155.伏せた鬼札
適宜“威圧”を使いながら上手く鬼たちの集団の動きを誘導しながら、攻撃を重ねていく。誘導を誤れば囲まれてしまう状況なので油断することは出来ないが、思ったより容易く漆黒鬼たちは数を減らしていった。
そのまま背後の伸腕鬼たちにも斬りかかる。
前衛の二匹をそれぞれ袈裟懸け、横薙ぎにして倒した後、最後の一匹めがけて突きを放った。
ほとんど抵抗もなく刃が吸い込まれるように首の中に消えていく。
そのまま貫通し反対側に切っ先が突き出した。
「っせぃっ!!」
そのまま横薙ぎに羅腕刀が閃く。
半分首が切れたまま、伸腕鬼は後ろへと倒れていった。
「………ふぅ」
ゆっくりと油断なく周囲を見回す。
勿論、制氣薬を口に流し込みながらだ。
どうやら他のところでもあらかた片付いているようだった。
見る限りあたりに鬼の姿はない。
縁さんは元通り社がガードできる位置に下がり、日向はシロと警戒しながら汗を拭いつつ河童の軟膏を使用中。涼彦は再度日向に援護術をかけなおしていた。
勿論ワルフは煙状態で社の周囲に漂っているまま。
鬼の骸は、というか、そもそも狩場の魔物全般に言える話なんだけど、倒されて一定時間すると消えてしまう。
そのため、実感がないものの今日の鬼たちの数は異常だった。
初日に討伐した鬼の数は37匹。
ところが今日は開始数分で40匹を超えている。
やはり他の拠点が壊滅した分だけ負担が増えているんだろう。
とはいえ、まだなんとかなりそうだ。
制氣薬のストックはあと30はあるからまだまだ十分。
この勢いで来るのであれば、当面“簒奪帝”を温存しておくことが出来る。
羅腕刀の予想外の威力も手伝って、十分計画通りに進んでいるのではないだろうか。
ひとまず刀を振ってこびりついた鬼の血を払い鞘に納める。
そのまま、社のほうへとゆっくりと戻っていった。
「凄い活躍だね。ここまで温存していたことと、制氣薬を補充しながら戦っているところを見ると、その戦い方は燃費が欠点みたいだけど」
「そんなところです。今日は最終日なんで出し惜しみなしにいけるように準備はしましたから、このままいきますよ。それに、それを言うなら縁さんも今日は一段と強いじゃないですか」
「充君に負けてはいられないからね。せっかく全装備用意した分の仕事はさせてもらうよ」
ちゃり、と杓杖を手に縁さんは小さくサムズアップした。
…ぞわりッ。
鬼気が満ちる。
それは感知能力などなくてもわかる、生物としての基本的な危険に対する嗅覚なのか。
森から出てくる人影。
示し合わせたわけでもなく、オレたちは皆そちらに振り向いた。
棗さんからの警告はない。
つまりこの影は棗さんの警戒を擦り抜けた相手だと考えるのが妥当だろう。
影は2つ。
心もとない月明かりで淡くしか照らされていないその容姿を、オレの“暗視像”を発動させた視線ははっきりと捉えていた。
ひとりは一瞬、喪服か?と思われる模様のない黒い着物を着た妙齢の女性。結い上げている髪の色が黒、さらに夜間というせいもあり全身黒ずくめにも見える。そんな中、ただそのその額に生えている角だけが印象的だった。まるで三日月を額に取り付けたかのように純白で淡く輝き、額前面から少し反って上方向へ伸びている。
ひとりは紺の作務衣を纏った人物。まるでどこか近所の祭りに遊びにでも来ました、というかのような軽装。あまり身だしなみに気を遣っていないのかボサボサの前髪が瞳を見えないように隠している。服装から一瞬男性かと思ったが、線が細くかすかに見える胸元の豊満さからそうではないと気づく。こちらは頭頂部に黒い色に赤い血管が浮き出たような角を持っていた。
前者がゆっくりと口を開いた。
「あらあら、先ほどまで大見得を切っていたのは誰だったのかしら。
この波状攻撃で大分消耗させられるはず、少なくてもひとりふたりは脱落する、だなんて仰ったから期待してましてよ、ワタクシ」
ぱっ、とこれまた黒い小さな扇子を開いて黒着物の女は口元を隠した。
その目はオレたちのほうをじろりと不躾にならない程度に見回す、
「ところがこうして確認してみたら、まだまだ余裕いっぱいじゃありませんか。
一瞬、ワタクシの目がおかしくなったかと思いましたわ」
ぱちっ、と扇子を閉じて彼女は横にいる作務衣の人物に視線を向けた。
「あー……えっと。そうだね。これは素直に見通しが甘かったと言うしかないかなぁ」
ははは、と作務衣の女は誤魔化し笑いを浮かべた。
向けられている責めるかのような白い目にも余り動じた様子もない。
少しすると諦めたのか、黒着物の女は見てため息をつく。
「本当、アナタはそろそろ名前を返上したほうがよろしいのではなくて?
物事の本質を見抜く、だなんて名前負けも甚だしいですわ」
「分霊六鬼としては勝手にそのへんをどうこう出来ないのがツラいところだなぁ。それは主様がお戻りになられたら提案するとしよう。
確かに荷が重いかなぁと思わないでもなかったんだ、うん」
まるで人間のような他愛のないやり取り。別段こちらに対して戦闘態勢を取っているとかどういうわけでもない。だがその間も警戒を解くことは出来ない。
なぜならおそらく彼女たちは―――
「お話し中すみませんけど……宴姉の知り合いですか?」
おそるおそる声をかけると、それまでまるでオレたちなんていないかのように会話をしていた二人が再度こちらに視線を向けた。
「あら、その呼び方……それによく見たら“羅腕”じゃございませんか。
そういえばアナタも元気そうで何よりですわ。相変わらずおいたをされているみたいですけれど」
「ね? ほら、言った通りだったでしょう?
嬉しいなぁ。これで、今夜ついに全員揃うわけだ」
間違いなさそうだ。おそらく彼女らは“宴禍”と同じ“名持ち”の鬼。
“洞見”、“幽玄”、“具眼”、“静穏”、そして“悠揚”……。
聞いた名前を思い出す。
このうち“悠揚”は今オレが守っている後ろの社にいるらしいから、彼女らの名前は残る4つのうちのどれかなのだろう。
ん?
さっき作務衣の人が言っていた言葉に妙な違和感を感じる。
分霊六鬼。
彼女はそう言った。
分霊とはおそらく鬼首神社に封じられた大鬼から分けられた、という意味だろう。
通常本社から別の神社に分祀されるのが分霊なのだから、拠点の社にそれぞれ分霊として鬼が封じられているのは理解ができる。現に羅腕童子が封じられていた鬼首神社も分社だったわけだし、拠点の社の亜種みたいなもんに違いない。
だがそう考えると数が合わない。
“宴禍”、“洞見”、“幽玄”、“具眼”、“静穏”、“悠揚”、とここまでですでに6つ。六鬼というのであれば、これで足りてしまう。分霊であるはずの“羅腕”が入らないじゃないか。
どういうことなんだろう……?
だが今その疑問に答えてくれる者はいない。
オレの内心の違和感など関係なく目の前の彼女たちはゆっくりと名乗りを挙げた。
「ワタクシとしたことが他の人属の方にご挨拶していませんでしたわね。
“静穏童子”と申しますわ。もし生き残れることがあればお見知りおきくださいまし」
ふふ、と扇子を片手に黒着物の女は静かな笑みを湛えた。
「僕は“洞見童子”だよ。何を隠そう、今回の鬼首大祭のルールを決めたのは僕なんだ。どうかな? 楽しんでもらっているかな?」
人好きのしそうな嫌みのない笑みを浮かべ、両手を広げながら女は少しだけ頭を下げた。
見たところ、二人自体は四足獣のような戦い方をする服装には見えない。
つまり、残っている“幽玄”か“具眼”のどっちかが最初に第三班を潰した獣っぽい鬼なのだろう。
羅腕刀を抜き構える。
オレのその様子に黒着物の女こと“静穏”は、
「あらあら、久しぶりに手合せしたいのですわね。
“宴禍”から聞いたときは信じられませんでしたけれど。
あの弱々しかった“羅腕”がワタクシに立ち向かうだなんて……せめて一度くらいは勝てるようになったのかしら? 楽しみですわ」
だなんて、恐ろしいことをのたまった。
あれ? もしかして羅腕童子って彼女たち“名持ち”の中では別段特に強い方じゃない、というか弱い方だったのだろうか。
もし彼女の言葉が本当であるのならば、静穏童子は羅腕童子以上の鬼、ということになる。
それはつまり―――
―――“簒奪帝”を使うに足る相手、ということだ。
片手で羅腕刀を構え、残った片手からだらりと力を抜きゆっくりと手を開いておく。
それに対し静穏童子は嗤い、
「楽しみですけれど………そろそろ時間ですわ」
無慈悲な未来を読んだ。
―――――――リ、ィンッ!!!
扇子の隙間からその酷薄な笑みを見た瞬間、鬼首神社がある山中をどこからかやってきた不思議な衝撃が駆け巡った。
まるで地震のように一瞬地面が揺れたようなそんな錯覚。
「………?」
咄嗟に鬼が何らかの攻撃をしたのかと思ったが、本当にかすかに揺れただけで別段地割れが起きたり、体にダメージが発生したりしているわけではない。
何をしようとしたのかわからないが、何かをやろうとして失敗したのだろうか?
そう思ったときだった。
「ガァァァッァアアアアアアッ!!!」
「グルァァァァッァアアッ!!!」
鬼の叫び声がする。
それも守るべき拠点の社の方から。
まさか、今のが陽動で隠重鬼がッ!?
「ッ!!?」
そう思って振り向いたオレはその光景を視界に収める―――
ブチ……ブチブチィッ!!!
隆起する肉体に纏っていた衣服が引き裂けていく。
ミシミシミシッ!!!
額から割れるように角が生える。
ギシャシャシャシャ…ッ。
乱杭歯が目障りな咆哮を挙げる。
―――鬼になっていく、縁さんと涼彦を。
「……ッ」
思わず息を飲んだ。
意味がわからない。
さっきまで一緒になって鬼と戦っていた仲間が突如として鬼に変わっていく。
敵が来たら攻撃しろ、と命令してあったワルフにもオレの戸惑いが伝わっているのか、縁さんたちに対して周囲を漂う煙狼は攻撃していいものかどうか判断を付けかねているようだ。
今の波動が人を鬼にするためのものだった?
そう思い周囲を見ると、涼彦たちの事態に驚いて何もできなくなっているものの日向は鬼になっていない。つまり今の推測は間違いだ。
ちなみに傍らにいるシロは術者である涼彦が鬼になってしまったせいか消滅してしまっている。
考えているうちに二人は漆黒鬼へと完全に変貌を遂げていた。
装備品がばらばらと地面に散らばっていく。
「あらあらまあまあ………お嬢さん、大丈夫かしら?」
はっと気づいたときにはもう遅い。
静穏童子はいつの間にか、驚き慄いている日向の目の前にやってきていた。
「貴女も寂しくないように、ワタクシがしっかりと処理して差し上げましょう」
静穏童子がその手をゆっくりと掲げる。
同時に爪が伸び50センチほどの長さになりつつ、金属質な光沢を帯びた。
不味い。
不味い不味い不味い――――ッ!!!
すでに全力で大地を蹴っている。
何とかその攻撃に割り込めとばかりに。
イケる。
余裕ぶって大きく振り上げている静穏童子の攻撃モーションはかなり大きい。
数メートルしか離れていなかったおかげもあって、ギリギリだが突き飛ばすなり横から静穏童子に体当たりするなり何とか割り込める…ッ!!
普段の日向なら咄嗟に距離を取るなり立ち向かうなり、出来ていたかもしれない。
だがこの一週間、共に戦った仲間、それも長い間一緒にいる涼彦が目の前で突然鬼になったことに茫然自失となっていた彼女は、これまでのように戦う術を持つ主人公ではなく、ただの一介の中学生の女の子だった。
だから、最悪の手段を取ってしまった。
「―――鬼ッ!!」
咄嗟に身を守ろうとしたのだろう。
それは今回の鬼首大祭の特殊ルール。
確かにそうすることで鬼は攻撃を止めてくれるのだから。
だが、当然それには理由がある。
その言葉を口にした途端に悶え苦しむ日向。
先ほど目にした光景をまるで映像機器で再生しているかのように。
漆黒鬼へと変貌した。
「…………ッ!!!」
さすがに理解した。
やはり先ほどの波動が鬼に変貌するためのスイッチだったのだ。
そして鬼になってしまう要素は簡単なこと。
今回の特殊ルールに従い「鬼!」と叫んだ者。
「あらあら、これでお友達と同じように鬼になれましたわね」
悠然と微笑む静穏童子。
ゆっくりとオレのほうへ視線を移す。
その瞳はゆっくりと物語っていた。
どうするのか、と。
その場に残されたのは、おそらく羅腕童子より強いであろう“名持ち”の鬼が2体。
そして彼女らの従僕としてオレを取り囲むように動き始めた、漆黒鬼が3体。オレの仲間がなんらかの理由で鬼にされているのだから、解除の方法があるかもしれない以上、これも倒してしまうわけにはいかない。
…………使うしかない。
―――“簒奪帝”を。




