236.魔王vs魔王
溢れる憎悪が目玉の裏をなぞりあげている。
殺意。
殺意。
殺意。
殺意。
全身の隅々に至るまで殺意に満たされていく感覚。
だがその力が溢れた体を操る意志が感じているものは全能感でもなく、そして万能感でもない。力に酔いしれる暇などありはしない。
ただひたすら憤怒と憎悪だけが幾層にも丹念に積み重ねあげられ、その解放の刻に齎される快感を待っている。
大河のような殺意に流されていく思考の中、一片だけ残ったかすかな理性で考えられたことはひとつだけだった。
―――月音先輩。
目の前で意識を失い、傷ついている女性。
彼女が一体何をしたっていうのか。
理不尽。
非合理。
不条理。
今この状況こそが許せない。
この状況を生み出している全てが許せない……ッ!!
“簒奪帝”―――全開放。
その意志に応え、際限なく吹き上げる己が魂の力。
漆黒の鎧腕―――“騎”を一度消してから、改めて8本起動。
オレの背中に当たる部分から、再度長さ数メートルにもなる闇色の硬質化された腕が伸びた。
羅腕童子を完全に支配下に置いた今ならば、この腕は全て自分の腕のようなもの。鬼の膂力は勿論、卵を割るような繊細な力加減ですら難しくない。
さらにそこに“魔王”の力を上乗せさせていく。
出し惜しみはない。
身体を覆う、朱黒に蠢く“簒奪帝”の装甲。そこには魔の力を表す紋が刻まれ紅に点滅を繰り返していた。さらに茨木童子の白き雷が放たれるのを今か今かと待ちきれんばかりに漏れ出して、周囲にバチバチと弾けていく。
標的は目の前にいる連中。
以前、加能屋で会い、そして海岸でも見た主人公らしき男、そしてその背後で“破壊神の月刃”なる伝説の武具を構えし巨人―――“魔王”の欠片2体。
知ったことか。
喩え相手が“神話遺産”だろうがなんだろうが関係ない。
その全てを悉く破って葬り去る。
まずは―――
八本の腕全てを極限まで伸ばす。
矢を放つように迅く鋭く。
同時に全力で白雷を放射状に放った。
バキィィィンッ!!!
耳を劈くような衝突と破壊。
何を壊したのかなんて単純明白。
ザラザラと纏わりついて不愉快だったこの空間に満ちた力―――“幻惑する魔術の従”の残滓。先程オレが一部を引き裂いていた残り。
海岸に大きく広がった腕はオレのほうへと戻り、そして一斉に向きを変えて、こちらへ進み出てきた巨人へと殺到する。
猛烈な勢いで爪を突き立てようとする腕に対し、巨人たちはその3本の腕の刃を使い剣舞にて向かいうった。
ギィンッ!! ガギギィンッ!! ィィンッ!!
刃と刃が激突する金属的な音が響く。
さすがに“魔王”の一部らしきことはあり、それぞれ4本の腕に対して3本の腕で上手く凌いでいる。その剣撃は確かに一流と言っていいのだろう。
だが甘い。
――――オォォォォォ……ッ!!
巨人の苦悶の声が響く。
“騎”そのものは凌いだとしても、それが帯びている白雷は別だ。一撃ごとに確実にその威力が体に刻まれていき、動きが鈍くなっていく。
そしてその隙を見逃すほど、この憎悪は甘くない。
どず…っ!!
“騎”の腕が、精彩を欠き凌ぎきれなくなった巨人を貫く。
しかもそれだけでは終わらない。
貫いた後、そのまま折り返し角度を変えて突き刺さる。
貫き、貫き、貫き、貫き、貫き―――ッ!!
一瞬にして黒い腕の格子に閉じ込められた巨人とでも言うべきオブジェが完成する。
そのままその腕を媒介に一気に力を簒奪した。
存在を維持できなくなり輪郭をぼやけさせた後、霞のように姿を掻き消す巨人たち。
だが本当に消えたわけではない。
その力は確かにオレの中に存在しているのだから。
そして結果、
「………ッゥッ!!!?」
一瞬だけだが、完全に意識がトんだ。
理由は明白。
叱咤するようなエッセの声が脳裏に響いたおかげで、なんとか意識を取り戻した。
【たわけが! 一気に簒奪しすぎじゃ。このままでは侵食速度が加速度的に増加してしまう!】
内部の“魔王”が膨れ上がっている。
2体の巨人から得られた力は、元々鬼首神社でオレの中に得たものの約6倍にもなっていた。しかもこの“魔王”、元々はひとつの存在だった力を何らかの事情で分かたれているため、量が増えれば増えるほど存在を完全に近づけていくせいか、制御する難易度が爆発的に跳ね上がっていく。
だが、それがどうした。
危ういバランスだが今のところなんとか制御出来ている。
手綱を誤れば暴走してしまいかねない危うさだが、それは今に始まったことじゃない。
むしろ湧き出す負の感情を糧に、どんどん力を供給してくれるのだから今はこのままでいいじゃないかとすら思う。
「るあ゛あ゛ぁ゛ぉぁ゛―――ッ!!!」
意味のある言葉ではない咆哮が喉から漏れる。
昂ぶった激情が逃げ場を失い閊えているのだろうか、言葉が上手く出ない。
まるで獣のようだ、とかすかな理性が嗤う。
「ひぃ…ッ!?」
それでも威嚇にはなったらしい。
“威圧”の込められたその咆哮に、巨人に隠れてその背後にいた主人公の男がビビって腰を抜かしている。何かをしようとしているのだが、すでに“威圧”で動きを取れないようにされているため上手くいっていない。
大方、連中にとっての現実へ帰還しようとしているのだろう。
ふざけるな……ッ。
ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるな…ッ!!!
都合が悪くなればどこかへ逃げる。
その程度の気持ちで。
その程度の覚悟で。
ぼしゅぅっ!!!
噴火する感情のままに、体を覆った“簒奪帝”の鎧。その表面が隆起していくつもの獣の口が、具現化しては戻りを繰り返している。
沸騰する湯の表面で現れては消える泡の如く、ワルフを模した獣の咢が今か今かと鎖を解き放つのを待っている。
何もかもが中途半端。
そんな程度の存在で月音先輩をあんな目に合わせたって言うのか―――ッ!!!!
四肢が突き動かされるように進み、同時に獣たちが解放された。
……………
…………
……
ぐずぐずとした肉の感触。
気づけばオレはまるで絵具をぶちまけたかのような朱色の真っただ中に立っている。
“主人公”だった男はすでに原型を留めていない。この惨状の中に残っているあの男の名残と言えば、そこらに転がった折れて役立たずになっている武器くらいのものだ。
何か特殊な力を使ったわけじゃない。
無数の獣で噛み、そして増えた腕を含む8本でひたすらに殴っただけ。
だがそこに鬼の膂力が込められていれば、どれほど強かろうと人間などあっという間に肉塊に変わるのは自明の理。
…………終わった、か?
そう呟こうとしたのは、そうではないという予感が在ったからだ。
“魔王”が収まらない。
増えた“騎”の腕や体に纏っていた“簒奪帝”を収めたにも関わらず、それだけが収まらない。
この場の敵が消えたことによって行き場を失ったオレ個人の憎悪や殺意を保持したまま、何かを訴えるかのようにこの身を蝕み続けている。
いっそこのまま、こいつに体を預けてしまえば楽に―――
「―――っぐ!!」
そう考えてしまいそうになった意志をなんとか立て直す。
ここまでならばなんとか抑え込めている。
かなり全力全開な“簒奪帝”とようやく紙一重というレベルだけど、ここからオレ自身の負の感情を落ち着けていけば、それだけ“魔王”も勢いを失うから十分に制御可能だろう。
【充……大丈夫か?】
「な、なんとか……ってトコかな」
上手く言葉を発せられなかった喉がようやく落ち着いたのだろうか。
エッセの問いかけになんとか言葉を返すことが出来た。
―――早いところ月音先輩を手当てして、上手くフォローしないと。
だが、世界はそんなに優しくはない。
「うっわ、どうなってんのか楽しみに見に来たら何これ? ってか兄ちゃんマジになりすぎじゃない?
そんな必死こいちゃうとか、ダッサ」
それをオレに教えるかの如く、月音先輩のところへ視線を向けたオレのところに飛び込んできたのは、倒れた彼女に刃物を突き付けている青年の姿だった。
「……お前…っ!!」
「おぉっと。ストップストップ、何やる気出しちゃってるのさ。
これだから頭悪い奴はヤなんだよな。精々ちょっと“魔王”の力を貸して、どんな右往左往するのか鑑賞するくらいしか使い道ないじゃんか。
それはそれとして、見えてるでしょ、今のこの状況。ちょっと静かにしてくれない?」
月寝先輩の首筋にあてられたバタフライナイフ。
動脈が奔っている部分を少し引くだけで起こる結末は、想像するだに恐ろしく全身が総毛立つ。
「そぅそぅ。そんでいーんだよ」
“簒奪帝”を起動しようとしたのを止めると、青年はようやく機嫌を良くする。
見た目年下っぽいので、おそらく年の頃は中学生くらいだろうか。
髪は少し逆立ってはいるもののよくあるツンツン頭、学生服らしき服装を身に付けているその青年に、ふと見覚えがあるかのような既視感じみた感覚を覚える。
一瞬、晴明かと思ったがそれも違う。雰囲気や存在の密度というのか、そういった根本的なところで、あの得体の知れなさが交じった男とは別人に思える。
なら一体どこで見たんだ……? それともただそう錯覚しているだけなのだろうか。
【錯覚ではないの。思い出すがよい、充】
エッセの言葉が頭に響き、あやふやではあるもののその場面のイメージが少しだけ流れ込んできた。
脳裏を過ぎるのは海の家で買い物をしていた客の姿、そして月音先輩が攫われる前にオレたちがやってきたときの星塚の風景。
―――その両方に、目の前の青年の姿があった。
制服も臨海学校で来ていた中学校のものとぴたり一致。
つまるところ一般NPCに混じって、オレの様子を窺っていたってことなのか。
そして今の口調からすると―――
オオオオォォオォオオオオォォォォォ―――ッッ!!!
―――この男が今回の黒幕で間違いないのだろう。
丁度それを裏付けるかのように、オレが倒したものと同じ、それでいて別モノの“魔王”の分体たる巨人が姿を現したのだから。
その数は3。つまりオレを追いかけたり、待ち伏せした巨人たちの数に等しい。
先程の台詞が正しいのであれば、彼が“魔王”の正規保持者であり、その力をあの馬鹿主人公に貸し与えていたことになる。
「わかってると思うけどさぁ、一応言っとくよ。
そんな難しいこと頼まないから。単に反撃しないでボコられてくんない?」
足音を響かせて間近に迫る巨人。
神話に謳われる存在の欠片に相応しい威圧感と共に立ち塞がる。
そのまま、彼らはオレ目掛けてその剛腕を振り上げた。




