185.差し伸べる手はいくらでも
ちょっと仕事が修羅場で製作時間がヤバいです。
毎日更新はしていくつもりですが、投稿時間がバラついたりするかもしれません。ご容赦ください。
ひたすらに断ち切っていく。
奪って奪って奪って、そして消滅させていく。
彼女の意志を拘束している黒い注連縄がその数を急速に減らしている間も、その記憶の旅は終わらず続いていく。
決闘に勝ち、彼女は名実共に“茨木童子”を名乗ることが認められた。
だがそれ以上にその戦いは大いに意義のあるものだった。
初めて鬼としての本能、つまり闘争を求める心を熱くさせ、そして手強い敵を倒すために全力を尽くした経験。それはこれまでの彼女には得ることが出来なかったもの。
そしてその結果として手に入った名前だ。
価値のないわけがない。
その決闘の日から、彼女、もとい茨木童子は大江山の酒呑童子の屋敷に一室を与えられた。行く宛のなかった頃とは違い、この鬼の山にその居場所を確保することになったのである。
待遇などはそのまま前の茨木童子のものがそのまま手に入っていた。
大江山にはかなり数多くの鬼が住んでいるが、その大半7割程度は雑魚と言っても過言ではない知性の弱い鬼だ。自然現象の結果発生したとしても、その場所が余程霊力密度に恵まれていなければ体を構成する要素が不足するため、漆黒鬼のような一般兵としてしか使えないようなレベルの鬼にしかならない。
そうそうそこまで霊力密度の高い場所はないので、数としては一番多くなる。
残りのうち2割が知性のある一般の鬼。
能力は差が大きく、漆黒鬼程度の者もいれば、現茨木童子の分霊に匹敵するレベルの者までがいる。戦いの際は雑魚鬼たちに直接命令を下したりと部隊長的な認識が近いだろう。無論鬼であるので本能や性質に流されることがまま有り、指示をする立場の者としては不安もあるが。
最後一割が“名持ち”の鬼だ。
最低ラインが彼女の分霊レベル、つまりそこから上の力量を持った者たちとなる。ここまで来るとそれぞれが鬼の基本性能以外に強固な固有能力を持っていたり、尋常ではない再生能力を持っていたりする。さらにそのうちトップクラスが首魁である酒呑童子に近しい幹部という扱いになるのだ。
茨木童子は幹部クラス、それもかなり酒呑童子に近い地位として認識されているらしい。
と、言ってみたものの。
正直なところ厳密な役割分担が在るかと言えば黙るしかない。
何せ全部鬼なのだ。
最後理性よりも本能が勝つ傾向の強い種族。
基本的にやりたいことしかやらない、我儘な連中に仕事を期待してはいけない。
前述したような実力による区分けも、正直なところ強くなったら上の奴に挑戦して勝ったら成り上がる、くらいの緩さであり、自動的に力によってランクづけされたりはしない。
面倒なのは嫌いだということで一般の鬼に混じっている“名持ち”の鬼もかなりレアではあるが存在しているし、鬼が苦手な(というよりはやりたがらないで押し付け合う、が正解なのだが)事務関係をいくらかマシに出来る、という理由でちょっと力不足でありながら幹部にいる鬼も1人いた。
そんな大江山の記憶がしばらく続く。
酒呑童子に率いられた集団、その中で暮らし過ぎていく日々。
本能の赴くまま戦いたければ戦い、喰いたければ喰い、酔いたければ酔う、鬼たちの楽土。この時代の人間たちからすれば随分と迷惑な話ではあるが。
だが確実に充実していた。
山中の鬼たちから首領として一目置かれている酒呑童子は、自らの部下たちに我が子の如く親しげに接した。それこそ元の茨木童子が親父殿と呼び、息子と呼ばれたいたように。
当然その名前を継承した彼女は酒呑童子に娘として接され、最初はどんな風に対応していいかわからなかったが、徐々に慣れ同じように親しみを覚えていった。
とはいえ長い月日も永遠には続かない。
終わりは唐突。
都にまでその名を鳴り響かせる強大な鬼たちの軍団を討伐するため、軍が差し向けられたからだ。
単純に軍が大江山を襲撃してくることだけなら何度かあった。無論その中に鬼の討伐を得意とする随身上がりの者がいたことも一度や二度ではない。
その悉くが防がれていたことを考えれば、当初その知らせを聞いたときに同じことだろうと考えてしまったのは仕方のないことだろう。
だが今回は違ったのだ。
その軍団こそが源頼光に率いられた武士団であったから。
さらにただでさえ、これまでやってきた軍よりも段違いの実力を持っているその軍団は、タチの悪いことに智謀も備えていた。
酒呑童子が酒を好むという事前情報を手に入れた彼らは、まずその大江山に大量の酒を届けたのだ。
来る日も、来る日も。
たまに届ける者が殺され喰われたとしても、まったく構うことがない。
そして必ず届けた酒の中に一定の割合で上等なものを混ぜた。
当初は酒好きな鬼のうち早く見つけた者が勝手に好きなものを持っていったりしていたが、何日も続けるうちに、自然とその上等なものを酒呑童子に、残りを他で分けるような配分が出来ていく。
続くアクションはその配分が出来上がった絶妙なタイミングで起こされた。
もしかしたら過去に敵を同じ策略で破ったことがあるかもしれない。
そんな完璧なタイミング。
酒盛りをする鬼たちに突撃した武士団は一気に交戦状態に入り、奇襲を受けて浮き足立つ鬼たち相手に優勢に戦いを進めていく。
乱戦の中、源頼光は自らの手勢を引き連れ先へと進む。現れてくる鬼たちに対しその都度兵を残し一目散に中枢へと足を運ぶ。
電撃的なその攻撃により、酒呑童子の館へ侵入することに成功。そのまま自らの側近らと共に鬼の首魁へ戦いを挑んだ。
山が荒ぶっている。
そう表現するのが相応しいほど。あたりは喧騒に包まれていた。
至る所に火が放たれ、酒呑童子の屋敷にも火がついている。
彼女は館にいた。
突然の事態に戸惑いつつも、ひとまず酒呑童子のいる広間へと向かい、そして目撃する。
特徴的な兜を被り刃を構えたひとりの男、源頼光と対峙する酒呑童子を。
幹部たちはおそらくかなりの手練れと思われる頼光の側近とそれぞれ一騎打ちを演じており、頭同士の戦いを邪魔する者はいない。
ゾクリ、と背筋が震える。
その男は尋常の者では無かった。
酒呑童子と同種であり異種とでも表現すればいいのだろうか。
かの鬼は全てが強さを感じさせるとすれば、男はまさに存在そのものが強さとでも言うべき気配を帯びている。強いがゆえに勝利するのではなく、勝利するがゆえに強い。敗北の無い存在だとなぜか考えてしまう雰囲気が、ただの人間ではないことを予感させたのだ。
さらに言えば、なぜか相手が集団の際に力を発揮する酒呑童子の威圧がこの場には働いていない。もし働いていれば、動きの鈍くなった頼光の側近はたちまち仕留められて、勝利した幹部全部で頼光を襲うことが出来るだろうに。
神便鬼毒酒という鬼をも害する毒酒を盛られていた事実を知らないのだから、彼女が戸惑うのも無理はない。
とにもかくにも加勢しようと身構えた瞬間。
ヒュッ!!
横合いから振られた刃の一撃を、咄嗟に裾を硬質化させ防ぐ。
「生憎だが、加勢はさせぬぞ。鬼」
幹部の一人を切り捨てた眉目秀麗な男が立ちはだかる。
ぞっとする目だ。まるで何か人外の存在でも中に憑りついてでもいるかのようなその眼差し。
そしてさらに注意すべきな点、それは腕前もさることながら持っている鋭い刃の輝きが、そんじょそこらの武器とは一線を画す煌めきを放っていることだ。
「我こそは渡辺綱である! 先の一撃を防ぐとは相当な大物と見た。さぁ、この大規模イベントの締め括りとして討たれるがいいッ!!」
名乗り斬りかかる敵に対し、茨木童子は腕を生やし、具眼を開き、そして角に雷を纏い全力で立ち向かう。
閃く斬撃。
走る雷光。
目まぐるしく立ち位置を変える両者。
一気に決着をつけようとした彼女の想いとは裏腹に、決着のつかないままその戦いは時間を進めていった。優勢か劣勢かといえば優勢。
しかし完全に押し切れるほどではないという状態。
このまま時間をかければ勝利することはできよう。
だがその勝利を掴むことは永遠に出来なくなった。
一際鋭い斬撃音に思わず視線を向ける。
放ったのは頼光。
喰らったのは酒呑童子。
切り飛ばされた角。
躊躇うことなくさらに一撃。
今度は大鬼の体が斜めに断ち切られたかのような鋭い傷跡が走り、巨体がゆっくりと倒れる。
これ以上ない明確な決着。
その光景に敵は昂ぶり、自らの首領の尋常ではない強さを知っている鬼たちは驚愕に染まった。
ガラ…ッ。
そこが限界だったのだろう。
燃え盛っていた館の天井が盛大に崩れ始める。
ドドドドドドッ…ッ!!!
死体から首級を取るよりも、下敷きになることを危惧したのだろう。一瞬の淀みもない動き頼光たちは退いていく。いや、敵だけではない。幹部も脱出していく。
彼女は茫然としたまま、他の幹部に促され流されるように脱出した。
結局のところ酒呑童子が倒れたことにより、戦の趨勢は完全に決した。
抗戦していた鬼たちはその事実に逃亡を始め、数多くが頼光に討たれたという。
彼女も他の幹部と共に山から下りた。
何をすればよいのかもわからず、また独り旅に出た。
ただ昔のように何も考えずに彷徨う旅ではない。
彼女の頭を占めていたのは、なぜ今の状況になったのか、という想い。
ようやく名を手に入れ居場所を手に入れたのに、そこが失われたことに対しての諦めきれない想いだ。
なぜ酒呑童子が討たれたのか。
それは弱かったからだろう。
なぜ加勢することが出来なかったのか。
目の前の綱とかいう男よりも彼女が弱かったからだろう。
いくら考えても弱いから、という答えしか出ない。
仕方のない話だろう。
そもそも鬼とは基本的には単純な生き物であるし、深い思惑に耽るのに十分なほどには彼女自身も長い年月を経た鬼ではない。
旅の途中、あの頼光という男がいるのではないかと思い、都に足を運んでみた。
仇を討とうという考えがなかったわけではない。
だが途中、再びあの綱とかいう男に見つかり切りつけられる羽目になった。
その際斬られた刀の妙な力で羅腕童子の力を奪われるという事態が発生したが、なんとか追いかけて取り戻すことに成功する。
なんたる有様。
側近一人に苦戦する程度の力。
とても仇を討てるような状況ではなく、彼女は再び旅に出た。
孤独に耐えかね、再び分霊を外に現出させ同行させながら。
どこまで来たのか。
どれだけ歩いたのか。
空腹に耐えかねて、霊脈から強く霊力が漏れている場所まで辿り着き、存分に腹ごしらえをしていたそのときだった。
その男が現れたのは。
どこにでもいそうな顔立ち。
立ち寄った都の一般人が着ていたような服。
外見は凡百。
薄い。
それが第一印象だった。
人格的なものとか、行動とか、そういうことではない。
単純に存在が薄かった。
霊力を餌にする鬼の感覚が、普通の人間にはあり得べからざる霊力の量だと告げている。人間であろうとも、霊力の強い者はいくらでも見てきた。だが逆にここまで霊力の薄い存在を見てきたことがない。
男はゆっくりと口を開いた。
「強くなる方法を探していらっしゃるね?」
思わぬ問い。
だが反射的に彼女は頷いた。
「ならば簡単だ。強くなるには強い相手と戦えばいい」
それにも同意する。
彼女の頭によぎるは、茨木童子だった鬼との戦い。
強い者に挑むことで磨かれるものがあることをすでに知っていたから。
「だが……強者と戦うためには、その強者と戦える程度には強くならなければならないだろう」
的を得た言葉がするりと彼女の心に入り込む。
確かに相手に一撃もらっただけで避けられず消滅するほど実力に差があっては、そもそも戦いにすらならない。
強くなるためには強者と戦わねばならないのに、その強者と戦うためにも強さが要る。
なんという矛盾。
「幸いにして、この地にはそれを解決する術がある。この地に流れる霊脈、そこから強制的に霊力を噴出させる穴が術式にて作成されている。ここで無尽蔵に霊力を喰らえばそれだけ強くなれるだろう。
普通の鬼であれば喰らいきれぬだろうが……何、おぬしはそもそも霊力を主に喰ってきた、誕生すら自然ではない異端の鬼。如何様にでもなるであろう。
その気があるのであれば身を任せるがよかろうよ」
矛盾に落胆する彼女に即座に差し出された回答。
単純明快なそれは、まさに救いの手だったろう。
彼女はその誘いに身を任せる。
強くあるために。
自らの居場所を守る強さを得るために。
名前をよこせと強者に挑み続ける鬼と化す。
「及第点……残念だな。茨木童子と分霊は上手く封じられたけれど、土壇場で羅腕童子は逃げたか。
ああ、そもそも元は随身だから知っていてもおかしくないわけだし、本能的に危ないと感づいたのかもな。使いに出す相手を変えときゃよかった。失敗失敗」
ぶつり。
最後の黒い注連縄が引きちぎれ消滅していくのは、苦笑するような誰かわからない男の台詞が聞こえたのとほぼ同時。
「うぇ……ッ」
食傷気味だ。
いくらなんでも“簒奪帝”を酷使し過ぎた。
だがようやく此処まで来たのだ。
最後までやり切ろうじゃないか。
ゆっくりと近づく。
この白い空間に最後に残された、彼女に。
膝を抱え蹲るように顔を下に向けた娘。
そのしっとりとした純白の髪が床に流れ見事に扇状に広がっている。
「……まったく。仕方ないなぁ」
すでに迷いはない。
彼女の記憶は見終えたのだ。
今なら間違いなく羅腕童子の願いを叶えてやれる。
「………?」
ゆっくりと顔をあげる彼女は、十代前半くらいにしか見えない。
昔なら成人近くだったかもしれないが、今じゃまだまだ子供。
いや、オレも似たようなもんなんだけども。
「あー、なんていうか……上手く言えないんだけど。
家族がいなくなるのって辛いよな」
ポリポリと頬を掻く。
「でもさ、そういうとき…あー、オレの個人的体験だから一般的じゃないかもしれないけど。
全然知らない人が手を差し伸べてくれると、もう一度立ち上がろう、って気になると思うんだ」
「…………」
少なくともオレはそうだった。
断たれた家族との繋がりに絶望していたオレを再び立ち上がらせてくれたのは、拾ってくれたモーガンさんと、兄貴になると言ってくれた八束さんだったから。
「……本当に?」
弱々しい声に笑顔で頷く。
「うん。で、もう一度立ち上がれば、さ。
意外と失ったと思ったものでも、もう一度手に入るかもしれないよ?」
そうだ。
あそこで立ち上がらなければオレはここにいなかった。
出雲や綾、月音先輩、咲弥たちが繋がりを捨てておらず、また一緒に過ごせることにも気づかずどうにかなっていただろう。
だから言おう。
「一度立ってみよう。なんなら手を貸すよ。
ほら、羅腕童子も一緒にいるから貸す手はいっぱいあるんだよ?」
冗談めかして、すっと手を差し伸べる。
戸惑い困惑する少女。
だがオレは揺るがずに笑顔で手を差し出し続ける。
きっとその手が握られることを確信しているから。
そしてその確信はすぐに未来を引き寄せた。
世界が逆回転をはじめる。
砕けて解き放たれる。
さぁ、この馬鹿げた騒ぎを終わりにしよう。




