201.漆黒の鷹
銀翼が空に煌めく。
鉄の鳥が大空を自由に行き来する様が見える。
ゴォォォォォ……ッ。
アタシ―――モーガン・ル・フェイは軽く伸びをしながらガラスごしに空を見上げた。
ロビーに案内の放送が流れる。
離陸まであと1時間ほど。
のんびりと待つ時間は嫌いじゃあない。幸いなことに暑苦しいジメっとした気候も空調の完備している空港では関係ないしね。
むしろこの時間を過ごすためにここにいると言っても過言じゃなかった。プライベードジェットなんだから空港到着がもっとギリギリでもいいわけだから。
それどころか本当の意味で効率よく移動するだけであれば転移の魔術でどうにだってできるんだ。
それをせずにわざわざ飛行機なんてものを使っている時点で移動と言う目的ではなく、その過程を楽しんでいることくらい誰にだってわかろうというもの。
効率だなんだとそれを笑う連中は所詮、生を謳歌することを知らないくだらない奴ってことさ。
ちなみにアタシは今手ぶらさ。
荷物は異空間に入れてあるし、買った土産も同じ。今回は飛鳥市に行ってきたということで名物とかいう飛鳥サブレなるお菓子と地酒を数本。
あと忘れちゃいけないのが伊達の持っていた魔力の篭った水晶をごっそりと頂いたコトだね!
あの有様じゃもう使えないだろうからアタシが有効利用してやるのさ、最も弟子をやめて逃亡したときに持って行ったモノを考えたらまだまだ取り立て足りないけども。
「おや……?」
違和感。
アタシにしては珍しく明白な警戒に思わず視線を向ける。
先ほど着陸してきたプライペードジェットから下りてきたのだろう。入国審査を終えてロビーへとやってきた一人の人物。それが違和感の原因。
足音がゆっくりと近寄って来る。
カッ、カッ、カッ…。
長身痩躯。
ジメっとしたこの季節の日本を訪れるのには明らかに不釣り合いであるような黒いロングコート。その裾には切れ目が入っており、歩く度にひらりひらりと違う動きを見せている。
ヨーロッパ風、おそらくはドイツではないかと思われるゲルマン系の顔立ちに金髪碧眼、彫りの深い端正なその貌だが、つけている面頬にも似た仮面。普通であればかなり人目を引くだろうが、人払いでも使っているんだろうねぇ……空港ロビーにいる人間は誰もそれを珍しく感じていない。
「ふゥん……?」
荷物は小さな黒いジェラルミンのケースをひとつ手に持っているだけ。観光客などは大きなスーツケースを抱えるというのに実にコンパクトで、旅慣れているかのように見える。
全てをひっくるめて見て確かに異彩を放っている外見。
だが違和感の根本的な原因はそこじゃあないねぇ。
“神話遺産”同士の接近。
それが原因だ。
アタシを含めた“神話遺産”は常識を超越した力を有している。それこそ伝説や神話なんてカテゴライズされるくらいに、さ。
勿論、“神話遺産”同士でも力の大小はあるものだけれど、近しい力の“神話遺産”同士が接近する際、それは共鳴にも似た違和感になって感じられることがある。
どちらかが隠蔽系の力を使って意図的に隠しているのでなければ、よくある現象。
とはいえ、そもそもの“神話遺産”そのものが数少ないこともあって、一般人にゃ知られていないだろうけどねぇ。
言いたいことは唯一つ。
つまりあの男が“神話遺産”保有者だ、ということ。
面白い。
心の底からそう思う。
なぜならアタシの知識の中に、この男のことがあったからだ。初対面ではあるけれどこれだけ特徴的なら間違いはないだろう。
この狭い極東の島国でまさか会うことになるとは思わなかったがねぇ。
「ねぇ、アンタ。まさかアタシを前に挨拶もせずに素通りってワケじゃないよねぇ?」
まったく歩調を緩めることがなく、もしかしたらそのまま通り過ぎようとしてるんじゃないかと思える男はその言葉を聞き、アタシの近くで足を止めた。
距離は5メートルほど。
なかなかわかってる。
これ以上遠ければ警戒していると見られるかもしれない、これ以上近ければアタシが幾重にも蓄積させている防御機構のセンサーに触れる、そんな丁度いい距離だ。
少しの沈黙の後、次に口を開いたのは男のほう。
「…失礼。まさか、かの高名なモーガン女史がここにいるとは思わなかったので」
気づかず失礼をした、というその言葉はあくまで社交辞令。
“神話遺産”同士の感覚で見落とすことなどあり得ないんだ。それもアタシと共鳴するレベルの力の持ち主が。
皮肉でもあるのかもしれない。
例え“神話遺産”同士であっても、知り合いでもない他人にわざわざ挨拶する必要があるのか、という。
だから、
「へぇ、そうかい。アタシも気づかなかったよ、まさか世界最大の警護会社のトップがお供も連れずに一人で小さな島国にやって来るなんてねぇ」
同じく意地悪く返す。
ブラック・ホーク・セキュリティ・サービス。
それが目の前にいる男がトップを務める警護会社。
表の要人警護から始まり、裏では実力者との仲介から血なまぐさい事件の解決まで一切を取り仕切っている大企業だ。
それを目の前のこの男はたった一代で作り上げた。
このたかだか20代後半の若者が、さ。
驚くこともないかもしれないけどねぇ、この男が世界を変革する存在、つまり“主人公”と知っているんなら。
「生憎とプライベートでね。公私の別はつけねばトップ失格だろう」
「そりゃ結構。アタシもプライベートなんだ」
ふふ、と小さく含み笑いを浮かべ、
「だから“主人公”で、しかも欧州の序列トップのアンタが、なんで寄りにもよって“神話遺産”の気配をさせてるかなんて野暮な詮索はしないよ!」
主人公って連中は単純なことに拘りたがる傾向がある。
順位もそのひとつ。
誰が一番活躍しているか、誰が一番強いか、様々な観点で優劣を決める制度が設けられている。アタシにしてみりゃ、そんなもの自分が唯一無二だと最初っからわかってない哀れな連中の証左じゃないかと思うけどね。
各国の斡旋所によって順位が制定され、その国に登録されている主人公の序列が決定されるんだけど、ここで欧州には欧州の事情が出てくる。
ユーロとして共同体の性格を帯びた際に国内のものとは別に、ユーロ圏をベースに欧州全体の順位も作られることになったのさ。
欧州序列1位“漆黒の鷹”ファブニエル。
それがこの男の名。
普段付き従っている子飼いの部下、彼の二つ名の由来のひとつにもなっていると聞く“黒羽”と呼ばれる者たちが居ないのはプライベートだからだとしても、そんな有名な主人公がどうして“神話遺産”の、しかもおそらくこの気配は“狼”の“魔王”と近しい文化圏のソレの気配をさせているのか。
さらに言えば、寄りにも寄って―――
―――ミツル、というこの上無く愉しく興味深い相手のいる国の、この時期に来日した。
実に面白くなりそうな予感がある。
だけど残念なことにそれを見届けている余裕はないようだねぇ。
本来、伊達との取引の後少しばかり観光して引き上げる予定だったところを、あの子が鬼首大祭を追えるまで滞在を延ばして観戦したんだ。おかげでやらなきゃならないことが溜まっている。
最後には陰陽師のセーメーとかいう伝説の存在が出てくるとか、本当に楽しかったから仕事を後回しにして見続けてよかったと思っているけど、まさかこんな大物が絡んでて来るなんて帰国するのが惜しくなるねぇ。
まぁいいさ。
さっさと溜まった雑事を片づけて、それこそ転移で戻るのならそれほど時間はかからない。
こっちが盛り上がりを見せるようであれば遠慮なく来ればいいじゃないかと思い直した。
「お気遣い感謝致します。それでは」
そう告げられ、この偶然の展開も終わりを見せた。
だからアタシは最後に、
「無駄な話を好かないタイプみたいだね。
せっかくなんだから何をしに来たかくらいは教えてくれてもいいんじゃないかい?」
答えが返ってくるのを期待していないその問い。
だが意外にも答えは返ってきた。
これ以上ないほど簡潔明瞭に。
「人を、探しているんですよ。明日そのための何人かと会いに」
追憶の感慨に耽るような遠い響きが一瞬だけ混じる。
だがそれだけ。
話は終わった、とばかりの背を向けて歩み出す。
確かに頃合いだろうねぇ。
アタシも立ち上がり、
「残念だね。せっかちな男はモテないよ?」
軽口のようなその言葉を言って搭乗ゲートへ向けて歩き出す。
「残念だが……問題ない。魔女は間に合っている」
最後に放たれた言葉に少し苦笑するような響きを残し、“漆黒の鷹”もその場を後にした。
ただそれだけの邂逅。
後にアタシこと“魔女”が去り、“漆黒の鷹”がこの国に降り立った、というその事実だけが残る。
しかしホント、ミツルって恵まれているもんだねぇ。
こんなおもしろいコトが次から次へとやってきてくれるんだから。
運のいいボウヤだよ。




