28.和家 綾
久しぶりに充以外の視点でスタートです。
いつものようにゆっくり。
それでいて確実に、まどろみの中から意識が浮かび上がる。
静かに目を開けると、見なれた天井。
幼い頃は天井の板に浮かんでいる模様が顔のように見えて怖いなんて思っていたのも、今となればよい思い出。
布団から身を起こして、枕もとにあった時計を確認する。
4時58分。
目覚ましが鳴る2分前。
保険のためにかけておいた目覚まし機能を止めておく。毎晩念のためにかけておくものの、実際鳴ることは滅多にない。何時に起きる、と決めてしまえばその時間の直前には目が覚める、それが私の朝。
朝が極端に弱い古くからの友人には羨ましがられるこの習慣。当人にとっては特に凄いことだと思わないのだけれど。
寝間着の乱れをチェックしてから、そっと襖を開けて部屋を出る。築180年ほどの我が家、そのすこし軋む廊下を歩き洗面室へ。
洗面台の前に立ち、鏡の前で身なりを整える。髪を長くしているぶんだけ朝は時間がかかるけれど、もうずっとやってきたことだから今更面倒には感じない。
部屋に戻り制服に着替えてから広間へ向かう。
広間では長方形の大きなお膳が置かれ、その上座にある座布団では祖父が新聞を読んでいる。
「おはようございます、お爺様」
声をかけると祖父は小さく頷いた。
あまり多弁ではないので、祖父はこういった仕草で相槌を打つことがよくある。これもいつも通りのこと。
エプロンを身につけて台所に立つ。くつくつと炊けるご飯、味噌汁や煮物、じゅうじゅうと脂を滴らせる焼き魚…そこは食欲をそそる音や香りで満ちていた。
立っている母に挨拶をして手伝う。今日のわたしの仕事は卵焼きを作り、焼き上がった魚を盛りつけてから、母の作り終わったものと共に待っている祖父たちのお膳へ運んで行くこと。
無事に配膳を終えて、皆が揃うと丁度6時。
祖父、祖母、父、母、叔母、従妹、従弟、そして私。
総勢8人での食事。
控え目ではあるものの他愛のない会話をしつつ、食事を終えて自分の食器を片づける。
祖父に食後のお茶を用意してから、お弁当を詰める。
「いってまいります」
家族に告げてから、もう一度身支度を整え家を出たのが6時45分。
まるで計ったかのようにいつもの時間。
自転車を使って近所のマンションへと向かう。
着いたのはまだ真新しいデザイナーズマンション。大理石が使われているエントランスにやってくると、インターフォンで相手を呼び出してオートロックを解除してもらい、エレベーターに乗り込む。
エレベーターを降りて玄関の前に立つと、いつも通り知らせる前に扉が開く。
出てきたのは、私の大事な人だった。
「いつも悪いな、綾」
だから、私―――和家綾が、彼を見て微笑んでこう告げるのもいつも通り。
「おはよう、出雲」
□ ■ □
最寄駅に到着して自転車を駐輪場に置く私たち。
一緒に登校している三木充、龍ヶ谷出雲は二人とも大事な幼馴染。
ずっと仲良くしてきているけれど、一度だけそれが壊れそうになったときがあった。
昔、出雲に告白されたときだ。
そのとき、すこし充と気まずくなるのではないかと心配になった。確かに出雲に好意はもっていたけれど、三人仲良くしている中で、そのうちの二人だけ距離が縮まってしまったら、残った一人はきっと居心地が悪くなるのではないか、これまでの親しい関係が少し変わってしまうのではないか、と。それくらいいつも三人一緒だったから。
そう思って返事をすこし待ってもらった私を後押ししてくれたのは、何を隠そう当の充本人だった。
「例え二人が付き合うことになったとしても、オレはずっと出雲と綾の幼馴染で大事な友人だ。多分それはずっと変わらない。
だから出雲のことは真剣に考えて、綾が思ってることを素直に言ってやってほしい」
そう言ってくれたあのときのことを、きっと私は一生忘れない。
後で出雲に聞いた話だと、告白まで出雲の相談に乗っていたのも充だったみたい。
充の言葉を額面通りに受け取るほど私は素直でもない。現に告白して私たちが付き合いだした当初は充もすこしおかしかった。距離感を掴めていないとでもいうのか。
自分以外だけが距離を縮めていく…それまで同じように過ごしてきた二人との間に出来た差異。たとえ理屈ではわかっていても、きっと心中穏やかではなかったのだろうと思う。
正直なところ、私も出雲もどうにかしたいと思ったことは何度もあった。
でもどうにもできなかった。
彼が私たちから離れ距離を取って、別の人間関係に移れば楽になることはわかっていても、それを自分から言い出すようなことは出来なかった。
できたのは、そうなったとしても当然だと、受け入れる覚悟だけ。
それでも彼は必死に立ち位置を探してくれた。
友人であることだけは変えなかった。
それがわかったからこそ、出雲も私も友人を続けていけた。今幼馴染として昔以上に仲良く三人でいられるのは、誰より何より充のお陰。
だから充は世界の誰にだって自慢の出来る友人。
その機会があるのなら、そのときは誰にはばかることなく胸を張って自慢しよう。間違いなくそう思える相手。
広い世界の中、身近で、最も大事な恋人と、最も大事な友人の二人に出会えた。
そんな私は幸せだなー、とたまに思う。
恥かしいから絶対に本人の前では言えないけれど。
電車に揺られながら、そんなことを考えているとあっという間に駅に着いた。
改札を出て学校へと向かって歩く。
「あー、もうすぐ中間テストか…ダルいなぁ…」
大きく伸びをしながら充が言う。
心底面倒くさそうに。
「まだすこし時間あるんだから気負って仕方ないだろう。
そもそもテスト前だからじゃなく、毎日こつこつ勉強をやっていればいいだけの話だ」
「出雲はそう言うけどさ、こつこつやってても中々頭に入らないんだよね~。
参考書の問題とか解説見てもわけわかんないし」
どうやらわからないところがわからない、という状態に陥っているらしい。それまでサボってた子が急に勉強を始めたときにありがちなことである。
ふと思い付いたことがあったので、
「あ、それなら中学のときみたいに勉強会しない?」
口に出してみた。
「そういえばあった、勉強会」
「ふむ、最後にやったのは1月だったか…」
「そうそう、受験前に充がこの教科がわからない~、って困ってたから詰め込んだんだよね」
「…あの節はお世話になりました」
今思えばいくら詰め込んだとはいえ、受験一ヶ月前からでよくあそこまで成績が伸びたなぁ。出雲ほどではないけれど、充も地頭のよさでは人並み以上のものは持っていると思う。
普段から地道に努力する習慣さえ身に付けばいいのに。
「充は切羽詰まるまではエンジンかからないタイプだからな。直前で勉強会っていうのは、いいアイディアかもしれない」
「場所はいつも通り、出雲のところか?」
「うん、出雲のところ以外だと私の家は許可おりないもの」
私と付き合うことになってから、出雲はうちに改めて挨拶に来ている。
割と古風な家なのでそのへんは厳しかったのだけれど、昔から知っている相手でもあるし何より挨拶の際の出雲の立ち振る舞いを見た家族からは「学業に差し支えない範囲で、節度をもった上で真剣な付き合いをする」ことを前提に交際の許可が下りている。
そのせいもあって家族の出雲に対する信頼はかなり高い。
お陰で色々と報告とか確認が必要ではあるけれど、泊まりこみで勉強会、なんてものの許可も下りてしまうのだ。
勿論その信頼を裏切るわけにはいかない、と出雲はずっと節度ある付き合いをしているので今のところ家族の見る目の高さは立証されていた。
「決まりだな。金曜日なら翌日が休みだから問題ないだろうが、細かい日取りについてはまた改めて相談しよう」
「うーん、楽しみなような、そうでないような…」
充は複雑な表情を浮かべている。
そういえば受験のときは凄い詰め込み方したから、きっとその悪夢が頭をチラついているのかもしれない。
充には悪いけれど、そんな様子も見ていて微笑ましい。
「そんなに心配なら今のうちから勉強しておいたらどうかな? 学校でなら私も、少し教えられるし。直前で全部やろうとしたらやっぱり量が多くて苦労しちゃうよ?」
「んー、そうなんだよねぇ。実はちょっとずつ始めてるんだけども」
ちょっと驚く。
見ると出雲も同じ雰囲気。
一夜漬けしかしない、と中学時代は豪語してた充が、ちょっとずつとはいえ地道に勉強をはじめているのだから、多少驚いても仕方ない。
何か心境の変化でもあったのかな?
「…いや、そんなに驚かれるとリアクションに困るんだけど」
「ご、ごめん」
ジト目で見られたので思わず謝る。
勿論本心ではないのはお互いわかっているのだから、いつものじゃれあいみたいなものだ。
学校の正門をくぐる。
もうすぐこの楽しい時間もおしまい。
玄関に到着して上履きに履き替えてから1-Bの教室へ。
教室内は来ている生徒が半分、来ていない生徒が半分といったところ。
「出雲、土日の件含めてちょっと進展あったから話したいんだけど、明日あいてるか?」
「剣道部の後なら問題ないよ」
「んじゃそういうことで。待ち合わせと時間はメールしとく」
そう言って充は自分の席のほうへ行ってしまった。
「進展って何のこと?」
「ん? ああ、ちょっとしたことなんだけどね」
聞いてみると出雲が答えづらそうにはぐらかした。
言えないようなことなのかな?
「充から相談持ちかけられた内容があってね、詳しくは勝手に話せないけども部活関係だとでも思ってくれれば。普段色々充には世話になってるからさ、こういうときくらいは助けてやりたいんだよね」
「……ズルい。そういう言い方されたら聞けないじゃない」
俗に言う男同士の話、というやつだろうか。
興味はあるけれど、無理矢理聞き出すのも違う気がする。充が困っていて出雲に相談した、というのならそれを手助けするのを止めるつもりはないし、むしろそうして欲しいとは思う。ただ出雲には話せて私には話せないことなのかと思うと、蚊帳の外な感じがして面白くないのも確か。
そんな私に気づいたのか、
「そんな顔をするな。今日は月曜日だろう。充もオンラインゲーム部で遅くなることだし、部活終わった後、時間とれないか? 探してた小物の店を見つけたから、帰りに一緒に行こう」
デートのお誘いである。
本当にズルい。
でもどうあがいたって私はこのズルい男の子のことが好きなのだから、それは言っても仕方のないことなのだ。今は素直に喜んでおこう。
女性視点はなかなかムズかしいですね。
本日中にもう1度投稿予定です。
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