47.月音・ブリュンヒルデ・フォン・アーベントロート
物語はいつも竹林から。
鬱蒼とした茂みの奥深く。
お爺さんが見つけた竹の中から現れた女の子の物語。
ああ、これは夢だな、と思う。
何度見たのかもわからない。
ちいさいときからずっと聞かされていた物語。
竹取翁の物語。
お爺さんが女の子を見つけ、その女の子がすくすくと育っていく。
大層見目麗しく育った彼女に世間の男たちは釘付けになる。身分を問わず様々な男たちが押し掛け色々なアプローチをしていく。しかし中々上手くいかない。そのうちに男たちはひとり、またひとりと諦めていった。
なんて勝手な。
それくらいで諦めるのなら最初から寄ってこなければいいのに。
初めて聞いたときそう感じたことを覚えています。
男たちのうち最後に残ったのは5人の貴公子。
その様子を見たお爺さんは心配をする。自分たちが死んだあと彼女はどうするのだろう。叶うなら世間の女性のようにしっかりとした男のところに嫁いでもらいたい、と。
彼女は条件を出す。
存在するかどうかもわからない5つの品をそれぞれ貴公子たちに所望する。
仏の石鉢。
蓬莱の玉の枝。
五色に光る龍珠。
火鼠の皮衣。
燕の子安貝。
そのどれもが難題。
それでも彼女の心を射止めるためならば、と挑む貴公子たち。
……と、そこまでならばよかったのだけれど。
知恵を出し手間をかけ策を労する貴公子たちの手管はどれも誠実ではない。
遠くまでいくのを面倒がってほとぼりが冷めた頃に適当なものを持ってきたり、最初から贋作を作って得意満面に戻ってきたり。普通に買ってきた人もいます。
最初から無理ならば挑まなければいいものを。
自分のために苦労してくれる、ということがどれだけ女心に響くのかわかっていないんじゃないかしら、そんなことを思う。
さらに話は続く。
貴公子たちの中には真面目に取り組んで命を落としてしまった人も出てくる。このへんは何度見ても可哀想になってくる。
そして最終的には帝まで登場しての求婚劇。
当時の最高権力者が登場しての求婚にすら彼女は応えない。
その全てを蹴飛ばして彼女は進んでいく。
そして最後。
彼女は自分が帰る定めにあることを伝えます。
そしてある夜、天の使いがやってくる。
育ててもらった老夫婦や関わりになった人たちの見送る中、彼女は月へと帰っていく。
小さいとき、求婚者を撥ね付けるシーンで、もっと素敵な人が現れたら彼女も幸せになれたのに、と本気で思っていたこともあった。
でも今はこの月に帰るという最後もとても好き。
別れることとなったお爺さんたちの哀しみはとても切ないものだけれど、それこそが限りある人間の愛の哀しさを教えてくれる。
何より、本人の意志に関係なく自分の願望ひとつで寄ってくる殿方に対しての嫌悪感を重ねている。本当に無理強いされる好意ほど始末の悪いものはないと知っているから。
彼女が最終的に求婚者の誰も手が届かない場所へと行く。
それはわたくしにとって、とても魅力的なことに思えた。
夢はいつだって夢のまま。
でも夢だからこそ叶うこともある。
気づけば、わたくしは彼女になっていて、迎えに来た天の使者が連れてきた車に乗り込もうとしていた。
これもいつものこと。
もうすぐ覚めてしまう夢だけど、今は現実を忘れてただ微睡む。
使者に差し出された手をそっと取る。
わたくしは喜びと共に乗り込もうとする。
そして気づく。
いつもは表情が見えない使者の顔が見えることに。
ふふ、どうせ夢なのだから、少しくらい行儀が悪くても構わないでしょう。
手を取った体勢のまま、つい好奇心を刺激されてじっと見てしまう。
迎えにきた使者の顔―――それはなぜか、充君のものだった。
□ ■ □
「…………」
夢から戻る。
ベッドに体を横たえたまま天蓋を見上げている。
頭の中は真っ白一色。
でもすこし時間が経つと理解が追いつく。
それと同時に自分の頬が熱くなっていくのを理解した。
いてもたってもいられなくて思わず体を起こす。
「…な、なんで………?」
自分でも答えられない問いを呟く。
真っ赤になっているであろう頬を押さえながら動悸を沈める。
竹取翁の物語を夢で見ることは少なくない。
そもそもあの話がなければ私が今ここにいることはなかったはずだもの。幼いときから一番多く読み聞かせられた物語なのだから、その夢を見たことについて疑問を挟む余地はありません。
でもあの結末は本当に予想外。
不意打ちにも程がある。
あれではまるで―――
「―――か、か、駆け落ちじゃないですか」
言って自分で照れてしまう。
考えれば考えるほど混乱しそうな気がするので一旦考えるのをやめましょう。
深呼吸をして気持ちを落ち着けるとしましょう。
落ち着いたところで壁に掛けられている時計を見た。
時間は午前6時。
まずいつも通り髪を整える。
見られる立場だから、という以前に身だしなみは淑女の作法。
身だしなみを整え終えた頃、部屋の扉がノックされる。
こんこん。
「どうぞ」
マホガニー調の扉が静かに開くと、そこにいたのはいつもお世話になっている家政婦さん。わたしはいつも通り挨拶をする。
「おはようございます、月音お嬢様」
「はい、おはようございます。道子さん」
わたくし、月音・ブリュンヒルデ・フォン・アーベントロートの一日はいつも通りの始まりを見せた。
□ ■ □
学校に到着する。
到着時刻は7時半。
いつもと変わらない同じ朝。
だというのに、わたくしはまだ立ち直れないでいました。
原因はいたって明白。
三木 充。
あの子のせい。
…いえ、別に夢に出てきたのはあの子自身が悪いわけじゃないのだから、わたしのせいなのですが。
思い当たる節は確かに。
半月ほど前、わたくしが危ない事態に陥ったときに颯爽と現れてくれた。
あのとき、まるで少女のように胸をときめかせたりしなかったといえば嘘になります。
その後話した際にも気持ちのいい子だと思ったし、確かに好感を持ったことは間違いありません。もし彼があそこで割って入ってきてくれなければ、今頃知り合いの家にもらわれていった仔猫だって無事には済まなかったでしょうし。
それでもその後こちらから近づかないように言ったのはわたし。
自らその縁を断ち切ったのです。
もう白馬の王子様を夢見るのは卒業しているべき年なのですから。
自分のことは自分で始末をつけるべきですしこれ以上の巻き添えを見たくない。それがあんなにいい子なら尚のこと。
そう、決意したはずでした。
それでももしかして心の奥底では決意しきれていなかったのでしょうか。
あのような夢を見たあとでは否定することもままなりません。
でも彼は一年生だと聞きました。
つまりほんの数ヶ月前までは中学生。
右も左もわからない子供。
いくらなんでも頼るには申し訳ない相手ではありませんか。
ましてや、そういう相手として意識する、だなんて―――
「…………」
頬がまた熱くなっていく。
いけません。
本当、考えれば考えるほど深みに嵌っていくようにしか思えません。
切り替えましょう。
いくらなんでも正門で生徒会長がひとりで顔を赤くしていたりしては生徒が不審に思います。
だというのに―――
「おぃ、大丈夫か、充?」
聞き覚えのある男子生徒の声にびくっとして振り向きます。
通学路の途中。
何人もの生徒がいるうち、3人の男女が登校すべく歩いてきているのが目に入りました。
その中に彼、充の姿があったから。
「……あんま大丈夫じゃない」
「充が登校早くしようとか言い出すから何かと思ったぞ」
「うん、私もびっくりしちゃった」
一緒に歩いているうち男子生徒はあの日一緒だった出雲さんとやらでしょう。もう1人はどなたでしょうか? 随分と親しそうですが……。
ただその3人の距離感が程よくて見ていてとても微笑ましい雰囲気。
「か、体が痛くて…痛くて…満員電車に乗る度胸が……」
「……?」
「あー、多分充は筋トレか何かをやりすぎて体が痛い。だから体のぶつかる満員電車を避けて早く登校したかった、ってことだと思うよ。綾」
「なるほど~」
何かをフォローするように出雲さんが女の子に説明。
確かに充君は動きもぎこちなく、どこか疲労感も漂っているように見受けられます。本当に大丈夫なのでしょうか?
「本当に大丈夫? 今日テストなんだよ?」
「…とりあえず眠れなくて一夜漬けはしたから平気」
「おー」
「………だといいなぁ」
「強気なのか弱気なのかよくわからないぞ…」
他愛の無い会話が続く。
そこでふと、
「ッ」
こっちを向いたので思わず隠れてしまいました。
これでは不審者もいいところです。
幸い見つからずには済んだようですが……。
そうこうしているうちに3人はそのまま校舎に入っていってしまいました。
「……一体何をしているのでしょうか、わたくしは」
ふぅ、と息をつく。
単純な充君への好感以前に、もしかしたら羨ましかったのかもしれません。
友人。
それはあの男によって壊されたものだったから。行動のひとつひとつに垣間見えた彼らの純粋な友情に、壊れてしまったわたしの友情の幻想を見ていたのでしょう。
近寄りがたい花でいること。
それがわたくしが自らに課した役割。
いつかあの男に反撃する日まで。
そう自覚することでいつもどおりの平静を保つと、わたくしは教室に向かって歩きだしました。
さてホームルームと授業を終え、日直だったわたくしは先生に頼まれ二時限目の準備のため教材を取りに行くことになりました。具体的に言えば英語試験のヒアリング用の機材です。
言葉は悪いですが、わたくしの担任の先生は物を色々なところに置きっ放しにすることで有名な物忘れの激しい方。こういうことはたまにあります。
もうひとりの日直と手分けをして、先生から行動した順序を聞いたわたしはまず図書室を探してみることにしました。
そっとドアの取っ手に手をかけます。
鍵はかかっていないようです。
本来は解放しているのは昼休みと放課後だけのはず。それ以外は入り終わったら鍵を掛けるのが原則なのですが、さっきの話通り先生が出ていくときに掛け忘れていったのでしょう。
と、いうことは忘れ物はここの可能性が濃厚ですね。
手早く探すとしましょう。
扉を開きます。
それと同時に、
ドサドサドサッ!!!
中から何かが盛大に落ちる音が室内響きました。
見ると整然と並べられている本棚のひとつが倒れていて、そこから本が大量に落ちています。
人数の多い学校の図書室だけあり小さな図書館に匹敵するくらいの蔵書があります。そのため図書館と同じようにスチールの重厚な本棚を並べて立てているのですが、どうやら何かの原因でそのひとつが倒れてしまったのでしょう。
「…!!」
いけない。
よく見ると倒れた本棚の下、落ちた本の山から手足らしきものが見えています。どうやら誰かが下敷きになっているようです。
慌てて駆け寄って本棚を掴みますが、スチール製の本棚は起こすのが難しい。なんとかしゃがんで反動を掴んで引っ張るとようやく起こすことができました。
安堵する間などなく急いで本の山に駆け寄ります。
ばさ…ばささっ。
本来はもっと丁寧に扱うべきでしょうが今回は人命が優先。本棚に戻すためにゆっくり分けるのはその後でも間に合います。
急いで取り除かないと!
慌てながら本をどけると徐々に埋もれていた生徒が出てきます。
自力で出てこないようなので心配しましたが、どうやら命に別状はないようで出てきた胸が浅く上下しているのがわかります。
あとすこし、そこまで本をどけてからわたくしは固まりました。
「…………」
言葉が出ません。
一体今日はどういう日なのか。
いえ、それ以前に聞かなければならないことがありますね。
どうしてあなたは図書室で本に埋もれているのでしょうか、充君。
見覚えのある顔を見ながら戸惑うことしかできません。
周囲を見回すと英語試験の機材は司書カウンターの上に置きっ放しになっていました。
ざっと見たところ大事はないようですし機材を届けてから、彼を保健室に連れていくとしましょう。確か保健医の方は今日の午前中はご用事があると言っていましたから、介抱くらいはしないといけないかもしれませんし。
いささか都合が良すぎる気もしましたが、きっと気のせいでしょう。
何せ、わたくしは主人公ではないのですから。
何もせずに自分に都合がよくなるようになっているあの男とは違います。
もし偶然というものがあるなら、それは日頃積み重ねた行動の結果でしかありません。
「…………zzzZZZ」
本棚の下敷きになっても寝ている彼も、きっとそれは同じはずです。
……いえ、なぜ寝ているのかとても疑問なのですけれど。
やっぱり女の子の一人称は難しいですね~。




