229.月乞う影手
常識枠外。
通常の人間ならばそう形容するしかない光景。
場所は幹線道路。
とは言っても地方都市で駅前でもないので、それでも広さは二車線分しかない。しっかりと歩道が在るあたりが唯一それらしいと言えばそれらしいのだろうか。
あたり一面に沸き立つほのかな赤く脈打つ霧が、その光景の現実感を無くしている。
違う。
注目しなければならないところはそこではない。
押さえなければならない要諦は別のところにあると直感が告げている。
対峙する者は3人。
だが有り様を言葉で形容するとするのなら、人だと認識していいものか。
そう躊躇ってしまうような三者。
位置関係は一人に対して残り二人が向かって200メートルほどの距離を取っている感じだ。単独の方は、道を塞ぐ形で立っている者たちへと殺到する勢いで走って距離を潰そうとしている、まさにそんなタイミング。
道に陣取って仁王立ちしているのは二人の巨人。
その5メートル半ばほどの体格は正に巨躯と表現して差し支えないだろう。
かといえば貧弱なわけでもなく、その大きさに見合っただけの筋骨隆々の体から繰り出される一撃も同様に尋常のものではなかろう。
立体感はある者の陽炎の如く輪郭がブレて揺らめいている漆黒の体皮。同じ色であったとしても漆黒鬼のような下等妖怪とは一線を画す力感、そして本能的に把握できる恐ろしさ。
おまけに腕は3本あり、その全てに強力な魔力を予想させるほど刃が煌めく剣を帯びている。
鬼と似て非なる、違う異形。
それに心当たりが無くもない。増して今この街の“境界化”が“魔王”によるものだとするのなら尚更のこと。
―――羅刹
襲撃してきたAやBとよく似た、それでいて比較にすらならない強敵がそこに居た。
これと比較するなら、新米主人公が化けた羅刹など失敗作、もっと穏便な表現をしても不完全作としか言いようがない。比較するのも馬鹿馬鹿しいほど、存在感に差が有り過ぎる。
もしこの巨人を石像にして博物館にでも飾れば、神話の英雄像として畏れ敬われてもおかしくない。
たとえ直接活動しているのを見れば表面を薄く覆う禍々しい魔力の前に、一般人なんてあっという間に狂ってしまいそうだとしても。
「…? ボンクラーズの言っていたアニキ?」
「どうかしら。気配からすれば“魔王”と言われても納得出来るくらいの凶悪さではあるけれど……」
私が少し疑問符を浮かべ、おねーちゃんが肯定しきれない理由は簡単。
その数が2体であることだけだ。
もし取り巻きたちと同じように“魔王”の力を得て巨人になっているのであれば、2体であるのはおかしい。
本当に“神話遺産”保有者だというのであれば、その存在は“天賦能力”をもらっただけの部下と違い無二のはず。
つまり、どれほど凄い相手であろうが数が多い段階で、あれは本体ではなく先ほどと同じように―――完成度は段違いだけど―――部下の可能性があるってコト。
そしてそこに向かってくる、もうひとつの影。
巨人たちに一瞬意識を向けている間に、距離を一気に潰して接近してきた彼を見て思わず
「………み、っきー……ちゃん?」
そう声が漏れる。
遠目にわからなかったのは夜の暗さのせいだけではない。その体から絶えず朱黒い粘性のある液体のようなものが噴出していて、凄い密度で全身を覆っていたせいだ。おまけにその液体はぐつぐつと絶えず噴き出していて生み出されるそばから蒸発、赤熱化しヤカンから吹き出す水蒸気のように上がっては散っていく。
吐く息すら白くなる冬ならばともかく、今は夏なのだ。
にも関わらず煙が上がるなど尋常な熱量ではない。
明らかに異様な光景。
距離が縮まって、その背中から羅腕童子の腕の如く八本の黒い鎧腕―――確か鬼首神社でちょっとだけ教えてもらったときは“騎”と呼んでいた―――が出ていなければ、ミッキーちゃんであるなど考えもしかなったに違いない。
「―――ぅッ!?」
ジュァァァァァ…ッ!!
目前10メートルほどだろうか。
声をかける間もなく目の前を左右に駆け抜けていく刹那、熱された液体が噴き出して蒸発する音を耳に響かせていく。
交差する瞬間。
噴き出しては散っていく液体のサイクルの狭間、一瞬だけ顔の一部、もっと言うと目元だけが見えた。
紛れもなくミッキーちゃん。
でも、それを見てしまって思わず声を失う。
夥しい血を流す眼を見開き、ただ目の前の敵だけを見据えたその表情。
狂瀾と呼ぶにも余りあるほどの全力の執念。
それがあまりにも恐ろしく…そしてどうしてか哀しくて。
そんな私の感情の間にも、ミッキーちゃんは止まらない。
失踪する黒影はどこからか弓を取り出し矢を放った。
―――ィィィィン…ッ!!!
矢は巨人たちの手前で炸裂し衝撃波をまき散らす。
その余波が距離の離れているここにまでわずかにやってきて、強い風が頬を叩く。それを至近距離で受けたのだ、あの巨人たちとてさすがに無傷ではいられないだろう。
―――ィィィィン…ッ!!!
苦悶する巨人たちに斟酌することなく、再度同じ攻撃が襲う。
さらなるダメージを与えながらもミッキーちゃんは動きを止めず、今度は手に持った刀を投擲した。
巨人の頭部に突き刺さる刃。
その刀の後ろからは何か糸のようなものがミッキーちゃんのほうへ伸びており、彼が強く踏み出した瞬間それに引っ張られるかのようにその体が不自然に加速する。
ダメージで一瞬動きを止めた巨人たちだが、すぐに立ち直り手にした刃を振るう。驚くべきは頭部に刃を突き立てられた巨人までが攻撃をしていることか。
猛々しきその斬撃の鋭さは歴戦の剣使いのソレ。
近づくと同時に糸を引っ張って、日本刀を引き抜いたミッキーちゃんが間合いに入るや否やその剣撃が襲い掛かっていく。
「危ないッ!!」
隣でおねーちゃんが思わずそう叫ぶ。
だがミッキーちゃんは気にした様子もなく一目散に巨人たちの間へ。“騎”の腕を体の周囲でガッチリ構えさせ盾の代わりに突破しようというのか。
ざん! ずぞんっ! ざんッ! ふぉんっ!! ざしゅっ!!
その一瞬。
ほんの一呼吸の間に6本の腕が驚くべき剣の舞を披露する。
おねーちゃんが危惧した通り、絶え間ない斬撃によって防御していた漆黒の怪腕が一気に切り飛ばされていく。
それだけではない。
ミッキーちゃんはすぐに“騎”を再生して防御するが、その速度が斬撃の発生速度に追いついていない。結果、防御しきれなかった、そしてかわしきれなかった斬撃が彼自身をも襲った。
飛び散る血飛沫。
並みの主人公ならそれだけで致命傷になる一撃をいくつももらいながら、なお彼は止まらない。行動不能になる頭とか重要なところはなんとか避けているとはいえ、それでも鬼の再生能力がなければ戦闘不能だったに違いない。
その血飛沫すら赤い水蒸気に変えながら彼の疾走は止まらない。
すれ違い様にさっきとは別の巨人に一撃斬りつけながら間を抜ける。
そこで驚くべきことをやった。
通り抜けた自らの足元を爆砕させたのだ。
路面が砕けるほどの爆発。
砕けた破片があたりに飛び散り、立ち込める砂埃によって視界が遮られる。
瞬間的な魔力の痕跡を感じ取れなかったら、ミッキーちゃんがやったとは思えなかったかもしれない。
それくらい常軌を逸している。
確かに振り向いて追撃してこようとする巨人たちを攪乱するには良かったかもしれないが、あんな至近距離で自分も巻き込んでやる必要があるだろうか。
鬼の再生力にモノを活かした自爆めいた突破。
確かに戦略としては考えられるけど、それをいとも簡単に為すなど普通は無理だ。
砂埃の中からの攻撃に警戒していた巨人たちだが、少し視界が晴れると居ないミッキーちゃんに気づくと、私たちに反応することもなく同じ方向へ追いかけていった。
「危険」
「ええ……、とても不味いことになっているのは確かみたいね」
月音先輩と一緒ではなく、ミッキーちゃんが独り。
しかも立ち塞がる巨人たちに目もくれずに疾走していった。
それはつまり、そうせざるを得ない事情があるということ。いくつか推測はできるけれど、とりあえず事実を確認しないことにはどうしようもない。
「追いかけましょう」
「ん」
こちらも遅れてミッキーちゃんの、そしてそれを追った巨人たちが向かった方向へと走り出す。
方角としては海岸へ向かっている感じ。
速度的にすぐに追いつくことは出来ないだろうけれど、それでも一度ミッキーちゃんと合流しないことには話が進まないと考え、一生懸命に走った。
そして見たのだ。
オオオオオオオオオォォォォォォォ―――!!!
遠く見える海岸から上がる白き雷。
そして同時にあがる8本の黒い腕。
漆黒の夜空が白く照らし出され、そこに遠目に翼のようにすら見える漆黒の手が空へ向けて伸びていく。10メートルとか20メートルとか、そんなものじゃない。
建物に遮られて、まだ海岸そのものはよく見えないけれど。
その月下の空に一瞬で伸びた白雷と黒腕ははっきりと見えた。
街中に満ちる禍々しい気配。
鬼気と魔力が交じった大気。
狂喜と狂喜が交じり合い兇器が形を為す。
ぶるり、と震える。
でもその禍々しさに慄く心とは別に、
―――まるで月を掴もうとしているみたい
そんなことを思ってしまったのはなぜだろう。
何かが起こっている。
それは間違いない。
到着するまでに全てが終わっていないことを祈りつつ、駆けた。




