247.遠方より来たるや
新章突入!
なお、キリがいいところで切ったので、ちょっと短めです。
東京都心に位置する老舗のホテル。
首都のさらにど真ん中に近い部分に位置しており、まさに日本の中心地に最も近い場所と言ってもいいかもしれない。
その最上級の部屋。
ベッドルームだけでいくつもある、十分過ぎる広さ。
高級ではあっても下品ではない、程を弁えた品のある室内調度品や家具。
そんな中、ソファの背もたれに盛大に体重を掛け、後ろに倒れてしまいそうなほど背中をのけぞらせて不満を訴える依頼人に対して、ファブニエルは内心小さく溜息をついた。
多かれ少なかれ愚痴は誰にだってある。
単にそれを口に出す者がいれば、そうでない者がいるだけ。
そして目の前にいる、黒い長髪で髭面の男は、紛うことなき後者であるようだった。
「Hey! ちゃんと聞いているのか?」
全く聞いていない、と即答できたら爽快かもしれない。
どんなに喧しかろうとも依頼人は依頼人だ。
そうである以上、仕事上の問題を少しでも減らすためには円滑なコミュニケーションをする必要があった。そんな風に割り切った、いつも通りの平常心で受け答えをする。
「ええ、聞いていますよ、ミスター・フレデリック」
「じゃあ理解してくれるだろ? もう少し自由時間が欲しいんだが。いくらなんだって、このスケジュールは退屈過ぎる。日本支社の人たちが、その退屈を吹き飛ばしてくれるくらいのプレゼンを持ってくるだなんて馬鹿げた期待をしているのでもなければ」
「お言葉ですが、自由時間を作るとしても警護の問題があります。事前にどこへ向かうのかわかっている自由時間ならばともかく、貴方の場合はそうではないですから」
「当然だろ。インスピレーションを保つためには、閃いたものを妥協なく追及することこそが必要だ」
「結果として前任の警備会社時代に3度も誘拐されかかっているわけですが」
「それは否定しないし、お前らの働きに関しては期待以上だと評価もしてる。だが、それとこれとは話が別だろ? 極論してしまえば、インスピレーションが衰えて業績が落ちてしまえばお前らを雇っている費用だって捻出できなくなるかもしれない。
ほら、これ以上に不毛な議論はない。お互いのために、建設的な方向に努力していくしかないぞ」
なんとも我儘な、とほんのかすかに苦笑してから一瞬だけインカムからの声に耳を傾ける。
こうして彼が依頼人と話している間にも、他の者たちは計画通り十分な動きをしているようだ。
だが順調であっても気を抜けるわけではない。
そういうものこそが、生業としている警護の仕事というものだから。
直接的な襲撃を防ぐ―――そのためには事前に入念以上の準備をして臨む必要がある。勿論そこには予め詰める芽は詰んでおくことも含まれる。
手を尽くして尚本当にどうしようもない襲撃は現場対応するしかないが、そんなことはそう多くは無い。備えているかいないかこそが明暗を大きく分ける要素なのだ。
結果としてそれが実っているからこそ、彼らは世界最大の警護会社として成り上がっていた。
「では建設的な方向に進めていくとしましょう」
そして彼は襲撃者のみならず依頼人の我儘にさえ、事前に準備をしていた。
用意しておいた一式の書類を、ソファの前に置かれているガラステーブルへ置く。
「ん? なんだ、名高い漆黒の鷹サンが営業マンのプレゼンの真似事でもするのか?」
軽口を叩きながらも依頼人はすぐさま書類を手に取った。
目の前の男―――ファブニエルが見る価値がない情報を見せない、ということくらいは承知していたからだ。逆に言えば、彼が見せると言うことはそれだけの価値があると判断しているということ。
そしてその判断が正しかった、ということに依頼人はすぐに気づいたのだろう。
書類を捲る手が早まる。
「……こりゃ、たまげた」
報告書の形式を取ったその書類は、とある人物に対するものだった。
春先からの行動、人物評価、能力評価などいくつかの面から多角的に分析されたもの。
「こんなものを見せられちゃあ、同じ主人公としてウズウズするのを止められないな」
一読しただけで頭に入れてしまったのか、書類を乱暴にテーブルへ戻す依頼人。
だがその表情は先程までの退屈を持て余しているものとは違い、好奇心をこれ以上無く刺激された子供のような輝きを瞳に宿していた。
「よしよし、それじゃあすぐにヘリで現地まで―――」
「行っても無駄です。彼らの招待は明後日からですし、そもそも現在彼らは夏休み。長期休暇に入っておりますので、学校への訪問も無駄に終わるでしょう」
「………」
「ただそうなると思い、クラウディアホテル滞在時についてはノースケジュールで対応してありますよ。思う存分親睦を深めてもらえるかと。逆にその前の予定をキャンセルするようですと、その催しすらクリステラ女史からキャンセルされてしまうでしょうね」
唯一頭の上がらない女性の名前を出した瞬間、自由人らしく奔放気味だった依頼人が明確に唸った。あまり多用は出来ないが、依頼人の行動を誘導するにはこれが最も手っ取り早い。
とはいえ、これで当分は大人しいだろう。
依頼人は多少自制が効かないきらいはあるが、さすがに一代で世界を席巻する企業を興しただけの傑物だ。目の前にある明確な損得の計算を間違うことはあるまい。
そう判断し、後の警護を同じ室内に居た者に改めて引き継いで外に出る。
「業務の邪魔をして、すまなかったな」
外で待っていた部下に詫びると、当の相手は恐縮したように小さく頭を下げた。
実際のところ、すでに組織が成長しきった今となっては彼が現場に出ることは殆ど無い。
勿論、大局的な判断―――敵対した組織をどうするのか、など人死が関わるもの―――を求める際には参加をしなければならないが、今回のように一警護人として参加するなどあり得ない。
今回は特別だ。
依頼人も特別であれば、後日向かうクラウディアホテルで出迎える相手も特別。
さらに言えば、連れていく相手すらも特別。
そして―――、
ホテルのロビーまで下りてから懐からスマートフォンを取り出す。
通話する相手は今回別件の依頼をしている便利屋と呼ばれる者。
「ああ、すまない。そちらは順調か?
勿論だ。費用に糸目をつけるつもりはないからな。その倍までは裁量で使用して問題ない……そうだな。強いて言えば甘いものだろう。彼は甘味には昔から目が無かったからな。
では頼む。礼を失することだけはしないようにしてくれれば問題ない」
―――そこに呼び出している相手も特別なのだ。
探し続けていた相手。
永遠の好敵手。
それがついに見つかったのだから。
「では……ん? 珍しいな」
他愛のない話題のつもりなのか、普段にはない執着を嗅ぎ取ったのか、通話先の便利屋は会話の最後にひとつの疑問を投げてきた。
いつもであれば有り得ない、一歩踏み込んだ話。
それに対して、
「そうだな……言うなれば、大師父、と言ったところか」
師の師だ、とそう答えたファブニエルに対し、便利屋は戸惑いつつも通話を終えた。
その様子すらも可笑しい。
一体何に戸惑ったのか。
大師父というには計算が合わない年齢だろうか。
それともそれほどの人物が全く知られていないことにだろうか。
むしろ、答えが返ってくることはないと思っていた問いに対して、反応があったことだろうか。
そのどれもが考えられるし、おそらくはどれもが正解だ。
本来であればこちらの情報を無駄に渡すようなことはしないが、今回に限っては些細な問題だ。
当のファブニエルですら、まさかこのタイミングで見つかるとは予想しておらず、誤算ではあるものの、ある意味待ち望んだ瞬間が近づいているのだから。
「まさか充君を調べていて突き当たるとは……思ったより世界は狭い」
これからの騒ぎに間違いなく巻き込まれる青年の顔を思い出しながら、彼はその場を後にした。
かといって当然のことながら、当の三木充本人はそんなことに気づくはずもなく。
世界的企業こと、カンケル社の最高経営責任者フレデリック・オールディントン氏来日のニュースを 朝食のトーストを齧りながらのんびりと見て、
「自家用ジェットかぁ……凄いなぁ。おっと、そろそろ行かないと」
盛大にスルーしていた。




