235.月下問答の果て
投稿予約を1日間違えておりました。
遅くなりまして申し訳ありません。
全身から力が抜けそうになるのがわかりました。
月の力の化身により明かされた壮大なる計。
それ自体も確かに驚くべきものではあったけれど、それ以上のそれが齎す未来に対して。
「この結末が気に入らないのは、わたくしにもわかります。
それでも選べる選択肢そのものが多くはありません」
わたしの気持ちを慮るかのように、彼女は続けます。
「最早この流れは止められない。わたしが月の力の結晶を完全に自己のものにするまで、あと1年も必要ないでしょう。本来であればもう少し長かったはずですが、管理者によって力そのものを刺激されてしまった以上、これは仕方のないこと。
元々想定されていた計画の年月からすれば、それこそ誤差以上の何物でもない程度の差ですが……わたしにとっては大きな違いかもしれませんね」
すでに歯車は回り始めてしまっている。
それも抗いようのないほど巨大なものが。
明かされた事実が真実であるのならば、それほど永い間を掛けた流れをここで変えることなど確かに不可能に思えます。ましてやそれを一個人で為す、なんて。
「ゆえに“逸脱した者”同士の争いは最早止められない。歩まなければならない道の先でぶつかり合い、互いの果ては重なり合うことが出来ないがゆえに。
ただひとつ管理者たちに誤算があるとすれば、それが彼女たちの遊戯ではなくこの機構そのものを破壊するに至る争いになるということ。
少なくとも、わたくしが勝てば世界は月界に飲み込まれます。そこに“主人公”や彼らのみが得をする機構など不要。早々に破棄し消えて頂くことにしましょう。
ありのままの世界をありのままに飲み込む、それこそがわたくしたちの最終目的―――月界化なのですから」
全ての存在。
万物を月の影響下に置く。
そんなものは受け入れられません。
何より、充さんとわたし、どちらかだけが残る未来なんて。
ピキリ……。
周囲の蒼い光に満ちた空間が揺らぎでもしたかのように、ヒビが入っていくのが見えました。
その様子を見たわたくしは、仕方ないといった様子で小さく息を吐きながら苦笑したのです。
「月界の申し子である貴女が、その結末を否定する。それもいいでしょう」
ピキ……ビキビキ……。
崩壊していく景色の中、悠然としたその微笑みだけが異質。
「この月域、覚醒前の状態でそれほど長く維持できるものではありません。その上でわたしがわたくしを否定するのであれば、維持するための月の力との接続を否定するのと同じですから、崩壊するのは道理でしょう。
ですが月の力を使えば使うほど覚醒が早まる観点からすれば、一分一秒でも接続を切るのが正しいのもまた道理」
パキ……ガラ……ガラララッ…。
砕けていった欠片が落ちていく。
剥がれた場所からは、まるで殻が剥けたかのように元の景色が見えます。
「あら? わたくしが特にわたしの意見に対して反応を見せないことが意外でしょうか?」
月界の計画を否定するということ。
それはわたくしの存在そのものを認めないことを意味します。
自らの存在を否定されたにも関わらず、わたくしはまるで興味がないと言わんばかりに淡々と続けている。その態度には確かに違和感を感じました。
「だって、わたくしは貴女ですもの」
何でもないことのように彼女は続けます。
「わたくしは月の力の結晶。本来は意志も何もないただの力そのもの。
あの不躾な管理者に対抗するため、一時的に力を統合する存在として貴女をベースに擬似構成されただけの人格。
当然、わたしの考えも、意志も、何もかも知っています」
この毀れかけた蒼い世界の中で、彼女は言います。自らこそが他の誰よりも、わたしの選択を理解しているのだと。
比喩でもなんでもなく世界ひとつを敵に回す行為。
しかもその世界と敵対している相手は“逸脱した者”なる存在を生み出してぶつかってくるという四面楚歌の状況。
「そうであるがゆえに、それがどれだけ無謀であっても―――肯定します。
ただ、わかっていてもその覚悟を改めて問いましょう。
まずひとつ……この状況で月の力を拒絶するということが何を意味しているのか、正しく理解しているのですね?」
そう彼女が指差した先。
そこには彫像のように動かない2体の“魔王”、そしてそれを指示していると思われる“主人公”の姿。
月域で静止させられている彼らですが、このままそれが解けたならどうなるかなど明らか。
逆に、わたしはおそらく“かぐや姫”の能力を失うでしょう。わたくしの言葉が正しいのであれば、あの能力は与えられたものなどではなく月の力そのもの。その大元から力を汲み取れなくなれば使用できなくなるのは当然です。
「……なるほど。
そうなるともうひとつ問いたいことの回答も同じ、ということですね」
再び苦笑するようにわたくしが言う。
わたくしとわたしが同一であるのならば、隠し事なんて出来はしません。
互いにすべてわかりきっている。
だからこれは通過儀礼のようなもの。
これから立ち向かわなければならない状況への覚悟を問うための。
すでに答えは決まっています。
胸に疼く想いと共に、あの方がわたしのために何をやってくれたのかを思い出せば、どれほどの困難だって立ち向かう気持ちが沸くのですから。
「世界に立ち向かうなんて正気の沙汰ではありません。
これ以上ないほどの難行を言ってもよいでしょう。本当に成し遂げられると?」
月域が崩壊した後のことも。
そして月界の計画を阻止することも。
全て上手く出来ると信じています。
だから、
「はい、わたしは―――充さんを信じていますから」
独りでは出来ないことも、信じられる相手と一緒なら乗り越えられる。
どんなに難しいことでも成し遂げることは出来るのだと、ずっとそう体現し続けた彼を見てきた以上、ここは退くべきところではないと告げたのです。
「ではその選択がもたらす結果を見るとしましょう」
満足したかのように、目の前の自分はゆらりと姿が薄れていきます。淡雪が解けて消えていくようにじわりと、そして消えてわたしの中に戻っていく感覚。
次の瞬間、一気に月域が砕けて崩壊し―――
―――わたしは身体の自由を失いました。
■ □ ■
「………ッ!!?」
な、なんだ…?
頭がボーっとしてやがる。
ここは……ああ、確か入道海岸だったはずだ。
ああ、思い出した。
昼間にイケイケな外見の女をガンガンナンパしようとしたところを、生意気にも邪魔してくれた野郎がいやがったから、夜に“魔王”の力を使って女の方を攫ったんだった。
ところがその女、よくわからないが妙な力を使う奴で、“魔王”はもとよりこっちの必殺技ですら効かないような相手だった。
こりゃイベント戦だろうと次を模索し始めたところで……うん? そこから先がよくわからん。
いや、そこからだな。
目の前にその女は立っている。
正確には立っていた、だな。
ついさっき、目の前で倒れた。
周囲を見れば相も変わらず“魔王”は健在。こっちがビビりそうなくらいの巨躯を見せつけるように威風堂々と佇んでいる。
そこからわかることは単純明快。
あの女はやはりイベントボス的な存在だったのだ。
そのへんの一般人とは違う、ゲームとして重要な役割を持たされた存在。
理屈はよくわからないが、こっちの攻撃を圧倒的にバシバシ無効化する系の能力を持っていてその能力の脅威を教えるとか、そんなイベントだったんだろう。
きっとラスボスとかが同じ能力をガンガン使ってくるだろうから、その予行演習というかお披露目的な!
そんでもって、使いすぎると消耗が激しいという弱点を教えるために、ガス欠になって倒れると。
おぉ、クリアじゃねぇか!
天才過ぎる!
マジでヤバかったけども、ドキドキできたからいいとしよう。
この調子なら他の女の方を倒しにいったダチどもも上手いこと楽しんでるだろう。
“完全に現実な世界を遊ぼう。悪を為すも善を積むも全ては自由。禁忌無きゲームへようこそ”ってキャッチコピーを気に入って、過酷な抽選を潜って始めただけの甲斐はあったぜ。
さぁて、ここから先はお楽しみタイムだ。
この世界、なんでもかんでもリアルだから現実じゃできないことを思う存分楽しんでヤるぜ!
倒れた女を見て思わず唾を飲み込んだ。
昼間見たときも思ったが、すっげー顔もいいし、身体つきも超すげー。
こういう女を屈服させて好き放題にするとかムラムラが抑え切れない感じだぜ。
「ま、とりあえず」
ず、と近寄り。
片足立ちになって、
「ビビらせてんじゃねーよ!」
どずっ!!
脇腹を蹴った。
勿論楽しめなくなると不味いから死なない程度に手加減はしたが、それでも肋骨ぐらいにヒビは入ったかもしれない。
蹴られた衝撃で浜辺をごろごろと転がる女。
割れたガラス瓶でもそのへんにあったらしく、転がった拍子にそれが腕に刺さって血がどくどくと流れていく。
「あー、くそ。せっかくバリバリ楽しもうと思ったのに血で汚れんじゃねぇーか」
仕方ない。
河童の軟膏とか使うのも勿体ないしな。
手っ取り早く楽しんで、気に入ったら治してやりゃいいか。
気に入らなかったら放置だ。
短剣を取り出し、衣服を破ろうと少し切った瞬間、
―――ぞぞぞぞぞぞおぞぞぞぉっっ!!!
呼吸が止まった。
比喩でもなんでもない。
身体が息をするのを拒絶したとしか言いようのない感覚。
巨大な何かが通り過ぎるのを待つかのように。
文字通り息を殺して、ただただ存在を消そうとしているとしか思えない行動。
こんなことは最初に“魔王”を見せつけられたとき以来。
あれからその巨躯にも慣れて、レベルも上がっているはずだというのに、あのときとは比較にならないほどの衝撃を覚えている。
さく……っ……。
砂を踏む音。
そして恐ろしい気配だけが背後の方から感じられる。
さく……さく……っ…。
振り向かなければならない。
これはゲームのはずなのに、現実でも在り得ないほど現実感のある生存本能がけたたましく警鐘を鳴らしている。
さく…っ、……さく……っ…。
だが振り向けない。
振り向いてはいけない。
見てはいけない何かがいる、とそんな馬鹿げた思考が体を捉えて動かせてくれない。
そ、そうだ。
ログアウトすればいいんだ。
ゲームなんだから、やめてしまえばそれで済むはずなんだ。
ようやくその判断に辿り着く。
結論から言えば遅かった。
もっと早くそこに辿り着いていれば―――
―――この後に起こる全てから逃げられたのに。
何かに掴まれた。
万力のような力で抵抗することすら許されない。
そのまま強引に振り向かされる。
そこに在ったのは闇。
ぎゅらりぎゅらりと輝く片目と、無数の黒い腕を操る赤黒い闇。
白い雷光を纏いながら、それはただ酷薄に終焉を告げるかのように嗤った。




