206.各々が求める相手
双眼鏡を覗いて目標を確認。
三木充。
予想通り音無川の上流へと上がっていくようだ。
監視を続けながら、ため息をつく。
しっかし……予想外も甚だしいわ。
せっかく赤砂山で目標を確認して伊達の旦那に横流ししてたっつうのに、肝心要の伊達の旦那が返り討ち。今となっては行方知れずと来ている。
なぜかリアルでも失踪しているというからタチが悪い。
前金は貰っているから経費倒れにはならないものの、あれだけ労働したことを考えれば割に合わない。後金と、結果による追加報酬も期待できる働きをしていたのだから、それも当然だろう。
幸いなことに、すぐに同じ内容の次の依頼人が見つかったため、収集した情報が引き継げたのは幸いだったが。
今日も今日とて1日この監視である。
「……せっかくの日曜日だってのに、難儀な商売だわな」
そう言いつつも、勿論無駄だとは思っていない。
鬼首大祭では警戒が厳しくて潜り込むことが出来なかったのだから、ここで現状の目標の状態を確認しておくことには十二分に意味がある。
というか、依頼締切期間の後に依頼者推薦枠で優遇して参加するだなんて予想できないだろ、普通。
なんとか潜入しようとは試みたものの、今年に限っては外部から色々とややこしい連中、具体的には内閣情報調査室、さらに言えばそこの特殊部門の連中が食い込んで警戒しており難しかった。
相手が悪い、の一言に尽きる。
日本版CIA、つまり情報収集組織を作ろうという意図の下作成された内閣情報調査室ではあるが、時の世論もあり完全に目的の組織になったとは言い難いせいまおり、以前の内閣情報調査室はそれほど脅威ではなかった。
特に主人公という世界補正を持った者にとっては。
生え抜きもいるが、ほぼ大多数が外部省庁からの出向者ということもあり、そもそも組織としての頑強さとしても微妙だ。
だが近年、新たな特殊部門が新設されてから風向きが変わってきた。
元々国内及び国外の情報に関しては国内部門、国際部門でそれぞれ取り仕切っていたが、そこから異常現象、俗に言う妖など現代科学以外のところに関してだけを抜き取りひとつの部門として独立したのである。
これ自体は珍しいことではない。
近世になって科学万能主義に走ると同時に廃れたものの、元来陰陽寮など国家権力と結びついてそういった事案を処理する機関は存在していたのだから。
それが内調の組織内に出来たのもおかしなことではない、ないのだが……。
「問題なのは“狼”たちだっての……やれやれ」
どこから拾ってきたのかは知らないが、情報局、という情報を扱う分野にも関わらず特殊部門に関しては直接的な実力を行使できる部隊がついているのである。
名目上は特殊事案調査員、となっているがあれは間違いなく暴力要員である。
情報を収集するという職務上で自衛及び即応能力が求められる、とかなんとか理屈づけはされていても実態はそうなのだ。
おまけにそこでトップとも言える“狼”という名で知られている実力者は、“神話遺産”であるとかないとか。“神話遺産”自体がそもそもある程度以上の上位者クラスでなければ知りえない情報ということもあるが、常軌を逸した馬鹿げた存在であることはわかっている。
そう考えれば、あの時点で鬼首大祭に首を突っ込まなかったのは安全面を考慮した結果とも言える。
「お、なんか戦ってやがるぜ」
監視対象は英雄河童やら豪傑河童たちと戦いを始めた。
その様子をつぶさにチェックしていたが、驚きのあまり声が出てしまう。
「……なんだ、河童の攻撃を防いだ、というか止めた?? 結界っぽいが……って、うぉ、いきなり分身しやがったぞ!? なんてデタラメな……」
その後の符による鬼女の召喚はともかくとして、最後には何やら白い雷を放出して河童たちを仕留めている。どう考えても戦い方が主人公の常識の外じゃねぇか、アレ。
時間を割いて調査している甲斐がある。
監視先では戦いが終わって、三木充がドロップアイテムを回収しようとしているようだ。
「……ッ!?」
やってきた黒ずくめの男と三木充が遭遇し何やら会話を始める。
「うっそ、マジかよ……ッ」
初対面らしき三木充が警戒しながら話す相手。
思わず、その仮面の男を二度見してしまう。
あれだけ特徴的な外見なのだから見間違うワケがない。
「……欧州序列のトップが、なんでこんなトコに」
またも来襲してきた河童どもを圧倒的な戦力を用い一瞬で駆逐。そっくりさんという可能性も考えたが、あれだけのことが出来るのだから間違いない。
よりにもよって監視対象にそんな大物が接触してくるなんて予想外だ。
こりゃ報告書の作成も熱が入るっても―――
―――視られた。
川を挟んでいる河川敷にいるはずの仮面の男。
その視線が双眼鏡ごしにばっちり合う。
ヤバい。
ヤバいヤバい。
たまたまだ、偶然だ、と片づけることも出来る。
だが主人公が装備できるものの中に魔眼やらが存在する世界である。この距離でこちらを視認出来ていたとしてもおかしくはない。
慌てて撤収の準備をしていると、気配を感じて振り向く。
ゆっくりと近づいて来るのは若い青年だ。
後ろから前へ流した金髪のクセっ毛を、前髪の上あたりで円を描くようにやや横に流して形を整えている。おそらくはフランス語なのだろう言語で何事がぶつぶつと呟きながら、女性と見間違えそうな線の細い顔に掛かっている眼鏡をクィっと上げた。
このタイミングで通りすがりの無関係な人物がやってきた、と思うほど楽観的ではない。
ぞわっ、と総毛立つ。
殺気などではない、もっと形容しがたい不気味な感覚。
一見何の圧力も感じず逃げ切れるように思わせるところが逆に危うい。
復活ポイントに戻れる主人公に死は存在しないが、復活すればペナルティもあるし、捕まるだけでも色々と情報を与えてしまう。
くそ、また経費が嵩むが、この際そんなことは言ってられないか!
“境界渡し”謹製のアイテムを破壊し、空間を歪めてその場を離脱する。
あー、絶対この経費も追加請求してやるからな!!
□ ■ □
音無川。
無事に目的のモノを手に入れた、と言うミツル君と“水霊の洞”の前で別れてから、ゆっくりとインカム小型を耳に付ける。
「Le président.Je suis le…」
「言っただろう、この国を出るまでは日本語だけしか使ってはならないと」
聞こえてきた声に対しぴしゃりと一言。
少し考えるような間を経て、
「こ、こちら? アルファ2デス。や、やっぱりフランス語にシタいでしょう」
「却下だ。話すのが難しいからこそ、恥ずかしく思わせなければいつまで経っても上達しない。
それでそちらの首尾はどうだ?」
戸惑う新入社員に対し先を促す。
はっと息を呑む気配がし、
「警戒ポイント3にて、変態サン発見。張り込んでそチラを監視中してタ? です」
「…そこは変態ではなく不審人物、と言うんだ」
ふぅ、とため息をつく。
不審人物を変態サンと教えたのはおそらく魔女だろう。そういうことを面白がりそうなのは彼女くらいのものだ。
どうも日本語を教える人物の人選を誤ったらしい。
「フシン人物は、こちらに気づき……disparu。おそらく転移でス」
おそらくなんと言うのかわからなかったのだろう。
言葉に一瞬だけフランス語の単語が交じるが、内容は十分理解できた。
事前の話で、今回やってきたここ音無川に関しては監視が可能なポイントを洗い出させてある。そのうちのひとつに不審人物が居たが、取り逃したという報告らしい。
もしこれが本当の要人警護なら問題ではあるが、今回は実地訓練もっと言ってしまえばテストのようなものなのでよしとする。勿論、そもそも監視ポイントの選定自体も荒いし修正してやらなければならない箇所は後で指導してやらなければならないだろうが。
「わかった、アルファ1から3までは継続。これまでと同じように、こちらはインカムを基本的に使わない。本当の警護対象と思って続けるように」
再びインカムを取り外す。
本来の警護依頼ならば裏方の人間、もっと言えば横で直接警護に当たる“表”の人間以外は警護対象とすぐに連絡を取れたりはしない。そのことを自覚し、指示がなくても臨機応変に動く心構えを作ってもらわなければ困る。
せっかくのプライベートな時間。出来るだけ上達してもらいたいところだ。
そこまで考えて思い返す。
ミツル・ミキ。
せっかく“逸脱した者”の一人、しかも統括管理者に選ばれた者と遭遇することが出来たのだ。“西”に選ばれているアルファ2と会わせてやってもよかったかもしれない。
とはいえ、アルファ2もミツル君と同様まだ足元の定まっていない若い者。それで訓練中気もそぞろになってもらっても困る。
今回は対面を見送ったのにはそんな理由もあった。
切り替えて音無川をさらに上って行く。
源流と呼ばれる場所から最源流と呼ばれる場所へと。
そしてさらに奥へ、奥へ。
この国に存在している主人公たちもほんの一握りしか進まない、その最奥の場所。
そこかしこに存在する河童の気配を黙らせ、黙りきらなかったものは斃していく。
鬱蒼とした原始を思わせる森の中に突如出現する大滝。
その裏手に存在する洞窟―――通称“蛟の回廊”。
そしてその洞窟の最も深いところに“水神の祠”という場所があるところまでは確認している。
ようやく到着したそこに、目的の人物は居た。
水に映し出された朧な青が鍾乳石を照らし幻想的な雰囲気に包まれた、巨大な地底湖。
中心部分にある小さな大地には不釣り合いな赤い鳥居がひとつだけあり、その先に小さな社が在るだけというシンプルなつくりにも関わらず、静謐さがあたりを支配していた。
巨躯。
佇んでいたのは、そう表現して差し支えない体格だ。
こちらも十分体格的には大きいほうだが、それよりも頭ひとつ以上高い。熊か何かではないかと思ってしまうほどだ。
だがその内包するエネルギーが熊どころではないのは一目瞭然。
そうでなければ一国のトップに君臨することなどできはしない。
―――轟 豪巌
日本における序列1位。
はち切れんばかりに詰め込まれ隆起しているその肉体は、最強の看板に偽りなしといったところか。
「失礼。お待たせしたようだ」
轟の周囲には無数のドロップアイテムが落ちていた。おそらく待っている間、この周囲に住んでいる河童たちの相手でもしていたのだろう。
「……構わねぇ」
短い答えが返ってきた。
そもそもアポイントを取った際にこの場所を指定してきたのは向こうだから、多少待つことくらいは想定していたのかもしれない。
振り返った轟は静かにこちらへ視線を向けて来た。ただそれだけのことにも関わらず強者特有の圧力が肌を刺してきた。
逆にこちらからも視線を向けて、確認する。
気配。
立ち振る舞い。
威容。
そのどれもが全て強者として十分な人を超えた域。
「……違ったか」
だが求めている相手とは違った。
あいつではない。
つまりまた今回も外したということになる。
ならば、あとやっておかなければならないことはひとつ。
「ミスター轟。貴方がこの国の序列1位だと聞いた。その貴方にお伺いしたい。
貴方と同等かそれ以上、もしくは上位者である者の中に素手で戦う者はいないか?」
我ながら苦笑してしまいそうになるほど曖昧な質問。
「いる」
またも短い回答。
だがその内容は十分興味をそそるものだった。
「ただ一人だけならば知っている」
その者こそがすでにトップであるはずの轟が上を目指すための目標、討ち果たそうと目論んでいる相手だとその眼が言っていた。
秘されし者……1位の上に位置するも知られていない存在―――
―――零位 “須佐之男”
確か暴虐の名を欲しいがままにした、神話の神様の二つ名がついているとは何ともファンタスティックな話だ。
彼の知る限りで、先ほどの条件に合致する者はその零位しかいない、そう轟は言っていた。
実に面白い。
探している人物かどうか確認したいのと同時に、この男にそこまで言わしめるその人物に対して純粋な興味が湧いてくる。
「それで其の人は今どちらに?」
「わからん」
出てきたのは拍子抜けする言葉。
「だがいずれ再び現れるだろうよ。
その時のために、訓練ではなく強者と仕合うことで高みへと進んでおかなけりゃならん。
技術でも精神でもなく、ただ純粋で圧倒的な肉体でしかあの者は倒せぬからなァ」
ごぎんっ!!
拳が音を立てて握られる。
……なるほど、こうなるわけか。
「そっちの用事は終わった。なら今度はこっちの頼みを聞いてもらうぜ?」
獣臭にも似た猛々しい戦意が漂ってくる。
その根源は他でもない轟自身。
一体何を頼みたいかなどすでに明白。
本当にしょうがない奴だ。
こいつも、俺も。
ただ目の前に強い相手がいる。
それだけのことに滾りを抑えることが出来ない馬鹿どもの類。
軋みを上げて互いの闘志が空間を圧していく。
日本、そして欧州。
その序列1位同士が激突した。




