170.綻びる封
静かに目を開ける。
どれほど眠っていたのだろうか。
それすらも曖昧模糊。
現世はたゆたう夢が如きもの。
目覚めては眠り。
目覚めては眠った。
十繰り返し夢を見る。
百繰り返し夢を見る。
千繰り返し夢を見る。
命が生まれ、死んでいく。
身震いをすればするほどその輪廻は加速する。
わからない。
自らの名も。
わからない。
此処が何処なのかも。
わからない。
何をしたいのかすら。
だからまず一歩を踏み出すことにした。
さながら赤子の様に。
頼りのない足であろうとも、何処かへは辿り着けるだろう。
まずはそのための体を作ろう。
そうすれば―――
「…痛ッ」
走りながら思わず顔を顰める。
感じている違和感。
どうやら古の鬼が復活かもしくはその近くの状態にあることは間違いないらしい。
以前、羅腕童子を取り込んでいた時にも確かに封じられていた鬼のうめき声らしきものを聞いていたが、今は吸収した静穏童子を経由して鬼の思念が割り込んでくる。
分霊六鬼とはよく言ったものだ。
確かにあの名持ちの鬼たちは分かれた霊なのだろう。
【これだけ山全体を覆う鬼気を通した思念じゃ、影響があるのは仕方ない。あくまでおぬしは充じゃ。流されないように気をしっかり持たぬといかんぞ】
「わかってるって」
意識をしっかりと持っていれば問題ないが、気を緩めていると勝手に想念を受信してしまう感じだ。
「お、見えてきたな」
本殿にはすぐに辿りつくことが出来た。
だがそこは先日友人に案内されてやってきた光景とは余りにも違ってしまっている。
そこには居たのは何かを眺めるひとりの鬼と、倒れ付した二人の巫女装束の女性。
その誰もに見覚えがある。
「咲弥ッ」
駆け寄って抱き起こした。
まだ息はあるのを確信して安堵する。
隣で倒れている姉の聖奈のほうも同様で、どうやら気を失っているだけのようだ。
多少打撲などの怪我はあるものの命に関わるような傷はなさそうだった。
「み、ミッキー……ちゃん?」
抱き起こされたことで気がついたのだろう。
咲弥が小さく口を開いた。
だが弱々しい。どうやら身体ダメージはなくとも気力的にはかなり消耗しているらしい。
「悪ぃ。守れなかった」
社も。
封も。
そして咲弥たちも。
「だけどまだ終わりじゃない。後は任せてくれ」
「でも……ミッキーちゃん、関係ない子。もう封印は解ける。だから逃げても…」
まぁ確かに部外者だ。
正直なところただの主人公としての依頼っていうだけならば逃げたい。
だが、
「部外者じゃないよ」
戦うべき理由がある。
それは羅腕童子のことだったり、不覚を取った借りを返すことだったり色々あるんだけど、結局のところこの場で一番大事なのは最もシンプルな理由。
「怖いからって咲弥や聖奈さん……女の子だけ残して逃げたりしたら、もうそれはオレじゃないからさ」
ぽん、と咲弥の頭に軽く手を置いた。
「さっき言った通り後は任せろ。とりあえず巻き込まれないように自分たちの身だけ守っていてくれればそれでいい」
「………ありがと」
「気にしない気にしない。あ、でも気にしてくれて後でキスでもくれるとやる気出ちゃうかもよ! 男の子だし!」
「……馬鹿」
よし、大分調子が出てきたな。
冷静に考えればそんな場合じゃない気もするが、照れた可愛い顔が見れたのは役得としておこう。
そのまま咲弥から手を離しゆっくりと鬼を見据える。
「ああ、羅の字……いや、もう違うのかい。どちらにせよ遅かったじゃないか」
「宴姉…とはもう呼ぶべきじゃないんだろうね。真打は遅れて登場するもんだと思うんだよ、宴禍童子」
鬼―――宴禍童子が振り向いてにやりと哂った。
昨日までとは違う服装、そして体格、おまけに額には目と左右に角が増えている。そして何より放つ鬼気の圧力が桁違いになっていた。
今目の前にいる鬼は分霊六鬼最強とか言っていた静穏童子よりも数段強いということがヒシヒシと感じられる。
だがそれはこちらも同じこと。
怯む訳にはいかない。
「確かに遅かったかもしれないけど、まだ間に合わないこともないんじゃないかな」
その鬼女の背後。
先程まで彼女が見ていたもの。
そこには壊れ崩れ落ちた本殿、そしてその瓦礫の中心に青白い光の柱が立っていた。
光の柱の中には、以前咲弥に見せてもらった首が、その髪をなびかせつつ浮かんでいる。
―――オオオオォォォォォォ……ォォ……ン……ッ
鬼首神社の由来となった古の鬼の首。
岩のようだったそれが生き生きと脈打っている。
「なんだいなんだい、羅の字ですら無くなったお前が勝てるつもりかい?
ただの人間に過ぎないお前が名持ちの鬼を食らったあたいに……ッ!?…」
あー、なるほど。
宴禍童子がなんか随分と強くなっている気がする理由は他の分霊六鬼を喰ったためなのか。いくつ喰ったのかはわからないが単純にその力を吸収しているからこその強さだと。
さて、格下を扱うような宴禍童子の台詞が途中で驚きに包まれたものに変わる。
どうやら気づいたようだ。
「……まさか、静穏を」
「ああ。手応えが無くて困ったけどさ」
羅腕童子の力はこの山の鬼によって抜き取られた。それは間違いない。だが今のオレの中には別の分霊六鬼が在る。
あんな風に死に掛けていれば話は別だが、そうでなければいくら鬼であってもそうそう引き剥がすのは難しいだろう。
「小賢しいねぇ…取り返さなきゃいけなくなったじゃないか」
宴禍童子の四肢に力が篭る。
紛うことのない殺意。
さすがに分霊六鬼の鬼、しかもなんか合体して強くなってるっぽい相手に対して手控えする意味はない。
全軍動員して倒す、それが最善手。
呼応するかのように、オレは“簒奪帝”を発動させた。
ゴゥン…ッ。
オレの全身を鎧のように赤黒い気流が覆ったのと、宴禍童子が裾を伸ばして攻撃してきたのはほぼ同時。
硬質化した裾はまるで一枚の布のように線を描き一直線にオレへと向かい、
「…ッ!?」
すり抜けた。
驚いている宴禍童子には教えるつもりは無いが仕組みは簡単。
―――“煙狼化”
ワルフを取り込んでいる状態でのみ使える能力。
要はワルフの体のように通常攻撃無効になれるのだ。
「よっとッ!」
そのまま裾を掴む。
ちなみにワルフとは違いオレは煙狼化状態で相手に触ることが出来ないので、攻撃するためには実体化する必要があるのが難点だ。
静穏童子から奪って再び使えることになった鬼の膂力で裾をひっぱり宴禍童子を投げようとする。
が、投げようと力を込めた瞬間裾が妙な方向に力を発して捩れた。
「おぉぅっ!?」
そのまま掴んでいたオレは投げようとしていた自分の力でひっくり返る。
技巧に満ちたその技は目の前の鬼には似つかわしくない。
おそらく喰った鬼の中にそういう精度の高い技を使う鬼がいたのだろう。
「合気道でもやってたっていうのかねぇ」
軽口を叩きながら急いで起き上がる。
しかしすでに視界に宴禍童子の姿はない。
こういうときは―――
「―――後ろかッ!!」
振り返る。
だが誰もいない。
つまり答えは後ろではなく、上だった。
ずしんっ!!
“簒奪帝”を纏ったオレの肩に一撃。
頭上から蹴りが放たれ、その威力に受けたオレの周囲の地面が陥没する。
だがそれでもまだ足りない。
さらに衝撃は膨れ上がり一段陥没した範囲よりももっと大きな範囲が陥没。
冷静に考えれば煙狼化すりゃよかったんだけども、咄嗟に受けてしまい結構衝撃が抜けてきてしまった。
そのまま蹴ったオレを足場に飛びのこうとする宴禍童子。
「まだだッ!!」
“威圧”発動!
さすがに威圧させるほどの効果はなかったが、意表をつけたのか一瞬だけ動きが止まる。
照準良しッ。
片目を塞いで“無限の矢”を放つ。
突然の衝撃に宴禍童子が吹っ飛んでいった。
チャンス、とばかりに“騎”で腕を生やし伸ばしていく。
甲冑を纏った簒奪の腕が我先にとばかりに地面に墜落した宴禍童子へと殺到する。
防御も無意味だ。
触れればそれだけで能力を奪うことが出来る。
対して地面に肩ひざついた彼女がやったのは手をこちらに向けることだけだった。
それだけで腕が突然弾かれ動きを止める。まるで見えない壁に動きを遮られたかのように。
その隙に鬼女は間合いを取り直していた。
ひとまず“簒奪帝”を解除。
「……あー、くそ。仕留めたと思ったんだけどなぁ」
「悪いけど危険は察知できるほうでね。触るとヤバいんなら触らなきゃいいだけさね」
再び対峙するオレと鬼。
その向こう側では鬼首が変化を見せようとしていた。
立ち上っていた光の柱が逆流を始め地面へと流れていく。地中に触れ入り込んでいくと徐々に水たまりのように地面が色を変えていく。
広がる白色の大地。
まるで水に墨汁を注いでいくかのように、円形にそれは広がっていった。
半径10メートルほどにも膨れ上がった頃、ようやくその膨張は止まる。
そして起こるさらなる変化。
ズズズズズ…。
突然激しさを増す揺れに警戒する。
その光る泉にも似た大地から巨大な人型が出てきたのだ。
それがまるで何かの門とでもいうかのような錯覚すら覚える。
光る大地と同じように淡く光るその人型は頭から現れどんどん上に上に進んでいく。
頭、首、肩、胸、腹……。
まるでエレベーターにでも乗っているかのように上っていき、その全身を表した。
「……なんだ、ありゃあ」
ただそれを鬼と呼ぶには違和感がある。
非常階段にある人の形のような輪郭だけの男女どころか顔の造形すらないのっぺらぼう。全長20メートルはあろうかという、文字通りの“人型”だ。
ただ、意志のようなものは感じられない。
これだけ巨大なものが暴れれば恐ろしいことになるだろうが、まるで茫然自失しているかのように瞳のない顔が遠くを見ていた。
何かが欠けている。
つまり完全復活までに足りないものがある、そういうことではないだろうか。
だとすれば、まだ活路はある…ッ!!
突然のことに宴禍童子と対峙しつつも様子を窺っていると、どこからともなくキラキラと光る霊力の塊が流れてきた。それはそのまま巨人の中へと入っていく。
ゆらり……。
巨人はその輪郭を少し確かにした。
ゆらゆらと体をゆすり始める。
だがとりあえずはそれだけで、何かが起こる様子はない。
【あの霊力の量……おそらく名持ちの鬼の塊じゃな】
あー、つまり名持ちの鬼が今あそこの中に入った、と。
ただどう見ても今の巨人は不完全。
ならば、このまま足りないものを足さなければいい。
そしてそれはおそらく―――
―――分霊六鬼。
分かたれた霊、つまり欠けたピースがある限り完全じゃない。さっきの飛んできた名持ちの鬼の霊力を見れば明らかだろう。ならば少なくとも今オレが取り込んでいる静穏童子がいる限り、そして目の前の宴禍童子を取り込んでしまえば……ッ!
「さて、んじゃやりますか」
宴禍
「まだ続ける気かい? てっきりあたいは主様の威容を見て震えてるのかと思ってたよ」
「見てる間に不意打ちしてこなかったのは意外だったけどね」
まったくもって意外だ。
これじゃあオレが―――
―――卑怯みたいじゃないか。
ズド…ォッ!!
突如、宴禍童子の足元が砕ける。
現れたのは朱黒に脈打つ“騎”の腕。
「ッ!?」
反応する間すらない。
その足元を1本が掴む。
腕、首、胴体、肩……瞬く間に7本の腕がその体に取りつき完全に拘束する。
伊達のときと同じ要領。
足元から“簒奪帝”を起動し地中を通したのだ。あのときと違うのはただ拘束するだけではない能力を奪える腕が宴禍童子を掴んでいることだ。
「足元がお留守だったね、宴禍童子」
「…く…ぐぅぅ…ぅっ!! …ッ!!!」
なんとか脱出しようともがくもののぐるぐると腕が伸びて回りつき、縛り上げられ鬼女は半分以上埋もれていく。
やがてその腕が変化し始める。
8本の腕、その手が鬼女の体から離れて牙が生え揃った口へと変わっていくのだ。
先端に煙狼の咢が8つ顕現し宴禍童子の周囲に揺蕩う。
これでチェックメイトか。
よし、じゃあ最後は恰好つけよう。
先ほどの彼女のセリフを思い出して告げる。
「逆に聞こうか―――」
ぶるり、とオレの笑いを見た鬼女が震えた。
「―――ただの鬼に過ぎないお前が名持ちの鬼を喰らったオレに、勝てるとでも?」
それが始まり。
全ての牙がその肌に食い込み噛み千切り咀嚼を開始する。
圧倒的な蹂躙が始まった。




