187.術総べし者
彼女の手を取ると同時、その力が重なる。
茨木童子の内部にいる現在、それはこの世界そのものと一体化したようなものだ。
意志のままに世界が割れる。
新たなる地平を生じさせるために。
飲み込まれた鬼の世界が砕け、元の世界へ繋がる歪みが生まれた。
この大変だった祭りもいよいよ終わり。
と、外の世界への小さな空間の亀裂から、聞き覚えのある声が飛び込んで来る。
「じゃあ…!! テメェがこの全ての元凶だと……ッ!!」
兄貴こと八束さんの声。
どうやら茨木童子の近くにいるらしい。
見知った人物が無事だという事実に安堵する前に、
「全て? どこからどこまでのことだい?
ここで鬼さんたちが消耗しているところを見計らって飛び込んできたこと?
厄介な動きをする狼クンを閉じ込めたこと?
分霊たちの手助けをして“逆上位者”を紹介してあげたこと?
それとも鬼首大祭を企画したこと?
ああ、それとも―――茨木童子に、霊脈で眠るように仕向けたことかな?」
八束さんの言葉に答えたもうひとつの声に思わず驚きを浮かべてしまった。
こちらも聞き覚えがある。
洞見童子。
鬼首の封印を巡る戦いで“逆上位者”の棗に首を斬られる前、一度見えたことがある。そして茨木童子の想念を理解した今は、分霊を騙っていた謎の人物という認識だ。
だがさらに問題なのは、その発言の中身である。
元凶……?
八束さんから、一度洞見童子に変な空間へ隔離されたことは聞いているし、あそこで“逆上位者”が出てきたのだからツルんでいたのも、まぁ納得できる。
だがその後、鬼首大祭を企画した、という点、そして茨木童子に霊脈で眠るように仕掛けた、という点については初耳だ。
思い出す。
茨木童子の一番最後の記憶にあった、強さを求める問答をした霊力の薄い人物を。洞見童子とは似ても似つかないが別に本人でなくて手下みたいなものだったという可能性はある。
それが本当であるのなら千年以上生きてるのか、洞見童子!?と思わずツッコみたくなるが、それはさておき、相当タチが悪い奴だということは間違いない。
「術を使うのに霊力が必要でね、その上ボクは天才でたくさん術が使える。
勿論ボク自身にだって相応の霊力はあるけれど、あったらあっただけ困らないのも確かさ。
そこで考えたんだ。貯めておけばいい、ってね」
………コイツ、人をなんだと思ってやがるんだ!?
いや、茨木童子は人じゃないけども。
少なくともコイツにこんなモノ扱いされるほど茨木童子も、羅腕童子も軽い存在じゃない。
なんでもかんでも自分の都合のいいように利用するものとしか見做していない、そんな在り方が無性に癪に障る。
得意げにくだらない計画を話す洞見童子を一発思いっきり殴ってやりたくて仕方ない。
急いで、まだ細い空間の亀裂に爪を立て、開くように力を込めた。
ぴき…ぴききき…。
それでも徐々にしか外への道は開いていかない。
まどろっこしい…ッ。
今すぐに、そう、今すぐにでも叩きのめしてやりたいのに…ッ!!
「………!?」
そっと。
無理矢理空間をこじ開けようとしている手が、暖かい感覚に包まれた。
ふと見れば、いつの間にか隣に居た白い少女が、オレの手に自分の手を重ねている。
「茨木童子…?」
応える言葉は無い。
だが無言ながらも彼女の瞳は明確な意志を示していた。
それだけではない。
それぞれ背中にそっと添えられた何人もの手。
「まさかニンゲンに力を貸すことになろうとは……。じゃが、わしはニンゲンじゃろうが鬼じゃろうが骨のある者は嫌いじゃあないぞ?」
朝顔柄の入った浴衣を纏った幽玄童子が、外見相応の楽しそうな笑みを浮かべながら、外見とは違和感のある口調で楽しそうに言う。
「主が力を貸すのなら、異論はありません……さぁ、参りましょう」
市女笠を被ったままの顔のわからない女性。
悠揚童子の名を持つその娘は嫋やかに告げた。
「あ、あのぅ……お、お手伝いします。よろしく、お、お願いしますぅ!!」
濃紺の衣を纏った少女、具眼童子。
人見知りなのか、彼女はおどおどしながら小さな声をあげる。
「大変不本意ですが…皆がよいのであればワタクシだけ我儘を言うわけには参りませんわ。
……言っておきますが、一度勝ったくらいで心から心服しているとは思わないで下さいましね」
漆黒の装束に身を包んだ静穏童子。
その彼女はオレに倒されたのをちょっと根に持っているらしく、少し不機嫌そうにそう言った。
「最初は羅の字に頼りっきりの非力な人間かと思ったのに、随分とまぁ引っ掻き回してくれたもんだ。
でもね……眠りについた主に妙な術仕込んで、あたいらをいいように動かしたクズ野郎に一泡吹かせたいのは同感さ」
分霊の纏め役の宴禍童子―――宴姉は、意地悪く言いながらも、その口調は親しみのあるものだし目は笑っていた。
そしてオレの裡に在る羅腕童子。
あまり声をあげて笑ったりしない公長が表に強く出ているのか、喜びを表さずに平静を装っている。だが実は小さく唇の端を歪めているのにオレは気づいていた。
「……ああ、頼む。」
頷く彼女を見てから、再び左腕に力を込める。
流れ込む力。
茨木童子の能力を己がものとして解放する。
具眼の目が亀裂のうち最も脆い箇所を暴き、そこに悠揚童子の不可視の力を注ぎ込んだ。
ずるり、と幽玄童子のように体を分ける。
出口を広げる作業を残骸に任せ、オレは一歩後ろに下がる。
構えた拳。
そこに求めるは羅腕童子のような感覚の繊細さ、宴禍童子の膂力。
それを扱うは静穏童子が持つ武たる技術。
そして、載せるは茨木童子の想い。
さぁ行こう。
…バキィィィンッ!!!
亀裂が大きく広がって砕ける音。
まるで窓のように開いた空間から外が見える。
そこには見えるのは紺の作務衣を纏った鬼―――洞見童子の姿。
「お…おおおおぉぉぉぉぉぉォォォッッ!!!」
握りは硬く堅く、そして意志さえも何より固く。
全力で拳を打ち抜く。
何かを突き破る感覚。
空間の壁を突破したオレの拳は、そのまま目の前にいる洞見童子へ向かう。
ド、ゴッッ!!
全体重をかけて振りぬいた拳は狙いを過たず、顔面に直撃する。
確かな手応えと共にその一撃は洞見童子の頭を打ち抜いて一気に砕き、そのまま体の一部が後ろに吹き飛んでいった。
同時にオレの周りの白い空間は完全に崩れ落ち、体に纏わりついていたものが剥がれ落ちたかのように周囲の風景が一変する。山頂に出来たクレーターのような広大な破壊痕。
洞見童子以外に確認できたのはめっちゃゴツくなっている酒呑童子こと榊さん、ちょっと自信がないけれど八束さんじゃないかなと思われる黒い狼くらいだけど。
「残念だったな……彼女はもう自分で立ち上がるってよ」
殴った洞見童子に告げる。
当の相手はというと頭が半分くらい砕けた状態のまま、殴られる前の位置に立ち尽くしている。
ざざざざ……。
正確には足元から崩れ砂となって、どんどん体が崩れているようだ。
あれ? 一撃で倒せちゃったか。
「充…自分でやっぱりなんとかしやがったか」
黒い狼がちょっと安堵したような感じでニヤリと笑う。
やっぱり声からすると八束さんみたいだ。
「ええ、結構危ないところでし…ッ!?…」
ぎょっとする。
洞見童子が完全に砂となり崩れ落ちたことで、その後ろが見える。
距離として20メートルほどか。
そこに倒れた人間がゆっくりと起き上がろうとしていることに気づいたからだ。
長身の……おそらくは女性だろうか。
顔立ちは悪くなく切れ長の瞳は緩い光を宿している。手足は長くスタイリッシュではあるが、髪は肩口までのセミロング、胸は控えめだ。
上半身は白いワイシャツを着てヴィンテージっぽいジーンズを履いている。それだけなら様になっているものを、なぜかその上から、本来長着や小袖の上からはおる羽織を着用しているという事実が違和感を感じさせた。
「いやぁ…まいったね。先輩の威厳が台無しじゃあないか、まさか“外装”を突き破るとは、ちょっとばかりボクの予想外の一撃だったよ、うん」
彼女はぱんぱんとジーンズについた砂を払いながら起き上がった。
先ほど洞見童子を殴った際、何かが後ろに吹き飛ぶのがわかったが、どうやら吹き飛んだのは彼女だったようだ。
“外装”と言ったのが先ほどその場で崩れ落ちた洞見童子だとするのなら、つまりこいつがそれを被って今まで鬼のフリをしていた奴ってことか!?
「御名答~」
「ッ!?」
「充クンはわかりやすいねぇ。正直そのうち無心技能を手に入れても、そんなに顔に出るようじゃあ意味がないと思うよ?」
カラカラと笑われる。
「…いくら女性だって、これ以上戦うっていうのなら手加減は―――」
「あれ? 女じゃ不味かったかい? 何なら男の方にしておこうか?」
いつの間にか女の手には扇子が握られている。
少しだけ開き、ぱちりと閉じ打ち鳴らすと一瞬にして彼女の輪郭が歪んでゆく。
柔らかみのある曲線ラインが、男性らしく細くとも筋肉質そうな骨太な体格に、髪も短くさっぱりした髪型になっていた。
「細かいリクエストがあるなら今のうちにどうぞ? 何、そんなに難しいことじゃないからね。老若男女、髪も目の色も、いくらでも好みにしてあげよう。
よもやこのタイミングとは思わなかったが、せっかくの後輩との初対面だ。多少サービスしてあげるのも悪くない」
「……な、なんなんだよ、お前」
意味がわからない。
なんでもないようなことを言う女性、もとい男性。
軽い口調で言っていることひとつひとつに肌が泡立つ。
本能が告げる。
聞いてはならない。
理解してはならない。
ばぎんっ!!
背から8本の漆黒の腕を顕現させる。
羅腕童子の同化により精密極まりない動作が可能となった“騎”。
一気にそれを相手に向けて放つ。
正体不明の相手だからこそ先手を取る。
倒して捕獲してから尋問すればいい。
おそらくは会話を黙って聞いている間も様子を窺っていたのだろう。
榊さんと八束さんも同時に動き出す。
茨木童子を完全に吸収したオレと、“神話遺産”2人。
喩え主人公でも、それどころか“逆上位者”であったとしても対応することは難しいだろうその攻勢が迫る。
だが顔色一つ変えず、
しゃらり。
優雅に扇が振られる。
相手の周囲の地面に浮かぶ複数の五芒星。
突如そこから人影が浮かび上がる。
その人影たちは迅速な動きでオレたちそれぞれの前に割って入り、それぞれが手に持った白刃を振るった。
ザシュッ!!!
「…ぐっ!!?」
伸ばした“騎”のうち、最も相手に近づいたもの断ち切られ、驚いて全部の腕を引き戻す。斬られたことに、ではない。斬られた分だけオレの内部の鬼の力が減少したことに、そしてそれを為した相手に、だ。
「渡辺…綱だと…ッ!?」
茨木童子の記憶の中に出てきた侍。
それが記憶と同じ姿で立ちはだかっている。
ただその瞳に白目はなく、漆黒の眼窩に青い燐光が宿っていた。
他も同様。
榊さんには一人、そして八束さんにも二人、日本刀らしきものを構えた者たちが対峙している。それぞれが刃を振るい、榊さんに防がせ、八束さんに避けさせることにより攻撃を中断させたのだ。
恰好からすれば侍のようだが、渡辺綱と同じように瞳だけが異彩を放っている。
「……死んだはずの剣豪…まさか泰山府君の…ッ!?」
どうやら榊さんには見知った顔がいるようで何か驚くように呟く。
「半分正解。
おっと。答え合わせまたにするとして……まったく野蛮だね、ああ、都の人間ではないから風流がわからないのは仕方がないことか。
せっかく身だしなみを整えたのだから、自己紹介くらいさせてほしいよ。
そうそう、狼クンたちは動かない方がいい。無理をされるとうっかり殺してしまうからね。何せキミたちはただの“神話遺産”に過ぎないんだから気を付けないと」
そこまで告げ酒呑童子からオレに視線を戻し、線の細い青年のような外見のまま、敵は胸を張る。
ゆるりと手を自らの胸に当て、高らかに己が存在を誇る。
「ボクの今の名はハル。
キミがよく知っている主人公の一人。そしてその中で最も術に長け、ちょっと不老不死になっているだけの者さ。
ああ、でももしかして昔の名前のほうが通りはいいから、そっちなら知っているかな?」
ばさ、と口元を隠すように扇子が広げられると異様な呪力の高まりが山全体を震わせた。
否。
異様ではない。
彼の告げるその名を聞いたのならば。
―――安倍晴明、さ
最強の名を欲しいままにした陰陽師が強大であることなど、当然なのだから。




