239.狼を導く毒
さて、暴走の気配しかしないので乱入してみたものの、これをどうにかするのは中々に骨が折れる作業になりそうだ。そう思いながら目の前にいる充を見据える。
単純に倒すだけなら簡単ではある。
制御されていない暴力など、余程の力量差が無い限り研ぎ澄まされた力に適うワケがない。もっと言ってしまえば、現時点においては地力ですら俺のほうが上。
いくら大鬼の力を手に入れているとはいえ、殺すだけなら一瞬だ。速度が身上の人狼の一撃で首を刈って、おしまいだろう。その上で宿主を蘇生させようとする“魔王”の力がむき出しになったところで全て喰らってしまえば終了。
だが現実に取り得る手段としては論外も論外。
あくまでも充の命を脅かすことなく、それでいて今あいつを惑わしている力の破片のみを取り除かなければならない。
あとはいかに特定の力だけを喰うかだが、そこは幸い相手も略奪系の能力者。普通に喰ってから、不要な部分を向こうに奪わせて戻せばいい。
そこをコントロールするのは容易くないものの、生憎とこっちの戦いの経験値と能力の掌握度は充よりも遥かに高いから、上手いことやろうと思えばやれる。
あとひとつだけ問題があるとすれば、可能な限り短期決戦にしないといけないことくらいか。
チマチマと奪っていると、充の裡に巣食っている“魔王” がロクでもないことをしかねない。過去に検証されている事象としては“呪化”と呼ばれる呪いを自らにかける、というものがあった。神話で言うところの、自らを傷つけて破壊神より力を得た逸話に由来し、呪いをかけることで結果力を増大させる。
一度やってしまうと宿主に多大な変質を招き、適正によっては消滅することもあるため基本的には行われないが、追い込まれたときにそう決断しない保証はない。
ここまできているのだ。
いっそのこと抑えさせるのではなく、誘導して充に“魔王”を全力で使ってもらい表に出ているところを一気に喰う必要がある。
勿論、充から“魔王”を奪えば奪うだけ、どんどん俺の中における奴の制御が難しくなるから、それを制御しながら緻密に戦闘を組み立てなければならないが―――
「―――それくらいの犠牲で済むなら、安いモンだな」
考えるまでも無い。
さぁ、やるか。
■ □ ■
変容が目の前で起こっている。
ミリミリ…と。
そんな音が聞こえるような錯覚を覚えた。
相手からの距離を考えれば聞こえるわけもないのだが、それでも尚そう感じざるを得ない。
八束 煉。
オレの目の前で相対している兄貴分。
その身体の輪郭がはち切れそうなほどに力に満ち溢れ、そして人ではないものへと変化していく。
蛹から蝶へと変わる瞬間にも似た変態のタイミング、それは本来であれば格好の攻撃の隙となるはずだが、生憎と百戦錬磨とも言える人狼にそんなものはない。
爪の先程の理性がそう分析するも、
関係ナい。
関係なイ。
奸計ない。
感刑ナイ。
相手がどんなに防備を固めていようと、奪えばいいだけ。
触って奪って殺して解して刻んで呑んで戯れて望んで悦べばいいんだ、と単純明快な論理がどこからか投げかけられ、驚くほど体の芯へと浸透していった。
焦がれて、駆ける。
ずっと耳鳴りのように響く囁きは、賞賛。
身に塗れた敵の血潮は、享楽。
振るう暴の手応えは、絶頂。
「……ッ!!!」
駆けるオレの背中から隆起した八腕。
それが到達しようかという瞬間、目の前から対象が消えたことに思わず硬直する。
咄嗟に首を振って左右を確認しようとするが、その直前に横殴りの衝撃を受けて視界が一瞬ブレた。
殴られた!?
判断しながら、わずかにグラつく頭を無視してそちらへ視線を向けると、少し離れた位置に消えた敵―――全身を黒い体毛で染めた直立する狼の姿があった。
元々大柄だったが、身体はさらに一回り以上デカくなっている印象を受ける。
……幸い、殴らせたせいか、それまで霞がかって熱くなっていた思考が若干冷えた。少し冷静さを取戻しつつ相手を見据える。
「―――まァ、せっかくの機会だ。充にも俺たちの戦い方って奴を覚えてもらおうか。
いつぞやは触り程度しか教えてやれなかったが……今回はあのときと違って講義じゃなく実地で行くぞ」
どのような原理かわからない、その獣の咢から流れる流暢な言の葉。
その泰然とした態度からは余裕しか感じられない。
グラグラと腹の底に沸くような不快感。
それは敵に見下されている事実が齎す文字通りの腹立たしさか。
再び消える。
気づけば、再び頭部に走る衝撃。
だがそれには覚えがあった。
「余裕の…つもりか……ッ!!!」
ボクシングにおける基本中の基本。
以前に何千何万と振るったその技。
ジャブを打たれていた。
彼が鬼首大祭で見せた爪による斬撃とは比べ物にならない程度の威力しかない。それはつまり手を抜かれていることを意味していた。
「そういうことは本気を出させる程度になってから言うンだな。
それよりも、気づかなきゃいけねェことがあるだろうが」
パパンッ!!!
間合いの外から、相手の目が負えない速度で入り込んで一撃。そのまま同様の速度で再び元の位置へ。これ以上ない見事なヒット&アウェイ。
彼我の速度差が実力差以上の戦力差を生み出している。
見えなければ反応できない。
反応できなければ防御出来ない。
それでもなお、“簒奪帝”の防護があればジャブ程度のダメージならば、そこまで深刻ではない。
―――はずだった。
ただのジャブ。
だがそれが打たれる度にごっそりと何かが削れていく。
覚えのない感覚。
だが予想はつく。
―――“簒奪帝”で奪うときの感覚を真逆にしたら、こうなのではないかと。
それが意味するところはつまり、
「理解したみたいだな。前にも言ったが……俺の能力もお前と同じ略奪系だ。
つまりところ、これから始まる戦いは―――」
小手調べは終わり、とでも言うかのように直立した狼の圧力が格段に増した。
「―――略奪系同士、どっちが先に互いを喰い尽くすかって戦いだ」
来るッ!!
反射的に横へ身を投げ出して避けようとするが、間に合わない。
ごぞんっ!!
伸ばしていた八本の腕のうち、2本が途中から消失した。
まるで食い千切られたかのようにその断面は粗い。
しかもそれだけでは終わらない。
がぞんっ!! ずぞんっ!!!
上下左右から衝撃だけが伝わり、次々と顕現した羅腕―――“騎”が削れていく。
さながら、獣の群れに一斉に飛び掛かられてもしているかのように。
結果、弱まっていく“簒奪帝”。
くそっ!
なんでもかんでも好き勝手しやがって……ッ!!
「どうした!! それで終わりかッ!!」
声に反応して咄嗟に腕を出す。
偶然にもその手が八束さんの体に触れたのか、“簒奪帝”で一瞬だけ簒奪することに成功する。先程喰われた羅腕童子の力が一部戻ってきた。
そこでようやく理解する。
略奪系能力同士の戦い。
告げられた互いを喰い尽くすという言葉。
通常の戦いとはまるで異質。
つまるところ、速度、判断、吸収能力、その他諸々何もかもをひっくるめた上で、どっちの奪う能力が高いのか、それだけの比べ合い。
こんだけ打たれて、ようやく頭が廻り出したあたり情けない。
「ぐッ!!……マジかッ!!?」
立て続けに加えられる攻撃をなんとか捌こうと必死に足掻く。
いくら戦いのルールがわかったからといって、単純にそれだけで互いの有利不利の天秤は反転しない。
速度そのものが圧倒的に違う以上、こっちが奪おうとしても当たらず、向こうだけで一方的に数を重ねていく。時折なんとか一撃だけ奪うことに成功するものの焼け石に水。
転げ落ちるが如く急速に決着へと向かっているのがわかる。
だが、不思議と焦りはない。
それどころか攻撃されればされるほど、思考がクリアになっていく錯覚すら覚える。
どれくらい攻防が続いただろうか。
トン…ッ。
足場の悪い砂地の浜辺であることを感じさせないような身軽さで、目の前の敵は距離を取った。
人狼―――八束さん。
あれ?
なんで八束さんと戦ってるんだ?
冷静になった頭がかすかにそんな自問を弾き出す。
「そのままなら負けは確定だぞ。
俺は楽でいいが……あまり楽過ぎるのもつまらない」
あくまで上から目線。
勝手に乱入し、勝手に敵になった上でのこの言い草には腹が立つ。
そんなかすかな感情に、再びどろりとした何かが纏わりついた。
ぐわんぐわんと薪をくべた大火のように、目の前の相手が倒さなければならない敵なんだということを確信する。そこに根拠は要らない。
オレの前を阻むのなら全て薙ぎ払えばいい。
薙ぎ払われるのは敵。
ならば考える必要もない。
「ひとつだけ助言しておく」
ぴ、と鋭い爪の生えた指をこちらに向けてくる。
「前に俺が言った略奪系能力についての分類、あれを良く思い出せ。
もし仮にお前が勝てるとするなら、俺たちの特性と弱みを活かせた場合のみだ。
速度が足りなければ何かで補え。喰われるのが不満ならば、相手が喰いたくなくなるようにしろ。そしてそれが出来なければ―――大人しく朽ち果てるンだな」
その言葉を言い切ると、敵は再び戦闘態勢に入った。
これまでと全く同じ展開で再現される攻防。
疾風すらかくやという追えない速度を以って行われる一撃離脱の嵐。
それに翻弄されながら、オレはさっき言われた助言とやらが引っかかって思考を巡らせていた。
略奪系能力。
分類。
発動条件。
相性。
一発屋。
………。
…。
かつて交わされた会話が断片的に脳裏を流れ落ちていく。
その中にひとつだけ引っかかるものを救い上げた。
浸食系能力。
略奪系の力に対して相性の悪い相手として挙げられたもの。
端的に言えばオレが取り込んでいる“魔王”が正にそのもの。
取り込んでしまえば裡から蝕む、まさに毒とでも言うべきもの。
現にオレはそれを取り込めば取り込むほど、制御に難をきたしている。
違う。
違う違う違う違う―――!!
? そんなことはナい?
大丈夫? 問題なイ。むしろ十全。さらにもっともっともっともっと!!
奪って奪って奪って、この熱情を吐き出―――
「―――ッ!!?」
湧き上がってくる黒い衝動に意識がトびかけたが、タイミングよく加えられた敵からの一撃で意識を取り戻した。
再び思考を再開する。
外に“簒奪帝”の防護を展開しても、接触した後、こっちが奪う前に喰い千切られて削られるだけ……それならいっそ“魔王”をもっと活性化させて―――
―――オオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォッ!!!!
敵に対抗するために活性化させる、つまり制御の手綱を緩めてでも、と判断したせいで抑えが一瞬綻んだのだろうか。
どこからか怨讐に満ちた声たちの咆哮が放たれ、一瞬にして意識が沈む方向へ加速する。
何かがオレの頭の中を引っ掻き回していく。
それは告げている。
自らはあくまで欠片なのだと。
人で例えるのならば手足。
そこに本来据えなければならない頭がそこにない。
だからいくら増大しようとも、いくら満ち溢れようとも。
その中心に代替に成り得るモノを設置しなければ、その力を発揮することができない。
だからオレの中を総ざらいしてから、こいつらは自らが必要とする感情を見つけ、中心に据え付けた。
満ち溢れていく力。
そして必要なものだけを供給し、残った意識は不要とばかりに切り飛ばされていく。
そう。
いつだってそうだ。
全てが終わった後で、思うのだ。
ここで“魔王”の力を対抗手段として使おうなんて思っていなければ。
それ以前に、八束さんが現れた段階で鎮静化させることが出来ていたのならば。
―――この後に起こる、八束さんの悲劇を止めることが出来たのかもしれないのに。
神ならぬ身に、未来を全て見通すことなど出来ないと理解っていたとしても。




