186.その識、洞見にあらず
“神話遺産”同士の戦いの行方。
それはもはや思わず笑ってしまうほど予測通りになりつつあった。
予想通りに物事が運ぶのは素晴らしいことだ。
特に緻密に下準備をし多大な労を費やして決行した計画が台無しになってしまうことに比べれば。
「終わり…だッ!!!」
ズゾンッ!!
漆黒の毛皮を纏った狼が最後の分身を倒し、ゆっくりと着地する。
その速度は見事の一言に尽きる。
元々敏捷な動きで相手を翻弄し軽い手傷を蓄積させて仕留めるスタイルだったのだろうが、今はその身に宿る“魔王”の禍々しい魔力がその毛皮に強固な防御力を、そして爪をさらに鋭利にし破壊力までも与えている。
無論、過去に犬神を使役していたこともあるし今もストックがあるとはいえ、さすがに単体であそこまでの能力を持つ化け物には及びもつかない。
「アレを犬神にしたら、さぞかし面白い怪物になるんだろうねぇ」
おっと、いけないいけない。
つい蒐集癖が顔を出しそうになる。勿論将来的に機会があれば、いや、むしろそっちに割ける余裕が出来たらかな? そういう折に試してみるのも悪くないが今は優先するべき目的がある。
そう思い直し視線を動かす。
先にあるのは強力無比なる鬼が二匹。
酒呑童子と茨木童子の戦い。
人外のその闘争は最終局面を迎えていた。
ばぢん…ッ、ばぢばぢ…ばヂヂッ…!!
燐光のような小さな輝きを纏う茨木童子。
眼前に立つ榊さんこと、酒呑童子は仁王立ちのまま受けて立つ構え。
力を外に放とうとする鬼と、自らの裡に力を凝集する鬼。
「最後の一撃…さて、どっちに軍配があがるんだろう」
予想はすでにしているし、どちらの勝利に賭けるかと聞かれて賭ける者も決まっている。
だがこの予想は別段外れても痛くも痒くもないせいか、つまらない。どっちに転んだとしても結末は変わらない、その確信があっての予測などただの暇つぶし以上の意味がない。
茨木童子の角から、それぞれが彼女自身を飲み込むほどの三条の雷光が生まれ、上昇しながら絡み合い一本へ収束。そのまま天から降り注ぎ目標―――酒呑童子へ向けて殺到した!
直撃。
一瞬昼になったかと思うような光が辺りを満たす。
酒呑童子を中心としてかなりの範囲に破壊がまき散らされた。むしろ破壊力があり過ぎ、中心から離れている茨木童子すら範囲の中。
気が付けば山の頂上部分を完全に吹き飛ばしてしまっている。
噴火口のように見えるほどぽっかりとしたクレーターが山頂に残る。
「うわぁ…こりゃ随分と派手にやったもんだ。さすが曖昧な状態にあるとはいえ、大鬼だ」
辺り一面焼け野原。
余波とはいえしっかり防いだらしい狼クンもびっくりして酒呑童子と茨木童子を睨んでいる。
最早神社としての再開は望めないほどに滅茶苦茶だ。
その中、酒呑童子は直撃するときと同じく、仁王立ちに構えたまま堂々と存在していた。
完全に避けられないとしてもある程度かわすことくらいは出来たに違いないのに、そんな様子は微塵もない。足を止めたまま直撃したその攻撃を受け止めたのだ。
娘の一撃を受け止めたのは、さすが親父と慕われた鬼ってところかな。
とはいえ強固な彼の防御能力でも防ぐことは適わなかったのか、その体の表面がほとんど炭化するほどだったが急速に治っていく。
上位の鬼ほど強大な再生能力を持っていることが多い。
そんな鬼同士の戦いにおいては一撃で致命傷を与えるか、再生能力を上回る攻撃をし続けるか、それとも再生能力に使っている霊力が枯渇するまで攻撃するかでなければ倒すことは難しい。
つまり、これまたやっぱり予想通り。
勝つのは酒呑童子だ。
その腕に力が込められ、鬼気が増大していく様は彼には明らかに茨木童子を倒し切る威力の技があることを予感させる。さっきまでは周りへの被害を心配して力を抑えていたようだけど、今はそれもないようだし。
正直蟻を踏み潰すことを気にしていたら生きていけないと思うんだけども、それは個人の自由だからいいとして。
さて、そろそろ出番か。
単純に霊力がいくらあったとしても使い切れなければ意味がない。
だから使ってあげよう。
生憎とボクはいくらでも使い切れるからね。
酒呑童子の決着の一撃が放たれる前にちょこちょこと近づき、ゆっくりと手を伸ばす。
すると目に見えない膜でもあるかのように空間の切れ目に指が入っていく。
ずぶり…。
そのまま端を掴み一気に捲る。
「やぁ、こんばんわ!!」
笑顔で話しかけた瞬間、酒呑童子が驚愕に染まった表情をこちらに向けてくる。
背を向けているから見えないけど、多分狼くんも同じような顔をしているんだろう。
とはいえさすがは酒呑童子。
ただならぬ雰囲気を感じたのか、発動直前の剛腕の標的を一瞬で茨木童子からボクに切り替えてきたあたりはさすが。
なかなかデキる男だね!
茨木童子も反射的に動き出そうとする。
先ほどの茨木童子の攻撃の比ではないレベルで圧縮された鬼気の拳が迫り、
「慌てない慌てない。ちょっとお話をしようよ」
ボクが差し出した左手に優しく受け止められる。
正確にはその手のすぐ前に出現した五芒星の結界に柔らかく衝撃を吸収された格好だ。
「ッ!?」
防いだのなら理解できたのかもしれないが、完全に技を殺されるとは思っていなかったかな。
酒呑童子は大きく目を見開いた。
茨木童子は、といえばボクに向かって動こうとした瞬間体の数か所がヒビ割れ、そこから出てきた黒い注連縄に絡まれ動きを止められている。
うん、ちゃんと機能しているようだ。
完璧な術式は完璧な結果を産む、それこそが完璧なる世界の真理。
「……やっぱり出てきやがったなァ。洞見ンッ!!」
ぐるるる、と黒い狼が威嚇してきた。
「いやぁ、閉じ込めちゃって悪かった。ごめんごめん、すまない、許して、プリーズ!」
軽くおちょくってみるが、さすがに警戒して仕掛けて来なかった。
まったくつまらない。
「ところでさ……君たち、畑仕事したことあるかな?」
「………」
「…?」
「あれは素晴らしいよ、一度やってみるといい。種を蒔き、育てる。出来るだけ苦労するほうがいいね、その方が―――」
―――今みたいに、収穫するときの楽しみが増えるから
霊力を捧げる。
上空に五芒星の術式が山全体を覆わんばかりの規模で顕現。
ズゥンッ!!!
天から降り注ぐ圧倒的な負荷。
ボクと茨木童子以外の者たちに暴力的な荷重をかけると、溜まらず酒呑童子たちは膝をついた。
おっと、これまた手強い。
以前一度この術を見せていた狼クンは咄嗟に防御態勢を取れていたから、片膝(厳密には片前膝?)で済むのはわからなくもないけど、酒呑童子は素で片膝程度に耐えている。
このままだと立とうとしてきそうなので、ちょっと出力を上げるとさすがに蹲った。
ギリギリと茨木童子を締め上げる黒い注連縄が食い込んでいく。
「っ……貴方は…何者ですかな?」
「ボク? ボクはただの“名持ち”の鬼だよ! 実は分霊六鬼じゃなかったんだけど。
その名も洞見童子さ」
「洞見…全てを見通す、と。大したものだと感心はしますが、そのような芝居は頂けませぬな。
貴方のような鬼がいては溜まらない」
なかなか鋭い。
今のボクからは鬼気が出ているから、おいそれとはわからないだろうに。
「種を蒔いた、と仰っておりま…したなッ。つ、まり……」
「そうだね……今のこの状況はボクによるものだよ」
じわりじわりと茨木童子の浸食の進む時間、ボクは楽しいお喋りをして過ごす。
「じゃあ…!! テメェがこの全ての元凶だと……ッ!!」
「全て? どこからどこまでのことだい?
ここで鬼さんたちが消耗しているところを見計らって飛び込んできたこと?
厄介な動きをする狼クンを閉じ込めたこと?
分霊たちの手助けをして“逆上位者”を紹介してあげたこと?
それとも鬼首大祭を企画したこと?
ああ、それとも―――茨木童子に、霊脈で眠るように仕向けたことかな?」
「………ッ!!」
「…一体、何の、目的だッ!!?」
びしり…ッ。
茨木童子の体がガラスのように細かいヒビに覆われていく。
「術を使うのに霊力が必要でね、その上ボクは天才でたくさん術が使える。
勿論ボク自身にだって相応の霊力はあるけれど、あったらあっただけ困らないのも確かさ。
そこで考えたんだ。貯めておけばいい、ってね」
ふと思いつき右手の人差し指を口元に持っていってから、
「んー、ああ、今風に言うとバッテリー? いや、蓄電池のほうが表現として正しいかな?
人よりも純霊力を喰う鬼……公もなかなか面白い存在を作ってくれたよねぇ」
千年の霊力。
いくらか使ったとはいえ、総量からすれば微々たるものだ。
これがあればどれだけのことが試せるだろうかとワクワクする。
「まさか後輩が絡んでくるとは思わなかった。それだけが誤算だったけど、結局は落ち着くところに落ち着いた。それだけの話」
相変わらず無駄な努力を続ける彼女が愛しい。
そうだ、今回の霊力はいくらか分けてあげてもいいな。
きっと喜ぶだろう。
「…蓄、電池………ふざけないで、ッ頂きましょうか!!」
「借りは……返さねぇとなぁッ!!」
荷重を跳ね返すように、大鬼と狼が立ち上がる。
これはこれは……実に素晴らしい。
使い鬼と犬神の素材として使えばどんな逸品に仕上がるか楽しみで溜まらない。“魔王”とかいう異国の素材をお試しとして加工してみるのもいい。
「活きがいいのは好きだなぁ、ボク」
是非捕まえよう。
ゴゴゴゴゴ……。
天が揺らぐ。
現出したのは先ほどの方陣と同じ大きさのもう一枚の方陣。
上から重なるように束ねられ、先ほどまでとは段違いの出力であたりに荷重をかけた。
「…………ッ!!」
「馬、鹿な…ッ!!?」
さすがに堪えきれず倒れる二人。
それでも止まらずどんどん地面にめり込んでいき、そのまま地面そのものが陥没を始めていく。
勝負にすらならない。
すでに消耗しているという面を差し引いたとしても、ボクとは格が違う。
所詮二人はただの“神話遺産”だ。
最早邪魔をする者などいない。
そのはずだった。
ばきんっ!!
「………?」
硬質な破裂音。
茨木童子の輪郭がビシビシと砕け始めている。
見ると体を縛っていたはずの黒い注連縄も砂のようになって消滅していく。
自分で封を解いたとでもいうのだろうか。
だがそれはないと断言できる。
千年前に施した術式はそんな生易しい者ではない。
封印外からならともかく、茨木童子そのものには自身で目覚められないよう完璧を期したのだから。
理由はどうあれ、ひとまず解析する必要があるな。
ゆっくり近づいていき、その霊力組成を読み取ろうと手を伸ばす。
それは油断だったのだろう。
作って今に至るまで無敗、最近では圧倒的過ぎて接戦にすらならなくなったがゆえの隙。
ばきぃぃんっ!!
一際甲高い音と共に茨木童子の顔面が砕けた。
そして天地が逆転した。
――――――ッッ!!!?
拳。
砕けた顔面の中から伸びた拳。
叩き込まれた一撃。
それはボクの顔面に吸い込まれるように衝突し体が吹き飛んだ。
まるで鬼のような圧倒的な膂力。
至近距離から叩き込まれた“名持ち”の鬼では耐えきれない強烈な破壊。
今度はボクの体が砕ける番だった。
完全に全身が砕け、粉雪の様に破片が散っていく茨木童子。
その中から一人の青年が姿を見せた。
ボクを殴った拳を伸ばしたままの彼からは茨木童子の鬼気が迸っている。
「残念だったな……彼女はもう自分で立ち上がるってよ」
見覚えがある。
その青年の名は三木充。
今回の計画で最もイレギュラーだった男の名だった。




