136.掌の上
ぼぅ、と。
天井に輝く人工の明かりが室内を照らしている。
円卓。
8分の1ほど欠けている部分さえなければ、そう呼ぶのに相応しい形状をした巨大なテーブル。
ずらりと取り囲まれた椅子にはその地位を占めるに相応しいだけの齢を重ねた男たちが腰掛けている。
それぞれの手元にはノートパソコンが置かれており、そのバックライトが淡くそれぞれの顔を映し出していた。
制服、スーツ、卓についている者の服装は様々。
だが共通しているものもあった。
その視線の先が、卓の欠けている部分に立っているひとりの人物に向けられていることだ。
ひとりの女性だった。
年齢は二十代そこそこといったところだろうか。
美人と言って間違いはないだろう。
その美しい黒髪と整った容姿が、その長身と相まってモデルと思えるくらいの魅力を生み出している。異性が振り返るには十分すぎるくらいには。
顔立ちや立ち振る舞いの美しさなど形容する言葉はいくらでもある。
だが金属のような、という表現以上にぴったりとくるものがない。
一種だけの金属塊が如く継ぎ目のない、脆弱さを感じさせない、それでいて混じりけのない純粋さ。人という名の鋼。揺らぐことのない何かを胸に携えた怪物。
それがこの女だ。
「それで……何か弁明はあるかね?」
座っている男のうち一人が口を開いた。
言葉を選び熟慮を重ねた末の一言。
だが目の前の彼女はそれを一蹴する。
「弁明の必要を感じません」
娘ほどにも年の違う女性にぴしゃりと言われた男は気色ばむが、その隣にいた男に手で制される。
この会議に出席できている以上、それなりの地位の人間である。そこに上り詰めたからには相応の自制心を持っているはずだが、それが発揮されることは存外に少ない。
それを笑うことはできない。
理解しえない力を恐れるのは当然の反応だからだ。
さながら初めて火を使った類人猿のように、原理のまったくわからないそれに内心おっかなびっくり距離を探りながらも、有益であるから使い続ける。
その余裕のなさを笑ったところでどうにもならない。
「そもそも何を指して仰っておられるのか、理解に苦しみます」
「白々しいとはこのことだなッ! 貴様の部下のことを言っておるのだっ!!」
「警視総監。お気持ちはわかりますが、そのへんで」
いくら言葉を重ねてもまるで意に介さない彼女に対して、男たちのうちひとりが思わず声を荒げ卓を叩く音が響いた。
宥めるかのようにスーツを着こなした細面の眼鏡の男がフォローし、後を続ける。
「はっきりと言えば八束君のことだな。無論、君のことだ、わざわざ指摘するまでもなくわかっているのだろうがね」
「その件に関しましては書面で事前に申請したはずですが」
そこで初めて彼女の視線が動いた。
その先には卓の中央、議員バッジをつけた一人の男がいる。
「確かに申請は出されていた。それを承認する前に動いたのは些か軽率ではあるが……」
「急を要すると判断されたためです」
「……と、いうことなら仕方ないだろう」
まるで打合せでもしてあったかのように淀みの無い男と彼女の台詞。
「だがそれでは……ッ」
「そもそもこの会議はその顛末の報告に対して、そしてそれを踏まえた今後の方針を決めるためのものだ。そのときの処置をどうこう言うためのものではない」
なおも食い下がろうとした警視総監と呼ばれた男は思わず言葉に詰まった。
そもそも目の前の彼女、そして彼女の部下については彼の部下というわけではない。別系統の組織であるため、如何に気に食わずとも直接それをどうこうできる立場にないということを再認識したがゆえに。
「“魔王”の目覚め、という急を要する案件であったことは理解しました。私たちも職務がら手順を踏んでいては間に合わないことがあるというのは知っております。
だが敢えて苦言を呈するのならば、なぜその対処をあの“狼”に任せたのか。おそらく警視総監殿の危惧もそこに尽きるのではないかと」
国家公安委員長―――思わぬところからあがった助け舟に警視総監は我が意を得たとばかりに頷いた。
どう考えても国家に忠誠を尽くしているとは思い難い“狼”のこれまでの任務外における態度を考えれば仕方のないことだろう。
「お歴々の皆様もご存知の通り、あの“狼”は討伐した相手の力を取り込み、己のものとすることができます。そのような者に“魔王”の討伐を任せればさらに力を増大させるのは火を見るより明らかではありませんか。
その脅威を考慮しても尚今回の派遣に至っている。
是非それに対しての見解をお聞かせ願いたい」
理路整然としたその台詞の最後は彼女へと向けられた。
同時に一同の視線が再び集中する。
それでも尚、彼女は揺るがない。
「彼を派遣した理由はみっつ。
まずひとつめは、彼が私たちの保有する最大戦力であったということ。相手は“神話遺産”である“魔王”です。
古今和洋を問わず対処を誤れば国が滅びるかもしれない、むしろ現に滅ぼされた国も出ているレベルの存在です。それを間違いなく滅ぼすために戦力の出し惜しみをすることは下策と判断致しました」
失敗の許されない作戦に対し許される最大戦力で挑む。
それ自体は至極もっともな話だ。
だがそれならば―――、
「次に、“魔王”の特質の問題が挙げられます。先に述べた理由とも関係がある部分になりますが、調査により“魔王”は侵食系の能力を有している可能性が高い、との報告を受けております。
つまり一定以下の力の人間においては、戦いに加えれば味方になるどころか侵食され障害として敵方に付く恐れがありました。
結論として単独での派遣が最もリスクが少ないと思われました」
全員でかかればいいのでは、そう問いかけそうになった男たちの機先を制し、そのまま彼女は続けていく。一気呵成に論理の勢を率いて蹂躙していく。
「最後に現地への潜入難易度が挙げられます。
かの地はシベリア。ロシアの国内です。復活を狙う“魔王”崇拝者が動き出しているとの情報があり急を要するのでなければ、無理な潜入をした場合のリスクから躊躇していた場所です。
しかし現地には最小限の連絡員しかおらず潜入の難易度は高かったものの、代わりに彼が友誼を結ぶことが可能な部族が現地にいることは確認できておりました。逆に言えば、彼でなければ部族民の潜入協力は得られなかったでしょう」
シベリアにある“人狼”族の村。
確かにそれは報告書に載っていた。
外交問題に発展しかねない場所で見つけることができた新たな協力者。
「以上が、彼こそが適切な人員であるとの判断に至った理由です」
静寂が戻る。
実のところ、今回の分野の事件に対してここの並んでいる男たちはどうしようもない。人員も、技術も、知識も、何もかも足りない。その状況で、ああしていたほうがよかった、こうしていたほうがよかった、などと言えるわけもない。
失敗していればともかく、結果として“魔王”の復活は阻止され外交問題にもなることなく密かに処理することが出来ている。
つまりこれ以上の結果はないのだから。
それを超える結果を出せる者しか反論できない、ということもないが、かといって些細な揚げ足を取って飛び火するのを避けたい男たちは口をつぐんだ。
「君の機関の長としての見解はわかった。だがそれにはひとつ、重大な見落としがある」
再び静寂を破ったのは別の男だった。
「いみじくも先ほど公安委員長が言っていた通り、“狼”の強大化を軽く見すぎているのではないだろうか。なるほど、先ほど聞いた内容であれば“狼”単独での派遣は理に適っている。
だがそれは手綱を握っておける限りでの話だ。
確認したところ今であれば君たち戦者全員でかかれば、あの“狼”を止めることができる。だが今後さらに強大化してしまえば、そう遠くない将来敵わない領域に至ろう。
そうなってしまったとき、一体どうするというのかね? 間違いなく国が滅びる」
恐れ。
多かれ少なかれ男たちに共通しているのはその感情だった。
実際の脅威の度合いが問題なのではない。
言及されているのは脅威になる可能性。
宝くじの如きもの、つまるところ実際当たるか当たらないかではなく、破格の結果が当たる可能性が少しでもあることこそが問題なのだ。
「そうだ! まだ手に負えるうちに始末せねば!」
「庇い立てするというのであれば、お前も今の職を失うと思え!」
次々と賛同が挙がる。
直立している女性はそれに対して何の感慨も沸かない視線を向けているだけだ。揺らぐことのないまま、
「…………愚物どもが」
彼女が静かに吐き捨てたその声はなぜかよく通った。
男たちが言葉を失う。
だが一体何を言われたのか理解できないまま呆けていたのは、その一瞬だけだった。
我に返り顔を赤くさせ激昂しそうな彼らを、
「思わず感情的になってしまった若者の一言に、年長者として目くじらを立てるのは如何なものですかな。ここはひとつ、聞き流して器の大きさを見せ付けようではありませんか」
同じく席についている白髪をした初老の男がそう制した。
おそらくここに居並ぶ人物の中でも一目置かれているのだろう。その行動だけで噴き上がりそうだった場の火が半分以上鎮まっていく。
「それにその娘が思わずそう言ってしまったのも仕方あるまい。現段階で“狼”を誅するなど短絡的に過ぎる、そう思いませんかな、総理?」
先ほど「申請は出されていた」と応えた男は、そう呼びかけられると苦笑を浮かべる。
「今更、貴方に総理などと呼ばれるとむず痒くなるじゃないか」
苦笑を終えると真顔に戻り、ゆっくりと諭すように周囲へ投げかける。
「いくら危険性があるとはいえ、そもそも“狼”を全戦力で討つという発想そうのものが翁の言う通り悪手ではある。確かに組織の全戦力を傾ければ“狼”を討つのは不可能ではない。だがその場合、勝利したとしても戦力は壊滅的なまでに落ちよう。
結果として現状、他国から攻撃、侵入を含め霊的、物理的に防護している力の大半を失うこととなるわけだが、その場合……そう、例えば警察官や自衛官で対応は可能かね?」
「………」
関係者は黙る。
物理的なものだけに関してならともかく、実体のないものに関しては一般の人間には対処できない。いくら警察官や自衛官が鍛えられているといっても、それはあくまで対人間という尺度でしかないのだから。
「その上、この娘を解任しようという提案に至っては議論の必要すらない。
そもそも彼女がいなければ今の段階で“狼”はこちら側に居ないよ」
全戦力でならば“狼”を倒しえる。
それは確かだろう。
だがそれはあくまで全戦力を傾けることが出来れば、の話。
部署内において彼女を個人的に慕っていたり恩義を感じたりして組織に入っている者もいる。もし彼女を解任しようものならば、“狼”だけではなく最悪それらも敵に回す可能性もある。
「つまるところ、今回の彼女の判断は正しかった。
そういう結論でいいだろう。続きを」
総理はそう締め括り、目の前の女性に先を促した。
元より“狼”云々の話は前座。
彼にとっては気に食わぬと思っているお歴々のガス抜き的な意味以上のことはない。
本来すべきなのはここからの話題だ。
「は。例年の申し送りのひとつではありますが……都度報告を挙げさせて頂きました、“鬼首大祭”について、作戦活動の承認を願います。
作戦概要はお配りした概要書の通り、現場レベルでの修正につきましては適宜報告致します」
鬼首大祭。
とある地方都市にある鬼首神社を舞台にした祭りである。
もっとも、ここで議題に挙がっているのだからただの祭りではない。
現状危険度C、潜在危険度A。
カテゴリーとしては重要案件に属する。
通常ではそれほど危険はないものの、処置を誤れば危険度が跳ね上がる。調査結果はそう告げていた。
中身を確認しつつ警視総監ら数人は作戦の概要に眉を顰めた。
そしてなぜ自分たちに突っ込まれることを考慮してまで、わざわざ先のシベリアでの話をしたのかを理解する。
今回再び“狼”を派遣することの意義を認識させるためなのだ、と。
通過儀礼が終わる。
かくして獣は解き放たれる。




