202.至強なる翼
と、とりあえず状況を整理しよう。
音無川をどんどん上っていき最上流までやってきた。
すると持っていた尻子玉を狙ってわんさと豪傑河童と英雄河童が群がってきたので、これ幸いとばかりに鬼首大祭で手に入れた鬼の力を試しながら殲滅。
うん、わかりやすい。
簡潔明瞭な状況。
そこにやってきたのが、目の前の男。
只者じゃないのはわかる。
こう見えてそれなりの修羅場をくぐってきたのだ。
こんなあからさまに強者のオーラを纏っている相手に対して、それを感じ取れるくらいの危機管理能力は身に着けていた。
「……漆黒の鷹?」
エッセが先ほど言った一言を反芻すると、相手の男がかすかに反応を見せた。
仮面をつけた金髪碧眼の偉丈夫は静かに口を開く。
……英語なら単語くらい拾えるから、助かるんだけどなぁ。
「そう警戒する必要はない…と言っても難しいのだろう」
低い声が落ち着くのある抑揚で紡がれる。
外見とは裏腹に流暢でイントネーションにも全く問題が無い日本語。
モーガンさんといい、この人といい、グローバリズム適応性が高すぎである。もしかしたら魔術の翻訳的な何かを使っているのかもしれないけども。
「……? 問題ないと思うのだが、何か日本語がおかしいかい?」
「あ、いえ! お、お上手ですね!」
感心して硬直したオレに対し、やや怪訝そうな表情を向けてくる男。
思わず考えていたことを率直に返してしまった。
「職業柄、主要国の言語は網羅するようにしている。やはりその国の文化、習慣、言語を理解しなければ仕事に差し支えるからね」
おぉ…なんか世界各地に転勤とかがある外資系世界的な企業にでも務めているのだろうか。とりあえずこの人については自らの力で会話できるようにしているらしく、その努力に再度感心した。しかも主要国、ということは英語以外にも何種類か使えるということだろうし。
オレも将来に向けて、ちゃんと英語くらいは話せるようになったほうがいいのかなぁ……。そういえば月音先輩って親御さんが外国の方なので外国語が話せるとか聞いたことがある。せっかくなので彼女に教わってみる、というのもちょっとドキドキな展開である。
【………おぬし、この状況下でよくそのようなほのぼの思考が出来るの】
呆れるようなエッセ。
いや、なんか凄く強そうな人だけど今話してみた限りだと、見境なしにいきなりこっちをどうこうってつもりはなさそうだし?
「通じているのなら問題ない。こちらには君に対する害意は無い。無論業務中に敵対すればその限りではないが、今日はプライベートだからね。
それは例え君が“逸脱した者”であったとしてもだ」
「……ッ!!」
相手からはまったくといって言いほどこちらに対する敵意や所作は感じられない。だが予想もしない言葉が出てきたことによって思わず警戒のレベルを上げ直す。
「それだけ管理者の気配をさせていればわかる。
苦労をしているだろうことも予想がつくよ、残っているものと現在存在しているものを含め、それだけ“神話遺産”の気配が混ざっているということは、彼らとそれだけ関わっているということだからね」
管理者の気配!?
“魔王”の一部を八束さんから譲渡されているから、それに対して感知したというのは理解できなくもない。さっきエッセが言っていた“雲の咆哮”というのが、“神話遺産”だというのであれば、彼女がそれを看破したのと同様に、逆のことだってあるのだろうと納得できる。
苦労しているとかについては、確かに客観的に見たらその通りだし、榊さんや八束さんを始めとして“神話遺産”と何人も遭遇していることで事件が大事になったりもしているので否定できない。
だが管理者云々については完全に理解の外。
これまでエッセの存在について、何やら内包を内包しているな程度の感知する相手はいても、それを明確に管理者の気配と言い切った例はない。
それも初見間もなく、だ。
【………ッ】
あり得ない。
それを示しているかのように、あのエッセですら言葉を失っている。
「幸か不幸か、一度“逸脱した者”と事を構えたことがあって、そのときの感覚と似ていたから判断しただけのことだ。確か…“西”の管理者だったか」
「へ、へぇ……」
男はゆっくりと歩いて近づいてくる。
思わずびくっとなるが、その動きは余りにもするっと間合いに入り込んでしまい、それ以上の反応が出来なかった。
オレの目の前までやってきて、
「自己紹介が遅れた。先ほどの様子だと知っているようだが、改めて挨拶させてもらおう。
警備会社を生業としている“漆黒の鷹”ファブニエル、ドイツ所属の主人公だ。よろしく」
手を差し出される。
「あ、はい。み、三木み……ミツル・ミキです。不束者ですが、よろしくお願いいたします!」
いやいやいや、結婚の申し込みか!?というような慌てた台詞ながら握手をする。
「もっと気を楽にしてくれ。若者に堅苦しくされると、こちらも堅苦しくなっていけない。先にも述べたように今回は私的な事情でここに居るわけでもある」
「は、はぁ……」
声のトーンも心なしか軽い。
意図的にこちらが気楽になるように振る舞ってくれているように思える。
ガサ…ッ。
再び茂みの奥から気配が広がる。
英雄河童たちの再出現のタイミングが来てしまったらしい。さっきまで戦っていたのと同じくらいの数まで気配が徐々に増えていく。
倒すのは問題ない。
試した限り、上手く範囲内にまで引き付けることさえできれば、茨木童子の白雷一発で全て倒すことだって可能だろう。
問題はこの目の前にいる主人公―――ファブニエルさんだ。
今のところ友好的だと思われる対応を見せているが、この人の前で自らの手の内を、それも“簒奪帝”を使って奪った鬼の能力を使ってもいいものか、そういう懸念だ。
ああ、でも“威圧”なら使っても大丈夫かな? レベル差を考えれば河童たちはそれで退散するだろうし……。
だが、
「………結構だ」
そんな葛藤を完全に読み切っていたのか、ファブニエルさんはにやりと口の端を歪めた。
「隠し持つ手札の1枚や2枚なければ1流とは言えない。それは警護人だろうと武芸者であろうと、何事であろうと変わらない。その心得、実に結構」
これまでわずかに友好的な雰囲気を出していた以外、自らの感情をあまり見せていなかった彼が満足そうに振り向き、オレと河童たちとの間に立ちはだかる。
「ミツル君、Piece of Soul……こちらでは尻子玉だったかな。それを持っているか?」
「あ、はい」
「持っている分全て貸してくれ。構わないなら放り投げてくれればいい」
一瞬高価な尻子玉を渡すことに対して悩みそうになるが、それ以上に彼が何をするのかが興味深い。素直に尻子玉を入れていた包みを彼のところにひょぃ、と投げると背後を向いたままキャッチされた。
そのまま茂みから今にも飛び掛かろうとする河童たちのほうこうへ、黒き鷹は進みだす。
好物である尻子玉を持っているからだろう、その敵意は完全にあの人の方に向いていた。
「……?」
同じように見えた集団。だがそれとは別にもう一人、先ほどまでとは違う河童がいた。まるで河童の群れとは我関せずを決め込むかのように、ファブニエルさんの横合いから様子を窺うその姿。
体格的には豪傑河童よりも一回り小さいが、逆に器用に長くなっている指で武器―――日本刀を手にしている。まるで出雲を思わせるような堂に入った練達の構え。
その様子に閃くものがあった。
―――無頼河童。
【これは見ものじゃの。あの男がどのようにこれを捌くのか……じゃがあの無頼河童、並大抵の強さではないように思える。万が一を考えて離脱できるよう距離を取ることを忘れるでないぞ】
「あいよ」
無頼河童だけは油断ならない。
なにせ適正レベルが1から100までの間で色々なのだ。さすがに100まではいかないとしても、元々現れる確率の低い無頼河童が現れ、しかも見るからに強そうと来れば、滅多にいない高レベル無頼河童だという可能性も否定できない。
一歩、二歩…。
まったく警戒した様子なく無人の野を往くが如く近寄るファブニエルさんに戸惑う英雄河童たちだったが、徐々に距離が縮まってゆくと、とある距離に到達した瞬間、戦意を爆発させた!
グゲェェェェエェ…っ!!!
雄叫びのようなものを上げ自らを奮い立たせるかの如く、高らかに突撃する河童。まるでひとつの津波の如く文字通り怒涛の勢いが襲う。50匹はいるであろう河童たちは好物を手にしている一人の男に殺到する。
確かにファブニエルさんは長身だが、2メートルを優に超える豪傑河童たちほどではない。
囲まれ向かって来られるがまま、河童たちの姿に飲み込まれるかのように彼の姿が見えなくなり―――
膨れ上がる殺気の群れ。
そう、群れとしか言いようがない。
大きな単一の殺気ではない、槍の穂先のように研ぎ澄まされた小さな一点の殺気、それが無数に解き放たれた感覚。
それが起こったのは一瞬。
―――そして、現れた。
「………はぁ!?」
その一瞬である者は弾け飛び、ある者は崩れ落ち、ある者は転がった。
河童たちはそうして倒れたまま起き上がらず、結果見えなくなった黒き鷹が再び姿を現したのだ。
立った姿勢はほぼ変わりがなく、位置だって一歩も変わっていない。変わっているとすれば下げていた左手を少し前に突き出し、人差し指と親指だけを伸ばし他の指を緩く握った状態にしていたことぐらいだ。
……な、何をしたのか全然わからん。
地面に倒れ伏した河童たちはぴくりとも動かずに、死屍累々と言ってもいいような惨状を描いている。斃れた河童はファブニエルさんを中心に放射状におり、少しするとそれが一気に消えてドロップアイテムだけを残した。
その隙を見逃さない。
一陣の風。
羅腕童子の過去で見た“童子突き”の突撃を優に凌駕する速度で、隠れていた無頼河童がファブニエルさんへと向かったのだとわかったのはその風にしか思えない動きを見た一瞬後。
ヤベ、この河童、レベル高ぇぞ!?
悪い予感だけはよく当たるんだよな、これが。
構えたまま最速で向かい、上段から一気に振り下ろす。
ちゃんとした剣術の心得でもあるのか、その河童が選らんだ奇襲はそんなシンプルであるがゆえに、効果的な一撃。
ォンッ!!
鋭い空気を切る音。
刀を使っているオレにはその音だけで、切れ味の凄まじさがわかる。
そこまでの動作が一瞬。
急激過ぎて反応が鈍ったのもあるが、ファブニエルさんに斬りかかったはずのその河童の動きは速すぎて目で追えなかった。
だからオレの眼には過程をすっ飛ばして結果だけが残る。
振り切った刀の刃が地面についている無頼河童。
そしてその刃の裏側を片足で踏みつけたまま、皿に左手の人差し指を根本まで埋めている男の姿。
「グ、グェェ…ン」
む、無念、と聞こえたようなそうでないような。
そんな声をあげつつ無頼河童は倒れ、そして他の河童と同様に時間を置いて消滅した。残されたのは切っ先が少しだけ地面に埋まった日本刀と鞘だけ。
なんというか………ヤバいな、これ。
【…霊力、魔力の類は一切関知しておらん。
信じがたいごとじゃが……己が肉体のみしか使っておらぬぞ】
……マジ?
【うむ、マジじゃ】
あー、くそ。もっと近寄って見るんだった。
豪傑河童や英雄河童の山に視界が遮られてたから何をしたのかさっぱりわからなかった……。
ファブニエルさんが連中を倒すのは予想していたものの、まさか一歩もその場から動いた形跡すら残さずというのは想定外もいいところだ。目に見えない速さで動いた、というのも可能性としてはあるが、動けば地面を踏むし反動も出るから形跡は残るのだ。見たところそんな気配もない。
やったことで確認できるのは、異常な形跡の殺気。
そして片腕を動かしたことくらい。
無頼河童も動きそのものは見えなかったが、その場から動かないまま刃を避け、振り下ろされた刃を踏んだ地面にめり込ませただけ。最後の攻撃なんてオマケみたいなものだと言い切ってしまうくらいに、勝負がついていた。
やったことに対しての結果が釣り合っていない。
その事実に混乱しているオレに向かって、彼は肩の埃を払いながら微笑んだ。
「一流は切り札を隠す。だがその上―――超一流と呼ばれる者は、さらにそこから切り札を用意しているものだ。可能な限りいくらでも。
延々と手札を切り続け相手に、どれが切り札なのかわからなくさせ、さらに切り札が切れた後もそれすらが切り札になるように」
だから理解する。
もう間違いない。
片や映像、片や実物。
比べるのが難しいとかそういうものを除いた次元で。
「そう志して精進するんだ、ミツル君。
それを忘れなければ君なら、すぐにこの程度のことは出来るようになる。自分がそういう逸材だと自覚して進むといい」
道の先達として助言しながら、尻子玉を投げ返してくるこの男。
その強さは、あの序列1位の“轟”ですら比較にならない。
エッセの言う“雲の咆哮”がどんなものかわからないし、その恩恵かどうかもわからないが。
―――これまで知る主人公の中で、間違うことなき“最強”
それが目の前の男に対する正当なものなのだと。
そんな評価が尻子玉を受け取りながらの脳裏を駆け巡った。




