191.傷を癒すたったひとつの冴えた方法
飛鳥市の榊さんの喫茶店「無常」に到着したのは朝の六時過ぎ。
道中、車の後部座席で睡眠をとることが出来たのは助かった。やっぱり一晩中戦い抜いた体は随分と消耗していたらしく、それこそ泥のように眠った。
2時間弱ではあったものの眠れるのと眠れないのは大違い。
起きた途端体が重かったりしたので如何に気を張って誤魔化していたのかよくわかる。
榊さんと電話番号交換したり、軽食を出してもらったりして一息ついてから、なんとか居候している出雲宅へ帰宅。
思わず寝床に倒れ込みたい欲望を何とか抑え込み、起き出してきた出雲と無事を喜び合う。
食事は済んでいるのでシャワーでさっぱりし制服に着替えた頃、綾が訪ねて来たので三人で出発。
自転車と電車を使いいつものように登校した。
そのまま気合で一日を終える。
ただでさえ休み明けで、憂鬱になりやすい月曜日だというのに、一晩中山中を走り回って伝説の鬼と戦いまくっての日中だ。そりゃもう眠気やら疲労感が凄い勢いで襲い掛かってくる中、なんとか一日を過ごすことが出来たのは奇跡に近い。
ジョーから帰りにどこか寄っていかないかというお誘いを丁重に断り、そのまま真っ直ぐに帰宅。
今度こそ何の憂いもなく夢の世界に旅立ったわけなのだが……。
そして今。
帰った途端に食事も取らずにばたんきゅ~した関係で妙な時間に目が覚めた。
時計を見ると夜中の1時くらいを示している。
【やっと起きたか…随分と熟睡しておったの。
まるで死んだかと思うほど、身じろぎひとつ無かったわ】
「……おはよう、エッセ」
むくりと上半身を起こす。
「あ、口内炎できてら」
かなり疲れていたらしく、タイムスリップしたかと思うほど完全に熟睡した感覚がある。寝すぎて固まった関節をほぐすように体をコキコキと鳴らしながらダイニングへ行くと、テーブルの上に書き置きがあった。
『充へ 綾がナスの肉あんかけを作ってくれたので冷蔵庫に入れてあります。味噌汁は鍋にあるので火にかけて、ご飯は冷凍してあるものを電子レンジでどうぞ 出雲』
ナイス!
さすがよくわかっていらっしゃる。
寝すぎて腹が空きまくっているオレは急いで冷蔵庫からラップしてあった料理を取り出し、温めた味噌汁とご飯で遅い夕食を取ることにした。
「うまッ!」
【誰も取らぬから、もうすこし落ち着いて食べたほうがよいぞ?】
「わかってるんだけどねぇ~。くそう、出雲はいい彼女を持ってるぜ!」
その味に舌鼓を打ちながら、かきこむように食べる。
茹でた鶏肉を刻んで肉あんかけを作り、軽く揚げたナスをカツオつゆと生姜で煮たものにかけた料理なのだが、大葉や人参、長ネギも入っていて見栄えも良く、それでいてボリュームはあるしさっぱりとした味付けでいくらでも食べられそうな感じ。
おまけに疲れているのを見越してくれていたのかはわからないが、味噌汁の具はアサリである。
文字通り満腹になるまで堪能した。
「満足満足」
ぽんぽん、と腹を叩く。
……自分でやっておいて、ちょっとおっさんくさいかな、と思わないでもないな。
気を付けよう。
「さて……んで、エッセ。何か言うべきことがあるんでしょ?」
食後の麦茶で一服してから、のんびりとリラックスした空気の中で問う。
【ふむ。気づいておったか】
「そりゃ気づくさ……って言えれば恰好いいんだけど。単にカマかけただけだよ。
あの晴明って人、しつこく人のことを後輩後輩って言ってた。いくらなんでも陰陽師の先輩後輩ってわけじゃなし、共通項に該当するのってせいぜい鬼と関わってることくらいだもん。
一応前にエッセがオレの以前にも契約者がいたみたいなことを言ってたから、それかなとも思ったけど、そのときは全員重要NPCだって言ってた覚えがあるから、自分で主人公って言ってたあの人は違うかな、とも思うし・
ただ、思い返してみたら普段なら助言をくれるはずのエッセが黙ってたから、何かそうすることが出来ない事情があったのかも、と思って聞いてみた」
あの伊達の分かれた意識体との戦いのときですら、エッセから助言はもらえていたのだ。外に出て解放されてから、黙りっぱなしだったのはおかしい。それに安倍晴明はオレでも名前くらいは知っているレベルの歴史上の人物なのだから、本来であれば主人公を管理する権限のある管理者たるエッセがまるで知らないわけがない。
【なかなかの名推理じゃな】
「登下校のときに眠気の残る頭でなんとな~く、そんなことが浮かんだだけだけどもね」
【別段隠し事をするつもりはない。
なにせ、今はおぬしがわらわの唯一の契約者じゃ。謂わば運命共同体、そのおぬしに不義理をするつもりなどありはせん。ただ……つまらん話にはなるじゃろうが、我慢して聞いてもらってよいか?】
頷き、ずず…と麦茶を飲みながら続きを待つ。
【あの男…安倍晴明はおぬしの推測通り、充の前のわらわの契約者じゃ。
かつて重要NPCじゃった、な】
「……へ?」
【何もおかしなことなどなかろう? 一般NPCであったおぬしが、重要NPCを経て今や主人公の性質を得ておるのじゃから。
重要NPCから主人公までなら、一段少ない分マシじゃろうて】
まぁ確かにそう言われちゃうと、そんな気がしないではない。
【ふふふ、冗談じゃよ。
確かにあの男は重要NPCから主人公になったが、おぬしとは意味が違う。
おぬしのように同じ存在が成り上がったのではなく……そうじゃな、わかりやすく言えば、わらわに契約させるために敢えて作られた重要NPCが、契約後に主人公として活動したに過ぎぬ】
え? 重要NPCを作ってエッセに契約させ、契約してからは主人公に…??
そんなことが可能なんだろうか。
【わらわの契約はその時々で違う。充の場合は出会ったときに死にかけておったからああいう形になったが、今までの契約者は同じような内容ではなくそれぞれで異なっておった。
例えば富や名誉など物理的に望むものと引き換えに協力させたこともある。
逆に力を欲するものにわらわの目的と合致するような力を渡し一定期間自由に使わせる代償として手足の如く動かしたこともある。
人間ではない本能だけの存在に知性を与えてみて、本人がその状態を望んだ場合には使い魔にしたこともあるかの】
エッセの契約。
契約、とわざわざ言うだけのことはあり、オレのときも含め彼女の申し出は実にフェアだ。
ギブアンドテイクで、望まなければ無理強いはしない。権利と引き換えに義務を負う。
そんな対等な取引だ。
単純に死にかけてたからオレに拒否権はなかったようにも思えるが、そもそも死ぬときにそのまま死ぬか生きるか選択肢を提示されている段階ですでに凄いことだろう。
おまけに彼女は目的の達成を要求していない。
望みものと引き換えに要求されるのは協力。
目的のために力を尽くしてもらうことだけであり、目的が果たせないからといってその過去の契約者を悪く思っている気配は感じられないんだ。
あの晴明という相手に対してはちょっと思うところがあるのか、微妙な感じみたいだけど。
【確か千年以上前だったはずじゃ。
すでにその頃、わらわは数度契約者と契約を行い、その度に失敗を重ねておった。失敗する度に、長い年月をかけて再度力を蓄え、また別の契約者を見出し協力を頼む。
それが管理者の傍らで出来る唯一の行動だったからの】
管理者として束縛されている、それがエッセの立場。
基本的に何をするにも管理者の行動以外には制限される。行えるのは世界の歪みから漏れ出る余りの力を使うことのみ。
溜めたその力を管理の際に会った人物の中でこれと思った人物に使い契約を行う。確かそんな感じだったはずだ。
【当時のGMコールによって、わらわは京と呼ばれる都の付近へやってきておった。
その際に向こうから話しかけてきた小童がおった】
それが安倍晴明。
【当時はわからなんだが、わらわのことを知っていて意図的に接触してきたんじゃろう。当初の印象は……そうじゃな。才能はあった。それこそ天才と呼ばれてもおかしくないほど、少しの会話で物事の本質を見抜いてしまうほどに。
じゃがどこか無気力であった。
奴は言うた。自分と言う存在は才に恵まれている。じゃがその使う意義が見いだせぬ、と。目的のない力に意味はない。その力を存分に振るえるに足る生きる理由が欲しいと】
自ら管理者に接触してくる。
その行動はオレのように偶然により出会えた者とは違う。
【管理者として確認してみたが、確かに重要NPCじゃった。なるほど、それならばこの才も理解できようと納得した。
そしてその能力への自負を見込み、力を貸してもらうことになったというのが経緯じゃな。よもやそれが全て企まれたこととも知らずにの。
それから数年ほど、あやつは契約者として活動しておった。充と違い意識の一部を渡したわけではなかったから通常は会話をすることもそうそうないはずじゃったが、なぜか管理者として立ち寄る先々にいつもおった。
会うたびに、好きだの愛だの煌めく星すら霞むだの、よくもまぁ飽きずに言うておったな】
………。
…なんか面白くないな。
【そのように難しい顔をするでない。
おぬしも知っておる月音嬢の件もあったから言うまでもないじゃろうが、どれほど一途であろうがどれほど耳障りのいい言葉であろうが、本人が何とも思うておらん相手からもらう好意は女にとって至極どうでもいいものじゃ。そのような軽い言葉は適当に流しておったよ。
充くらい一生懸命さのわかるいい男なら違うかもしれんがの?】
からかうように笑う声。
「……ん、じゃあオレも頑張ってみようかな」
【む……むぅ…】
ふ、オレの捨て身?の返しに、エッセは意表を突かれたのか口篭った。
【と、と、とにかく! それからわらわは一度だけ機構の中枢に肉薄することがあった。それまでの設定から生じた歪みが蓄積し、この世界をゲームたらしめている部分に被害が出ており、さらに負荷をかければ不可逆の損傷を与えられるかもしれない、そういう話を掴み、そのための行動をあやつが起こすことを期待した。
あやつはわらわの情報を元にその箇所を突き止め―――】
彼女の悲願。
今の軛から解放されることだけを願って動いた長い年月の末の、千載一遇の好機。
その結末は、
【―――そして大規模なバージョンアップが行われ、その歪みは修復された】
最悪のカタチで失敗を為した。
【そこでようやくわらわは気づいたのじゃよ。
正確には向こうがバラす気になったおかげかもしれぬがな。
重要NPCと表記されておったはずのあやつが、いつの間にか主人公として今回の件を“創造者”に告げ、対応を求めていたことに。
通常管理者を通さねば連絡を取れないはずの“創造者”に直接、な。
最初から偽装されておったのか、それとも途中で変更したのかはわからん。そもそもあやつは強制介入権を持つ主人公、つまり“創造者”と直接関係を持つ者であったなら、どちらでも可能性としてはあり得る。
事実として、当初は重要NPCとなっており、裏切りの時点では主人公であったという事実が残るのみじゃ】
「強制介入権…?」
【この世界、つまるところゲームを生み出すにあたって“創造者”へ出資した者たちがおる。そやつらはその出資者の中には見返りとして様々な恩恵を与えられており、さらに言えば世界を改変する提議を起こすことすら出来る。
その提議により開かれる“会議”により過去39回のバージョンアップのほとんどは決定されてきた。
わらわとて出資者全員は知らぬし、“会議”においてはその参加者についても詳しくは知らされておらぬ。ただひとつ言えることはあの晴明という男はその出資者の一人であったということじゃな】
………つまりアレかな。
ジョーから聞いたことのあるオンラインゲームの課金プレイヤーみたいなものなんだろうか。
お金を払うことで有利なアイテムや特典をゲットしてる、みたいな。
【近いかもしれぬな。そんな経緯があり、愚かにも騙されておったわらわはようやく決別。袂を別ってから後、あやつとは会っておらなんだ。次の契約者選びにも及び腰になり、ただ失意で流されるがまま管理者として動き続け、そして―――おぬしと出会った】
そう。
その出会いがあって、オレは今ここに居る。
【………以上じゃ。つまらん話じゃろう?
恥ずかしながら、わらわは自分の選択に自信を持っておった。それまでわらわが契約した者たちは力及ばず目的達成にこそ至らなかったが、力を尽くしてくれたからの。例え失敗し居なくなってしまった今となっても感謝しておる。
ゆえに、まさか選び信じて託した者に最初から裏切られると思わなんだ。そんな人を見る眼のない愚かな女の話じゃよ】
道理で。
内緒で“簒奪帝”を発現後に、それを利用して力を奪おうと考えていた割に、オレに対していちいち甘かったりしたり、そこで感じていた違和感の理由がやっとわかった。
信用はしてくれているのだ。
ただ手痛い裏切りの傷跡がまだ癒えていない。
だから裏切られてもいいように、予防線も張っている。
信頼してくれている割に秘密主義だったりという二面性、そしてそこからどこか詰めるに詰められない距離感が残っているんだろう。
「本当つまらない話だったよ」
ごくりと麦茶を飲み干して、湯呑みをテーブルに置く。
「特に結論がつまらないし気に喰わない。実はエッセはちゃんと見る眼あるんだから」
【……?】
「今度“は”ちゃんと間違いない相手を選んだだろ?」
びし、とサムズアップして自分を指差す。
数千年、下手をしたら万を超える時間。その中で希望として抱く悲願を、信用した者が直前で打ち砕くほど手痛い裏切り。人を信じることに多少臆病になったところで誰も責められない。
「今はまだ全面的に信じてくれなくてもいいよ。ただ、これからも行動でそれを見せ続ける。それだけは信用して欲しいな」
出来ることはそれだけ。
だけど裏切られても尚、あの場で死にかけていたオレを信じて生き延びさせてくれたのはエッセ。ならオレは出来ることくらいやらなきゃ男が廃る。
【………うむ、見せてくれ。楽しみにしておる】
「あいよ」
さて、明日も学校。早いところ休まないとまた寝不足になってしまうし、この体の筋肉痛も早いところ治めてしまいたい。
食器を片づけ、歯を磨いてから寝室に戻った。
ゆっくりと眠りに落ちていく意識で想う。
確かに強敵なんだろう。
話を聞いた限り圧倒的な力、そしてバージョンアップという形で世界の有り様を変えられるようなコネまである。これ以上なく厄介な相手だ。
それでも、自分を心から頼りにしてくれた女性との誓いを一度立てておいて、あっさりと裏切るような相手に負けるわけにはいかない。
絶対に、ぶっ飛ばす。
エッセの感じた痛みを何倍にもして返してやる。
【…………ありがとう、充】
決意に満ちた意識が闇に落ちる直前。
最後にそんな声が聞こえた気がした。




