215.巫女からの教え
朝。
すぅ、と意識が覚醒。
世界と感覚が繋がる実感に満ちる。
「ふぁ……」
時計を確認してみれば、朝5時。
布団から上半身だけを起こした状態で、コキコキと肩を捻る。
うん、良好。
伊達に殺されて強くなろうと決意したあのときから続けているせいか、朝はこうしてすっきりと目覚めることが出来るようになった。
勿論昔のようにまだまだ寝ていたい、とか二度寝したい、という気持ちが無くなっているわけじゃない。いつだって怠け心は健在だ。
だがそれに流されなくなった、ということではちゃんと成長しているんだなぁ、と思える。
ちらりと横を見れば、ジョーはまだ爆睡中。
まぁ昨日は昨日で結構頑張ったから、疲れてるんだろうなぁ。
起こさないようにそぅっと布団から抜け出し、持ってきたスポーツ用のジャージ上下に着替える。これまたそぅっと部屋を出て、そのまま外出。
朝の空気を吸いながら、ゆっくりと屈伸して体を解していく。
?……エッセ?
呼びかけてみるが答えは無い。
一瞬戸惑うが、昨日のうちにその理由を告げられていたことを思い出す。
どうも管理者が集められ何かが行われるらしい。
分かれた意識体である彼女も一度本体に戻り、可能な限り情報を仕入れてから戻ってくるそうだ。おそらく短くて半日、長ければ1日ほど反応はないとのこと。
それくらい、その何か、が重要ということだ。
彼女は予測として、何らかのバージョンアップが為されるのではないかと言及している。
すでに過去に何十回も行われているバージョンアップの前に、この世界を作った者と、そしてそれを支援して協力した者たちによって予め次なる方針を決めるための会議を行っていたらしい。その度に今回のように管理者も招集されていたというのだ。
なら、彼女が情報を仕入れたいというのもわかる。
ただのゲームのバージョンアップでも、この世界に生きる者たちにとっては世界が改変されるに等しいのだから。
それが正しいことを示すかのように過去に行われた改変も、すでに今に至るほどの大きな影響を与えている。バージョン5.0で蘇生が実装されていなければ、それを神の奇跡として今世界で大きな勢力を持っている宗教だって現状の規模にはなっていなかっただろうし、バージョン24で太洋に棲む魔物たちに対して制限が当てられていなければ、大航海時代などというものも存在せず結果として、今のアメリカ大陸の国家の成り立ちとて劇的にその姿を変えていた、というのがエッセの談である。
………ホント、一介の高校生が心配するには大事過ぎる。
体を解してから、ゆっくりと走り出す。
たったった、とリズミカルに体を躍らせながら徐々に速度をあげていった。
海岸線まで出ると浜辺に降りる。
ザザ……。
穏やかに寄せては帰す波。
遠く見える朝日に照らされた水平線が何とも言えない趣を醸し出していた。
「んじゃ、いきますか!」
そのまま浜辺を全力疾走する。
一度やってみたかった、というほどでもないが、以前対抗戦の練習をしていたときに佐々木先輩が教えてくれた中で浜辺を走るのがいいトレーニングになる、と聞かされていたためである。
なるほど、砂に足がとられる分負荷がかかって悪くない。
それにすり足主体だったりすると、浜辺の砂の起伏で足を取られそうになったりと足場が悪い中で、それなりの動きをするために何が必要なのか、そういったことも身に付きそうだ。
鬼の膂力を遣えばこの程度の負荷は問題じゃないけども、これからのことを考えるとオレ自身の基礎能力を上げて“簒奪帝”なしでもある程度戦えるようにしておかないといけない。
常時発動していればいいが、そうすると日常生活に不便だし(例えば海の家の店員が赤黒いおどろおどろしい気流に包まれてたら怖すぎる)、かといって発動していないところを不意打ちで必殺な攻撃を叩き込まれて即死では目も当てられないし。
やるべきことは多い。
単なるダッシュから、横走り、バック走などなど……。
一通り試してから帰路に着く。
いやぁ、足元の砂による負荷もそうだけど、潮風と潮騒の音っていう海独特の雰囲気っていいよなぁ。
宿泊している建物に近づいたところで、入口で待っている人物に気づいて軽く手を挙げた。
向こうもこちらに気づいていたのだろう、手を挙げ返してくれる。
「おはよう、ミッキーちゃん」
「おはようございます。充くん」
咲弥と聖奈さん。
咲弥はデニムスカートと水色のカットソーのTシャツ、聖奈さんは白いスキニージーンズにポケット付で光沢感のあるツヤっとした生地のトップス、というカジュアルな格好で二人が出迎えてくれた。
「おはよう。二人とも早いね」
「ん」
咲弥がタオルを差し出してくれた。
一瞬戸惑ったがありがたく受け取って汗を拭う。
「ありがと。二人は散歩とか?」
「違いますよ。貴方が外に出ていくのを見かけたので、咲弥がタオルを準備して出迎えに来たんです。私は単なる付き添いです」
聖奈さんの説明に納得して咲弥を見ると、勝ち誇ったかのようにVサインを作っていた。
あまりに咲弥らしい反応に苦笑しつつ、
「まったくこの娘ったら、せっかく後押ししてもらっているというのに照れてしまって中々動けなかったんですよ? あまりに不甲斐ないので、それならお姉ちゃんがタオルを差し入れてして好感度稼いであわよくば…を狙っても構わないのね、って言ったらようやく動いた次第でして」
よよよ、よ嘘泣きめいた動作で苦労したことをアピールしている聖奈さんの発言に、咲弥が「なんでバラすんだー」とばかりにムクれている。
「とはいえ、これで咲弥もアピールできて満足でしょうし……私としても唯でさえ恩のある女に塩を送られっぱなしというのは気が引けますので、少しそちらもフォローしておきたいところですね」
「……?」
何のフォローだろうか?
「月音先輩のことですよ」
おぉぅ!?
まさかこの流れでその話題が出てくるとは思わなかった。
「充くんのことですから、気にしているのでしょう? 昨日のこと」
まるで名探偵が犯人を見つけている、とでも言わんばかりに確信を持った表情。
「いや、まぁ…気にしてないといえば嘘になりますけど……。せっかくあんな風に告白してもらったの返事をうやむやにしたまま今に至ってるわけですし」
だがその発言に対し、
「そこからすでに間違っているのではないでしょうか?」
返ってきた言葉に思わずきょとんと思考停止した。
「そんな風にわたふたしている充くんを見ているのも中々面白いですけれど。どの道すぐに解決する話なのですから、ちょっとだけ先に解決しておきましょう。
確かにあのとき月音先輩は貴方に想いを伝えました。
知られていなかった想いを告げる、なるほど、確かに告白と言っていいでしょうね。
最も日常からすでにバレバレで隠せていないわけですから、当の充くん以外にとってみれば、先を越された以外特に驚くところはなかったわけですけれども?
むしろなぜ充くんが今更そんなにあたふたしているのか知りたいところですね」
………そ、そうなのか。
思い出してみると、確かにあのとき咲弥は面白くなさそうにジタバタしてて、綾は応援してる感じだった気がする。当然、ジョーと水鈴ちゃんとは後ろでニヤニヤして楽しそうに見てたけども。
「先程答えをうやむやに…と言いましたが。充くんの月音先輩の評価、足りてないのではないかしら」
「足りてない…?」
「ああ、いえ、足りてないというのは的確ではないかもしれないですけれど……月音先輩ですよ? 少し見縊っておられません?」
うーん? いや、だってあんな美人で何でも出来て生徒会長ですよ?
高嶺の花だとは思っていても、過小評価なんてしようがないような……。
「月音・ブリュンヒルデ・フォン・アーベントロート。
“上位者”にして“逆上位者”伊達政次の妄執を受け続けながら、屈服することなく現在までその在り方を残し続けた女傑ですよ?
不覚にも操られていた私は、あの男を過小評価しません。今回の鬼首大祭での騒動を見ていても、私が操られることになった事前の襲撃が伏線であったことくらいは気づいています。
あれだけの才覚、そしてエネルギーを持つ者が執着し狂愛していた相手、それが唯のか弱い女性だと思いますか?」
………。
確かに、茨木童子の封印体の中に伊達の思念体がいたわけだから、あの大騒動は全てアイツが仕組んだとも言える。もしオレがいなくて、さらに伊達が鬼首神社警護依頼に参加していたのなら、間違いなく茨木童子の力を手に入れていただろう。
「勿論、執着されたことに対して、月音先輩に非はありませんし、それに耐え切ったことについて賞賛こそすれ文句なんてありません。
ただ、それだけに彼女の普段のセルフコントロールは完璧です。内心どんな風に思っているかを普段の行動から推測することが難しいほど。貴方に関すること以外、これまで取り乱したのを見たことがありませんし。
その彼女が、あんなに静かに想いを告げた。
あの場は天下の往来ですよ? 弥生さんだけではなくても誰か邪魔が入ることは十分に考えられます。今回のような、返事がないことをまったく想定していなかったとは考えがたいのではないでしょうか」
確かに、以前狩場と対抗戦の練習で疲れ切って図書室で寝てたときに、月音先輩と遭遇したけど平然と対応していたもんなぁ……むしろテスト中だからって、オレが教師に怒られないように気配りする先手の打ち様だ。
「でも……オレが弥生さんに声かけてしまって、返事が聞けなかったとき月音先輩、落胆してたみたいに見えましたし……」
「私は逆だと思いますよ?
個人の内面についてはその人しかわかりませんから、充くんと同じく推測ですけれど……あの場の告白は謂わば宣戦布告だったのではないでしょうか?」
宣戦布告、という勇ましい言葉と月音先輩のイメージが合わなくて戸惑う。
「相手は咲弥、もしかしたら私も含めて。
月音先輩が貴方のことを本気で好いている、と伝えた上でもし同じ気持ちがあるのであれば、正々堂々勝負しましょう、と。だから元々返答は期待していなかったのではないでしょうか。
勿論あわよくばと言う気持ちがなかったかどうかまではわかりませんが、普段の充くんを見ていれば、告白されてもあそこで即座に返答が返ってくるとは思えませんし」
……うぐぐ、どうせヘタレですよぅ。
「ところが貴方は不器用なりに、言葉を返そうとした。予想外とはいえ期待しつつドキドキしてしまったところで返答がうやむやになった。多少落胆はあったかもしれませんが、予想通りに進んで安堵した、というのが本当のところではないかしら」
もしそうなら、現在も返事を保留していることについて、月音先輩が不機嫌になったりしてないはずだから一安心なんだけど。
「ん。月音センパイ。美人さんなのに腹黒い。凄い強敵。相手にとって不足なし」
「咲弥、言いたいことはわかるけれど…腹黒いは褒め言葉じゃないですよ?」
「? そうなの…?」
うん、確かに腹黒いは褒め言葉じゃないぞ。
一瞬咲弥が月音先輩のこと凄く嫌ってるのかと思ってしまったが、表情を見ている限りそんなことはないようだ。
「でもやっぱり男はダメですね。
聖奈さんはそこまで察してたっていうのに……」
「私も今話したことを全て推測できたのはつい先ほどですから、そんなに男がどうのというほど大した話でもないですよ。先ほど言いましたでしょう? “塩を送られた”と。
宣戦布告していなければその必要もありませんもの。さすがにわかります」
?……???
「塩を送られたって話、それって……」
「ふふ」
ぴ、と唇に人差し指を当てられた。
「お話はここまでです。私としては咲弥も応援したいですけれど、月音先輩も尊敬していますから、そこはバランスを取らせてもらいます。
それに……秘密があったほうが女は魅力的と言いますもの。少しくらいわからないことが在るくらいの方が男性は燃えるというのが世の相場ですよ?」
暗に塩を送った云々についてこれ以上話すつもりはない、と釘を刺された格好だ。
でもまぁ、とりあえず月音先輩に返事をしていないことが想定内だというなら、急いで中途半端な答えを返さずにじっくりと考えてから言った方がいいってことは理解した。
納得したらしいオレに満足したのか、聖奈さんは悪戯っぽく話題を変えた。
「ああ、でももし二人よりも私のほうがよろしいのでしたら、喜んでお受け致しますよ?」
「お姉ちゃんッ!!」
「ふふふ、イヤなら咲弥も頑張りなさいね」
艶めいた笑みに一瞬ドキっとしたものの、咲弥のツッコミに我に返って苦笑する。
空を見上げれば今日も快晴。
さて、とりあえず今日もバイトを頑張るとしようか!!




