226.剣時雨に嗤う
常人であれば吹き飛んでしまうかのような荒々しい一撃。
打ち手の異様なまでの巨躯から推測される体重が載っているいると考えれば、それは正に目の前にトラックが走り込んできたというのにも等しい衝撃だろう。
その暴虐の嵐に躊躇なく拳を叩き込む。
鬼の膂力、そして奪い取った相手の力があればこその勝算。
だがそれが有ろうが無かろうが、きっと同じことをしていただろう。
脳がとろりと溶けてでもいるのか。
湧く激情はぐつぐつと煮え立って内圧を高めていくばかり。
吐き出す術をただ求めているだけの、八つ当たりに近い自暴自棄めいたことだとわかっていて尚止まらないし、止まろうとも思わない。
衝撃。
ぶつかり合う拳と拳。
吹き飛びそうになる体を下半身で踏ん張りながら、重心を操作する能力を用い前方にズラすことでまったく動くことなくその場で即座に次弾を打つ。
衝撃。
再びのそれを味わっている間も無く、捉えた視覚を分析したであろう意識の片隅が小さな警報を鳴らしていることに気づく。
重心操作と同時に半歩バックステップ。
目の前に柱が突如出現したかのように、遥か頭上から振り下ろされた別の腕が突き刺さって地面が砕ける。続く警報にさらに身を躍らせながら動く。
ピキ…ッ!!
「……ッ!?」
視界に一筋の線が走った。
絡みつくような感覚。
刹那、思考が灼ける。
【充ッ! そのままでは不味い!!】
理解ってる。
というよりも、理解らざるを得ない。
植物ですら葉が揺れる振動でわかるというのに、オレがわからないなんてことは在り得ない。
―――自分が喰われていく感覚を。
正確には喰われている、奪われている、というよりも侵されている感じに近い。
外部からの働きかけではなく内面を少しずつ書き換えられていくかのように。存在そのものが源泉である黒朱の渇望が、徐々に紫黒の暴虐へと作り変えられている。
痛みは感じない。
だからこそ恐ろしい。
荒れ狂う熱の前では痛覚なんて、ただそこに存在することを表すだけの記号でしかない。存在はしている痛みを感じない。息を吐くというただひとつの動作ですら熱すぎて死んでしまうのではないかと錯覚するほど。そんな激情はさながら天を焦がさんとする溶岩の海だ。
痛覚なんて異物、放り込まれたという事実以外には何も残らず瞬時に灼けて消えているのだろう。
そんな思考ですら目の前の戦いを止める理由にはなり得ていない。
じっとりと不快な夏の夜、異形の王とどう低く見積もっても、主人公たちにとってすら必殺に近い攻撃を交わし合う。
打つ。
避ける。
打つ。
避けて、弾く。
打つ。
打つ。
打つ―――ッ!!
―――迎撃すること7発。
ごっそりと相手の力を奪う度に、内部が活性化していく。
オレの力が増大し、書き換えられていく速度も上がる。
内側と外側の敵が同種であることの証左。
つまりは……、
「間違いなく“魔王”ってわけだ!!」
8発目。
今度は完全に打ち勝った。
目の前の異形が一本だけすっかり細くなった腕を、吹き飛ばされるかのようにへし折られているのが見える。
いつもよりも激情を制すのが難しい、そんな自覚はあった。
つまるところ、それもこれも全部“魔王”が原因だということ。
まったくもって祟ってくれる……ッ!!
ダンッ!!!
一瞬の空隙を縫うかのように、淀みのない動きで三本腕の巨人が間合いを離した。咄嗟に追撃しようかと悩むが、ひとまず抑えて身構える。
なんとか冷静で居ようと心掛けるも、それが中々に難しい。オレの“簒奪帝”の発動の鍵となるだけに激昂すればするほどその能力を引き出せるものの、反面判断力や能力制御の緻密さの減少などそれ以外の部分で支障を来たすのも確かだ。
そんな状況だからこそ安易な判断を慎む。
追撃する、という選択肢が最善手として判断したのか、それともすぐにでも力を振るいたいだけの渇望に囚われた無謀な判断なのか、この状況でちゃんと分別できるかと自問するだけの頭はあるんだ。
ヘシ折れた腕を瞬時に再生させ、太さを戻した巨人。ただそれでも力を奪われたせいだろう、細くなった腕の太さをある程度戻す段階で、他の2本の腕が少しだけ細くなっているのがわかる。
傷は癒せるとしても無い力までは戻せない。
その事実に対してどう思っているのか推し量れないまま、彼は掌を天へと向けた。
しゃらん…。
顕現する刃。
3本の腕に握られた剣。
黄金に彩られた装飾の美しいその凶器は、月光を映し鈍い刃の輝きを放っている。
“破壊神の月刃”
先ほどのエッセの話から、即座に理解した。
破壊神に由来するというその武器は、確かに神から与えられたに相応しいだけの造形、そして込められた魔力を持っている。
原理というか理由がわかっているかどうかは知らないが、拳をかわす度に力が減っていくという現状に対して、巨人は武器による攻撃を選択したのだろう。
抜刀。
こちらも羅腕刀を抜き放つ。
そして同時にもう一本。
抜き放ったのは日本刀―――三日月宗近。
本来であればステータス不足で使うには多大なペナルティが発生する、謂わば分不相応な武器。だが“簒奪帝”を使用して一時的に能力値を吸収した上限まで変動させることが出来る今ならば話は別だ。
二対三。
まだ数の上では負けているものの、一刀で戦うのとは全く違う。
さすがにどちらも神話レベルの武装と比べると分は悪いだろう。残念ながら単純な魔力内包量と切れ味だけならば、確実に上なのは間違いない。
だから何だというのか。
月音先輩を探す邪魔をする、というのならば殺す。
そう決めたんだ。
最早神だろうが悪魔だろうが、羅刹王だろうがそれを覆せないってことを、思い知らせてやる―――ッ!!!
衝動に突き動かされて間合いを詰める。
迎え撃ったのは踊っているかのような動き。
剣舞にも似た、予想外に流麗な動きで月刃が軌跡を描く。
これまでの力任せの動きとは質の違うその攻撃に反応が一瞬遅れる。
ぞんッ!!!
刃による迎撃が間に合わず、咄嗟に出した腕―――“騎”が断ち切られた。
「…ッ……やっぱ無茶かッ!!」
オレと切り離された漆黒の腕は霞のように消えていく。
間に合わないなら間に合わないなりに、“簒奪帝”でその特質を奪えないかと試みたが失敗。
三本の腕を活かしたさらなる連続攻撃が襲いかかってくるのを、“騎”を発生させては防ぐがその度に消滅させられていく。
なんとか攻撃の隙間を縫って羅腕刀を突くが、ふわりと間合いを外され距離が開いた。
前に伊達たちに追われたときに主人公が持っていた武器から、重心制御の能力を得ることが出来たから可能かと思ったんだけども、やはり神話レベルの武器は格が違うとでも言うべきか。
【それもあると思うが、今のは能力発動のタイムラグの問題であろうよ。止まっている対象ならばともかく、攻撃してくる刃が触れるなど一瞬でしかない。人ならざる速度で放たれる斬撃ならば、コンマ1秒ですら長きを感じさせるほどに満たぬ刹那】
グォォォ……ッ!!
猛る巨人の咆哮をBGMにしながら、構えつつエッセの言葉に耳を傾ける。
【おぬしの“簒奪帝”の簒奪過程はわかりやすく言えば、接触、理解、簒奪の3段階。接触した対象に対して、どのような存在なのか、どのようにすれば存在の核とも言うべき要をそのままの形を保って吸収できるかを理解し、それを奪う。
じゃが、あまりに触れている時間が短ければ接触して理解する最中に、相手がいなくなってしまう。るまり簒奪するところまではいかぬというわけじゃ】
……。
確かに前に八束さんに言われていた。
略奪系の能力と一口に言ってもそれぞれのカテゴリー、対象、条件、手段、反映の項目によって分類されるとかを教えてもらったとき、戦う相手との相性についても。
「まず1つ目が圧倒的強者。これはわかりやすい。自分が1の耐久力しかないときに、10の攻撃力を持つ相手の攻撃を受けたら能力を吸収するまでもなく殺される。違う例でいえば、能力が発動するまで1秒かかるとして、その1秒かからない時間で切り殺すだけの技能を持った剣の使い手とか。
まぁ戦いなんて基本自分より弱い奴にしか勝てないんだけどな。だがオレたちは多少の差ならひっくり返すことが出来る。能力を略奪できるチャンスは戦いが長ければそれだけ増えるんだからな。
要は彼我の戦力差に圧倒的な差がある強者が相手だとその隙を作れない可能性があるってことだ」
まさにどんぴしゃ、今がその相手。
他に相性の悪い相手として同じような強力な能力を持つ一発屋を挙げた後、最後に八束さんは、
『で、そして最後のひとつが侵食系の能力の使い手』
まるで未来を見通すかのように。おそらくあの時点で“魔王”の力を知っていたからこそ出た言葉なのだろうけれど。
『わかりやすく言うと、相手に入りこんで力を奪う能力だ。略奪系とは似て非ってとこか。略奪系が店からごっそり物を取ってくるとするなら、侵食系は店を自分のものにする感じになる。
もし侵食系の能力をこっちが略奪した場合、相手によって内部からこっちを逆に支配して吸収しようとする可能性がある。
こうなると後は本人と能力の強度によって、どっちが主導権を握るかの戦いになるわけだ。能力をせっかく奪っても油断してると、いつの間にか相手に奪われる。
そういった意味で危険って話な』
そう語っていた。
相性の悪い相手1番目と3番目、それがまさに今置かれている状況で突破しなければならない相手だと自覚する。
思考していたのは短い時間。
だがそれを見逃すほど巨人に人の情などはない。
再び詰められる間合い。
圧倒的な体格を誇る相手にしてみれば感嘆に詰められる距離。
それを予想通り容易く踏み潰し、剣舞の嵐が再び襲い掛かる。
「舐めるな…ッ!!」
先程は突如として放たれた質の違う動きに対処が遅れた、もっと噛み砕いて言えば強引で力任せの攻撃しか出来ないと思っていた相手の技巧的な一撃に面食らったが、二度目は無い。
刃に刃を合わせるような形で迎撃する。
ぎぃんっ…ッ!!!
火花が散ったかと思うような刃と刃の噛み合わせ。
かすかに痺れるような衝撃に顔を顰める。
無論、衝撃そのものに、ではない。
衝撃が在った、という事実に対して、だ。
ぎゃリんっ!!! ギィンッ!! キキンッ!!
だからといって止まるわけにはいかない。
左右の刀を使い攻撃を捌いていく。圧倒的な手数はおそらく一刀だけでは捌ききれなかっただろう。その証拠に二刀を振るって尚、時折間に合わなかった斬撃が反射的に顕現させる“騎”を切り裂いていく。
……………疼く。
眉を潜めたまま、刃嵐を掻い潜っていく。
理由は単純。
衝撃を受けている、ということは勢いを殺し切れていない、純粋な意味で捌けてはいないということを意味していたからだ。日本刀そのものは打ちあうための構造をしていない。
勿論打ち合うこともあるだろうからそれなりの強度は持っているが、本来は鎬があることからもわかるように受け流すのが最も良い。増して相手は格上の武器なのだから、真正面から打ち合えば最終的にどちらに軍配が上がるかなど自明の理。
…………ズクズク、と爛れていく。
それが為せない理由もまた単純。
技術、巧緻の不足。
剣を使う者としての技量において“魔王”が圧倒的に格上だということだ。神話時代の戦乱を生きた者と、ほんの数ヶ月にその技能を得た者との差は当然ながら隔絶している。
淀みのない剣筋が求められる反応速度を上げ、そのせいで反射的に攻撃に攻撃を重ねる以上の余裕が無い。それでもなお防戦一方なのだから恐れ入る。
ギィィンッ!!!
一際高い金属音。
十合を越えて打ち合った三日月宗近の刀身が真っ二つに断たれた。
さらに畳み掛けるように終わることのない剣閃の津波。
……溶けて梳けて融けて熔けて鎔けて、解けた。
三日月宗近を投げ捨てて空いた手を動かす。
ぎゅらり。
爆発。
爆発。爆発。爆発。
爆発。爆発、爆発、爆発、爆発、爆発爆発―――!!!
一気に連鎖するかのように束ねた爆発が巨人を吹き飛ばす。
防戦一方のまま溜まっていく熱はついにその出口を見つけたのだろうか。
目が熱い。
まるでぐずぐずに煮詰められたジャムでも詰め込まれているかのように、ただ熱い。
構わない。
ようやく熱の吐き出し方がわかったのだから。
“無限の矢”の発動。
都合10発にも及ぶそれを叩き付けられた巨人は吹き飛んで家屋に突っ込んだままになっている。
だけどまだ足りない。
全然足りない。
熱はまだまだ有り余っている。
見てみろ。
手で隠したのと逆、“傲慢なる門”として起動している側の目から熱が個体化して溢れてしまっているじゃないか。
なぜか赤い溢れた熱はそのまま頬を伝って地面にぼたぼたと落ちていく。
ああ、苦しい。
もっと、もっともっともっともっと―――!!!
空っぽになるほどにこの噴き出す熱を叩き付けたくてならない。
がらり…ガラ、ガらララ……!!
家屋の瓦礫を弾きながら、巨人が立ち上がる。
どうやら爆発の刹那、防御したのだろう。
三本の腕はズタズタになり、持っていた剣はどっかにいってしまっていた。
ああ、まだ居るじゃないか。
熱を叩き付ける相手が。
狂おしいまでに、ただ乞い願う。
願わくば全て吐き出すまで果ててくれるなよ、と。




