241.暴走の代償
その慟哭を破ったのは、意外にもその原因となった人物だった。
「……五月蠅ぇ、ちょっとくらい休ませろよ。充」
倒れたままで、そう絞りだすような声をあげた八束さん。
驚いて死線を向けると、再び輪郭が変わり今度は艶めくような漆黒の毛皮を持つ完全な狼体になっていた。休ませろという言葉が示すかのように、すでに人の形態を取り繕う余裕もないほどに疲労しているのかもしれない。
「や、八束さん!!」
思わず駆け寄って手を出そうとするが、血塗れのその身体をどうしたらいいものか戸惑う。
なにか声をかけようとして、
「……大丈夫なんですか?」
そんな短絡的な一言を放つのがやっとだった。
だって、マジでおかしくない!?
人間の腕で胸ぶちぬかれてるんだぞ、なんで生きてるの!? いや、生きててくれたのは勿論いいんだけど、それはそれとしても明らかに異常だ。
「あー、そうか。充は知らねェんだったな。生憎と、因果な身体でそうそう簡単にゃ死なないように出来てる。特に今は“魔王”も喰ってるしな。上半身くらい吹き飛んでも再生する。
一度、鬼首大祭前に榊さんと戦ったときに実証済みだ」
つ、ツッコミどころが多すぎる……。
ってか、話からすると榊さんと戦って上半身吹き飛ばされたことがあるってこと!?
それでも死なない八束さんも凄いが、この圧倒的なまでの力を持つ人狼の上半身を吹き飛ばすとか榊さんもデタラメ過ぎる。
―――“魔王”を有する人狼vs酒呑童子
うん、とりあえず怪獣大決戦にしか思えません。
ただそう言われれば納得出来た。
よく見れば八束さんが胸をぶち抜かれ開いた穴を、みぢみぢと音を立てながら泥のようなものが修復している。あれが“魔王”の力なのだろう。
鬼首大祭のとき、首を落とされたオレを救うためにその力を与え、その結果としてオレは生き返った。落とされた首を再生させるくらいなんだから、胸の穴くらいはなんとかなるのかもしれない。
「……つっても、そもそも満月じゃなかったら、ここまで“魔王”を制御すンのは難しかったかもしれねェけどな」
その言葉にハッとする。
そして思わず自分自身を確認してしまう。
オレの内部で猛威を振るっていた大きな力の塊が間違いなく消えていた。正確にはほんのわずかにこそ残ってはいるものの、それは昨日までのものと同じ程度。それもこれまでに無いほど安定しており、完全に制御されているのがわかった。
では失ったものはどこへ行ったのか、それは考えるまでもないことだ。
「かなり際どい賭けだったが……成功したからヨシだな」
「きわど……っ、むしろ何やってるんですか! 本当に死んだと思いましたよ!? 途中経過が断片的でわかりきっていないトコもありますけど、最後の一撃に関してはわざと回避しなかったでしょう!?」
ようやくいくらか回復したのだろうか。
八束さんは再び直立した狼―――人狼の形態を取って起き上がってから、
「まぁな。だがお蔭で……落ち着いてる、だろ?」
軽くオレの胸をコツン、と小突いた。
「一応、ほとんどの“魔王”は喰ったが完全に喰い尽くすには至ってないだろう。残滓と呼べる程度のものだろうが、それでも浸食系の力として脅威だ。
それをどうにか制御させるためには、お前の“簒奪帝”を強化してやる必要がある」
新たに渦巻いている力。
それは“簒奪帝”と同種の性質。
「それを可能にする“餓狼”の力を手に入れさせる。そのためには最後の攻防は欠かせなかった」
その言葉通り、奪った“餓狼”は反発することなく、むしろ“簒奪帝”を補強してくれてでもいるかのように力を貸してくれている。
羅腕童子の力も奪ったばかりのときは制御を力で抑えつけながら使う必要があったが、鬼首大祭で自らオレの力になることを誓って以降はほぼ労力がかかっていない。
取り込んですぐにも関わらず、それと同じ状態になっているのは八束さんが自ら進んで奪わせたためなんだろう。
そしてその“餓狼”がオレの中に残っている“魔王”の残滓を完全に抑え込んでいる。すでに八束さんに大半を持っていかれたため、鬼首大祭にときにもらった量以下、文字通り残滓程度でしかないものの、それでも侵食に怯えなくてよくなったのはありがたい。
【うむ、まったくじゃな】
おぉ、エッセ!
【おぉ、ではない! あれだけ冷静にせよと言っておったのに、途中からこちらの声を全く遮断しておるわ、“魔王”を際限無く取り込んでいくわ……どうなることかと思ったぞ!】
うぐぐ……面目ない。
かすかな記憶を思い返してみれば、闘いの最中もエッセはずっと声をかけ続けて何とか落ち着かせようとしてくれていた。
それでいてこの始末。
八束さんが来てくれていなかったら、どうなっていたかわからない。
ぐぅの音も出ずに思わず項垂れてしまう。
【……とはいえ、強い感情に付けこむ性質の侵食能力。理不尽への怒りによって目覚めた充の能力との相性が最悪だったのは事実。そこは考慮せねばならんの。
ほれ、そのような些事よりも先に確認せねばならんことがあるのではないか?】
その言葉にハッとして顔を上げた。
暴走までするほどに大事だったこと―――攫われた月音先輩。
すぐに状態を確認したいと思ったが、どこにいったのかわからず、しかも目の前の恩人をそのままにするのも不味いとか色々な考えが頭を渦巻く。
「あー、巫女のお嬢ちゃんたちに頼んであるから大丈夫だろ。
つっても心配は心配か。多分巻き添え喰わないように離れた場所にいるから、さっさと顔見にいってやりゃいいさ。あっちのほうだったかな」
慌ててるオレに、八束さんが疲労の色を見せつつも苦笑しながらそう教えてくれる。
「俺のことは気にすンな。ちィとばかり弟分のおイタで疲れてるだけだからな。
よくある兄弟喧嘩みたいなものだと思やいい。このまま帰るから、あとは上手いことやるんだな」
そう言いながらそのまま帰っていく背中に向けて、
「あ、ありがとうございましたッ!」
オレは深々と頭を下げた。
それに対して背中を向けたまま片手をあげてひらひらと動かして応える八束さん。
【確かにあやつがおらねば、今回ばかりは色々と不味いことになっておったやもしれぬな。
助けてもらったことを気にするようならば、後で何かお礼を考えておくといい】
日頃から世話になってるワケだし、それが妥当だな。
親しき仲にも礼儀あり、じゃないけど感謝はやっぱりちゃんと伝えないと。
―――それはさておき、今は月音先輩だ。
教えられた方向へ走っていくと、砂浜の奥にある岩場との境。砂地と岩が混ざった場所に彼女たちは居た。巻き添えを避けるためだろう、大きな岩の影に隠れるように横たわっている月音先輩と、咲弥と聖奈さんがいるのがわかる。
彼女たちはこちらに気が付くと、少し様子を窺ってから大きく手を振ってくれた。
「月音先輩はッ!?」
「あらあら……開口一番がそれというのは少し妬けてしまいそうですけれど。
心配要りませんよ、命に別状があるような状態ではありません。すでに傷のほうも治しておきましたし。ただ精神的に消耗されていらっしゃるのか、まだ意識は戻っていませんがそれは時間が経つのを待てばいいでしょう」
聖奈さんのその言葉が示すかのように、ぱっと見た限り月音先輩には傷ひとつ見当たらなかった。その豊かな胸が穏やかに上下しているのが見て取れる。
さすが“慈なる巫”こと上位者だ。その癒しの手腕は卓越しているんだなぁと再認識させられた。
が、ほっとしたのもつかの間、横で咲弥がジト目で見ているの気づく。
「……あー、その……なんて言えばいいのか。とりあえず、まともには戻れた」
「ん。見てた」
「……こう…今回は色々迷惑かけたみたいで、ホント悪かった」
「………」
「巻き込んでしまってゴメン。今後はもっと気を付ける」
「………」
「あの~? 咲弥さん?」
「………」
「………もしも~し?」
「咲弥さま、ありがとう、は?」
「……さ、咲夜サマ、アリガトウ」
何、このコント。
どうやら謝罪ではなくお礼の言葉が欲しかったらしく、機嫌は直ったようなのでヨシとしよう。
何にしても、あそこで二人が人質に取られていた月音先輩をなんとかしてくれていなかったら、どうなっていたかわからない。最悪耐えきれなくなったオレが敵味方関係なく人質ごと攻撃していた可能性もあるわけだから、彼女たちには足を向けて寝られないくらいの恩があるのは確かだ。
そのことを言って再度礼を言おうとすると、
「んーでも、指示したのは凄いワンちゃんの人」
凄いワンちゃん……?
「八束さんのことですよ」
聖奈さんが苦笑して言い直したのを聞いて愕然とした。
あの人をワンちゃんと呼ばわりとか、咲弥ってどれだけ大物なんだ……マジで本人の前で言わないことを祈っておこう。
【ゆき届いておるの。
そういえば充が殺す一歩手前まで攻撃した、あの子供はどうなった?】
おぉ、そっちは全然忘れてた。
“魔王”の力を操っていた謎の中学生。
見たところ、どこにもいないようだけど。
「暴れられても困りますので、最低限の癒しだけしておいたのですが」
「凄いワンちゃんの仲間。連れて行った」
端的過ぎるのでもう少し説明してもらうと、どうやら八束さんが所属している機関の人間が連れて行ったらしい。
まぁオレたちだと尋問するくらいは出来ても、どっかに捕まえておくとかそういうのは難しいし、八束さん経由で拘束できるならそれでいいだろう。
確か政府のどこかの機関所属だったみたいだし。
“魔王”の力を持っていれば拘束するのにも困ったかもしれないが、オレに奪われてしまった以上、ただの悪行だけが残った子供に過ぎない。
少し可哀相かもしれないは、その子供に振り回されて力を与えられ、結果オレに殺されてしまった主人公だが、正直なところ別段洗脳されていたわけでもないようだし、何より月音先輩を攫ってどうこうしようとした実行犯でもあるので仕方あるまい。
さて、これで一件落着。
とはいかない事情があった。
今回の被害である。
「前回の鬼首大祭は山の中だから何とかなったけど、今回は……なぁ」
展望台からここまでの間、オレと巨人がやり合った場所は道路も建物も随分と凄まじいことになっている。どういう理屈か人がいなかったのは幸いだけども。
【人払いがされておるのは、おそらく“幻惑する魔術の従”の効果であろう。
基本的に“神話遺産”が力を行使するのはシステムとしてはイレギュラー扱いじゃからな。それが影響を及ぼさぬように辻妻を合わせるようになっておる】
巻き添えくって大問題になっても困るからそれはいいんだけども。
「被害なら大丈夫。凄いワンちゃんのお仲間が修復するように手配済だって」
おぉ、さすが八束さんの仲間。
なんて手際の良さだ。
「それで、修復屋の費用は後で請求書出すって」
「え? 誰に?」
「ミッキーちゃんに」
「え、ちょ…ッ、待っ……っ!?」
確か以前にその名は聞いたことがある。
斡旋所でもっと等級をあげると手配することが出来るようになる、文字通り被害を修復することを生業にしている人たち。
費用がいくらかは知らないが、どう少なく見ても今回の被害を直す金額が安いはずがない。
具体的に言えば手持ちで収まるわけがない予感がヒシヒシとする。
…………ま、また借金生活かな?
分割返済を許してくれれば、だけど。
即金で、とか言われたら誰かに借りるしかないわけなんだが……どうしよう!?
などという悶々とした思考はその後、実は請求書云々は咲弥が付け加えた冗談だと判明するまで続いた。
本当、心臓に悪い冗談だったわ……。




