184.茨木童子に纏わるエトセトラ(3)
投稿予約が失敗しており、帰宅後のこの時間の投稿となりました。
すみません。
山中に煌々と篝火が闇夜にその存在を主張している。
すでに真夜中。
逢魔が刻、とそう呼ばれる時間帯。
今目の前に広がる光景を見れば、誰もがその呼び名の正しさに賛同するだろう。
そう思えるほど、辺りには鬼が無数に居た。
鬼たちは円を描くように集まっており、その真ん中がぽっかりと空間になっている。
そこに立つ鬼は二人。
一人はこの大江山の最高幹部のひとり。
その名も茨木童子。
飄々とした長身の男は肩の力が抜けるように緊張感のない面持で佇んでいた。
対するは漂白の強者。
名を求め流れ着いた変り種。
地につくほどの白き髪を靡かせた娘が虚空を見据えたまま対峙している。
決闘。
試合。
一騎打ち。
言葉は何でもよい。
要するに勝負である。
内容は実に簡単。ありとあらゆる能力を以って相手を倒せばよい。
何かを賭けての戦いもあれば、ただの喧嘩もある。今回に関して言えば前者だが。
力こそ全て。
その鉄の掟こそが唯一絶対、この大江山の法。
強い者の言い分が通る。
まさに鬼の世界。
「さて! おっぱじめるとしようか!!」
茨木童子が大きく手を広げかかってこいとアピールする。
間合いを取って睨み合っていた二人の間の空気がまるで歪んでいく。
立ち込める鬼気がそう見せているのだろう。
待ちきれない対戦者たちを煽るかのように、立会人である酒呑童子が開始を告げる。
「どちらかが敗北を認めさせるか、戦闘不能にする、もしくは消滅させれば勝利となる。
さぁ、手前ら………存分にやり合えッ!!」
開始同時に先手は彼女。
真っ直ぐ茨木童子に突撃して大きく腕を振るう。
空間を抉ろうとでもしているかのような勢いで爪が走り、瞬時に大地に数メートルの疵を刻む。
「わお! こりゃ馬鹿正直だな!」
難なく避けながら、男は交差するタイミングを狙う。
腕を振るって前傾になっている彼女に膝蹴りを見舞う。
鈍い衝撃。
だが膝にかかってくる衝撃とは裏腹に、彼女は全く答えた様子がない。苦笑しながら茨木童子のほうから再び間合いを取った。
「結構いいタイミングで入ったんだがな……随分と頑丈だ!
だが甘い! すでにその頑丈さの秘密は掴んでいるぜ!」
彼女との初対面のとき予測したよりも、今はさらに頑強、つまり霊力密度が高い。
理由は簡単だ。
戦いに備え、彼女は分離していた分霊を元に戻し一体化していただけ。
その分だけ強くなっている。
「やっぱ美人だからだな!!」
わかっていてわざと言っているのか、本当にわかっていないのか判断に苦しむような言い回しをしながら、今度は茨木童子から仕掛ける。
拳の連打からの蹴り、そしてその中に爪撃を混ぜている流れるような連続攻撃。
一撃一撃の攻撃で崩れた体勢が戻す動きが、そのまま次の攻撃になる。誰に教わったわけでもなく、ただ歴戦の経験と体の感覚が培った技巧。
鬼の集団の幹部になるまでにひたすら戦い抜いてきた茨木童子と、誕生して接戦するほどの戦いらしい戦いを経験してこなかった白鬼。
単純な戦闘経験の差は歴然。
戸惑う彼女に容赦なく攻撃が撃ち込まれていく。
鋭い一撃に驚き。
続いていく十撃にざわめき。
途切れのない百撃に喝采を送った。
そんな攻防がしばらく続き、再び間合いを取ったのはやはり茨木童子。
「硬い硬い…このままじゃ、このペースで攻撃してても夜が明けちまうな!」
「……………朝は眩しい」
別段息を切らした様子のない二鬼。
ここまでの戦いは様子見、もっと言ってしまえばちょっとした小手調べという意味でしかなかったことを周囲の鬼たちは理解する。互いの戦力がどれほどのものなのか、そんな推測の穴を埋めるためだけの儀式だったのだと。
その認識が正しいことを証明するかのように、先ほどまでただ相手を圧するように外に放たれていた鬼気がその量を減らす。代わりにそれぞれの体に留まり、濃く澱み戦いのために用いられようとしていた。
ばぢ…ばぢぢぢぢッ!!
白鬼の角が帯電する。
そのまま雷撃としてその力を解き放つ。
いきなりの飛び道具に慌てながらも、その光の蛇が如き攻撃を間一髪で避ける茨木童子。
その後ろに居た鬼たちが巻き込まれ数匹消し炭となるも、怯むことなく相手は前に出て距離を潰してくる。先ほどまでの攻防と同じく接近戦へ持ち込む茨木童子。
再度雷を放つも喰らった茨木童子は苦痛を堪えるような顔のまま、その足を止めない。
詰まる間合い。
だが同じなのはそこまでで、今回は違った。
攻撃を受けた瞬間、白鬼が朱に染まる。
まるで刃物で斬られたかのように傷を負ったのだ。
「…ッ!?」
生まれて初めて負わされる手痛いダメージに、彼女は目を丸くした。
一瞬の隙を見逃すような相手ではない。
茨木童子はさらに攻撃を加えていく。
空を裂く鋭い音。飛び散る血。走る苦痛。
その度に彼女の体に斬撃の傷跡が増えていった。
蓄積されていくダメージ。だが攻撃を加えられれば加えられるほど、その攻撃についての情報もまた蓄積されていく。恐ろしい速さで振られている手足の先にきらりとかすかに反射したものを見つけた彼女は、それを今までの少ない経験と想念の知識から何であるか特定する。
「………刃物」
彼女がここに来るまでの道中、武器を持った連中が襲い掛かってきたことがあった。その連中を相手にしているときに、敵が攻撃を弾かれた結果自分の武器で負っていた傷と似ていたのだ。
「こう見えても、ニンゲンやってた頃は刃物を使う仕事をしてたもんでね!
ちょっとしたモンだろう?」
攻撃の種は単純に刃物を持っていただけ。
形状としては鋭い剃刀のようなもの。おそらくは自身の能力で作り上げたのだろう。その剃刀を4本、それぞれ手足に掴んで斬撃を繰り出していたのだ。
種がわかったからといって、茨木童子が止まるわけもない。
だが刃物があるのならば、あるものとして対処すればいい。
攻撃してくる箇所に力を集中してなんとか防御を試みるが、そもそも戦闘の攻防における駆け引きでは圧倒的に相手に分がある。
目論んだように上手くはいかず、さらに傷が増え続けていった。
鬼の爪も鋭いが、剃刀という完全に切れ味を追及した形を具現化したほうが当然斬れる。おまけに絶妙なのはその剃刀に瞬時に握り加減や、掴む指を変えることにより同じ腕の振りであったとしても微妙に軌道の違う斬撃を放っているところだ。
振っている最中にそんなことをしたなら、ひとつ間違えればすっぽ抜けてもおかしくない。
凄まじい身体能力ゆえに力任せになりがちな鬼であるにも関わらず、まさに達人と言っていい剃刀捌き。
「ッ!」
思わず茨木童子が手を止める。
見てしまったのだろう、彼女が笑みを浮かべていることを。
だがそれを気にしている余裕は彼女にはない。
なんということだろうか。
なんて、楽しいのだろうか。
今までの相手は誰も彼も脆弱に過ぎた。
彼女が生まれた場所で戦った鬼たちも、道中に襲ってきた人間たちも、そしてこの山の鬼たちの大半も。
腕を一振りすれば死に、雷を一閃すれば何も残らない。
技巧を練ろうにもそれすら必要ない。
新たなことを試そうにも、そのときに相手が立っていない。
満ちているがゆえに足りていない。
だが今は違う。
目の前にいる男は壁。
彼女が磨けていなかった技巧を身に着ている。
彼女が放った雷にも斃れない。
彼女の知らない経験を積んでいる。
ああ、ようやくそんな相手が現れた。
そんな嬉しさが抑え切れないがゆえの笑み。
傍から見れば劣勢で追い詰められているにも関わらず、そこで心底愉しそうな笑みを浮かべている彼女は誰よりも鬼らしい鬼に見えた。
「ますます美人になったなぁ! 見とれちまったぜぃ!!」
雨の様な攻撃が再開される。
それが彼女を磨いていく。
傷を負ったことでようやく自身に強力な再生能力があることに気づけた。
種類の違う剃刀を瞬時に持ち替えていくことで、攻撃のリーチがわからなくなった。
それが彼女を磨いていく。
攻撃のあたり寸前まで見極めなければわからないから、彼女は必死に見切ろうと試み、行動の経験を積んでいく。
剃刀が投げられたので避けたら、意識がそちらに向いている隙に懐に入られ強烈な攻撃を喰らった。
それが彼女を磨いていく。
攻撃が当たらないのならば当たるように、その方法を考えるよう促される。
疲れを知らないが如く再び雨のような攻撃が続く。
それが彼女を磨いていく。
様々な攻撃を様々な体勢で避けていくことで、その成否に関わらず体の使い方を文字通り体得していった。
だが歓喜に包まれていたのは彼女だけではない。
それは相手である茨木童子も同じだった。
苛烈な攻撃をすればするほど手応えの出てくる相手。
しかも一点の曇りもないほど楽しんでいるのがわかるのだ。
ならばさらに手応えの出るよう、もっと素晴らしい一撃を。
そのためにもっと出来ることがないのか、何か使えるものを見落としてはいないか。
彼女に比べれば遅々とはしているだろうが、それでも戦いの中でさらに自らが高められていくのがわかる。
いや、もはや言い訳はすまい。
互いにすでに戦いの宴の中、酔い始めている。
単純に命を削り心を削り敵を削ることだけを純粋に悦んでいる。
だからこその鬼。
その本性と本能の過熱するまま、踊っているだけなのだ。
ふと、加熱する攻防の最中間合いが開く。
「……そろそろ終わりにしねぇ?」
茨木童子が告げる。
すでにその形相は鬼らしく闘志に満ちた恐ろしいものに変わりつつある。これ以上は不味い、という自覚があった。
自制が利かない。いきつくところまでいかねば終わらなくなってしまう。
つまり相手を完全に殺すまで、だ。
それでは彼女を嫁にするという目的で始まった決闘に対して本末転倒。
そう思うと同時に、別にそうなっても構わないじゃないかと思っている自分がいる。
つまりここが分水嶺。
だがどちらかが負けを認めればそこまでは辿り着かない。
今のところ圧倒的にダメージを負っているのは彼女のほうだし、逆に茨木童子もポテンシャルでいえば圧倒的に相手の方が高いということはわかっており、あまり続け過ぎれば負ける可能性も出てくると承知していた。
どちらも意志の弱い鬼であれば、恐怖にかられ降伏するに足る理由がある。
だからその確認の言葉。
たとえ―――
「続ける」
「…だよなぁッッ!!!」
―――それが確信を以って意味のない確認だったとしても。
再び満ちる緊張。
だが今の物はこれ以上ない張りつめ具合。
長くこの愉悦を楽しみたい本能と折り合いを付けながら、長引かせることで敗北することをヨシとしない茨木童子は次の一撃を以って決着をつけようとしている。
対する白鬼は極限の攻防で鋭くなった感覚で今までの比ではない一撃が来ることを感じとっている。だからこそこれ以上なく緊張し鋭く警戒していた。
踏み出しは同時。
初手は煌めく光
それが茨木童子に投げられた剃刀だと気づいていた彼女は避ける。
が、刺さった。
避けたはずの剃刀。それとまったく同じ軌道でコンマ数秒後に放たれた剃刀が。
先の攻撃をブラインドにした一撃。
そしてこれもまた布石。
肉薄した茨木童子がこれまでよりも深く踏込み横に一閃。
彼女も囮の攻撃に注意を取られ、その隙に攻撃されるのは先ほど経験していたためだろう、反射的に身を逸らすが、それすらも織り込み済みだった男はその分踏込を深くしていた。
飛び散る血。
左右の目を斬られる。のけぞったおかげで深さは1センチから2センチ程度だが、一瞬視界を奪うのには十分だった。
茨木童子の手足から剃刀が消えた。
否。
複数の剃刀を具現化するのに使っていた鬼気をひとつに集め一本の長い刃物を生成したのだ。喩え彼自身であろうとも、殺し尽くせるだけの切れ味の刃物を。
その鬼気の高まりを彼女は感じ取っているが、視界が奪われていてどんな攻撃が来るかわからない。わかるただそれが自分を殺すに足る力を持つと敵が思う攻撃だということだけ。
理に適った必殺の連続攻撃。
これまでの白鬼ならばこれで敗北していただろう。
だが、その状況がさらに彼女を磨く。
ギョガッ!!
額に瞳が開く。
そして見る。
茨木童子のしようとした攻撃を。
「…ッ!!?」
突如動きが止められた茨木童子は驚きに目を見開いた。
その体は彼女の背中から生えた8本により捕まっていたのだ。どれほど切れ味のある刃物であろうとも動けなければ意味がない。
そして―――
「攻撃が当たらなければ、当たるように方法を考えたわけ、か!」
―――力を溜め最大威力にまで高められた雷が、動けない茨木童子に至近距離から叩き込まれた。
轟音。
大地には巨大なクレーターが穿たれており、その中心で茨木童子と思しき鬼が体がほぼ消し炭に近いほどボロボロの状態で横たわっていた。
そしてその傍らに佇むは白き鬼。
その瞳は鬼の本能の命ずるまま、戦いの熱に未だ酔い続けている。
一歩。
また一歩。
彼女が近づく。
ぐにゃり。
大きく顎が開かれる。
体の大半の大きさまで口が膨張し丸呑み出来そうなくらいに。
行われるは最後の一撃。
熱に浮かれる鬼たちの迎える闘争の末路。
悔しそうに、それでいてどこか楽しそうに力なく笑みを浮かべつ茨木童子。
全力を以って戦い、そして敗れた。
あの愉悦の時間に後悔などない。まだ動けるし戦えるが出来ることは微々たるもので、戦局をひっくり返せるほどではない。あの最高の一撃のやり取りに蛇足をつけても仕方ない。
だから言うべきことがあるとすれば、この胸に今宿る言葉くらいか。
「――――、―――――――ッ!」
素直にその彼女に感じた想いから生まれた言葉を告げた瞬間。
ギャガッ!!!
その咢は閉じられた。
そして、それが彼女の前に“茨木童子”と呼ばれた鬼の最期だった。
その幕引きと共に分霊を全て奪い終える。
残ったのは茨木童子の名を得た白い鬼の力と、そしてそれに纏わりつくように絡みついている粘性の注連縄。
戦いは続く。
誤字脱字などございましたら、ご指摘ください。
勿論感想も大歓迎です。




