたまえ。話しかけられても返してはいけない。直接その姿を見ることも許さない。すぐに視線を変えたまえ。
彼女は全てに至るまでボクだけのものなのだから…ああ、許されるならばこの世のありとあらゆる被造物を灰にしてしまって誰も関われなくなってしまえばいいのに、と思うよぉぉ? あははは」
……………。
…こいつは……何を言っているんだ?
じわり、と何か溢れ出す。
どこからかと思えば脳髄の奥底からだろうか。
「そしてもうひとつ。これはそんなに難しいことじゃあ、ない」
じわり……じわり……ッ。
もう相手の言葉は耳を素通りしていた。
言葉の内容はわかるが理解していない。
………こいつは主人公だ。
オレが望んでも望んでも得られない立場を持っている。
………こいつは上位者だ。
オレが持っていない物理的な強さを持っている。
「“刀閃卿”との仲を修復してもらいたい。これは簡単だろう?
友人同士なら一言、ボクについて―――――」
ッ……ッ……ッ。
世界から音が消失する。
オレの中で何かが煮えたぎる。
腹の底からのようでもあり、頭蓋の中心からのようでもあり、脈打つ左手からのようでもあった。
外見、名誉、出自、素質。
おそらくありとあらゆるモノでオレは敵わない。
それだけのものを持っている。
なのになぜ――――
それなのになぜ―――――
視線が一点で止まった。
月音・ブリュンヒルデ・フォン・アーベントロート。
彼女の外見的な美しさとかそんなものはこの際どうだっていい。
でもおそらく今の怜悧な態度こそが、学内の噂通り人を寄せ付けない彼女なりの仮面なのだと今なら実感できる。
でもオレは知っている。
すこし意地悪なところも、年下相手にちょっとお姉さんぶるところも、細かいところまで相手を気遣えるところも、そしてなにより―――その笑顔を。
伊達政次。
あんたはそんなに色々なものを持っているのに…それを与えることもしないで、彼女からそれを奪うっていうのか!!
「…――………―――ッ」
綾は出雲が守る。
なら、この独りの娘を守るのは誰の仕事だ?
―――ゴメン、エッセ。
全身が破裂しそうなほど荒れ狂う熱の奔流の中、最後の思考で謝罪する。
―――オレ、死ぬわ
勝ち目など知らない。
戦力差は絶望的。
例え殺されても構わない。
あいつの殺気などよりも、オレの熱のほうがずっと苦しいのだから。
相手を見据える。
肝心要の相手は呑気にもスマートフォンをこちらに向けていた。
殺したいなら殺せ。もう一度殺せ。
だがただでは殺されてやらない。
例え殺されようとも――――貴様から彼女を奪いとるッ!!
衝動が、体を突き動かした。




