29.迫る魔手
五時限目終了のチャイムが鳴る。
「さ、早いところ片付けて部活にいかないと」
今週は私のところが掃除当番の班なので、他のクラスメイトと掃除用具を準備する。まだ授業が終わったばかりで教室内はがやがやと騒々しいが、基本的にこの学校の生徒はみんな部活に入っている。もうすこしすれば大分人数が減って掃除もしやすくなるに違いない。
途中、出雲が「また後で」と軽く手を挙げて挨拶してから、荷物を手に出て行った。ああ見えて剣道部期待のホープだから、きっと今日も激しく稽古をつけるのだろう。
もうひとりの幼馴染は、と見ると他の男の子と楽しそうに喋りながら教室を後にしていった。その男の子――――眼鏡をかけた関西弁の彼は確か、丸塚丈一君のはずだ。聞いた話では入学式で知り合ったらしく最近は二人で一緒にいることも多い。部活もあれだけ悩んでいた充がオンラインゲーム部に入ったのは丸塚君が誘ったからだと聞いている。
中学時代は結構な不良だったとか噂もある丸塚君だけれど、充とあれだけ仲良くやれているのだから所詮噂は噂なんだろうな、と思う。
充が新しい友人と楽しくやっているのは友人としては歓迎すべきことなのだけれど、幼馴染としては少し寂しい、そんな複雑な心境である。
同時にそんな自分の身勝手さに呆れてしまうのだが。
心に沸いたそんな感傷を誤魔化すように、手に持つ箒に力を込め教室の掃除に精を出した。
無駄のない動きで箒で掃きゴミを回収、そこから雑巾をかけていく。
手間のかかる掃除もみんなで集中してしまえばあっという間。
掃除用具を片づけて綺麗になった教室を見回すのは、なかなか気持ちいい。
「綾~。掃除終わった~?」
「あ、うん。終わったよ」
「じゃあ待ってるから一緒に行こうよ」
「わかった」
見ると同級生の茶道部員の子が教室まで来てくれていた。あまり待たせないよう急いで荷物をまとめて一緒に茶道部に向かう。
部活棟に部屋をもらっているだけの一般の部と違い、茶道部は茶室とそれに付随する部室があるというとても恵まれた環境ではあるが、後から新設された設備のため、校舎からすこし離れた位置にある。そのため一度外に出る必要があった。
「そいつ止めろ!」
「逆サイ! 逆サイ!」
「キーパー、もっとしっかりDFに指示出せ!」
「5番、オーバーラップ注意だ!」
正面玄関から外に出ると、校庭のトラックでは陸上部、その内側のサッカーコートでサッカー部が練習をしているのが見える。どこの部活も夏の大会に向けてこれから練習がどんどん熱を帯びていく時期だ。皆の気合の入った声が飛び交っているのだから、それは傍目から見ていてもわかる。
そうかといって夏の大会が終わったときにこの熱が冷めるかといえば、そうでもない。
夏の大会が終われば、秋には新人戦、体育祭や文化祭、というようにこれからイベントが続くから、入ったばかりの新入生はどこも大忙しだろう。私たち茶道部にとって大きなイベントは対外的なアピールをする文化祭くらいなので、そういった意味ではマシかもしれない。
校舎の脇に続く道を歩いて行くと、学校の裏側に出る。剣道場や茶室など新設された施設は皆こちら側にあるので、道にはちらほらと歩いている生徒の姿があった。
カキーン。
金属音が耳を打つ。
通り道の隣にある野球用グラウンドから響いている。
そこではユニフォーム姿の野球部員たちが各々汗を流していた。
創部42年、最高成績が県ベスト4の硬式野球部だったと記憶している。県内ではそこそこ強い学校ではあるのだけれど全国区の強豪、というわけでもないが、今年こそは甲子園を、と意気込んでいる生徒たちの動きに監督も熱心に指導している。
「野球部頑張ってるよね~。綾もそう思わない?」
「うん、今年は甲子園いけるといいね」
「いけるんじゃないかな? なんてったって今年は強打者揃ってるって話だし。
あ、確か今バッターボックスで打撃練習してる4番の人が―――」
どうやら友人は野球部の4番の選手にご執心らしい。この前やっていた練習試合での活躍を細かく教えてくれる。さすがに話し込んでいる暇はあまりないので、相槌を打ちつつも歩みは緩めない。
カキーン。
白球を打つ音が再び響く。
……?
何やら野球グラウンドのほうが騒がしいけど。
「綾、あぶな―――ッ!」
友人が警告を発しようとしたのと同時、
ぱんっ!!!
グラウンドから飛んできた球がぶつかる音が耳を打つ。
「……?」
「いやはや全く危ないものだ。野球部には後で小言を言っておかなければ。
もっとも、今回の場合は学校側にグラウンドのフェンス費用を追加申請すべき事態かもしれないな」
音がしたほうを振り向くと、私とグラウンドの間に立っている長身の男子学生。
彼が片手を挙げて野球ボールを掴んでいた。挙げられた片手の裾にあるラインは彼が上級生であることを示していた。
もっとも制服でわからなくても、彼が上級生であることを私は知っていた。
伊達 政次 副生徒会長。
目の前にいる、シャープな眼鏡をかけた整った顔立ちの男子生徒はそう呼ばれていた。
入学式で生徒会長が挨拶をした際に隣に並んでいたからよく覚えている。
さっきの丸塚君以上に色々な噂の絶えない人物。曰く、ファンクラブが存在する。曰く、大企業の社長の御子息である。曰く、大揉めした昨年の生徒会選挙を月音会長を擁して制した生徒会の要。曰く、全ての部の予算の使い道を把握しており、どんな部の猛者も彼には頭が上がらない。
などなど。
月音・ブリュンヒルデ・フォン・アーベントロート会長がその手腕と美貌、ミステリアスな雰囲気によって様々な噂があるのと並び、彼にも様々な噂が常につきまとっている。
どれが本当でどれが嘘なのか真偽はわからないし興味もない。所詮は暇な学生たちが面白おかしく話しているだけなのだから詮索するだけ無駄だろう。幼馴染の出雲がその顔立ちのよさからあることないこと噂されたりした時期を知っているから尚更。
それでも、どの噂も彼が有能な生徒会役員であることを否定はしていない。それは間違いないんだろうと思った。
野球部員のひとりが申し訳なさそうな顔をして近寄ってくると、伊達先輩は「被害もないことだし表立って処理はしない。ただ小言くらいは言うから明日主将に生徒会室に来るように伝えてくれ」とだけ事務的に言って、ボールを投げ返した。
その様子を見送ってから、伊達先輩はこちらに向き直った。
「ありがとうございます」
どうやら野球部の打球が私に当たりそうだったらしい。
それに気づいてすぐにお礼を言った。
「いや、大したことではないよ。可愛い顔に傷でもついていたなら大変なところだからね。
おっと、失礼。初めましてだったね、副生徒会長をしている伊達政次だ」
涼しげに微笑んで握手を求められた。
私は出雲を見慣れているので別になんとも思わないけれど、伊達先輩の微笑みは他の娘には強烈な武器なのだろう。隣の友人などは頬を染めている。
失礼にならないよう握手を返す。
「和家綾です」
「実はキミに用があってね。偶然だったとはいえ、今回はそれが幸いしたようだ」
伊達先輩は友人にも握手をして名乗っていく。
副生徒会長が私に用事…? 一体何だろうか?
「綾君。キミを我が生徒会の書記として迎え入れたい」
「………え?」
後で思い返すと自分でも間抜けな返答だったと思う。
突然の話にわけがわからなくなっていたとしても。
「驚くのも無理はないが、本当のことだよ。正確には第二書記として、だけれどね」
当たり前である。
確か今現在書記には二年の武者小路先輩がついている。本来三年生で構成されるはずの生徒会で、主要メンバーが二年生で占められている現状がすでに歴代見ても異常な事態。その中でさらに二年生を差し置いて書記を入学間も無い一年生にできるわけがない。
私のその思いを知ってか知らずか副生徒会長は続ける。
「現在の生徒会はかつての生徒会と大きく変わろうとしている。
生徒自治の本旨に従い、職員側の権限から生徒が自ら考えて使うことができると判断されるものが委譲されていく。この流れは昨年からのものだが、今年も止まりはしないだろう。
必然的に業務は増えていく。我々生徒会は自らその労苦を負うと決めている者たちではあるが、さすがに一人で出来ることは限りがある。今後を勘案するに人数を増員するのがよいだろうという結論が出た、ここまではいいかな?」
小さく頷く。
体制が変わり人員を増やさなければいけない、つまり書記も二人必要になる、とそういうことなのは理解した。
だとしても、なぜ私なのだろう?とは思っていたけれど。
「無論二年から選出するのが相応しいというのも一理ある。
だが我々は生徒会、つまり生徒の代表者という立場だ。その役割は出来るだけ幅広く生徒の意見を吸い上げること、そして正しく守り抜いた生徒会という伝統を次代に引渡すこと。
二年という特定の学年以外の代表者を選ぶことで一年からの意見を吸い上げ、同時に来年の生徒会を担う人材として経験を積ませる。そういった観点から、各部から一人推薦を出してもらっていた」
……理屈はわかる。
わかるけれども……。
「その中からボクと生徒会長の判断でキミを選んだ。異論はあるかもしれないが、元より生徒会の人員の選定は会長の専決事項でもあるからね。
経緯として瑕疵の全くない正当な手続きを経て、キミが選ばれたんだ」
「…………」
返答に困っていると伊達先輩は小さく微笑んだ。
「急な話ですまなかったね。当然のことではあるが、今すぐ決めてくれなくても構わない。
そうだな……今学期中には結論を出してくれれば構わないよ。ただ、ひとつだけ」
涼やかな微笑みとは裏腹に言葉には熱が篭もる。
本心からだとしか思えないほどの真摯な熱が。
「自らの身を捧げて行う生徒会の活動は大変ではあるが、同時に素晴らしいものだ。
それをまだ知らないキミが迷うのも無理はないかもしれないが、誰かのために役に立つ働きをして感謝を受けた時の感覚は何事にも代え難いほどの経験になるだろう。
キミの将来を考えても決して損のない輝かしい選択になることを約束するよ」
なんだろう。
伊達先輩の言葉を聞いていると、そんな気になってくる。そうすることが私自身にとっても良いことなのではないか、と。
……でも、
「………わかりました。7月までにはご返事させて頂きます」
一存ですぐには決められない。そう思って返答しそうになるのを堪えてそう返す。決めたらそれをひっくり返すことは難しいし、周囲の人に迷惑もかかるだろう。一時の考えではなくしっかりと納得できるまで考えて結論を出す。
それが当然のように思えた。
伊達先輩はその返答がすこし予想外だったのか、すこし戸惑っていた。
「時間を取らせてすまなかったね。いい返事を待っているよ」
その戸惑いを浮かべたのも一瞬だけのこと。
優雅な立ち振る舞いで一礼すると立ち去っていった。
「生徒会だって! どうする!? 綾~!?」
「どうするもこうするも…すぐに結論出せる問題じゃないでしょ。私、茶道部好きだもの」
すっかり副生徒会長の魅力にやられたのか上機嫌の友人の言葉にぴしゃりと返す。
原則として生徒会に入ると部活動は制限される。無論それは茶道部だって例外ではない。
それを考えてもおいそれと決断することはできない。返事を保留にしたことはなかなかいい選択だったと言える。
「え~?」
「ほら、早くいかないと遅刻になっちゃうよ」
「あ、ヤバっ」
伊達先輩に時間を取られた分を取り戻そうと、二人で走り出す。
とりあえず生徒会のことは後でゆっくり考えてみることにしよう。時間は一ヶ月以上あるのだから考えるのには十分過ぎる。生徒会に参加するかどうかでは色々学生生活も変わってきてしまうから、出雲にも相談するべきだ。
と、そこでふと振り返った。
去っていく伊達先輩の後ろ姿。
遠目にその手を見る。
打球を受け止めた手。
グラウンドからここまで飛んでくるような、フェンスを超えるような大飛球。それを受け止めるのは相当な衝撃のはず。にも関わらず握手した際の手は少しもそんな形跡がなかった。
もっと言うのなら、出雲の手の感触に近い。
すこし違うけれど何かをやっている手。
生徒会に入る前はどこか武道系の部活にいたのだろうか…?
そんな考えが頭を過ぎった。
「綾~、は~や~く~!」
切羽詰まる友人の声。
私はそれ以上考えるのをやめて走り出した。
本日二度目の更新です。
先日感想がついていることに気が付いてびっくりしました。
このような拙い話でもすこしは楽しんで頂けていると思うと嬉しいですね。完結までしっかりと続けて参りますので、今後ともよろしくお願いいたします。
今後ともご意見ご感想などございましたら励みになりますのでお気軽に書き込み下さいませ。
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