158.本殿防衛戦(2)
さて。
二匹をまとめてやっつける。
そんな己の決意を知った、というわけでもないだろうけども“名持ち”の三鬼は動きを止めた。
対する己との間に沈黙が落ちる。
膠着、とはまたちょいと違う、それぞれが戦気を満たしている、いわば嵐の前の静けさ的な。
だがそれも少しの間のこと。
すぐに鬼たちは間合いを詰めるように近づいてくる。
ずるり…。
ずるり……。
引きずる音が響いた。
その音の源は目の前に居る一人の鬼だ。
彼女が纏っている濃紺の衣。
その裾は5メートルはあろうかというほど、長い。
結果、歩く度に裾を引きずって歩くことになるんだ。
……重そうだなぁ。
「重そうだから脱いだらどうよ? もし脱ぐんならその間、待ってるよん??」
なんとなく声をかけてみた。
すると彼女はふと立ち止まって、隣にいる宴禍童子に顔を向ける。
その対応に多少困惑した宴禍童子は、
「……喰えない男だねぇ。もっと何か言うことがあるんじゃないのかい?」
「いえいえ。
決して脱いだら姿形がわかって、対処しやすくなるんじゃないかな~とか思ってませんデスよ?」
おっと、つい本音が。
我慢我慢。
「あ、あのぅ……ぐ、具眼童子、って、い、言います。
………よ、よろしくお願いします」
ぼそぼそと衣の女性が蚊の鳴くような声で呟く。
まだ距離があるせいで、常人だったなら聞き逃してしまったかもしれない。
ま、己は耳もいいんで問題ないんだけどさ。
「おぅ、己は“童子突き”こと武倉槍長って男だぜ」
丁寧?な挨拶に槍を構えて格好つけながら答える。
鬼の天敵ともいえる二つ名。
名乗ったことでさらに緊張が満ち―――
「……あれ?」
―――なかった。
「その恰好と装備で大体わかってるよ。
わかりきったことをそんなドヤ顔で言われてもねぇ」
すでに警戒済みだったらしい。
うわ、恥ずかしい!
穴があったら入りたいけど、生憎とここにあるのは倒された漆黒鬼に開けられた風穴くらいなもんだ。しかも時間経過して死体もゆっくりと消えていっている。
「………ま、それならそれで。わかってるとは思うけど、己ってば鬼退治のスペシャリストなんよ。
なので、ここはひとつ真正面からあんたらと戦いたなぁ~と思っていたり」
連中のうち、浴衣を着た少女が不満げに眉を潜めたのがわかる。
「悪いが、わしにはすでに先約があるでの。逢引の邪魔をするのならロクな死に方はせぬからやめておくがよかろう。どうしてもというのなら、“宴禍”か“具眼”に相手をしてもらうんじゃな」
おっと、フラれてしまった。
さっきの予想通りだけどね。
比嘉チャンが幽玄童子、と呼んだ彼女の視線は、そのまま彼に向けられている。
これ以上ないくらいの熱烈なアプローチだ。
さすがに割り込むのは心苦しい。
もっと言うと馬に蹴られて死んでしまう。
生憎と鬼ならどんなヤバい鬼でも平気だけど、それ以外に攻撃されるのは御免蒙りたい。いくら復活ポイントが決めてあるとはいえ死ぬのはそれなりに痛いし?
っつーことで、
「ありゃりゃんりゃ。んじゃそっちの幽玄サンは任せてオッケェ?」
「………問題ないさ~」
当初の予定通り、いきましょっかねぇ。
「んじゃ己の相手は宴禍童子と具眼童子、と。ちょっと呼びづらいから宴チャンと、ぐーちゃんって呼んでいい? もう呼んじゃったからいいことにしといて」
ピキ…ッ。
探るように軽口を叩いてみたら、反応は対照的だった。
白装束の鬼―――宴禍童子からは猛烈な殺気。
濃紺の衣を纏った鬼――-具眼童子からはかすかな戸惑い。
それらが混ざり合って妙な雰囲気が漂った。
「あたいらをまとめて相手にする、だってぇ…?
主人公だか“童子突き”だかなんだか知らないが、そりゃあちょっとハネっ返り過ぎなんじゃないかねぇ……それとも何かの冗談かい」
「残念無念だけど、伊達や酔狂で言ってるわけでもなし。本気も本気だよん」
刹那、
ズカッ!!!
強烈な手応えと共に体が後ろに10センチほどズレた。
「へぇ…大口叩くだけのことはあるみたいだねぇ」
至近距離から宴禍童子が感心したように呟いた。
己が不敵に言った瞬間、間合いを一気に詰めながら拳を突き出してきたのだ。
本当、単純としかいいようのないその動き。
だがそれすらも“名持ち”の鬼の膂力で行えば、そのへんの主人公なんて秒殺してしまいそうな必殺の一撃になるんだ。
幸いというか咄嗟に槍の柄で受け止めた結果、勢いのまま己の体勢が後ろにズラされた。
鬼属に対して有効なこの武器でなければ、下手をしたらヘシ折られていたかもしれない。それくらいの威力だ。少なくとも身体能力増加の効果がなければ体が後ろにズレるどころではなく吹き飛ばされていたかもしれない。
「むしろ驚いたのはこっちなんですけど。料理が上手いそうだから家庭的かと思ったら、意外と宴チャンって肉体派だったのな」
軽口を叩いていると、そのまま相手は追撃してきた。
いつの間にか50センチほどに伸びていた爪の生えた手を振るう。
フォゥッ!!
思わず横に避けると、彼女が振るった腕の直線上にある木が一本振るった軌跡のままに切れた。
斬撃を飛ばした、ただそれだけのこと。
本来であれば居合の達人が自らの霊力と練り合わせてやる技だが、純粋に高い身体能力と生まれながらに霊力の塊である上位の鬼にとっては朝飯前だ。
さらに暴威は続く。
右手、左拳、右手、左手刀、右肘、左内腕、噛み付き…。
動きそのものは素人に近い。
ただその全てが獣もびっくりの速度。
おまけに途中途中で“隠”を混ぜているので気を抜くことが許されない。
完全に見失うことはないにせよ、この至近距離で一瞬でも動きを見落とせばそれだけで致命的ともいえる暴の嵐。
ひとつひとつ槍を基点に捌き、外し、避け、受ける。
その攻防の中、ざわざわと胸の裡が騒ぐ。
ああ、でもダメだ。
なんて美味そうなんだ。
どずっ!!
「ッ!!?」
攻撃の一瞬の切れ目。
そこに強引に割り込ませるように、石突き部分で腹を突いた。
あっさりと連続攻撃の中のひとつにカウンターを入れたことに警戒を高めたのか、宴チャンはそのままバックステップで距離を取ろうとする。
だが逃がさない。
相手が後ろに跳ぶのと同じ速度で前に踏み出す。
「まぁずは……腕いっぽぉぉんっ!!!」
咄嗟に身をよじろうとする目の前の鬼女の片腕を狙い槍を振るおうとして、気づく。
宴チャンの口元が一瞬歪んだことに。
見える色は喜悦。
ぞわり。
数多の戦闘経験からくる直感が警鐘を鳴らしていることに気づき、反射的に止まった。
その己の目の前、
シュカカカカッ!!!
わぉ。
まるで壁のように地面から金属のような質感を持つものが高さ2メートルほど飛び出した。
薄く研ぎ澄まされたような板状のもので出来た目の前に出現した壁。
そのまま突っ込んでいたら下からまともに喰らっていただろうなぁ。
あぶないあぶない。
すぐに目の前の濃紺の色をした壁はくたり、と柔らかく撓み、そのまま地面に引っ張られるように戻っていった。
「あー、なんか随分と長いと思ったら、それ、伸縮自在なワケかぁぁ」
そう言って、濃紺の衣を纏ったぐーちゃんこと具眼童子を見る。
その衣の裾は地面に突き刺さっていた。
が、そこで攻撃は終わらない。
足元のかすかな振動に同じように飛び退くと、再び硬質化した衣が飛び出してきた。
そのまま3メートルほど上にいくと、一気に折れ曲がり今度は上から己を強襲する。
「お…ぉぉぉぉッ!!?」
さらに避けると、そこからはその繰り返し。
衣は止め処なく伸び、上下左右にまるで何かに当たってバウンドするかのように不規則に軌道を変えて襲ってくる。
槍で打ち払おうとすると、その一瞬だけふわりとした布の感触となって衝撃を分散してしまう。
おまけにしゅるっと槍に絡みついて引っ張ろうとするところをなんとか引っ込める。さすがに槍を奪われたら詰むし!
だから避ける。
避ける。
避けながら見極める。
数分ほども続いただろうか。
唐突に布が縮んでぐーちゃんの裾の長さが元に戻った。
どうやら伸びる限界に達したらしい。
おそらく50メートルくらいかな?
「洞見の言ったことを信じなかったわけじゃないけど、やはり一筋縄ではいかない相手みたいだねぇ。
面白くはなかったが、勝算もなしにあたいらまとめて相手するってハナシじゃなさそうだ」
「あの人……強い」
とりあえず一連の攻防を凌ぎ切った宴チャンとぐーちゃんは顔を見合わせた。
軽く手を合わせてみた限りじゃ身体能力的には宴チャン、技量的にはぐーちゃんのほうが上ってトコか。とはいえ宴チャンは武も理も無いような力任せなので行動のモーションが大きく先読み出来るし、槍が当たる一瞬を見切って衣を布に戻すあたり技術的に長けているぐーちゃんの攻撃は宴チャンよりも速度が若干遅い。
それぞれちょっとずつ短所があるから、そこを突いていけばまとめて倒すのは不可能ではなさそうだ。そこから生じる連携の隙を狙おう。
強敵との好勝負、そして勝利。
ああ、なんて美味そうなんだろう…っ。
そう皮算用してみたけども、結果的には狸の、という注釈がつくことになった。
「せっかく封を解いたのに、すぐにまた不自由かけてしまってすまないねぇ」
「だ、大丈夫……どうせ…主様、解けたら同じ、だし……」
少しバツが悪そうにする宴チャンと、ちょっとおろおろしつつ慰めるぐーちゃん。
がぱ。
実際にはそんな音はしていない。
単にそんな音が出たかと錯覚するように―――
―――宴禍童子の口が大きく開いた。
刹那、体の半分以上が口になったかのように大きく顎を開き飲み込む。
隣にいた、具眼童子を。
「…………は?」
丸呑み。
そう表現するのが相応しい一瞬。
ごくり。
嚥下する音。
そして、ぐしゃぐしゃと宴ちゃんの体の輪郭が変わっていく。
手足がすらりと少し伸び、それと同様に着物の長さも変わっていく。
それまでは普通の白装束だったものが、濃紺の模様が入ったものに変わりながら、その袖と裾が地面に付くほど長く伸びる。さながらぐーちゃんの衣の如く。
極め付けは、身長170センチほどになった彼女の額。
そこに、
ギャカッ!!
そこに縦一文字に短い切れ目が入り、双眼と垂直にもうひとつ“眼”が現れ開いていく。
当然ながら漂わせている鬼気も純粋に倍増していた。
二度三度ほど、握りを確かめるように手を開いたり閉じたりしてから宴ちゃんはこちらにゆっくり視線を向けた。
「待たせたねぇ」
「………」
…………あれ? 不味いんじゃね?
まさか同化するとは思わなかった。
これまでかなりの数の鬼を狩ってきたがこんなことは初めてだ。
無論、共食いによって能力を増大させる鬼ならば過去にいないこともなかった。
だがそれはあくまで他の鬼を食うことで霊力を補充し増大させる、という程度のこと。
ギャカッ!!!
「…ッ!!?」
地面から先ほどと同じように、いや、先ほどまでよりも速く硬質化した布が突き出てくる。ただし今度の色は濃紺の混じった白。
なんとか横にステップして避けるが、そこ目掛けて地面からもう一本。
強引に重心を移動させ、さらにそれも避ける。
先ほどまでは一撃しかなかった攻撃。
だがぐーちゃんが裾だけを使って行っていたその攻撃を、宴チャンが裾と袖を使って行うことで同時に複数放つことが出来るようになったようだ。
無理に避けて体勢の崩れた己を襲う3発目。
槍を使い咄嗟に弾こうとするが、その瞬間しゅる、っと布が柔らかくなり槍を包み込んだ。
不味……ッ!?
ぐんっ!!!
視界が廻る。
なんとか槍を手放さないようにはしたものの、強引に引っ張られた槍ごと体を持っていかれて数メートル宙を舞う。
「……………痛ぅ…ッ」
背中を強打しながらも追撃を警戒し転がりながら立ち上がる。
だが追撃は無い。
見ると、地中から突き出た三本の布の触手はすでに戻っていた。
「うちの参謀役の忠告通り、ここからは全力であんたを排除させてもらおうかねぇ」
はっきりした。
目の前の鬼に関しては、どう見てもぐーちゃんの能力を完全に取り込んでいる。
それはつまり、宴禍童子の身体能力と、具眼童子の技量、それらが完全に同化した一匹の鬼を相手にすることになった、ということ。
思わず呟く。
「……冗談抜きでピンチじゃね? 己」
ゆっくりと背筋を汗が伝った。




