188.大祭終結
その男の名乗った名前。
安倍晴明。
さすがオレでもその名前は聞いたことがある。
かなり昔の人間で、陰陽師とかいう職についていた人だったはずだ。
時代が時代ということもあり、嘘か真か様々な伝説的逸話があるせいもあって、現代においても読み物などの題材にされたりもしていた。
ただ実際に陰陽師、というものについて知っていることは少ない。
その呼称をちょっと聞いたことがある程度だ。伊達と戦ったときに何か札みたいなもので鬼を召喚してたのがイメージしてた陰陽師に近いっぽかったけども、奪ったのはあくまで力であって、その職業の成り立ちなどまでわかるわけではない。
他に知っていることと言えば……確か古代中国で確立した陰と陽、そして木、火、土、金、水によって万物が成り立っているとする陰陽五行とかいう思想を元にしていることくらいか。
「正確には現代でイメージされている陰陽師、引いては陰陽道は平安時代以降のものだよ。
元々はキミが考えているような認識で、陰陽道の他に天文や遁甲をやったりする神祇官のようなものだったらしいけれどもね。
ボクの頃には悪霊退散のために力を使わないといけない存在になっていたから、そのためには色々な他の系統の術も取り入れられたイメージが今までしっかり伝わっているんだろうなぁ」
まるで心を読んだかのように。
いや、もしかして何かの術を使って実際に読めているかもしれない。
そうとしか思えないくらい、とん、と半歩踏み出しながら、オレの思考に対して続きを言葉にする晴明。
確か歴史の授業だと、呪いか何かを気にして奈良から京都に都を移したと習った。
つまりそれくらい当時は鬼とか呪いとか怪異が身近であったのだろう。そう考えれば、陰陽師にどんどん即応性、汎用性が求められ、それに適応していったという説明はわからないではない。
何せ現代に生きているオレでさえ、この三か月で鬼やら妖怪やら色々見過ぎているんだから。
………実体験が切実過ぎて自分で言ってて泣けるけど、今は我慢だ、我慢。
「昔の純粋な陰陽道から見れば、道教など色々混じってしまっているのだから一言物申したいかもしれないが………言っているボクも今日まで西洋の魔術だろうが未開の精霊術だろうが、使えるものはとりあえず使えるようにしてきているから大きなことは言えない言えない。
やっぱり天才は世界に影響を与えてしまうのだなぁ…ってね?」
これが、その口調同様何でもない世間話であったのならばまだ良かった。
だが山ひとつを完全に覆ってなお余りある呪力、そしてその持ち主を守るように構える侍たちと対峙している目の前の現実が警戒を解かせてはくれない。
オレの目の前で刀を構える渡辺綱という男。
かつて大江山で茨木童子と立ち会った古強者。
すでに彼女を取り込んだ今のオレならば問題なく勝てない相手ではないが、さすがに瞬殺できる相手とも思えない。特に触れた物を奪う能力のある“騎”を切り、なおかつ内部の鬼の力を消失させたその刃は危険因子であることに間違いない。
先ほどの榊さんの台詞からすれば、そちらのほうに立ちはだかっている侍たちも名が知られるほどの強者なのだろう。
だが今問題なのはそれぞれの目の前にいる者たちの強さではなく、そいつらと戦っている間に晴明が自由に動けることへの不安だ。
じり……。
緊迫した空気が悲鳴をあげているような錯覚。
呪力に圧されて大気が軋んでいる中、のんびりと語る陰陽師に対し無言で様子を窺っているしかない。
そんなオレたちを気にすることもなく、当の本人はからからと笑いながら、のんびりと数歩歩きながら会話を続ける。
「ん~? んん~?
しかし困った困った……もうちょっと引っ張ってから挨拶しようと思ったのに。
寄りにもよって回収しようと思ってた茨木童子は取られちゃうわ、それどころか一撃喰らって正体もバレちゃうわ、一体何が原因だったんだろうねェ?」
わかりやすくいえば油断。
圧倒的強者ゆえの驕り。
心を読まれるとわかっていても、その問いに反射的に理由を浮かべてしまう。
「油断……そう、油断だな。油断なら仕方ない。
仕方ない仕方ない。何せ油断のひとつもしてやらぬと、キミたち相手に遊ぶのも圧倒的過ぎてつまらない。確かに油断は必要不可欠、意味がある。つまりここでの結果にも意味があるということだな。
ならば鏖殺して引っくり返すのも因果に反するやもしれない。
計画に協力してもらった友人の仇を取るチャンスを棒に振るのは些か惜しいが……ふむ、時間はいくらでもある」
計画に協力してもらった友人?
それを聞いて閃くものがある。
「……………まさか」
「左様。伊達政次はボクの友人だよ。
それに“上位者”であると同時に“逆上位者”なんだ、色々雑事をこなしてもらっていたよ?
鬼首神社の本陣に忍び込んで鬼首そのものに細工をしてもらったり、そのときに巫女を魅了して排除してもらったり……ああ、それを台無しにされた意味でも、キミが彼をなんとかしちゃったあたりでケチがついてたんだねェ?」
この男の計画に乗っかる形で、伊達は動き結果あの復活した茨木童子の中に思念体を残す仕掛けをしたのであれば納得はできる。
………むしろあの男に友人がいた、という事実のほうが理解に苦しむ。
「中々酷い評価だねェ……。
あんなに一途な男はそんじょそこらにいないじゃないか。同じ男として見習いたいくらいさ。
ちょっとくらい思考が壊れていても気にしない気にしない」
からからからから…。
笑いが響き夜の闇に吸い込まれていく。
「さっきから聞いてりゃあ……随分、あっさりとてめぇから種明かしをするんだな」
不機嫌そうに漆黒の狼が横合いから口を挟む。
何度か仕掛けようとしているようだが、悉く目の前の男たちに機先を制され牽制しあって動けない様子だ。ゆっくりと歩きながら、さらに口が開かれる。
「わかる? 一度やってみたかったんだよねェ。
こういうの“お約束”って言うんだろう? これがなかったらテレビの悪役や犯人があんなにあっさりと自白しないだろうし、様式美は大事大事。あれ? でも最近は最後は暴力でひっくり返して正義の味方を倒す方が流行ってるんだったかな?」
一見成立しているように見える会話。
別段険悪でもなければ無邪気な様子で隔意もなく見える。それこそ口の上手い奴なら交渉で丸め込んで言うことを聞かせられてしまえるほど。
だが違う。
もっと根本的なところで成立していない。
一方的に自分勝手に行動している結果が偶然噛みあっているだけ。話したいことに対する問いだから答えているだけ。
「よし、じゃあ潔くお暇するとしよう。こういうときは何て言うんだったかな……?
ああ、そうだこれだ」
ぽむ、と手を打って、
「“今日はこれくらいで許してやる、覚えてやがれ”」
トン。
一歩足を踏み出しただけ。
だが瞬間、覆いかぶさるように滞留していた呪力が主の意を受けて弾ける、ひとつの容を為す。
―――“反閇”
まず山に満ちていた鬼気が吹き飛んだ。
それこそ一片も残らず。
「……ッ!!?」
全身から力が抜けて思わず膝を付く。
それだけでは収まらず手も地面に出しながら倒れる。
鬼気が消滅したのはオレの裡の茨木童子たちも、そしてこの場にいた榊さんも例外ではない。それどころかなぜか鬼と関係ないはずの八束さんもその場でのたうち廻っているし、簒奪帝”までも起動するのに阻害でもされたかのように、存在が薄くなる。
まるで陸に打ち上げられて酸欠になった魚のようなもどかしさ。
なんとか茨木童子が溜めこんでいた霊力を変換し消滅しつつある力を再生、補充していくが、それも片っ端から消えていく。
山全体に恐ろしい強度の邪気祓い的な術の力が及んでいる。
「ぐぅぅぅぅ…ッ!!?」
苦しみに喘ぎながら変換を続ける。
他に何も考えられないくらいの痛みの中で行う作業は1秒が1時間にすら感じられる苦行だったのだろう。ようやく浄化の速度が落ち一定のところまで回復し、楽になったがそれまでどれくらいの時間が経ったかわからない。
ようやく顔を上げれば、すでにそれを為した元凶であろう男の姿はなかった。榊さんはいつもの喫茶店にいる体格に戻り、八束さんも人間の姿に戻っているが、二人とも随分と衰弱した様子だ。
オレたちの前に立ちはだかっていた侍たちも巻き込まれたのだろう。一斉に砂となって崩れ落ちたらしく、彼らがいた場所には砂の山が4つ残されていただけだった。
「……なんとかお互い無事みてぇだな」
「そのようですな」
ふぅ、とため息をつく八束さんと、まじめに頷く榊さん。
ひとまず危機は去った、のかな?
安心したらふと気になったので、
「………八束さん、えぇと」
「みなまで言うんじゃねぇよ、わーってるって。何か適当に見繕おうにも何もありゃしねぇもんなぁ」
素っ裸なことに思わずツッコみそうになるも、困った顔をして言わんとすることを察する八束さん。
多分狼に化ける、というか戻るときに衣服は破けるか無くなるかしたようだ。
「とりあえず大儲かりだな」
「何がです?」
「“修復屋”が」
そういえばそんな仕事の人がいたな。
言われてよく見ればあたりは酷いことになっていた。
今いる山頂に近い部分がすり鉢のようにクレーターになっており、本陣はおろか木々すらも綺麗さっぱり何もない。あれだけ派手にドンパチやったのだから、他のところだって色々被害があるだろう。そもそもそれぞれ封印のあった社も壊されてるし。
「うちの連中が結界張っておいたから、一般の人間にゃドンパチの影響は出てねぇし気づかれてもいねぇだろうが、いつまでも維持できるもんじゃねぇからな……。いいトコあと半日程度だろ。
裏方の連中が干からびる前に“修復屋”の連中に突貫工事で頑張ってもらうか」
「はぁ…………あ!」
冷静になってみて、ようやく咲弥たちのことを思い出す。結界が破られて気絶してたから山頂付近にいたはずなのだ。慌ててきょろきょろしていると、
「ご友人の方なら、うちの者が連れて下山するよう手配しておりますよ。何、力のある鬼ですので気絶している方を運ぶ程度なら間違いはありますまい。
充様が鬼首大祭で頑張っていると知って、助力したいと自ら申し出たくらいですからな」
「………?」
「覚えておりませんかな? 確か先日私の不在時に接客させて頂いたそうで」
あー、そういえば居たな。
鬼首大祭の最中、何か知っていないかな、と思って行ったら榊さんが不在で、代わりに意味深なことを言ってた鬼が。
とりあえず後でお礼を言っておこう。
「そういえば、何か結局封印されていた茨木童子、解放させちゃいましたけど……いいんですかね?」
「そうですな…この神社の存在意義に関わりますので勝手に決めるのも些か通りが悪いかもしれません。そうかといって充様にそのように懐かれては、封印せよと言われても同意できませんし」
オレの裡にいる茨木童子について、榊さんはわかっているようだ。なぜかほんわか居心地よさそうにしているのまでバレているようで、不思議だ。
「ひとまず退散するとしましょう。ここにいては“修復屋”とやらの邪魔になりますし、今回のことを総括するにせよ今後のことを話すにしても、ここでは落ち着いて話もできますまい。
そうですな……麓に車を準備しておりますので、そちらで無常の方に参りましょうか。
食事や休む場所なども提供できますし、状況を整理するにはよいでしょう」
「は、はい!」
「だな。さすがに一休みした方がいい」
いつに間にか再び狼になっていた八束さんはそう言うと、ゆっくりと一人で歩み去っていく。
「あれ? 八束さんは……」
「悪ぃがここでお別れだ。まだ仕事が残ってるンでな……お疲れさん。充」
ひゅんっ。
一瞬でスピードを上げてそのまま消えた。
いや、本当、あの人いなかったら首が落ちてマジで死んでたもんなぁ……改めて菓子折りでも持ってお礼に行こう、うん。
「…あれ?」
「夜明けですな」
気づけば東の空から日が昇り始めていた。
夜目が利く技能を得てからは暗闇の戦闘に不自由しなくなっていたせいもあり、明るくなってきているのに全然気づいていなかった。
鬼首大祭最終日。
ようやく長い長い依頼が終わった。
千年に渡る想念が解き放たれ、ようやく鬼は安んじられたのだ。
引き換えに、強大な敵との因縁を残して。




