179.鬼界(4)
引き続き残虐描写有りでお送りしております。
「本当に戻らないのかな~? 今、都じゃ絶賛鬼が湧きそうな気配満載だから、お前くらいの腕前ならうっはうは優遇されまくりぃだよ?」
「………いえ、自分はもう一度随身を辞めた身ですので」
少々惜しそうに引き留める忠岑の申し出を固辞する。
元々見込み薄だと思っていたのか、相手はそれであっさりと引いた。
「んじゃ、何かあったら遠慮なく声かけてくれよん」
「はい、ありがとうございました」
無事に疫雷鬼を討伐した翌日。
森の出口付近で公長は忠岑と分かれた。
ここまで来れば村まではあとわずか。
今回も無事に生きて帰れたことを実感しながら先を急ぐ。
「………ッ!?」
ようやく村が見えてきそうなところで異変に気付いた。
煙があがっているのだ。それも炊事のようなか細い煙ではない。
慌てて駆け出した。
距離が近くなっていくに従って村の様子がはっきりと見えてくる。
まるで賊の襲撃でもあったかのようにいくつもの家屋が燃やされ、無惨な焼跡が広がっていた。
「…馬鹿なッ」
まさか留守中に盗賊の襲撃にでもあったというのだろうか。
焦る気持ちを抑えつつ駆ける。
あたりには死体が転がっていた。
屋外にあるものはどれも切り傷や刺し傷、殴打の痕など見るからに外傷で死んでいる。だが今は死因を気にしているときではない。足を止めない。
そしてようやく見えてきた自宅に飛び込んだ。
「公岑…ッ!!!?」
見回すが誰もいない。
だが室内に残された血痕に気づいた。
外に飛び出し村の中をかたっぱしから調べる。生存者がいれば話を聞けるし、死体がない者がいればどこかに避難しているかもしれないという根拠になる。
とにもかくにも忠岑の消息がわかりそうな痕跡を探さねばならない。
そう思い残っている家屋を回るものの、見つかるのは死体ばかり。
「……?」
ふと気づく。
先ほど見た通り屋外にある死体は外傷が死因になっている。
だが 室内にあるものに関しては外傷も無く死んでいるものがかなりの割合であったのだ。そしてその死に方には見覚えがある。
「……森の動物と同じ。疫病……?」
疫雷鬼の病がここにまで影響を及ぼしていたというのだろうか。
そのせいで村が弱体化しているところを何者かに襲われた……?
公長はそう推測した。
それも無理はない。
彼は知らないのだから。
疫雷鬼の放つ疫病が狂気という名であることを。
彼は知らないのだから。
外傷無く死んでいる者たちの死因が発狂した上での瞬間的な狂死であることを。
彼は知らないのだから。
鬼を倒して感染を止めたとき、すでに村人の4分の1がその病にかかり始めていたことを。
彼は知らないのだから。
生き残った狂人たちにより、感染を免れた人間も殺されてしまったことを。
彼は知らないのだから。
鳥彦という狂気に侵され尚自らの負の感情のままに動ける者がいたことを。
「………これは……血痕、か」
誰もいない村。
その中で、多数の血痕が一方向に続いているのに気付いた。
最早手がかりはこれしかないと言っても過言ではない。
走った。
走った。
走った。
そう表現するしかないほど、ただひたすらに大地を駆けていく。
随身として鍛え抜かれたはずの健脚。
だが、それでも今はなお足りずもどかしさだけが積み重なっていく。
そして走って走って走り続けて。
ようやく人影を見かける。
よく知っているはずの村人の集団。
だが見知った人間を目にした安心もつかの間、異常にも気づいた。
威嚇するかのように歯をむき出しにし、髪を振り乱し、目を血走らせ、そして凶器を手にした村人たちのその姿。
それこそまるで鬼のようだ。
だが幾多の鬼を殺してきた経験が告げている。
あれは鬼ではないと。
それでもそんな判断を看過しえない自分に気づく。
確かに厳密な種族という意味では鬼ではない。
だがアレは間違いなく鬼だ。
狂って狂って生死の見境なく、ただ人を襲い続ける存在。
唯一人で在れる鬼―――殺人鬼だと。
どうしてそんなことになっているのか。
なぜ温厚そのものの村人が殺人鬼に、しかも集団でなってしまっているのか。
どこかの術師に呪いでもかけられたのか、それとも何か別の原因なのか。
知りたいことはいくらでもある。
それを確かめている暇はない。
殺意を漲らせて向かう殺人鬼の集団。だが彼らの進む先は他の集落があるわけでもなく、ただ谷川が広がっている方向だ。
つまり一方向に向かうその集団の先、その先に生存者がいる可能性がある。
自らの息子を含め、全ての人間がこのおかしな現象によって変化しているわけではないことだけを願って進むしかない。
どこどこと脈打ち休憩を求める心臓を無視し駆ける。
こちらに気づき武器を向けて殺しにかかってくる狂人どもの集団に分け入り掻い潜っていく。
ずしり、と足が重くなった。
鬼の呪いによって動きが若干損なわれているが、それでも彼には随身として闘うために練磨した者なのだ。武器の使い方すら熟練していない村人たちなど数が居ても阻止することは出来ない。
「……無傷、とはいかなかったか。まぁ構わん」
集団を掻い潜り追い抜いた後、肩口など数か所に負った裂傷に顔を顰める。
決して深くはない。
むしろ浅いといっていい傷ではあるが、それでも手傷を負ってプラスになどなることはない。
だがそんなことを考えることが出来るのもこれまでだった。
集団を追い抜いたところで、坂が終わり向こう側が見えるようになったゆえに。
そしてそこに見える崖に追い詰められた自らの息子の姿が見えたがゆえに。
おそらくは鳥彦であろう人物。
手に凶器を持ったその大人に追い詰められ、ずりずりと足を引きずりながら崖淵まで退いていく公岑。
このままではどうなるか、それは自明の理。
思わず名前を叫びたくなるが、それでは鳥彦にも公長の接近を知らせることになる。じわりじわりとゆっくり間合いを詰めている隙に近づかなければならない。
鳥彦に追い詰められた息子が崖から落とされる前に。
刹那とまではいかずとも短い時間。
しかし当人にとっては長すぎた。
走れ!
走れ!
走れ!!
不安、焦燥、苦痛……。
彼も人だ、ないまぜになる感情はある。
そしてそれを表に出したところで事態が好転しないこともまたわかっている。
だからひたすらに出来ることをやる。
考えている暇があれば、そのエネルギーを目的のための行動に費やす。
ただひたすらに息子のところへ。
手前に村人が何人かいるがそんなことは知ったことか。
武器をもっているが、いちいち相手をしている暇はない。
幸い、いきなり現れた彼に驚いているようで村人たちの動きは鈍く、最小限の動きで間を擦り抜けるように突き進む。
そんな愚直な行動が実を結んだのだろう。
ぐらり、と後ろ向きに下がっていた息子が足を踏み外す瞬間。
間合いまで近づくことに成功する。
息子も落ちそうになる寸前、目の前の鳥彦以外に気づいたようで大きく目を見開いた。
「おとう!!」
「公岑……ッ!!!」
大地よ砕けよ。
空よ裂けろ。
満ちるはただ前に進むという強烈な意志。
駆ける。
あと3歩。
公岑がバランスを崩し体がグラついている。
駆ける。
あと2歩。
公岑の体がふわりと宙に投げ出される。
駆ける。
あと一歩。
公岑が落下しそうになり思わず手を伸ばす。
届け、届け、届け、届け……ッ!!!
いつの間にか見ていたオレも想いをひとつにしていた。
喩えどんな結末となろうとも、今この瞬間、そう願い全力を懸けている事実だけは変わらない。
「おおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉ―――!!!」
伸ばした手に応えるようこちらも大きく手を伸ばし、
「………届いた!!」
見事公長は息子の手を取った。
ずざざざざっ!!
そのまま踏ん張り、なんとか息子が落ちないように体重を支える。
鍛えぬいた彼の力なら、このまま一気に引っ張りあげるのなんてわけはない。
本来であるならば。
「…………ッ!?」
それはまさに絶妙といっていいタイミングだった。
息子を助けることに全力を傾けていた公長が一瞬混乱するほどに。
そうさせた原因は一目瞭然。
腹から生えた槍。
ごぶり、と喉の奥から何かが込みあげてくる。
だがそんなことは些細な問題。
手から力が抜ける、という現実に比べれば。
ずるり、と彼の手から公岑が毀れて落ちていく。
「~~~~~ッ」
口の中に溜まっていく生暖かい鉄の味がする液体を無理矢理飲み込み、再度必死に手を伸ばそうとするが、体はそれに緩慢な速度でしか答えない。
公岑は一瞬の安堵の後、何が起こっているのかわからないまま―――、
―――崖下に落ちていった。
「………ぁ、ぁぁぁ」
小さな声。
それは絶望だ。
鬼を前にしても屈指なかった男の絶望。
「あぁ…残念だったなァ」
力なく振り返れば、
「もうちょっとで助けられたのに……あぁ、その表情が見たかった。
散々邪魔をしてくれたお前のそんな顔をなぁ!!」
何を言っているのかわからない。
絶望の最中にいる公長の反応は鈍い。
代わりにオレが理解する。
あっさりと自分の隣を擦り抜けた公長にこの男が何もしなかった理由。気づいていなかったのかもしれないが、隣を通った瞬間にもその瞳に動揺が見られていない。
それ以前に本来であれば手足の痺れが残っている子供相手に、このような時間をかける必要がない。本当にすぐ殺すつもりであれば、あっさり可能だったはず。
にも関わらずこの男はじっくりと嬲った。
つまるところ、公岑が落ちようが落ちまいがそんなことすらどちらでもよかった。
コイツは単純にこの男を、公長を苦しめるためだけにじっくりと甚振るように息子を活かし、そして彼が飛び込んできたのを幸い、一度助けさせその上で無防備なところを攻撃したかったということ。
「まぁ気にするな。受領のほうには奥木村の連中は反乱を企ててます、ってことで報告のほう書き換えておいたからよ。これでめでたく奥木村はそのうちやってくる受領の手によって全滅。後ろの連中も始末されて、めでたしめでたし」
そろり、そろり、と周囲に人影が増えていく。
狂った村人たちがやってきたのを確認し、自らは巻き込まれぬように鳥彦は離れていく。
「今度新しく出来る村……そこでは全て思い通りになるように上手く仕組みを作らなくちゃなァ。
じゃあな、公長。死んだなら息子といくらでも鬼退治出来るだろうさ」
ちゃきり、と刃物を振り上げる村人たち。
「………こ…鳥彦ォォォォォ――――ッッ!!!」
最後に血を吐きながら叫んだその絶叫に込められた意味は最早わからない。
煌めく刃が振り下ろされる。
いくつも。
腕が飛ぶ。
いくつも。
足が飛ぶ。
いくつも。
腹から腸が毀れる。
そしてそのまま蹴り落とされ、遺体は息子と同じ崖下に落ちていった。
まだ意識があったのは幸いだったのか。
墜ちた崖のそこ。
か細く今にも消えそうな命の灯。
公長は地面に顔をつけたままながらかすかに視界を探る。
体の間隔は最早ないのだろう。
すでに体はところどころ欠損しており、胴体すら胸から下はぐしゃぐしゃになって原型を留めておらず、頭からも流血、頭蓋が一部見ている状態なのがオレにはわかる。
そして彼が見た最期の光景は―――
―――血だまりの中、手足、そして首が歪に折れ曲がりボロボロの状態で絶命している息子の姿。
彼の世界が闇に包まれる中………ただ絶望だけが在った。
鳥彦に刺された瞬間、なぜもう1度息子の手を掴むことが出来なかったのか。
なぜ背後からの攻撃に対処できなかったのか。
そしてなぜ―――村人たちに殺されねばならなかったのか。
理不尽だ。
そう理不尽だ。
ああ、なんなんだ、この世界は。
なんだこの終わりは。
暗闇の中、それだけが終わること無く巡る。
想念だけが募っていく。
本来ならばそこで消えていく命。
運の悪いことに、彼は鬼の呪いを受けていた。
その内容は他の鬼からの攻撃に対する防護。
そして彼を殺したのは狂った殺人鬼たち。鬼が想念を媒介に形を為したものであるのならば、喩え人のままであろうとも、ある意味彼らが鬼としても一面もあったのではないかだろうか。
ゆえに、完全ではないまでも呪いが一時しのぎの延命程度には発動してしまっていた。
その猶予の時間。
ただひたすらに想念だけが研ぎ澄まされていく。
絶望は転じて理不尽さに。
理不尽さは転じて怒りに。
怒りは転じて憎悪に。
狂々と想念が巡っていく。
じわりじわりと大地に染みこんでいく。
受領の兵たちが狂った村人殺している間も。
そしてその狂気から気味悪く思い死体を崖下に投げている間も。
死体の雨に沈んでしまってからも。
そして完全に想念が地に馴染んだ頃。
尾張公長という人間は死んだ。




