216.天小園 聖奈
ゲームID.13421。
キャラクター名:天小園聖奈。
それがこの世界での私の在り方。
妹と一緒にこのゲームを始めたのだけれど、最初は右も左もわからなかったのでゲーム中でも姉妹という設定でキャラクターを作りあげた。
生まれについては色々なものがあって正直選ぶだけでかなり時間をかけてしまった。
政治家、王女、特殊な血統、競技選手、学者…様々な家の生まれがあり、それによって難易度とでも言うべきものが違うとの説明が付随していた。
その中で一際目を惹いたもの、それが―――巫女。
日本という国に古代より存在する怪異の中の一つ、鬼。
古の大鬼が封じられた鬼首神社という家の生まれを選ぶことで巫女としての適性を獲得する環境を得ることが出来た。正直巫女、というものがどのようなものなのか知らなかった、というのも興味を惹いた大きな理由のひとつ。
そもそも私たちの現実では存在しない職業を選ぶのが、この世界の醍醐味なのだから。
かくして私こと聖奈と、妹が作った咲弥というキャラクターがこの世に生を受けることとなる。
まず最初に驚いたこと。
それはリアルな実感。
仮想現実の中なのに現実、という表現はおかしいのだろうけれど、実際にそうとしか言いようがない。
勿論キャラクターとして誕生した当初は色々と戸惑うことが多かった。
昼夜の概念、時間の流れ、生態、様々なものがこの世界は私たちのものとは違う。
だが驚嘆すべきことに、その違和感を違和感として受け入れることが出来る。しかもこの世界のキャラクターの寿命は私たちにしてみれば瞬きするかのような一瞬、とまではいかずともかなり短い。
一瞬、現実の自分が死んで生まれ変わったかとでも思うほど、しっくりと天小園聖奈としての生活が馴染んでいくことに躊躇がない。頭の片隅にはちゃんとこれが仮想現実で、これと別に現実の私がいることも、そして現実の私のこともしっかりと覚えていて尚、没頭することが出来る。
世界観の作り込みも見事だった。
ちゃんと歴史が細部まで作りこまれていて、今日に至るまでの文明の発展を追うことが出来る。本当にこの世界に人々がいて歴史を織り成していったかの如く。一般NPCに至るまで、ちゃんと特徴的な自我を持ち(とはいっても、そこはやはりゲーム。主人公に対しては一部行動に制限を受けているのだけれど)、それぞれの生活をしているように動いている。
これまで仮想現実の有糸念遊戯をやったことがなかったのだけれど、ここまで凄くなっていたのか、と感嘆した。
だから心置きなく楽しむことにした。
そもそも特殊な長寿、不老不死条件を満たさなければ1キャラクターが生存する時間はそれほど長くない。今日設定した遊戯限界時間で充分なのだから、今の天小園聖奈という人生をちゃんと楽しみ抜いて終わるまでプレイできる。
そう思えば不思議なほど、私は聖奈になった。
設定で選んだのは物心ついたところからのスタート。そこから毎日を過ごしているうちにどんどんと天小園聖奈に成り切っていく。
咲弥と一緒に研鑽しているうちに巫女としての技能も大分高くなったので、今度は斡旋所で大規模イベントに参加してみたりもした。
現実で同族の怪我を治す役割を与えられている関係で、つい敵を倒すよりも困っている主人公や重要NPCを助けることに力を注いでしまったりした結果、いつの間にか上位者に、しかも“慈なる巫”なんていう御大層な二つ名までつけられてしまっていて、思い切り咲弥にからかわれることになったのも今では良い思い出。
そして運命のあの日。
鬼首神社に襲撃があった。
すでにこの社に封じられ霊脈の力を貪っている茨木童子の封の重要性はよく知らされていたので、私は侵入者を排除すべく立ち向かった。
だが相手もまた上位者、しかも私より上位の相手だった。
“千殺弓”伊達政次。
そして彼に率いられた“伊達家”と渾名される主人公たちで構成された配下集団。
瞬く間と言って間違いない電光石火の襲撃。
後手後手に回ってしまい鬼首が祀られている本陣まで襲撃を許してしまう。
それでも尚、咲弥や皆と抵抗したものの最終的には伊達の魔眼による“魅了(悪)”に屈してしまった。
そして、選択を迫られた。
悪化、と呼ばれる現象。
説明書によれば、悪への誘惑(物理的であれ、精神的であれ)に屈した場合、属性が反転し行動が制限されるとあった。
対処方法は3つ。
まずこのキャラクターを消去、新しいキャラクターで始めること。
これにより今までのキャラクターは重要NPCとなり、新しいキャラクターで再び自由を得ることが出来る。
次に完全に悪の属性へ転化してしまうこと。つまりは自らの意志でその現状を肯定するのだ。そうすれば属性は完全にそちらへ固定される代わりに再び自由を得ることが出来るみたい。理屈はわからないが、例えば今回のケースなら、行動出来るようになる代わりに伊達の部下として動くことにまったく違和感を感じなくなる。そして自由に動いた選択が結果として、なぜか伊達の意に沿うものになるようになるという。
最後のひとつが解除されるまで保留する、というもの。
解除されるまで意識はあるものの、傍観者のようにただ見ているだけという精神的にちょっとツラそうな選択。
どれかを選ばなければならない。
悩んだ末、私が選んだのは最後のもの。
さすがにずっと生きてきたこのキャラクターを捨てるというのは出来ないくらい愛着もあった……いや、むしろこのキャラクターとして生きていたからこそ、それは死でしかないと思えたから選ぶわけにはいかない。
悪墜ちも在り得ない。
十年以上も培った聖奈としての私が、その選択を完全に許さない。どれだけゲームに入り込んで感情移入しているのかと言われたら返す言葉もないけれど。
だから見続けた。
伊達の悪行も。
それを手助けする自分も。
幸い時間としては長くなかった。
1年と少し、という時間を長くないと思えるのならば。
意に沿わない悪の道。
操られているとはいえ、その道を歩まされている苦痛、悔しさ、屈辱、様々な感情が渦を巻く。
いくらリアルさを追求しているといっても、ここまでしなくても…そんな言葉が頭を過ってもおかしくないほどに。
そしてやってきた解放の時。
三木 充。
それが怨敵と言っても過言ではない“千殺弓”を下した少年の名。
その戦いたるや壮絶なものであったという。
月音さんへ異常な執着を見せる伊達相手に、彼女を助け戦い抜き様々な逆境を乗り越え、そして綾さんを人質に取られたと騙され捕縛され……さらに拷問を繰り返されていく光景。
その拷問による苦痛を出来るだけ長く引き伸ばさせるために癒しを使わされる私。
絶望という景色があるとすれば、まさにこれだと思うほどの状況。
ところが、伊達は最後のツメを誤った。
本当に絶望に突き落すべく、伊達は綾さんを殺害したと見せつけたのだ。
彼女の無事のために苦痛に耐え、命の灯すら投げ出そうとしていた充くんはそこでついに反撃に出た。
―――“簒奪帝”
その圧倒的な暴力で地下にいた私の“魅了(悪)”を破棄した。
私はそのまま気を失ってしまったけれど、聞けば伊達と学校に残っていたその配下たちを鎧袖一触ともいえる活躍で葬り去ったらしい。
上位者を、しかも配下主人公と同時に下す実力。
本来であればその力に恐怖なり畏怖なりを覚えなければいけないのだろうけれど、そんなことは私には許されない。
だって、耳から離れないのだから。
非人道的なほどの拷問が齎した彼の苦痛の悲鳴が。
だって、目に焼き付いているのだから。
幼馴染のために自らを犠牲にした彼の姿が。
だって、忘れることが出来ないのだから。
その相手が殺されたことを知った彼の絶望の貌が。
それなのに彼は、そう為ってしまった原因に手を貸した私の束縛を解いてくれた。
今の充くんは全部忘れたかのように、気にしないで接してくれているけれど。
本来であれば返さなければならない借りが多すぎる。
全てが終わった後、咲弥経由で事の顛末を聞いたとき、もう余りの情けなさに泣きたくなった。胸の奥の小さな痛みが情けなさから来ているものだと思い込んでいたから。
そして先日の鬼首大祭。
私と咲弥。
最後の鬼への防波堤が崩れるそのタイミングで、颯爽と現れ結果として茨木童子を使役するというイレギュラーにはなったものの、古の大鬼が暴れまわるという最悪の事態を防いでくれた。
お礼を言おうにも、私が目覚めたのは全てが終わった後。
借りは返すどころか増えていく一方。
高利貸しで借りたのかというほど雪だるま式に増えていく。
本当にどうやって返せばいいんだろうか。
そう考えていたのに………。
生徒会で月音先輩と話していたとき、唐突に充くんと顔を合わせる羽目になってしまった。
どんな顔をしていいのかわからずに戸惑う私だったけれど、それは向こうも同じだったみたい。
「ど、どうも。三木充です……」
「……聖奈です」
そんな微妙な間の自己紹介となってしまう。
まずこれまでの借りを返す前にお詫びをしなければ、と決意してその旨を伝えると彼は困ったような笑みを浮かべながら言った。
「えーっと…そんな感じなんで礼云々は気にしないで下さい。別にお礼目当てで助けたわけじゃないですし、咲弥のお姉さんなら身内同然っていうか…ホント当たり前にやっただけなんで、逆にそこまで言われたら照れちゃいますよ」
そんな風にさらりと、ちょっと荷物を持ってあげた、みたいな感じで言うのだ。
「ですがそれ以前に……」
そんな簡単に済ませられるようなことじゃない。
それだけのことを充くんはしたのだから、と言おうとした私に、
「伊達のことを言っているんなら、それこそお門違いです。オレは自分の意志であいつに敵対しました。切っ掛けと理由は月音先輩でしたけど、全部わかった上……かどうかは微妙なところもありますけど、それでも覚悟した上でああなってしまったんです。
悔しいですし今思えばもっとやりようはあったと思いますけど過ぎたことです。
喩え聖奈さんが癒してくれなくても、あの場では色々非道いことはされたでしょうし。どっちみち拷問されたであろうことに変わらないんだから聖奈さんに罪なんてありませんよ」
照れているようにぎこちなく笑いながらも、揺るぎない確信を宿した瞳が謙遜でもなんでもなく、本気でそう思っている、と私に伝えてくれた。
だから、気づいてしまった。
「………咲弥の言っていた通りですね」
今も明確に思い出せるあの状況。
周囲を取り囲まれた絶望。
全てを間近で見ていた私だから、どうしてそんな風に在れるのか、わからなかったのだと。
「不器用で、頑固で、ところどころお茶目で…それでいて優しい」
そして、そんな彼の在り方をとても眩しく思っていたことに。
ああ、なんて浅ましいんでしょうか。
借りを返してもいないのに、それどころか借りを返すなんて自分で理由をつけて、その在り方を見届けたかっただけだなんて。
咲弥が惹かれるのも当然。
この妹ときたら、鬼首大祭の後からずっと充くんのことばかり話しているのだから。
そんな風に自覚したところに海へのお誘い。
咲弥と共にご一緒させてもらい、海の家で初の外でのアルバイト。
さらにそこからの帰り道、月音先輩の告白。
共に充くんに助けられた者同士。
しかも月音先輩は伊達に執着されていた年月が私と比べ物になりませんから、その気持ちたるやどれほどのことか。
月音先輩には恩義もありますから余り大っぴらにするのは心が引けますが。咲弥には多少お姉ちゃんとして手助けをしてあげないといけませんね。
そう思っていると夜、月音先輩に咲弥と共に声をかけられました。
咲弥が充くんに好意を持っていることは一目瞭然だったので、まず先に、しかも目の前で告白めいたことをしてしまったことについて謝られました。
そして充くんについては正々堂々とちゃんと選んでもらいたいこと、だからもし本当に彼に好意があるのなら月音先輩が好意を持っていることを気にしないで好きに行動して欲しい、と。
……女として凄く自信があるのか、それとも色恋をちゃんとしたい性格なのか。
恐らくは前者でしょうけれど。
そうだとするのならば、昼間のあれは充くんが誰かとくっつく前に決着をつけようという告白ではなく、ちゃんと勝負しましょうという宣戦布告。
さすが生徒会長、強敵です。
しかも、こっそり充くんが毎朝走るのを日課にしていることをジョーくん経由で聞いており、それを教えてくれました。
本当であれば、それは内緒にしておいて月音先輩が充くんと接近するチャンスに使うことが出来るかもしれないのに。
なるほど、正々堂々という言葉に嘘はないようです。
敵に塩を送られるのはシャクですが今回は乗らせてもらいましょうか。
横で躊躇している咲弥へハッパをかけ明日の朝に備えることにします。
え?
私はどうするのか、ですか?
さて……とりあえずは静観ですね。
妹の想い人にどうにかするのって、結構大変なことですから、今のこの小さな想いが本物かどうか確かめないといけませんし。




