177.鬼界(2)
一応この時代の風俗や名前などそこそこ調べたのですが、結構資料が限られていたりで間違っている部分があるかもしれませんが、そこはフィクションということでご容赦ください。
飛び出してきた影はその勢いを殺すことなく、公長へと強烈な一撃を繰り出した。
その攻撃の鋭さは正に一撃必殺と言ってもいい。
ガィンッ…ッ!!
響く金属音。
咄嗟に合わせた公長の武器と槍が衝突した音だ。
「……何者だ?」
「あれ? ひょっとして間違えちった?」
突然襲われたことに警戒感を強めつつも問う公長。
その問いは目の前の槍を構えた四十がらみの男に向けられたものだ。
「あ~、ごめんごめん。あんまり濃密な鬼気なもんだから間違えちったい」
そう言いながら男は槍を引き、
「って……あれ? 尾張んトコの公長じゃん?」
驚いたように目を丸めた。
どうやら知り合いであったらしい。
気づいたのは公長も同じだったらしく。
「……壬生忠岑様?」
そう呻くように声を出した。
それが今の彼の名前らしい。
だが間違いない。姿かたちこそ変わっているようだが、闘気も、そして何より槍の持ち方がそっくりだ。そう思い先ほど頭に浮かんだ結論を再認識する。
壬生忠岑。
―――その名の随身こそが“童子突き”武倉槍長の前世、もとい前主役枠なのだと。
持っている槍だけは鬼首神社と形状が違うし、公長とは違っていかにも作りのよさそうな袴やら裾をしたお雛様の男性人形っぽい平安な格好をしているが。人形と唯一違う点は動きやすいように長い裾や袖を紐のようなものを回して固定しているところか。
「いやぁホント悪ぃ悪ぃ。いやぁ、さっきも言ったけどさぁ~、ンなに濃い鬼気の森ん中でしかも病とか気にしないで歩いてる人影ってか気配がいるわけじゃん?
そりゃもう間違えちまうってハナシだよ、うん。ってことで大目に見てくんないかなぁ?」
「……相変わらずですね。気にしていませんよ……そもそも忠岑様に攻撃されたのは一度や二度ではありません。今更でしょう」
「おし、解決ぅ!」
……いや、闘気とかいう以前にこの軽薄な感じの槍使いな段階で、知ってる範囲では他にいなそうというかなんというか。
軽い口調とため息。
軽薄と実直。
相対する二人の雰囲気はどこまでも対照的だ。
年は忠岑のほうが明らかに上だ。40歳前後くらいで年によっては、結婚の早いこの時代において公長とは親子ともいえるレベルに違う。
「んで、なんでお前がこんなとこにいるのん?」
「………おそらくは同じだと思いますよ」
鬼と間違えて襲った、というから確かに目的は同じなんだろうなぁ。
「おぉ! なんだなんだぁ? お前さんが随身やめてからだから、かれこれ10年ぶり…くらい?
ついにまた一緒に戦えるってハナシなわけじゃん?」
うん、とりあえず公長がちょっと頭痛そうにしているのはわかる。
わかるなぁ…なんか“童子突き”さんって言葉づかいもそうなんだけど、微妙に話が噛みあってるけど噛みあってないような気がしてくるんだよねぇ。
「心強いことは心強いですが……なぜ、忠岑様がこのようなところに?」
「いつも通り貴族サンからのお仕事ですよん? ちょっとくらい都の偉かった人が冤罪で怨念持っちゃって、今都が大変なのよ。その怨念で生まれた鬼が暴れるわ、怨念そのものが災厄まき散らすわ」
「……それほどの怨念であれば……まさか」
「まぁそっちのほうはどうにも出来ないんで、とりあえず鬼のほうをなんとかしてるんだけども……ま、今はまだごく一部を除いて気づいてないけども、そのうち被害がデカくなりゃ…お偉いさんが何人か呪いで死ぬくらい? になったら上のほうがなんとか対策してくれるだろうから災害の方は適当に放っておいてる感じ? うちの貴族サンたち、多少やられなきゃ動かないんだしこっちは何もできませーん。
やめとけっつったんだけどもね~」
…………と、とりあえず今京都がヤバいってのはわかるな。
まさか“童子突き”が羅腕童子の心象世界に出てくるとは思わなかったので、それ以前のところでオレはまだびっくりしているが。
「んでもって鬼のほうは粗方なんとかしたんだけども、一番厄介なんがちょいと小突いたらこっちに逃げて来たから追いかけてようやく見つけてきたワケだ、これが」
「つまり……忠岑様は今ここにいる鬼について何かご存じだと」
「勿論~ん。とりあえず攻撃手段とこっちのほうでつけた名前くらいは教えてやれるよん。そっちは?」
「実はこの近くの村に住んでおりまして……おそらくいるであろう場所に目星がついております」
「完璧じゃん!? んじゃ、向かいつつ情報交換しますか」
簡単に会話をかわすと、公長の先導で二人は歩き出した。
一見すると適当に並んで歩いているように見えて、それぞれ別の方向を警戒しているのがわかる。即座にそれが出来るあたりさっきの会話からわかる通り、共闘した経験があるからなんだろう。
「でも公長がまさか近場に住んでるとはびっくりだよん。お~、もしかして……っ!?」
「……はい、公岑という名の息子が一人おります。お約束通り、忠岑様から名前を一文字頂きました」
「おぉ、本当につけるとは……命助けてもらったつってもお互い様なんだし、そんな義理立てして昔の会話ネタを律儀に実行するとは……おそるべしだよん!」
「…喩え口約束であったとしても約束は約束です。己の筋を通しただけのこと」
「うっわ、ひっさしぶりにお前らしい無骨なセリフ聞いちゃったよん!
最近めっちゃ適当に生きてても注意してくれる公長みたいな奴があんまりいなくてさぁ~。鬼がいないときとか暇なんで適当に和歌とか詠んでたら、それがまた結構評価されちゃったり?
天才って求めるものが理解されないんだよね~ん」
…確かに会話の中身はアレだけども。ちゃんと警戒はしている……ハズだ。
そおまま少し会話が続きようやく本題に入った。
“疫雷鬼”
それが鬼の名前らしい。
読んで字の如く疫病と雷を司る。同じ怨念から発生した他の鬼についてはそのどちらかしか操る能力はなかったようなのだが、そのうちの一匹だけ両方を持っていたらしい。
「つまり……この森の動物が死んでいるのは」
「おそらくその鬼がまき散らしている疫病が原因だろうよん。己とか公長みたいにちゃんと鬼への耐性もってれば、季節をひとつ跨ぐくらいさらされなけりゃ平気な程度だけどもさ」
鬼の呪い。
相手を害するものとは別のもうひとつ。
それは鬼を殺すことで発生する。
鬼を殺害した際、鬼は無念の気持ちを残す。それが自分を殺した相手がその報いで死ぬように、と形を為せば害する呪いとなる。逆にそうした呪いをかけることが出来ない種類の鬼が自分が殺せなかった相手を他の鬼が殺すことを口惜しく想えば、それは対象にまとわりつく鬼の残滓の形をした呪いとなる、と言われている。
事実特定の種類を除く鬼を殺せば殺すほど、鬼の攻撃を受けたとき致命傷になる確率が低くなる実践の結果も出ている。
巷に鬼が跋扈するこの時代。
随身は鬼相手の護衛と人相手の護衛、それぞれ専門の違う二種類に分かれる。そのうち鬼相手の随身になるための最初の試験は小鬼を殺すことなのは、この呪いと無関係ではないのだ。
勿論この手の呪いは加護に近い、というか紙一重。利点があるばかりではない。
重ねることで蓄積されるものだから、多く受ければ強大な鬼の攻撃をも防ぐ鎧となるものの、鬼でない別の種族が相手の場合はそのダメージを加速させる結果になる上に、まとわりついた死んだ鬼の力が動きを阻害する。
人間の刺客や、他の妖相手には不利なことこの上ない。
そんな情報が頭に流れ込んでいく。
「…しかしもし村に疫病がいけば……」
「確かに危険だ危険。めっちゃ危険。人間ならともかく、この森に住んでる動物なら森から出ないから村まで疫病を持ち込むこたぁないだろうけど、鬼にとっちゃ動物が全部いなくなればご飯なくなって腹減りまくり~、って風になって村にいっちゃうだろ。
だからさっさと退治する必要があるって話なわけさん」
胸に期するものがあるのか、公長は武器を強く握った。
鬼をこのままにしておけば奥木村にまで被害が出る、そうわかったのだからそれも当然か。
「数は一匹だけだったから、さっくりと倒してしまえば済む話だよん。気合いれないとな!」
「……はい」
ただ忠岑の口振りからすると、その“疫雷鬼”、そこまでの強さではないのだろう。まぁオレにしたって鬼首神社での経験からしか鬼の強さなんてわからないんだけども。
さっきの話で小突いたら逃げた、と言っていたから戦って劣勢を悟って逃げたというのであれば、本来忠岑だけで倒せる。その上、今回は同じ随身だった公長がいるのだから勝算は十分過ぎる。
宴禍童子クラスの強さだったら目も当てられないが、“名持ち”ではなさそうだし。
………それ以上に確かなのは、いきなり羅腕童子という“名持ち”の鬼と、出雲たちとの戦いに巻き込まれたオレってよっぽど運が無かったんだなぁ、ということくらいか。
「んでな、腕をこうして振り上げたときに……」
会話内容は疫雷鬼の攻撃方法に移っている。雷を放つときの溜めの動作、攻撃目標の優先順位の傾向など、さすがに鬼を退治してきた者の観察眼、と思わせる話だ。
しばらくして丁度切りのいいところでその会話を止め、二人は野営の準備を始めた。
といっても、警戒用に鳴子のようなものを設置し、その後に持ってきた鳥獣の乾燥肉を齧るという食事を摂るだけだ。春先で気候がいいこともありそのへんにごろりと雑魚寝である。
そのまま交代で見張りをしつつ休み、朝を迎えた。
相変わらずワーキャー軽い感じで会話している忠岑に、オレがちょっと聞くの面倒臭いなと感じ始めた頃、二人の会話が止まる。
理由は簡単。
お目当ての場所にやってきたからだ。
「手間が省けて楽だね、こりゃ」
にやりと忠岑が担いだ槍を構える。
公長の予想通り岩場にある洞窟、確かにそこが鬼の住処になっていたのは間違いない。なにせ、目的の疫雷鬼が丁度その入口から出てきたところだったのだから。
身長は2メートルほどで、この時代の平均を考えればかなりの体格だ。濃い青みがかった体、そして顔を隠すくらいにまで伸び放題の髪からは、それをかき分けて角が生えているのがわかる。他の鬼同様、その手の爪は鋭く一本一本が短い刃物のよう。
こいつを倒せば全て平穏無事に終わる。
やってきた二人はすぐさま意識を警戒状態から完全な戦闘状態へと移行させた。
「んじゃ、ま。一番槍、頂きィッ!!」
どう動くかわかっていたのだろう。聞きなれたセリフと共に颯爽と先輩随身が駆け抜けるのを横目に、合わせるように公長も剣を構えて走り出す。
鬼までの距離は20メートル。
ようやく茂みを抜けて走り出してきた敵に気づいた鬼が片手を大きく天に振り上げた。
パリ……ッ。
小さく火花が散るかのような音。
それと同時に二人は横に飛び退く。
忠岑は右、公長は左へ。
彼らが急激な方向転換した地点、そこに雷が落ちる。近くに高い木やら雷の落下地点を左右する要素があるのにそちらではなく地面に落ちるのは、やはり鬼が放つ特別な雷撃だからだろうか。
落下地点には轟音と共に炎が立つ。上手く避けたものの至近距離で雷が炸裂したのだから、何らかの余波を受けているであろう二人だが、その動きは止まらない。
視界の左右に散らばった敵のうち、鬼がどちらを先に追うべきか迷っている一瞬にさらに間合いを詰めていく。
距離は5メートル。
再度雷を放とうとした疫雷鬼だったが最早遅い。
致命的なまでに。
ダンッ!!
大地が揺れるんじゃないかと錯覚するほど爆発的な踏込の音がしたのと、疫雷鬼が手を上に掲げるのは同時だった。
ぞぶりと突撃の勢いそのままの槍が突き出され肩を抉る。
抉り過ぎて結果掲げた腕は千切れて落ちた。
言葉通りの一番槍。
「グァァカァァッ!!?」
自らに強烈なダメージを残した相手に対し、鬼はその長い髪を乱すように叫び、隙間から憎しみに満ちた充血しきった目を見開く。
そのまま残った腕を大きく振るい爪で攻撃するも、すでに“童子突き”はバックステップで回避。かすかに髪が数本切れただけで、大きく距離が開いた。
だがそれでも鬼にとっては狙い通りだったのだろう。
間合いが取れればいい。
自らの雷で相手を仕留めるべく腕を掲げようとして―――
「……死ね」
ずぞん…っ。
鬼から向かって右手から回り込み、いつの間にか背後に立っていた公長の渾身の一撃で首を跳ね飛ばされた。
先手に強烈な槍使いの一撃、それを隠れ蓑に隙の大きい大振りの一撃を背後から放つ。
十年前に得意としていた連携が今一度成果を挙げた瞬間だった。
かくして疫雷鬼は滅んだ。
そして悲劇が始まる。




