189.世界はその意志のままに
ぎゅるりと空間が歪む。
見えない巨大な手に握り潰されたかのように渦を巻く軌跡で凝縮され、そして逆再生でもかけたかのように復元。その後に、そこまで居なかったはずの人物が現れていた。
「さて、困ったなぁ」
そう言いながらからからと笑うは安倍晴明と呼ばれた男。
少しも困っていない口調でその場に立っている。
鬼首神社とは別の山中、どこかの寺院跡であろうか。彼の周囲では朽ちた建物や塀などが明け方の光に柔らかく包まれ、青々と茂った草木がそよそよと揺れていた。
「霊力を溜めておく装置が無いと試そうと思っていた術式の計画が狂うだろうし……まぁいいか。ひとつくらいは後輩に譲ってあげても。今はそれよりも―――」
すぅ、と。
景色のうち一部に異変が生じる。
空間から染み出すように自然と人の輪郭が割り込んでいく。
彼が親しんだこの国の文化とは系統の違う、裾の長い五色に彩られた衣。それを纏って現れたのは長い銀髪を揺らし、怜悧な憂いを浮かべた美女。異性ならば思わず見惚れるその美貌、だが不埒な邪さを抱くにはその雰囲気は圧倒的過ぎて、逆に畏れを抱かせる。
よく知るその人物の姿に彼は思わず笑みを浮かべた。
「―――再会を喜ばないと、ね」
管理者。
晴明は彼女がそういった存在であること、そしてこの世界を統括するGM中、最も強力で最も上位に位置する者であることを識っている。
それこそ彼女以上に。
「やぁ、久しぶりだね。エッセ」
口調は変わらない。
しかし親愛というものに形があるとすれば、まさしくこのことだろうと思えるほど親しみを込め、その名を口にする。先ほどまで三木充に投げかけていた表層を繕うだけのものとは違う。
それに対する彼女の対応は、
「先に管理者として問うておこう。
定期イベント“鬼首大祭”において、歪みが観測された。
その原因はおぬしと確定されておる、それについて異議はあるや否や?」
淡々とした問いのみ。
だがそれもそうだろう。
管理者としてこの場に現れたのだから、その職務こそが最優先。そうでなければ晴明も、そしてあの三木充すらも現在の如き運命の流れの中に居まい。
「否。登録技能“泰山府君法”に依らず、機構に強制介入。死後との門を開き、使用済みとなった主人公個体を器として使役した事実を認める」
その言葉を聞き、エッセと呼ばれた女性は瞳を閉じる。
少しの間を経てから、
「確認………強制介入による地獄境界の異変は認識できず。修復作業を行う必要はないものとする」
そこまでで管理者として業務が終わったのだろう。
再び開いたその瞳に、かすかな戸惑いの色が浮かんでいるのを彼は見逃さない。
思わず構いたくなって、
「で、歪みを発生させたことについて、ボクそのものに何か罰でもあるのかなぁ?
「………知っておるだろうに」
ああ、楽しい。
どうにもならないことに対して抗おうとするその有り様が、他の何よりも彼の心をくすぐる。
やはり彼女がいるこの世界は最高だ。
思わず仕事をほとんど放り出して、千年以上も没頭してしまうほど。
罰する法などない。
そもそも機構に強制介入することのできる穴を作ったのは製作者自身。
機構に組み込まれているに過ぎない管理者であるエッセにそれをどうこうできるわけがない。
「だよねぇ。そもそも強制介入できるようにして、それをボクに使えるように計らったのは作った“あの人”への利益供与の見返りなわけだし……?
あ、チートって言うんだっけ? こっちの人間たちの言葉だと」
わかっているだろう事実を突き付け再認識させる。
大半の主人公には秘されている事実。
それが何人かの主人公には、他にはない機構への強制介入権がある、ということ。それぞれ得られる恩恵、結果は違うものの優遇されていることに違いはない。
「………まさか、おぬしがまだ続けておったとはの」
「あー、ハイハイ。キミと袂を分かったから飽きちゃったとでも思ったかい?
確かに見捨てられたのはショックだったからなぁ~。裏切られた傷心の身としては、一度もやめようと思わなかったとは言えない言えない」
わざと“見捨てられた”と強調しながら肩を竦める。
「裏切ったのはどちらの方か!」
「無意味な目的を諦めさせるように仕向けたことを裏切りというのなら、きっとボクからだろうね」
からからから…。
晴明の笑いだけが響く。
「とりあえずまたハルって呼んでほしいね、昔みたいに」
「断る」
「え~。キミがそう呼んでたから今はそう名乗ってるのにさ。
ああ、ボクが続けていることをキミが知らなかったのも無理はないよ。あれからボクが強制介入するときは上手く隠蔽してたし、どうしようもないときも“北”に管理者対応はお願いしていたから、さ。
つまり今回のはわざとだよ。キミに会うためにね」
温度差は縮まらないまま言の葉だけが流れる。
「それにしてもエッセも随分執念深い。さっきの言葉をそのまま返すよ。
“まだ”続けていたんだね、って」
「……ッ」
言外に諦めろという意を感じさせながら、稀代の陰陽師は続けた。
「なかなか面白い男の子だと思うよ?
三月もしないうちに“魂源”を顕現させているのもポイントは高い。出来ない奴はどれだけ時間をやっても出来ないわけだし。
ちびっと結果オーライのところもあるけれど、そこもいい。
陰陽師としては天佑の有無でどれほど結果が変わるか理解はしているからね」
三月。
つまりこの男は鬼首神社以前から充について気づいてはいた、と暗に言う。
いくつも彼について好評価を挙げていき、
「だけど、それだけだ」
冷たく切り落とす。
「能力が略奪系なのもマズいね。普通過ぎる。
生物が他の生物を捕食する、という奪うという行為そのものが日常である関係上、収奪系が最も多い“魂源”だから仕方ないんだろうが、もうすこし希少さが欲しかった。
よくある系統なんだから、当然パッと今考えただけでも片手の指の数くらいは彼をどうにかする対処法はあるよ」
ゆらり、と扇子を持たない左手を、指を見せつけるように意地悪く開いたり閉じたりする。
「そして温い。敵に温い。味方に温い。そして何より自らに温い。
ボクの名を聞いたことがあるのに“反閇”ひとつ対応できない。こんなもの一般的な術だというのにも関わらず」
“反閇”。
古代中国においては占いなどとも関わりもある古よりの術。
主にどこかに向かう際や鎮めの際に行われた呪術で、この国においては儀式呪術要素が色濃く、神道や他の分野にも流入し四股など、邪気祓いとして使われる。
会話の最中に晴明が試しに戯れて行った特殊な歩法。それに気づかず、“反閇”を発動させるに任せたことが減点だと言うのだ。
“反閇”で山ひとつを範囲とし、あれほどの浄化を行える晴明が規格外であることが事態をややこしくしているのだが。
「結論、彼はボクの後輩には相応しくない」
そう、この男―――安倍晴明こそが充の前任者。
エッセに見出され、彼女の願いを託された者。
そして、その願いを砕いた者。
だからこそ彼には自負がある。
自らだけがエッセに相応しい、と。
適わぬ夢を永劫諦めきれずに足掻くその美しい生き様には、自らしか並び立てない。永劫の彼方までその貴き在り方を楽しんでいいのは己だけ。
「そして何より腹立たしいのは―――」
ざわり。
それは晴明が初めて見せた感情の色。
かすかなその揺らぎに巨大な呪力が脈動し、あたりの木々が急速に萎れていった。
ぎゅる、と陰陽師の瞳の光が動く。
「―――エッセ。キミが彼の中に意識体を存在させている。
いや、それはまだいい。だが頂けないね。それをボクから隠そうとしていただろう?」
「…ッ」
鬼首神社で充が晴明と対峙した最終局面。
そこでエッセの意識体が意図的に活動を停滞させていたことにすら、気づいていたのだ。
「だから決めたよ。彼を毀す」
ばらら、と扇子が開く。
そこには太極そして五芒星を象った呪紋が描かれている。
扇子で口元を隠しながら、晴明は笑う。
「もっとも、ボクが手を下すまでもないかもしれないけれどね。
“狼”から受け取った欠片…“魔王”の悪意と、茨木童子の中にいた伊達政次の分かれた意識が有した狂気。その二つを喰ったのだから、無事で済むかどうかも怪しい。
喰い合わせは最悪もいいところだ。」
から……。
「その間にボクはやるべきことをやらせてもらおうか。
エッセには悪いけれど、キミも忙しく働いてもらうよ?」
「………何をするつもりじゃ」
からから……。
「この時代は温いんだ、温すぎる。
平安はよい時代だった。闇が深く、生死が満ち溢れるがゆえに想念も強く、怪異と神秘が星空の如く無数に現れた。勿論この国だけじゃない。
どの国の“上位者”も、そして“逆上位者”も、弱体化甚だしい」
太古、神話の時代の残り香が満ちていた時代。
人の祈り、憎悪、不安、希望、様々な想念が満ち溢れ、今よりも混沌としていた。
それがゆえにその時代の“主人公”は強大だった、と彼は言う。
戦場で生まれ生きていくために戦わねばならない者と、平穏な国に生まれ平和に暮らす者の間に純然たる差が出来るように、闇の薄い現在において弱体化しているのだと。
それはある意味正しい。
だが間違ってもいる、とエッセは思う。
確かに魔物が減り、神代より伝わる術式もかなり失われている。
だが文明が発達した分だけ出来ることが増えている。旅客機がない昔であれば転移の術式が無い者の長距離往復は難しかったし、物流が発達していなければ違う文化を体感することも出来ない。
事実、特化した職が減ってはいるものの、広く浅く楽しむ、という者は増えている。
昔であれば文官はその技能だけ、戦士はその技能だけ、多少教養があったとしても現在の教育のように文学から始まり算術、哲学、芸術と本業以外も楽しむ余裕が少なかった。
つまりプレイスタイルが生まれただけの話ではないかとも思うのだ。
そういった意味で、晴明の論は一面的には正しいが、同時に他の面で間違っている。
「だから改変しよう。ボクは“会議”の招集を宣言する」
「……ッ!? まさか、おぬし……」
からからから…。
晴明の笑いは止まらない。
嘲るように、憂うように、怒るように。
「精々後輩を助けてやるとよい。
それを粉々に毀して、また哀しむキミを鑑賞したい。
本当は政次くらい徹底してやりたいが……生憎タイプが違う。分別が在り過ぎると無理だね、あれは」
ばさっ。
その体が崩れる。
いつの間にか無数の木葉の塊となり、そのまま地面に落ち風に舞い散っていく。
目の前から退場したかつての知り合い。
だが彼女は彼が終わりに残した言葉に動揺を隠せずに立ち尽くす。
“会議”の招集。
それは強制介入権を持つ“後援者”、そしてこの忌まわしい機構を作り上げ彼女を縛りあげた“創造者”、彼らが一同に介するということ。
これが初めてというワケではない。
過去に数度だが、行われた事実がある。
だがそれはとある目的のために開かれるのが常。
その具体的内容について、提案や賛否が行われる場。
それが意味するところはゲームでいうところの―――バージョンアップ。
過去のそれにより、昨日の死者が今日生き返ったように。
世界の理が改変される。
結果がどうなるかはわからない。
だが間違いなくあの男は提案するだろう。
この世の主人公、そして“逸脱した者”を混沌へ突き落すために。




