225.天小園 咲弥
部屋に戻るなり、私は座布団に座って、目の前の低い机に突っ伏した。
ぱたん。
くしゃっと髪の毛に崩れるのも気にしない。
それくらい何もする気が起こらなかった。
ミッキーちゃんみたいな朴念仁さんとは違う。
ちゃんと自覚している、と思っていたけれど、どうもその認識は幾分か甘かったらしい。
「咲弥?」
おねーちゃんが心配そうに声をかけてきた。水鈴ちゃんは飲み物を買いに行ったから今は室内に姉妹だけ。そのせいもあっていくらか砕けた感じで話しかけてくれている。
実は少し楽しそうにも気づけるのは姉妹だからこそかな。
「………うー…」
じたばたしてみた。
うん、ちょっと誤魔化せた気がする。
「…何? おねーちゃん」
しれっと何でもないですよー、という風を装って反応する。
「誤魔化せてないから、咲弥」
くふふ、と小さく微笑む姉。
正直ズルいと思う。外面が凄くいいので上手く誤解させているけど実際のところ、おねーちゃんの腹黒さ?良く言えば立ち回りの上手さは良くも悪くもかなり高度。
現実でそうなんだから、こっちの世界でも同じ。
「そんなに面白くないの? 充さんが月音さんを連れ出したのが」
「……むー!」
だから、いきなり遠慮もなくこんな核心を突いた言葉を投げてくる。
グサグサと突き刺さるその内容は最早鋭利な刃物どころか爆発物にも等しいのに。
「相変わらず咲夜は素直でわかりやすい娘ね。そこが可愛いのだけれど」
自分はそんなに素直に振る舞えない、どうしても外の目を気にして押さえてしまうから羨ましい、と常々言う姉。でも私からすれば、どちらかといえば体面を取り繕うのが非常に上手い彼女こそ、羨ましいと思う。
隣の芝生は…というやつなのだろうけど、とりあえずはそういうこと。
「ねえ、おねーちゃん」
「…?」
「ミッキーちゃん、月音先輩とお付き合い?」
こちらも直球を投げてみた。
野球の特番でやっていた、直球の中でも最も早いとかいう4シーム的な気持ちで。
いや、むしろこの覚悟を持って聞いた以上、その倍の8シームくらいかもしれない、絶対。
「どうかしら……冷静に考えればその可能性は高いわね」
「うー…」
わかっている。
この面白くなさはそれが原因。
月音先輩に先手を取られてミッキーちゃんがそれにどう応えるのかを気にしながらも、結果を待つしかないことが今の落ち込んだ気分の理由。
さすがにいくら気になるとはいえ、こっそり後をつけて……なんていうのはちょっと出来ないし。必然的に待っているしかない状況なのだ。
「なにせ月音さんはあの通りの見た目…謂わば、ぼぼん、きゅっ、ぼん!の三拍子揃った上に才女ですからね。釣り合えないと尻込みするようなダメンズでもない限り、涎を垂らしてOKするでしょう」
「……むぅ、おのれ脂肪の塊」
「仕方ありません、現実は厳しいのです。咲弥と月音さんとの戦力差は明らかです」
「おねーちゃんは戦りょ……むしろ平和主義的な感じの無戦力??」
「ふふふ、触れてはいけないからタブーなのよ…? 禁忌に触れたのは、この口かしら!」
憂鬱な気分を振り払うようにわぃわぃと騒ぐが、なかなか気は晴れない。
まずひとつ言い訳をさせて欲しい。
本当はこんなつもりではなかった……というよりも正確には見誤っていたのだろう。
自分のミッキーちゃんに対する気持ちを。
ミッキーちゃんはいい人だし、色々と助けてくれた恩人。彼を好きだということに気づいてはいたし、そのために行動しようとも思っていた。
でもそれはあくまである程度、という条件付きだったのだと今ならわかる。
仮想現実なのだから、そこに居る相手に必死になるのもどうかな、なんて現実の一般常識で抑えが効く範囲のレベルだと思っていた。勿論ミッキーちゃんから話を聞いていて、彼がただの一般NPCでないということはわかっているけれど。
ところが実際、月音先輩のものになってしまう、というこのタイミングでドロドロと湧き出てくる嫉妬の感情が、そんなレベルじゃなかったんだと気づかせようとするのだ。
「あらあら……これは中々深刻そうね。
まさか咲弥がこんなに入り込むだなんて思わなかったけれど、これはこれでおねーちゃんとしては楽しいからヨシとしましょう」
「………?」
「だってこのゲームを始めるまでは思っていなかったでしょう?
まさか仮想現実の中の相手に恋をしてしまうだなんて」
「変?」
「いいえ? だっておかしくないもの。そう思えるのは今だからからこそかもしれないけれど、この世界の私たちの一生は体感的には長く密度も高いけれど、現実の私たちからすればほんの一夜の夢のようなもの。
でもこちらに入っている間、向こうは抜け殻みたいなものなのよ? 言うなれば向こうの私たちはこの世界に生まれ変わって、こっちで死んだらまた元の私たちとして生まれ戻るのと何か違うのかしら?」
「ちょっと強引」
「そうね。でも詭弁かもしれないけれど、そう考えればこっちの世界の生もただのゲームではない、ちゃんと意味のあるものよ。
だったら、この世界の住人として生きている間はその住人なりに真剣に恋をして愛して生きても何ひとつおかしいことはないでしょう?」
確かにおねーちゃんの言う通り……かも。
そもそも今の話を肯定しようが否定しようが、変に遠慮することが無意味なのは間違いない。
なぜなら、もうすでに自覚してしまっているのだから。
「………ミッキーちゃん、遅い」
そう思い窓の外に視線を向けたのと同時に―――
―――空気が変わった。
明らかな変質。
あまりに明確過ぎ、それでいて強力な領域汚染。
神社や結界などによって空間が隔離され清浄化されるのと全く逆方向の変化。
神域と対極に位置するこれを表現する言葉があるとすれば、それは紛れもない魔窟だろう。
「咲弥!」
「ん」
気づけば行動は速い。
私とおねーちゃんはそれぞれ持っていた隠袋から得物を手にする。
おねーちゃんが手にしたのは大麻。よく神社なんかで宮司さんとかが左右に振ってお祓いをする榊の枝に色々つけたアレ。
私はそれを見て一瞬だけ考えた結果、杖を取り出した。
同じように大麻も持ってはいたけれど、相手の出方も正体もわからない以上対応策は多い方が良い。私は魔術の力を、おねーちゃんは祓いの力を。
さすがに着替えをしている暇はない、というか着替えの最中に襲われたら一大事である。
そのまま一目散に廊下へ。
不思議なほどあたりに人影がない。念のためミッキーちゃんたちの部屋を確認したり、水鈴ちゃんを探して売店へ向かってみるものの、どこにも誰もいない。
原因は明らか―――充満する空気はまさに狩場のそれだったのだから。
“境界化”
そう呼ばれる現象だ。
以前の鬼首大祭のものと結果は同じではあるものの、原理がまるで違う。
鬼首神社は意図的に狩場の状況を作りあげるために結界で外界と隔離した。結果として狩場と化しただけで、今回のものは順序が逆。
何らかの手段で通常狩場でない場所を狩場にしたため、世界がその理屈を合わすために状況を改変した。
これまでにも“境界化”はイベント戦闘などで行われている。例えば安全ゾーンを言われる街中が突如としてイベントゾーンとして設定され、そこで特殊ボス討伐イベントなどが行われたりするのだ。
その際はなぜか住民がいなかったりするのだが、後から確認する限り例えば不発弾の撤去とか何か事情があって住民がたまたま待避していた、というような理由が後付されて終了する。
今回のケースは鬼首神社のように元々狩場として想定されているゾーンをあらかじめ切り取って会ったのとは違い、本来安全であるはずの町が狩場となっているのだから“境界化”と認識して間違いない。
問題は、なぜそれが起こったのか、ということ。
特殊イベントボス、もしくはそれと同等以上の何かがこの場に現れた、くらいしか推測できない。でもその悩みはすぐに解決された。
もし“境界化”であるのであれば、水鈴ちゃんたちNPCは何かの事情でこの場を離れさせられているわけだし、そうなると一番危険なのはミッキーちゃんたちということになる。
そう心配して玄関を出たところでかけられた声によって。
「あれれれー? こんなトコで何してんのさー、カワイコちゅあぁ~ん」
「やっほぅ! さっすがアニキだぜぇ! 言ってた通り出てきた出てきた! 魔王サマ万歳!」
その顔に見覚えがある。
というか危うく忘れかけていたところ、ギリギリ小指の爪一枚くらい引っかかっていた感じだけど。
昨日、海の家の仕事が終わった後、月音先輩に絡んでミッキーちゃんに撃退された三人組の男たち。そのうち取り巻きっぽかった二人だ。
それくらい薄い。
存在も、感じる力も、何もかも。
見たところ主人公だと思うけれど、まだまだレベルが低すぎるとしか思えない。少なくとも“上位者”であるおねーちゃんは元より、私にすらまったく全然完全無欠に万が一にも勝てそうにない。
わかりやすく言って、およそこの場に居ていいレベルの相手じゃない。
そして―――
「魔王……!」
居てはおかしい人物が、そんな名前を口走る。
それが示すのは、つまるところのこの異変の関係者。
「え~? 何々ィ??? 逆らっちゃうわけ? アニキの決定に逆らっちゃうの??」
「Wow! それはミステイクゥ!」
………例えそれが、小者過ぎるようにしか見えなくても。
「……おねーちゃん、この人たちアホなの?」
「眼を合わせてはダメですよ、馬鹿が感染りますからね」
わざと無視しておねーちゃんと話す。
一言一句違わない、あのときと同じ言葉を。
「嘗めすぎてンよぉぉ!! なぁ、こいつら、ちょっとばっか先にゲーム始めてたからって調子コイてねぇ!?」
「おうよ、ならそれを正してやらねぇとな!! なぁに、授業料はカラダでいいぜ! アニキを見習って頑張るからよぉ!!」
ズズズズ……。
取るに足らない存在であったはずの二人が、異様に気配を変質させていく。
全身が青く染まり五体が膨れ上がって密度を増していく。その上で向かって右側―――便宜上Aとしよう―――は両手に魔力の漲る曲刀を、もう一方のBのほうは槍のようなものを手にしている。
その姿はさながら角のない鬼。
周囲から霊力をかき集めるかのように変容していくその有様は最早通常の主人公ではない。少なくともこのような変容をする技能などそうはないし、そのどれもが目の前の連中レベルでは手が届かないものばかり。
それが示すのはこの二人が手に入れた力が通常とは違う仕様外のものだということ。
つまり、
「アニキが……魔王より力を得たみてぇに、こっちだってその眷属の力をもらってるんだぜぇぇぇ!!」
彼らに“天賦能力”を与えることの出来る“神話遺産”保有者が今回の黒幕ということ!!
反射的に私は自分とおねーちゃんに魔術を発動させる。
“対抗する加護”により、防御能力を拡張。
おねーちゃんが大麻を振る間に顕現しようとしている相手に向かって“硬風”を放つ。変身モーション中の相手はまともに喰らい、Aが頭をくわんくわんとさせてたたらを踏む。
「ひ、卑怯だぞ…ッ!!」
はて、この下等生物は何を言っているのだろう?
意味が分からなくて首を傾げる。
詳しいことはわからないが、この場にいない兄貴とやらはおそらくミッキーちゃんのほうに向かっているのだろうという推測くらいは出来る。昨日邪魔されていたこともあって恨み骨髄だろうから。
だからその前提で敢えて問いたい。
下手なこと限りないナンパをして、さらにそこからフラれた腹いせに人の恋愛模様の最中に邪魔をすることは、卑怯ではないのだろうかと。
冷たい目で見られていることに気づいたのだろう。
寒気を振り払うように頭を振ってから、Bは飛びかかってきた。おそらく身体能力が格段に強化されている影響だろう、低レベル主人公の動きではないその速度。
その速度で殺到し、
ガン!!
何もない空間に見えない壁でもあったかのように激突した。
「……な…ッ!?」
私たちにとっては当たり前のことですら、目の前の敵にとっては初体験だったのだろう。
ずるり、と障壁にぶつかったままずり落ち目を丸くする異形の敵に対しておねーちゃんが微笑んだ。
「生憎と貴方のような手合いには慣れています。その程度で“祓い”を突破出来ると思わないで下さいね?」
その程度の相手。
ちょっと頭のまわる者であればわかる。
明らかに私たちを仕留めようという感じではなく、どう考えても時間稼ぎでしかない。本当にこのレベルで私たちを倒せると思っているのならとんだ過大評価、もしくは過小評価、およびその両方しかできない愚か者だろう。
だからやらなければならないのは、可能な限り彼らを排除してミッキーちゃんと合流すること。
そのために私とおねーちゃんは動き出す。




