147.迫る暗雲
ゆっくりと扉が開いていく。
その先はまず板間の空間になっており、さらに奥に扉があった。
後から知ったところによると、この入ってすぐのところを外陣、そして次の間を内陣というらしい。
すぐにご神体が在る、と勘違いしていたオレはちょっと肩すかしを喰らった感じだったが、少し落ち着いてみると扉一枚開いただけで、全身をイヤな感覚がピリピリと駆け巡っている。
ホラー映画でまるで何か得体の知れないものが生まれる瞬間のように、予想が出来ない予想が齎す感覚なのかもしれない。
「………ッ」
ずぐん…っ!!!
疼く。
胸の奥で何かが。
いや、何かだなんて誤魔化すのはダメだ。
裡に取り込んだ羅腕童子の破片、それが疼く。
歓喜とも畏れともつかない妙な感覚。
そんなことには気づかないまま、咲弥は奥の扉を開いていく。
開かれていく先にある内陣。
その部屋の入り口から正面のところに祭壇がある。
―――そこにあったのは、石だった。
祭壇の回りに注連縄が幾重にも巻かれている中、その中心部。
直径50センチはあろうかという卵を立てたような形の石が安置されていた。
別に顔の形があるわけでもない、ただの石。
「…ッ!?」
そして気づいてぎょっとする。
見た目はただの石であるはずのそれの上端部分から、1メートルくらいの髪が伸びていることに。
伸びている黒髪はざっと扇のように広がり祭壇の端から垂れている。
「これが、鬼首。この神社が祀る古き鬼の首なの」
「………」
不思議と先ほどまで疼いて羅腕童子の力はそれを見るなり落ち着いた。
「………でもこれ、って…」
「言い伝えでは、切り落とした瞬間に石になった、って言われている。でもなぜか髪だけは残っていて、鬼が目覚めるときを感じれるように残した、みたい」
確かにこりゃご神体だ。
そういう謂われがあろうとなかろうと、事実であろうとそうでなかろうと、髪の毛が生えた石とか怖すぎる。
「ミッキーちゃん、この鬼首が………ッ!?…」
何か話を切り出そうとしていた咲弥の目が唐突に大きく見開かれる。
どうやら何かに気づいたらしく、ご神体の石の傍に近寄った。
30センチくらいの距離で止まり、手を伸ばさないままマジマジと見ている。
「ちょっと、マズい、かも」
「へ?」
そう言って彼女はゆっくりと内陣の扉を閉じた。
外陣の扉まで閉じてから最後に一言何かを呟くと、
キィンッ
小さな耳鳴りのような音が扉からした。
それを確認してオレのところへと戻ってくる。
「……な、何かあったの?」
「ん」
鬼首神社の巫女は深刻そうに少し考え、
「ここ、一か月以内くらいの間で誰かがここに来た形跡、あるの。
おそらくは外陣まで。内陣の中に入った形跡はないけれど、扉を開けてたのは間違いない」
それが何を意味するのかはわからないが、少なくとも知らない部外者がご神体の近くまで忍び込んでいたというのはかなり危ないことくらいはわかる。
………なんだろう。
昨日から悪い予感がどんどん増大していくんだけど。
「鬼首の封自体には触れられた様子もないし、何が目的かわからないけど……」
そう前置きして、今年の鬼首祭りの状況について説明をはじめる。
内容としては昨日聞いたのと同じようなもの。
例年聞こえるはずの鬼の声が、比較するとかなり大きく勢いが衰えないこと。もしかしてその原因は今回発覚した、本殿に何者かが侵入したせいかもしれない、と続く。
「ただ封印自体はまだ安定してる。ミッキーちゃんたちがしっかり拠点を守っておいてくれれば、鬼が復活するようなことにはならないはず」
うぐ。
それって逆に言えば、拠点の封が解かれたらヤバいって話だよな。
結構重圧だなぁ……。
説明によれば本殿のご神体については、鬼首大祭の最終日、全部が終わった後に確認するときしか人目に触れず、普段は本殿そのものを完全に封じてしまっているらしい。
咲弥はいとも簡単に開けていたが、認証されている人、つまり巫女と宮司以外はおいそれと開けられないように封がしてあるらしい。
「………つまり、開けられないはずの扉を開ける相手がいる、と」
そいつの目的が何かはわからないが、もし今回の鬼の活発化に繋がる原因だとするのであればロクでもないことを考えているのだろう。
「なぁ、咲弥。もしかしてその扉を開けたの、鬼だってことはない?」
ぱっと見ただけでヤバいと感じたのは宴姉だけなんだけど、あのクラスの鬼ならば上位者並みの力を持っていてもおかしくない。だとすれば、復活を狙う鬼がこのご神体を狙ってきた、と考えるのが妥当ではないだろうか。
「違うはず。鬼首神社自体の術式で鬼とは約定がされてる。祭りで鬼の体が封じられている社を全部潰さない限りここには手を出せない。鬼の眷属であればどれほど強大だとしても絶対に無理。
それに鬼がもし内陣まで入ったなら、手を出さずに引き上げた理由がわからない」
それもそうか……。
眷属の鬼であれば、主人の復活のチャンスを逃すわけないもんなぁ。そのまま首を持ち帰るなりなんなりしていそうだ。
だとすると……。
鬼の復活を阻む拠点警護のオレたち。
封印を打倒して主人の復活という悲願を叶えようとする鬼たち。
それ以外に、何やらよからぬことを企んでいる奴がいる、ってことになる。
わざわざ本殿にまでやってきているくらいだから、立場としては鬼たちに近い、もしくは鬼を利用している可能性はあるが……うーん、情報が足りな過ぎるな。
とりあえず―――、
「―――オレがしっかりと警護を成功させることが一番大事、か」
そもそも拠点が守られていれば―――百歩譲っていくつか破壊されたとしても―――ひとつでも残ってさえいれば鬼たちは本殿に手が出せない。
謎の第三者についても、こっそり忍び込んでいるだけで封を解かなかったことから考えても、そいつら自身に鬼を復活させるようなことは出来ないのではないだろうか。
ならば、当初の依頼通り、まず目の前の仕事をしっかりと果たしさえすれば、鬼の復活という最悪の事態は防げそうだ。
「……巻き込んでゴメンなさい」
「…???」
突然咲弥が頭を下げた。
意味がわからずちょっと吃驚した。
「今年の大祭がこんな風になるんなら、ミッキーちゃん誘ったりしないほうがよかったかも」
ああ、なるほど。
よかれと思って誘った依頼が結構危ない気配してきたので申し訳ないのな。
とは言っても、例年通りなら全然問題のない話だったっぽいし……そもそも、オレの中の羅腕童子が原因かもしれないと思うと、逆に謝られるのは心苦しい。
「いいって、いいって。そのためにわざわざ依頼で警護を集めてるんだしさ。こういう不測の事態のときこそしっかりやらないとな。
あ、そうだ。もうひとつ聞いておきたいんだけど…」
「?」
「昨日第三班を壊滅させた相手について。あれから何か情報ないかな?」
なんとなく居た堪れなくて話題を変えた。
ただ、壊滅させた相手について聞きたいのは本当なんだけどね。肉食獣とかそういう話以外に戦い方とかわかれば大分違うだろうし。
その質問に対して、咲弥は思い出すように言葉を選びながら、
「確か……ざっくり凄く大きな獣の牙にでも抉られたような痕があったはず。
あと、戦いの痕跡からどうも相手は上位者以外には反応できないくらいの早さで縦横無尽に走り回ったみたい。足跡も不規則だった」
厄介な……。
とりあえず棗さんの索敵能力で近づく前になんとか気づいて、遠距離攻撃できるオレが主体で組み立てるしかないな。上位者級の速度だとすると、さすがに日向や涼彦には苦しいだろう。縁さんでも微妙に危ないかもしれない。
ん? 接近されたらどうするかって?
無論、久しぶりに煙狼くんに活躍してもらおう的なことを考えております。
【……まだ何も言うておらんからな?】
先手を打ってみました!
「ところで……ここに封じられている鬼の名前って……」
「ダメ」
そこで軽く手で口を塞がれた。
「今この山の中で名前を言葉にしたら、ダメ。
名は知られているけれど……この国で知られているトップクラスの大鬼と比べれば、本来与し易い鬼。
でも、千年近い年月ですら薄れることのないその妄執が、今や最強の鬼と成さしめているはず。もし大祭の今、名前を口にすればそれは呪いになって鬼を呼び起こす力になってしまうから。だから教えられない」
「……つまり終わるまで内緒、ってことか。りょーかい」
まぁこの国には言霊、なんて言葉もあるくらいだし。
正直なところ、そんな危険性がある名前を、実は鬼の力を秘めているオレに教えるのがいい結果になるとも思えないので納得した。
一通り話を終えて来た道を戻っていく。
「念のため、このままご神体の件を父さんに話しに行くけど、ミッキーちゃんは?」
「部外者のオレが行くとなんかややこしいことになりそうだから、適当に時間までそのへんブラブラしておくよ」
「………ん」
来たときと同様にこそこそと外拝殿までやってきて、そこで咲弥と別れた。ここまで来たら一般の客が紛れ込んでてもおかしくないしな。
とはいうものの、なんかヤバさがどんどん加速度的にひどくなっているような。
果たして無事に依頼を完遂できるのやら。
【何を弱気なことを言うておるか。先ほど自分でも言うておったであろうが。
警護の依頼を完遂すればすべて丸く収まる、とな】
そりゃあ女の子の前だったら、強がりのひとつくらいしないと。
たとえカラ元気だとしても。
【………】
……いや、別にエッセが女の子でないとか言っているわけではないデスヨ?
【………まぁよい。
わらわは今から少し用事があるゆえ、しばらく返答をすることはできぬやもしれぬ。
承知しておくがよい】
「……は?」
びっくりして思わず声を出してしまうのと同時。
唐突にエッセとの繋がりが切れた。
いや、切れたというのは正確じゃない。
急激に弱くなっただけ、のほうが正しい。
パソコンで言うところのスリープモードに近い。
もしもーし、エッセさーん?
呼びかけてみるが応答はない。
「………よりによってこのタイミングか」
思わず天を仰ぎ見る。
「時間潰す話し相手がいなくなった………どうしよう」
なんとなく兎の気分になってきた。
いや、別にそれで死んだりしないけどね!
□ ■ □
じゃり…。
ゆっくりと足音が近づいてきた。
相手が誰か、など見るまでもない。
「久しぶり…っていうのが正しいのかどうかはわからないけれど。しっかり目が覚めたみたいだね」
目の前に白い着物を身に着けた鬼がいる。
それが見知った顔であることに気づく程度にはしっかりと目は覚めていた。
彼女から視線を落として自分の腕を見る。
しっかりと動くことを確認して視線を上げた。
「………わしで何人目になるんじゃ?」
「社って意味ならまだ1人目だよ。ただ今回は特別でね、もうあたい以外に“洞見”と―――」
“禍の宴”として暴れた鬼女が懐かしい名を口にしようとした瞬間、
「ははは、呼んだかい?」
当の本人が彼女の背後から現れた。
「相変わらずじゃが……とりあえず、こうして無事に見えられて何よりじゃ」
「ほら、さっさと立ちな。ちょっと忙しいんだからね」
わしが“洞見”と呼ばれた鬼の様子に小さく苦笑しておると、最初の女が手を差し出してきた。こちらも手を出して掴み、ゆっくりと立ち上がった。
「さて、行こうか」
「先ほど言いかけておったが……“洞見”以外にもすでに目覚めておるのか?」
「ああ。羅の字がね」
「ほぅ…!」
“羅腕”
わしらの中において異色の末弟。
かつて無謀な賭けに出たまま、消息のわからなかったあやつまで此処に居るという。
「おかげで今回はこれまでに無く勝算があるよ。ボクも今からワクワクしているよ。おまけに利用できそうな相手も見つかっているしね」
「どういうことじゃ?」
「詳しい話は場所を移してしよう。まだ人間どもと約束の時間にもなっていないから、あまり大ぴらに動けないし、まだ人目につかれても困るからね」
確かにその通りじゃ。
眠ってはいたものの、地脈と繋がった主と同調した封印にかかっていた以上、人間どもとわしらが興じなければならない争いの基本的なルールについてはわかっているので反論はせぬ
歩き出した“洞見”に続くように歩き出す。
久方ぶりの実体を伴った、土を踏む感触が心地よい。
ふと背中越しに、彼女―――“宴禍”からのからかうような冗談めかした声が届く。
「さて……サビついてないってトコを見せておくれよ? “幽玄”」
その言葉にただ小さく笑みが浮かぶのを止められなかった。
―――ああ、嗤うのはいいものじゃのう。
鬼たちが壊れた社から去っていく中、日はゆっくりと暮れていた。




