164.裏の事情 from 狼(1)
見知った顔が目に入り、安堵感に包まれたのもつかの間。
今度はむくむくと疑問が沸いてきた。
そもそもなんで八束さんがここ、鬼首神社にいるんだろうか。
とりあえず考えてもわからなそうだったので、
「……なんで八束さんがここに?」
普通に聞いてみた。
その問いに対し目の前の男は少しバツが悪そうに、
「あー、それは…なんだ。話すと少しややこしいことになるんだが……体のほうはどうだ?」
そう言われて自分の体を確かめる。
ずばっと斬られていた首はちゃんとくっついているし怪我もない。
だが先程までやっていた、裡で“魔王”との戦いで体の中の霊力が荒れている。
少し時間がすれば収まるだろうけど、今の状態で能力を使おうとすると発動にタイムラグが出るかもしれない。
「その様子だと大したことはないみたいだけどな。まぁこれから連中と遣り合うのにその状態じゃ危ういし状況説明も必要だろう。
数分だけもらうぜ? 呼吸を整えて自分を安定させながらでいいから聞いてろ」
ここに彼がいる理由。
そして現状。
それを語り始めた。
□ ■ □
どこから話したもんか……。
まずことの始まりは数日前。
俺と榊さんとの戦いから始まる。
その戦いの最後に放たれた攻撃。
ただの一撃ずつ。
だがそれぞれが渾身を以って放ったその一撃は、正しくその名に恥じない神話の威力を有していた。
全てを断たんとする魔王の黒刃。
万物を潰さんとする豪鬼の剛拳。
まずぶつかりあう直前、大気が弾け、そして裂けた。
それも道理。
途方も無い威力同士が真正面からぶつかり合えば、衝突面の圧力は常識では計り知れあいほどに膨れ上がる。
結果、水が高きから低きに流れるように力が可能な限りその圧殺される死地から逃げ出そうと殺到したのだ。
裂けた大気が物理的な音速の波を生み出し、近くの木々をなぎ倒し大地を削っていく。
だがそれでも止まらない。
互いの一撃が互いを凌駕するその瞬間まで止まれない。
「おおぉォォォォぉぉおオオオオオッ!!」
「カァァァァァァアアアアアッ!!!」
鬼と自らの咆哮が交じり合い、そして世界が白く染まる。
時間にすれば刹那すら温い一瞬。
だが、一撃を放った手に感じる重さだけが全てのその瞬間は確かに在った。
そして感じる。
―――押し負けた、と。
今度こそ視界だけではなく全ての感触が白く塗りつぶされ、体を襲う獰猛な衝撃を感じた後、意識は闇に閉ざされた。
じわり……じわり…。
まるで皮膚の内側、肉の間に質の悪い油を流し込まれている不快感。
ようやく覚醒した意識が、全身を駆け巡るそれの発生源を探る。探っている間にも不快感が広がり続けているが気にしない。たとえその不快感が極限まで至ったときに俺が俺で無くなるのだとわかっていても焦らない。
そしてすぐに見つかったそれをぎゅっと締め上げると、不快感は消え視界が回復した。
どうも仰向けに倒れていたらしい。
夜空を見上げながらゆっくりと上半身を起こす。
「……こりゃまた随分なことになったもんだ」
視線を周囲にやると、見るも無残なことになっている。
この場所には小さな山があったはずだ。だが今俺が寝ている場所は周囲を山々に囲まれた窪地になっている。生い茂っていたはずの緑はおろか木々の1本すらない。ただひたすらに瓦礫の荒野。まるで途方も無い爆弾でも炸裂したかのように山ひとつが吹っ飛び、クレーターが完成していた。
そこにいるのはオレ一人だけで、すでに鬼の姿は無い。
再び視線を上げる。
ぽっかりと浮かぶ満月の傾きは変わらない。
おそらく気を失っていたのは1,2時間といったところだろうか。全身の服がズタズタになっており、特に上半身の着衣なんて欠片もないほど吹き飛んでいる。今は傷ひとつないが、かなりのダメージを受けたことは想像できた。
「で、何してる……んです?」
視界の隅に写った光源の持ち主にそう声をかける。
普通に近寄ってくれればいいところを、恐る恐るおおかなびっくりやってくるのでどうしたって気になるだろうに
声をかけられたことが、そんなに予想外だったのだろうか。
その人物―――佐伯さんはびくっと肩を震わせた。
「……ンなに驚かなくても」
「お、驚くさ! な、なんで君……」
埃を払いながらゆっくりと立ち上がった俺に対して、彼は声を震わせて続ける。
「……なんで、生きてるんだい?」
「いや、そう言われましても……」
いきなりされる質問ではない。
おそらく榊さんと山が消し飛ぶほどの攻撃をぶつけあって、なんで負けた俺が生きているのかということなんだろうけどな。
「まぁアレですよ。今晩は満月ですし?」
そう、満月なのだ。
伝承にある通り、狼男にとって最も野生と力の高まる夜。正しくは狼男ではない俺も例外ではなかった。
元々一般の生物も月の満ち欠けによってバイオリズムに影響が出て、血流が多くなったり等は在り得るからおかしな話でもない。
俗に言う“血が騒ぐ”というやつだ。
もしそれを突き詰めた種族の場合、身体能力はもとより、超人的な再生能力の増大を得ることが出来たりもする、というだけの話。
「いやいやいやいやいやッ!!」
その答えでは納得いかないのか、佐伯さんは首を勢いよく振った。
「再生能力とか、そんなレベルの話じゃなかったよ!?
そもそも胸元にぽっかり大きな穴が開いてて、上半身がほとんどすっかすかになってたんだから! いくら君でもおかしいって!」
あー、なるほど。
ようやく合点がいった。
それは確かにおかしい。
狼男の再生能力はあくまで自己修復の延長上にあるものだ。例えば普通の人が擦り傷を作ったときに、何日かすれば傷が治っているようなものであくまでその速度が早いだけ。
一部の内臓など、本来復元できないものも復元できるという意味で少し違ってはいるものの、あくまで生命としての復元である以上、生命活動が止まってしまえば再生もできない。
そして心の臓はその再生できないもののひとつなのだ。
だからこそ古来、倒すのに銀の杭を心臓に打てだのなんだの言われるわけなんだが。
当然、心臓が止まって全身の血が止まる、そんなことになれば……。
「なにか光って爆発があり、決着がついたようだったから見に来たら君が倒れているし、挙句体に大穴あけて死んでいるのかと思ったら、突然手にしていた鉈が霧状になって体を包み込むし、そのまま見ていたら穴が塞がるわ、霧は手袋になるわ、わけのわからないことばかりだ!」
………。
ちょっと動揺している佐伯さんはともかく、その話をまとめると取り込んだ“魔王”が心臓とその周辺の臓器を再生させたらしい。
それならば視界が回復する前のあの不快感もわかる。
確かに取り込まれた以上、現在の“魔王”は俺からの支配と引き換えに存在のための魔力供給を受けて大人しくなっているわけで、自らのために宿主を治そうというのはわからないわけではない。
ただ、それで調子に乗って俺そのものを侵食しようとしたのは頂けないが。
「倒した相手に乗り移ろうにも、榊さんは能力を奪う力はないし、自らの能力で侵食するにしても欠片でしかない今のコイツじゃ無理だったおかげか」
そもそもいくら相手の得意な真正面からの勝負に敢えて乗ったとはいえ、俺の餓狼の力と“魔王”の力を足した一撃に自力で押し勝つ相手だ。
今の俺の未熟を差し引いて尚、乗っ取るなんて無理難題もいいところだろう。
「さて……とりあえず大事にならないうちに引き上げますか」
「山ひとつ消し飛んでるんだから随分と大事になっているような……」
「個人的に言わせてもらえば、むしろ“神話遺産”同士の激突の結果がそれだけで済んでいるんなら御の字じゃないかと思い……ますよ?」
くそ、普段使い慣れていないと敬語って難しいな。
同じ“神話遺産”であったとしても純然とした格の違いは存在する。
そもそも人間の手に負えない伝説や逸話の存在をそう呼称しているだけで、ちょっとした怪物から強大な神に至るまで様々なのだから。
例えば、あの“魔女”が同等の相手と全力戦闘でもやらかした日には小さな山ひとつどころか大都市そのものが壊滅しかねない。
さて、後始末の連中には気の毒だが今のうちにさっさと退散しよう。
ボスに言われている案件もあることだし。
ふと、そこで気づいた。
「なぁ、佐伯さん」
「…? なんだい?」
「着替えくれ」
衣服がほぼ弾け飛んでいる状態で街中に戻ったら別の意味で注目されちまうからな。
なんとか衣服を調達した後、下山。
そのまま適当なホテルで仮眠を取った。
山が消し飛んでいるのに下山というのも何か変な表現だが、それはそれとしておいてくれ。
翌日。
目覚めた後、ホテルの室内で体調を確認すると、
「……ダリィな」
想いの外、体が重い。
体の負傷は全部治っているとはいえ、“魔王”の力を攻撃に転化した消耗と、その後侵食されかけた魔力の淀みの後遺症が出ているようだ。
戦闘をするのに支障が出るほどではないものの、どう贔屓目に見えても戦力が2割減といったところだろう。
「ボスには内緒にしとかねぇとな」
任務があるのに体調が万全でないなど口が裂けても言えない。
しかもその理由が恩人の頼みなどという私情では尚更だ。
「借りは追々返していくとして……差し当たっては鬼首大祭、か」
参加している主人公どもの抹殺。
それが俺に与えられた仕事。
今の状況でも一般の有象無象なら問題はない。だが上位者クラスを相手取るのなら、力押しだけではなくちょっと考えて戦わないと厳しいところだ。
ホテルの朝食ビュッフェでたらふく肉を食べながら朝方届いた報告書に目を通す。
内容は勿論鬼首大祭について。
例年行われている拠点防衛に違いはないのだが、毎年変わるルールについて調べられたもの。
「……また危ういルールを」
思わず呟く。
鬼の膳を食したものだけが使える護り。
それに対しての正直な感想だ。
そもそも何か別の力を取り込む、ということは当然リスクを伴う。俺の餓狼にせよ、つい先日見た充の“簒奪帝”だろうが同じこと。
今回の“魔王”ほどのリスクは特殊だが、それを別としても相手を取り込むということは自らに構成要素に相手が混じることを意味する。それは即ち存在が近づくことに他ならない。
魔を取り込めば魔に引きずられる。
そうならないよう、相手の能力を取り込むタイプの能力者には確固たる自我と寄る辺が必要になるのだ。
それくらいの綱渡りをしていると自覚しているのと、自覚していないのでは天地ほどの差がある。
だが今回の件に関していえば、当事者にそれが出来ているのか怪しい。
「関係ねぇけどな」
鬼が何を考えていようと興味はない。
このイベントにおいて主人公の敵は鬼であり、鬼の敵は主人公であるということは間違いないものの、俺の相手はそのどちらでもなく主人公に混じっている“逆上位者”なのだから。
食事を終え連絡員の佐伯さんに定時報告。
今は内偵を進めている段階なので特に出番はない。
予定ではあと3日ほど待って、鬼首大祭5日目からが俺の気合の入れどころだ。
主人公を皆殺しにするだけならば簡単だ。だがそうかといって鬼首神社の封印を解かせるのも不味い。
そういった理由で待たされている。
例年拠点を護って古の鬼の復活を阻止しているわけだが、例えば1日目や2日目に俺が主人公を皆殺しにしたせいで封印が解けては困る。
護り手のいなくなった社など鬼にとっては垂涎の的だろう。
俺がそいつらを退けるにせよ体はひとつしかない。
護れる社もひとつだけ。
だから、やるのであれば後半だ。
残り1日か2日くらいの状況であれば残る社に群がる鬼を俺が一人で護れば事足りる。
社がひとつでも残っていれば封は護られるのだから。
だから潰す順番も当然重要になる。
最も強力な主人公が護っている社を残しておきたい。
3つ目の社の主人公を倒した後、最後の社に向かっている途中に封印が解けたら目も当てられないからな。
そう考え4日目まではひたすら体を休め回復に努めた。




