222.月と踊る夜(2)
―――星塚。
その広場は地元でそう呼ばれていた。
少し小高い丘の上に位置する広場は、40年ほど前に整備される前は特に何もない荒れた場所であった。ところがとある学者が文献から、過去にここに隕石が落下していたことを発見。さらに調べてみたところ、雑草伸び放題荒れ放題の地所の片隅に、遥か昔に作られた星神様を祀る小さな祠があることがわかったのだ。
それにより新たに公的な展望場として広場が整備され、この土地の逸話に基づいて「星塚」と名前がつけられ親しまれることとなったらしい。
流れ星に願いを賭ける、というようなことから連想されたのだろう。
いつからか、この星塚は恋人や片思いの相手が告白して成功すると長続きするという、どこかによくある校庭の伝説の樹的な話がまことしやかに囁かれていた。
……とりあえずベタベタな場所だけど、こういうときは迷わなくていいから楽だよな。
そんなことを思いながら、ようやく星塚に到着した。
丘の上にあるだけあって見晴らしは悪くない。眼下が一望出来、手前の方に泊まっている丸塚屋などの旅館やホテルが光を放ち、そして奥の方に入道海岸が広がっており、その向こうには夜の海が漆黒を湛え空の闇と入り混じっていた。
ふと隣を見る。
石階段を登ってきたいせいか、それとも湯上りのせいだろうか。
ほんのりと頬が色づいた月音先輩は金髪を結い上げてポニーテールにしており、歩く度にその金の髪が躍動している。なんというか、こう男ってポニーテールに弱いよなぁ…こう見えているうなじが妙な色っぽさを感じさせるというか……。
そんなことを考えているとオレが視線を向けているのに気付くと、優しそうな柔らかい表情を浮かべてくれた。
「夜に連れ出しちゃってすみません」
「ふふ……普段はこんな時間に出歩くことなんてないですから、楽しいですよ?
ここがさっき充さんが言っていた“星塚”なのですね。海も一望できて昼間も眺めが良さそうな場所です」
月音先輩の言葉を聞きつつ展望場をぐるっと見たものの、遠くに数人の男女がいるだけで意外と空いていた。これなら邪魔をされる心配はなさそうだ。
ってか、あっちの男女は普通に大人のカップルだからいいとして、向こうの男女って中学生っぽいぞ!? 昼間海の家に臨海学校で来ていた中学校の制服だし!
くぅ、手が早いな、最近の中学生!!
いやいや、落ち着け…オレ。
今はリア充している連中に怒りを向けるときじゃない。
そう、今やオレは負け組を卒業して、そっち側の人間になるのだから……ッ!
「…? 大丈夫ですか?」
「…いえ、なんでもないです、ハイ」
いかんいかん。
あまりのテンションに遠い目をしていたら不思議な顔をされてしまった。
正面から少し屈んで顔を覗き込むのはやめてください。至近距離から美人に迫られるとか、理性が陥落しそうなので。
「な、なんて言いますか……ちょっと感慨深いと言いますか、なんと言いますか」
「そうなのですか?」
とりあえず場を保たすために、ふと脳裏によぎったことを素直に言葉にしてみる。
「実際のところ月音先輩とオレって、知り合って間もないじゃないですか?」
「5月からですから……そう言われてみると短いかもしれませんね。三か月もしない期間でこれだけ充さんと親しくなれているなんて、自分でも不思議ですけれど」
「月音先輩は有名ですから、入学した4月でお名前とお姿だけは拝見してましたけどね。
当時はこう、生徒会長と副生徒会長で美男美女カップルとか言われてましたし」
「………誤解のないように言っておきますけれど、そのような事実はありませんから。これっぽっちも、万分の1も、億分の1も、それ以下すらも! 完全無欠でゼロですから!」
おぉぅ。
マズった。
別にそんなことを思っているつもりはないんだけども、どうも余計なことを言った感じだ。月音先輩はちょっと怒ってます!といった風を装っているものの、茶目っ気のある言い回しで別段気分を害したわけじゃなさそうだったけど、このままだと雲行きが怪しくなりそうなので話を戻そう。
そう思い口を開いて出たのは自分が用意していたのとは別の話題だった。
「さすがにあの男と対峙した身としては、真っ赤な嘘だったってのはわかってます。
だからこそ、ぶつかることになったわけですし……というか、言いたいのはそういうことじゃなくて、ですね。正直なところ、わからないんですよ」
「…? 何がわからないのでしょうか?」
「色々なことが、です」
展望台の周囲に落下防止用に設けられているアルミのフェンスに手を置いた。
夏の暑い夜を、温い風がゆらりと踊っている。
月音先輩の好意に対して、応えるかどうかだけの返答をするのは容易いし当初はそのつもりだった。
でも、ただそれだけなのは何かフェアではない気がした。
その想いに突き動かされて、本来言うべきではなかったことを告げる。
「一番わからないのは自分なんですけどね。
鬼首大祭でも自覚しました。エッセと契約して“逸脱した者”になったこと自体は後悔してないんですけど……それでも考えちゃうことがあるんです。
やっていけるのかな、って」
【………おぬし】
ああ、エッセも聞いてるんだよな…。
それでも言葉は止まらない。
「深刻になるほどじゃないんです。それで絶望してる、ってほどでもないですから。
でも、油断してやられたり、気づかなくて罠にハマってしまったり、相手が強くてヘマしたり、助けたいと思ったものが助けられなかったり……勿論その都度なんとか四苦八苦して出来る限りのフォローやリカバリーをして、ベストではないにせよベターな方向には持っていってますけど………結局映画とか物語の主人公みたいに、颯爽と動けて結果を出せる人間じゃないんですよね、オレって」
それも当然なんだろう。
元々はただの一般NPC。
特別な人間でもないし、自分そのものに才能があったりするわけじゃない。
「ひとつ乗り越えて成長したな、って思っても、次また新しい失敗をして…そんな繰り返しなんですよ。月音先輩を助けられたのだって―――」
例えば“簒奪公”が発現し、家族との絆が断たれてしまったあの日。あんな自暴自棄になって時間を浪費せず、もっと冷静に動いていたのであれば伊達の罠に引っかかっていない可能性があった。
例えばもっと素直に八束さんたちに助けを求める方法もあった。
伊達とのやり取りを舐めていて、そこまですることじゃないと間違った現状認識をしていなければ、それだけで話は全然違ったはずだ。
例えば“簒奪帝”。
暴走したのは仕方ない。それでも、なぜ伊達を倒した後に仲間たちにまでその力を向けてしまったのか。本当に綾が、出雲が、そして目の前の彼女のことを考えていたのならばそれは在り得ない。今になって言えるのは、単に暴走し情けない自分を省みることが怖くて見ないフリをして暴れていただけ。
冷静さ、客観性、判断力、そして心の強さ。
どれかひとつでもあったのなら、
「―――あんな色々偶然に助けられて、じゃなくて……もっと、もっとちゃんと出来たはずなんです」
乗り切って変わったと思った。
それでも鬼首大祭では、“逆上位者”棗の裏切りに気づけず、そして茨木童子との戦いでは油断してその体に引きずり込まれた。
結果オーライだからいいじゃないか、という自分と、そしてもう一人。
また、及ばないのか、と思う自分がいるんだ。
だから次こそは、と歩き出す。
もっと強く、もっと逞しく、もっと雄々しく、もっと隙のないように。
昨日の自分よりもさらに上を。
だからこそ、朝のロードワークも出来るし強くなるための方法を求めて狩場にだって行けるモチベーションが生み出されているのだから、それそのものは悪くないとしても。
「こんな自分だから、特に女の子にモテたりとかそういうのが無いのが当然だって思ってましたし、今でも心の底ではちょっと思ってます。だからわからないんです。
月音先輩の好意が本気だってことは理解してます。伊達や酔狂でそんなことを言う人じゃないってことくらいは知ってますから。
それでも、三ヶ月でしかないんです。本当にこんなやせ我慢しながら走ってるオレが、貴女に相応しいのかどうか、短い間だからこそボロが出てないだけでもっと長いこと一緒にいたらダメなところに幻滅されちゃうんじゃないか、そもそも応える価値があるのか、って」
好意に対する返事なのだから、本当はもっと格好よく言うべきなのだろう。こんな自分の不安を打ち明けてどうするというのか。それこそ情けなくて幻滅されるだけじゃないのか。
それでも本来の自分を知っていて欲しい、という想いは止まらない。
落ち込んで立ち直って落ち込んで…それでも立ち上がるのがオレの在り方なんだから。
「……ジグムント・フロイトのInferiority complex、ですね」
彼女はそう言いながら、ふわりと髪を靡かせてオレの隣に立った。
「Inferiority complex…?」
「劣等感、と言えばいいでしょうか。
充さんは……勝てない、ってそう想っていらっしゃるんですよね。出雲さんに」
…ああ、そうか。
「仰っていることを聞いていてそう思いました。
もっと出来る、もっとスマートに……出てくるのは理想と今の自分を比べる言葉です。普通であれば理想はある意味究極の姿なのですから、それは今現在と短絡的に比較するのは難しいはずです。
それなのに充さんは、余りにも今の自分と理想の自分を、今現在の段階で同列に比べすぎていますから。貴方の中にある理想の自分は……出雲さんなんですね」
すとん、と腑に落ちた。
言われてみれば何でもない。
主人公である出雲に対して、ずっと自分が劣っていると引け目を感じていたのだという自覚。
「余りに身近に理想があるから、比べてしまう。
出雲さんならもっと上手く出来た、そう思うから………こんなにも失礼なことを仰るんですね、充さん?」
「失礼……?」
「ええ、失礼です。余りに失礼過ぎて怒っています」
ふと彼女の横顔を見ると、紛れもない怒りが浮かんでいた。
爆発するようなものではない。だがひっそりと地中を流れるマグマのように静かに確実にその感情を湛えていた。
「貴方が抱える劣等感について否定はしません。
それがこれまでの充さんを形作っている……つまり劣等感も貴方そのものなのですから。それを昇華しようと必死に努力して頑張っている姿を笑えるほど愚かになんてなれません」
月の光は煌々と。
淡く湛えられたその輝きを浴びながら、姫は謳うように続けた。
「それでも貴方はその中でわたくしに凄くたくさんのものを与えてくれました。
想像できますか? あの伊達政次の手の中から一歩も抜け出せずに及んだこの十年以上を。なんとか逃れようといくつも試みましたし、外から機会が訪れたこともありました。
それでもその全てが無駄に散っていく、あの絶望してしまいそうな日々を。
そして―――」
―――そこから救い出してくれた貴方をどう想ったか。
温かったはずの風すらも感じない。
ただ目の前の微笑みに見惚れてしまう。
「だから言います。
出雲さんもいいところはたくさんあるでしょうし、凄い人なんだとわかった上で。
わたくしをあそこから救い出すことは、おそらく彼には不可能でした。それでも貴方はやってくださったじゃないですか。他の誰にも出来なかったことを」
“千殺弓”伊達政次から、この美しい女性を解き放つ。
それはオレにしか出来なかったことだと彼女は言う。
「そんな貴方を自分自身が一番評価しないだなんて……わたくしの好きな殿方に対して凄く失礼です。
劣等感を抱えたままでもいいんです。落ち込んでも前に進むのなら、その過程だって大事だと思います。
三ヶ月はとても短いです。貴方を知るにはとても。だから……これからも一緒に居て、もっともっと知りたいですし、もっともっと好きだって伝えたい。
貴方が自分をちゃんと評価出来るように、頑張っている姿を褒めてあげたい…そう思えるから、好意を告げたつもりですよ?」
「…………ッ」
あー、ヤバい。
泣きそうだ。
思ったよりも出雲コンプレックスがヤバかったらしい。
出雲よりもオレのほうがいいだなんて、言われたことのないその一言がかなりグサっと来た。
どうリアクションしていいかわからずオロオロと戸惑うオレに、
「でもあんまり失礼ですから―――」
ふわ、と空気が動いた。
――-ッ!!?
頬にあたる柔らかな、小さい感触。
「…ッ!?」
思わず月音先輩を見ると恥ずかしそうに、
「―――お仕置きです」
そう小さくはにかんだ笑顔は、とても忘れられそうにない綺麗なもの。
ちゃんと自分を認めて、その上で好きだと言ってくれる人。
最高の夜だった。
思えばその喜びが大きすぎたのだろう。
だから気づかなかった。
【―――充ッ!!!】
鋭いエッセの警告の声。
伸びる漆黒の影。
それが目の前で微笑む彼女の体に突き刺さるのを。
そう、オレの在り方を忘れていたのだ。
突き落されて落ち込んで、立ち直って前に進み………そして次にやってくるのは、また突き落される過酷な状況なんだという、純然たる事実を。




