175.伝説の再臨
山中。
山頂付近の開けた場所。
そこにいた動きを止めている光の巨人を見上げる。
それは現れたときと同様の威容をそのままに不気味なほどに静まり返っていた。
「……どうなってンだ、ありゃあ…?」
暴れ回るのならば話は早い。
襲いかかってくる相手はただ叩きのめせば済む。
むしろ今のようにまったく動きを見せないほうが対応に困る。
遠目に確認できた範囲では、先んじて向かわせた充が巨人に立ち向かい、首筋に刃を突き立てようとした瞬間に取り込まれたように見えた。
慌ててやってきてみれば、今度は巨人がまるで動かないときた。
さっさとぶちのめして充を引きずり出すのか、それとも取り込まれた充が何かしていて動きを止めているのかもしれないから様子を見るほうがいいのか。
判断をつけづらい。
ああ、すでに手遅れだから何もしねェという選択肢はない。
俺が認めた弟分はたかだか鬼に取り込まれた程度でどうにかなるような軟弱な奴じゃないとわかっているからだ。
「そのように悩まなくても大丈夫ですよ」
近づいてくる気配に視線を送るよりも先に、声が届いた。
気配も声も、予想通りの相手。
「いつぞやはどうも」
「こちらこそ老体のリハビリに付き合って頂き感謝しております」
ジト目で見つめる俺に対し、丁寧に礼をする男―――榊さん。
近寄ってくる足取りはあくまで重厚で淀みがない。
「焦る必要はありません。しばしお待ち下されば、おのずと結果はわかりましょう」
「結果……?」
「宴禍、幽玄、具眼、悠陽、静穏、羅腕……分霊として散らばっていた六鬼の力が全て戻った結果がどう在るか、と申しましょうかな。
古の鬼が封を解いて目覚める要素は全て整ったわけですが、ひとつだけ不確定ながらも希望もありますゆえ、しばし見守りたいところです」
目の前の光の巨人が古の鬼ではないのか、そんな考えを榊は否定する。
「あれはさながら繭のようなもの。
千年ぶりの現世に夢を見ながら朧げに蠢く塊に過ぎません。そのまま再びの眠りつくのか、それとも本格的に目覚めるのか……その境界といったところでしょうな」
この鬼について、榊さん以上に知っている者はいないのは間違いない。
それはわかっているから疑う余地はねェんだけども、
「……ひとり、抜けてねェか?」
洞見童子。
途中で俺の妨害をしてきた鬼。
同じ名持ちの鬼でも他の連中と比較し数段上の力を持っていると思われる難敵の名前が、 榊さんが言う分霊の中にない。
「はっはっは、あのような者。鬼にはおりませんよ。上手く擬態しておったようですが力も質も鬼としては明らかに異質さを感じるところです。
勿論今回の件に無関係というわけではなさそうですがな」
あー、そういうことな。
そもそも今回の古の鬼の復活劇、“逆上位者”の連中が関わってきているっつうことで俺がやってきていることを考えればおかしくない。
あの腐れ脳髄野郎どもの一員が何かで鬼に化けてたって話だろう。
とりあえず警戒度をひとつ上げておくか。
もし洞見童子が“逆上位者”だというのなら、おそらくトップの奴だ。
あの“神話遺産”級の力は先ほど狩った三位の棗など比較にすらならない。
「で、つまるところ榊さんが前に俺と腕試しをしたのは、やっぱりこいつと戦うためだったって話かい?」
光の巨人を再度見上げる。
「御慧眼で」
「誤魔化されないぜ。わざわざアンタが出張ってきた、ってことはあの話も事実だってことだろ?」
封じられている古の鬼。
その正体。
「ええ、そういうことになりますな」
おそらく最もよくそいつを知るであろう大鬼はゆっくりと言の葉を紡いだ。
「古の鬼の名は“茨木童子”―――かつて私の息子であった者の名に間違いありません」
かつて酒天童子と呼ばれる大鬼の集団の中にいた鬼。
だがふと榊さんの言い方に違和感を覚え、それに言及しようとして、
「……隠れられてねェぞ?」
「あれ?」
ひとまずその前に周囲の木々に隠れている奴に声をかけた。
オレ相手に匂い対策もしねぇで隠行が通じると思っている段階で馬鹿としか言いようがない。増して今は臨戦態勢。鋭敏になった五感全てを欺く技量がなけりゃ話にならん。
「いやいやいや、やっぱ凄い凄い。“隠身”ほどじゃなくても今のはばっちり隠れてたつもりだったんだけどもなぁ~、ああ!? 冗談だってば! 待って待って! 待ってよ~ん!?」
がさりと下草をかき分けて出てきたのは槍を手にした男。
身につけている防具はボロボロだが、手当はしたのか傷自体は見当たらない。握った槍からはいくらか異様な雰囲気が漂っていたから、おそらく何か特殊な武器なのだろう。
さっき“逆上位者”の棗に殺されそうになってた主人公だったか。確か“上位者”だったから、その顔は見た覚えがある。
そう思い記憶の中を探り、
「……“上位者”で……三位だったか?」
「そうそう」
「んで二つ名が……ああ、そうだ、思い出した」
「うんうん」
「“幼児好き”か」
「ビンゴ!! って、何その犯罪者っぽいあだ名ッ!!? “童子突き”だよ、ど・う・じ・づ・きぃッ!!」
予想通りのオーバーアクションでツッコむ男を睨み、
「知ってて言ってる。おちょくられたくなけりゃ隠れて聞き耳立てるような真似してンじゃねぇよ」
「うぅ……」
ふとそこで榊さんに視線を向けながら、“童子突き”に声をかける。
「んで、どうするよ。ここにゃお前の好きな鬼の中でも特段戦い甲斐のある御方がいるけども」
久々の人間の挑戦者が興味深かったのか、ほほぅ、と微笑む榊さん。
鬼相手を専門の生業とするのであれば文字通りこれ以上ないレベルの大妖。それを全く感じ取れていない上位者ではないだろう。
対する男はしばし沈黙し、
「………今んとこはやめとくよん。
むしろそっちのほうがラスボスっぽいし、やるんなら準備が要る感じぃ?」
さすがに“童子突き”の名を持っているだけはあり、鬼を見る目はあるようだ。
ここに封じられている鬼のかつての親分だということをなんとなく感じたのだろうか。
ピシ……ィッ!!
と、硬質な音が雰囲気を一変させる。
音の源は当然、光の巨人。
どうやら榊さんの言っていた“結果”というやつが出たようだ。
ピシピシとその体に黒い亀裂が走っていく。ヒビ割れながら光の巨人は大きく咆哮した。
オオォオア゛ア゛ァ゛ア゛アァァ―――…ッ!!!
歓喜とも悲嘆とも取れるその叫び。
ビリビリと大気が震える。
無数の大小無数のヒビ割れが覆い尽くされた巨人は―――
―――そのまま、砕けた。
粉雪の如く砕け落ちた破片が宙へ弾け落下して来る。
見る者によってはとても幻想的な光の粒子の舞い。
空中を落下する間みるみるうちに小さくなり、地面に辿り着く頃には消えて無くなっていく。
まるで全てが夢だったかのように、光の巨人が存在していた痕跡そのものが消失していった。
「およ…? 自壊……?」
“童子突き”が拍子抜けしたかのように槍を肩に担ぐのを視界におさめながら、
「……どうやら結果が出たようですな」
「ああ」
榊さんのその言葉に頷く。
自壊。
力を溜めるだけ溜め過ぎて扱い切れずに滅びる。
そういった例は古今東西問わずいくらでもあるし、むしろ俺や充のような相手から奪って取り込む系の力を持つ者は絶えずそれに注意していなければならない。
だが今回はそれとは違う。
目の前の光の巨人は確かに消えた。
だがその力の総量はそのままに、中心部にひとりの人物が姿を見せていたからだ。
大きさは普通の人間並み。
逆に言えばそこに全ての霊力が凝縮されている。
白い娘。
そう表現するのが最もしっくりと来た。
年齢は十代後半といった感じ。
白い髪、白い肌、白い眼、白い着物……正に白一色。
額に存在する、白磁の如き美しさの円錐状の角。
それが鬼に違いないことを物語っている。
そして納得する。
さっき榊さんはこう言ったのだ。
古の鬼の名は“茨木童子”―――かつて私の息子であった者の名に間違いありません、と。
彼が意味深な言い回しをするからには理由があったということ。
「ま、そのへんの話はとりあえず……あの鬼をどうにかしてからだな」
軽く脱力しながら臨戦態勢を維持する。
とはいえ肝心の白色の娘からは何の気配も感じられない。
むしろどこか焦点の合わないトロンとした目をしたまま、虚空をゆらゆらと見つめている感じだ。
確かに圧はある。
並の者では息をすることすら苦しくなるような圧力。
だがそれは指向性を伴っていない垂れ流すだけのものでしかない。
誰にでも分け隔てなく深々と降り注ぐ粉雪のような、軽く、淡く、それでいて総量としては恐ろしくデカい。
ありていに言えば戦り辛い。
向かってくるとか何か意志が感じられるのならともかく、女の造形で夢うつつで動かない状態だというのは手を出しづらくはあった。
無傷で確保できるのならそれに越したことはねぇわけだし。
と、殺気はおろか戦気の欠片すらも見えないその振る舞いから様子見しかけた俺たちを尻目に、扉出したひとつの影があった。
「やっほぉぉぉぉぉぉぅっっ!!!」
“童子突き”だ。
俺から見てもなかなかの速度で突撃し、その勢いと体重を乗せた一突きが娘の心の臓を狙う。思わず隣にいる榊さんも少し感心するレベルの技巧。
その攻撃に晒される間に彼女が出来たことといえば片手を少し上げることだけ。
トッ。
“上位者”が全力を以て叩きこんだ一撃。
その補先が茨木童子の右手の掌に触れた瞬間、
轟ッ!!
まるで嵐のような、竜巻にも似た気流の乱れが起こった。
“童子突き”の放った攻撃と彼女の掌の間、ぶつかっている点を中心として力の奔流が四方八方へ勢いをつけて荒れ狂っている。
それだけの威力の攻撃をした“童子突き”もさることながら、単純に掌だけで受け切ることの出来る大鬼の霊的強度、言わば体を構成している霊力の密度に舌を巻く。
槍の穂先という最少点に凝縮された攻撃の密度よりも、茨木童子の密度のほうが高いからこその現象。結果、抵抗の少ない空中へと威力が逃げている。
「ぐぐぐぐぐぐ……ッ」
反発で吹き飛びそうになるのを抑えている“上位者”とは対照的に、未だ茨木童子は自然体のまま。
それも当然。
全力の“童子突き”と、ただ単純に手をあげているだけの鬼では消耗が劇的に違う。言わば彼の全力を以て尚、鬼には“消耗するだけの防御”という動作を取らせられていない。
彼女は右手で受け止めながら、ゆっくりと左手を動かした。
とん…っ。
そんな擬音が聞こえるかのような触れ方。
にも関わらずまるでトラックにでも跳ね飛ばされたかの如く、“童子突き”の体が吹き飛んだ。10メートル以上飛ばされた上、数本の木を巻き添えになぎ払っても止まらない。さらに掴もうとした下草やら蔦やらをぶちぶちと引き裂いて、ようやく勢いが止まる。
止めた、触れた。
鬼の討伐を得意とする“上位者”が、ただそれだけの行為でダウンさせられた。
「………こりゃ確かに榊さんがリハビリしたくなるわけだ」
パキ……ッ。
パキパキ、パキキ…ッ。
まるで凍結するような音を立てながら、俺の体が黒い光沢なもので覆われていった。
宿主の闘気と霊力を喰らい魔の王の力が荒れ狂う。
さぁあの力を喰らえと餓狼が牙を剥く。
さぁあの敵を倒せと魔王が闘争に打ち震える。
「力を求めて辿り着いた眠り、と聞いておりましたので。目覚めた折には、相応の力を手にしているだろうと思ったのですが……これは予想以上ですな」
榊さんは俺と戦ったときと同じく懐から取り出したものを握り、そして潰した。
切り離された自らの角を。
砕けた角が粒子となり榊さんの体にまとわりついた。
隆起するその筋骨にミシミシと上半身の服が引き裂け、同時に押し固められ凶暴性を増した霊力が噴き出す。再現がないかと思うほど引き絞られ鍛え抜かれた巨躯が完成するのと同時、その額には朱い角が現れた。
「……親父様?」
現れた二つの“神話遺産”の力に呼応するように、茨木童子の白い瞳に幽かな意志の火が灯る。
「ああ……ようやく逢えた」
その悦びに震えながら、彼女は謳う。
「さあ、約束でございます」
彼女は謳う。
その心は何処にあるのかも知らず。
「親父様も殺させて下さいませ?」
ただ―――戦いを謳う。
千年もの間霊力を喰らい夢見し強大なる白鬼。
その前に顕現するは、魔王の力を有する漆黒の狼と、かつてその鬼をも従えた無双の大鬼。




