12.龍ヶ谷 出雲
□ ■ □
朝が来る。
正直一睡も出来なかった。
どうしてこんなことになったのか。
この問いかけも最早幾度目だったか。
リビングには締め切られたカーテンの隙間から朝の日差しが差し込んでいる。
結局ベッドにも入らず、ソファに腰掛けたままで夜を明かしてしまった。
それに気づいても尚まったく動こうという気が湧かない。
2LDKの室内。
こういうときに自由が利く一人暮らしは悪くない。
ただこのマンションの広さが今は逆に虚しさを助長していた。
黒と白のツートンを基調にした内装は来客には好評だったが、こんな心情のときは気が滅入るだけだ。だからといってどうにかしようという気にもなれないが。
割り切らなければいけないことはわかっている。
どれだけリアルに見えたところで所詮この世界は現実ではない。そんなところで起きた出来事に一喜一憂するなんて正気とは思えない。
だが自分はそういうやり方をしてきた。
誕生してから今までの毎日に一喜一憂し、どんなに苦しいことでも、どんなに楽しいことでも受け入れて生きてきたのだ。
だからこそ、今日はこんなにもやり切れない。
どんなに悔やんでも還ってこないのはわかっている。
ならば、今自分がこうやっているのはただの自己満足だ。
形にならない胸の想いを秘めたまま、俺は立ち上がった。
それでも世界は動いていく。
だから割り切って先を急ぐしかない。
ピンポーン。
唐突にインターフォンが来客を告げた。
すこし億劫になりつつもモニターを見るとそこには見知った顔があった。
いつも通りマンション入口のオートロックを解除する。
手早く顔を洗い着替える。
来客がエレベーターを降りてやって来るまでに間に合うように。
いつも通りに。
いつも通りに。
そう自分に言い聞かせ玄関へ向かう。
がちゃり。
2重ロックを解除して開くと、扉の向こうにいるのは、いつも通りの可憐な彼女。
「おはよう、出雲」
「ああ。おはよう、綾」
心配させないように憔悴を見せず出迎える。
今日も龍ヶ谷 出雲の1日が始まる。
□ ■ □
朝、起こしに来てくれる幼馴染。
自転車を使い一緒に学校まで行く毎日の道のり。
全部がいつもと同じ。
ただの一点を除いて。
「充、遅いね」
「…ああ」
綾のセリフに同意するように答える。
平静を装うように努めたつもりだが果たして成功しているだろうか。
自分では自信がない。
駅までの途中にある空き地の前。ここでいつも大事な親友、三木充を待つのもいつも通り。
でも今日はなぜか来ない。
なぜか、と表現するのは的確じゃあない、と思考の冷静な部分が囁く。
理由を知っているから。
「さすがに遅いな…寝坊でもしてるんじゃないか?
残念だけど今日は先に行こう。もし来なかったら帰りに様子を見に行けばいいさ」
「…うん。でも心配だね。高校に入ってからはちゃんと毎日時間通りだったのに」
白々しいことだ、と自嘲したくなる。
未だに昨夜の光景は鮮明に残っていた。
俺は主人公だ。
この世界は俺たち“あちら側”の人間のゲームに過ぎない。
だから本来ただのNPCの死に罪の意識を感じる必要はないはずだ。世界に必要な重要NPCなら、そう簡単に死んだりはしない。主人公の行動に巻き込まれて一般のNPCが死んだ場合、不具合が生じないよう世界は修整を重ねていく。
つまり死ぬということは余程の理由がない限り、そのNPCが代用の効く存在であったということになる。修整して違う何かをすれば補える程度の。
そして思い出す。
昨日、無事に部活を終え綾とデートをした後、同じ主人公である伊達 政次と共に狩りに出かけた。
アイツによると、今宵とある神社で四ツ腕の鬼が出るらしい。それも今夜だけの限定される特殊なモンスターであり、貴重な品を落とす可能性があるのだという。
どこから得てきた情報かはわからないが、俺もアイツも日本地域の上位主人公だ。ツテなんていくつもあって然るべき。
そう判断した俺はその誘いに乗った。
最近は高校生らしい生活を満喫していたせいで随分と狩りもしていない。リハビリ代わりに実戦の勘を取り戻す絶好の機会だと判断したのだ。
編成は至極単純。
刀主体で近距離が得意な俺と、和弓主体で遠距離を得意とするアイツ。前衛で俺が殺り合って、アイツが消耗させる。
そう打ち合わせてコンビネーションをいくつか確認してから、オレたちは神社で待ち伏せた。
待つことしばし。
神社の敷地内に安置されていた人間ほどの大きさもある石碑にヒビが入り、そこから瘴気が噴き出す。そのまま瘴気は人型を形取り、巨体を生み出した。
情報通りの4つの腕。
角と牙、まさしく鬼といった風貌をした奴の爛々と輝く瞳は破壊の意志に溢れていた。
戦いはすぐに始まった。
伊達からの情報でアイツについてはかなりわかっている。
名は“羅腕童子”。鬼属。特殊能力は鬼属固有の“隠”と“廻腕”のみ。
“隠”は鬼の語源にもなった気配を眩ます特殊能力のことで、例えば不意打ちや逃走の際に有効になる。逆に言えば一度ガチガチの戦闘に入ってしまえば使えず、それほどの脅威でもない。
“廻腕”は腕の関節が多重構造になっていると理解してもらえればよい。外見上関節はあるが、それはあくまでも見栄えだけのもので、実際は本来関節が有りもしない位置から有りもしない方向に曲がることが可能だ。つまり、この鬼は腕の届く範囲内では通常ありえない方向などから攻撃をする可能性があるということ。
今回は出現位置はわかっているわけだから、前者よりは後者の脅威のほうが度合いとしては高い。何よりこの相手、鬼属は基本的に身体能力が高く力でゴリ押ししてくる傾向があるので、その戦いの最中で変拍子を生む“廻腕”は結構イヤな能力だ。
ガギィン! ガギャッ! ギャリンッ!
刀の腹で払うように鬼の攻撃を弾く。
傍から見ると正に防戦一方。
振りかぶった後で一部だけ逆方向に動いたり、左右に蛇行してフェイントをかけつつ突いてきたり、確かに攻撃としては嫌らしい。
だが俺たちと戦うには利点が活かせない。
例えば西洋の剣ならば盾を使い面でガードするため、別角度から防御をすり抜けようとする“廻腕”との相性は悪い。勿論技能の習得度が低くてもそれなりの防御力を発揮するメリットもあるが。
俺の武器である刀は扱いに癖があるが、その分だけ技能に習熟した後に獲得できる技は多い。熟練の低いうちは苦労するが、玄人になると“見切り”や“刀圏”などの自分を中心とした空間把握系の技を習得することが可能だ。
つまるところ相手の攻撃可能範囲(一般的には踏み込み速度と武器の長さが基準となる)を見切り、当てられる距離ギリギリのところで弾くのならば、途中でどのような変化をされようが関係がない。
挙句遠距離攻撃が出来る者がいるのであれば、“廻腕”の利点はかなり封殺される。
俺が防戦一方だったのは相手の攻撃可能範囲の見切りを慎重に行ったため。
そしてその間にも後衛の伊達が弓で羅腕童子の脚を攻撃する。百発百中とはいかないが、それに近い命中率で的確に当たる。外れたのは鳥居に当たった一発だけ。
結局のところ心配しなければならないのは、この鬼が逃走しようとしたときのみ。奴の“隠”は視界から外れると使えるようになってしまうため、探知系の技能に乏しい俺たちとしては逃走しようとしたときに一撃でも多く与えて仕留めるために機動力を殺すのが最善手となる。
相手が逃亡しないギリギリまである程度ダメージを与えるのを待つ間に、俺の見切りも完了。そしてあとは仕留めるだけだと意気込んだ瞬間。
鬼が何かに気づいた。
神社の境内へと続く階段。
そこにいる一般NPCの姿を。
予想外の事態に一瞬だけ固まる。
それが不味かった。
鬼はその一瞬で跳躍を見せ、そのNPCの後ろに回ったのだ。
伊達とアイコンタクトを取る。
上位主人公同士一瞬でお互いの意図を理解した。
俺が一足飛びで相手とNPCの間に割り込み、そこに伊達が必殺の一撃を見舞う。相手の機動力を十分に殺しているからこそ可能な作戦。
もし俺が間に合わずNPCが鬼に殺されてしまった場合は残念だが仕方ない。所詮はゲームだ。最善を尽くしても無理ならどうあがいても無理だということ。
それはもう諦めるしかない。
なのに。
―――出雲?
あのとき聞いた親友の最後の声が踏み出したオレの足を止めた。
俺はこのとき絶対に足を止めてはいけなかったのに。
そして見た。
鬼が嗤うのを。
「伊達ッ! 待―――――ッ」
我に返って声を荒げた。
俺がNPCを救うタイミングで放つ一撃。
それが俺が動かないまま鬼目掛けて放たれたとしたら?
“与一の毀矢”
源平の逸話が元になっているのであろう和弓の上位技。
波間に揺れる船の的を打ち抜く、つまり相手が動いても補足する自動追尾。
そして扇ではなく要を打ち扇そのものを落としたように、中心を打ち抜くことによりその周囲にまで効果を及ぼす破壊力の2つを併せ持つ。
だが愉悦に満ちた伊達の表情を見た瞬間確信した。
この男は敵さえいれば味方だって巻き込んで撃つ男だと。ましてNPC相手に行動を止めることなど有り得ない、と。
放たれる光の矢。
それは一瞬。
充の臍の左あたりに命中、貫通してさらに後ろにいた鬼の腕に命中する。
めぢ…っ!!
命中した場所を中心として半径40センチほどの空間が削り取られる。命中した羅腕童子の二の腕から肩周りまでごっそりと抉り取られ、腕がごとりと落ちた。
だが俺はそんなところを見ていなかった。
親友の腹がごっそりと抉れ下半身と上半身が千切れていく光景しか見えなかった。
血飛沫が視界を染める。
破壊範囲に巻き込まれたのか左の腕も無くしながら、胸元から上しかない上半身が階段を滑っていく。
鬼は腕を犠牲にして防ぎきったことに満足したのか、脇の森へと消えていく。
だがそれを追跡する余裕はもうなかった。
悪いユメだ。
そう思いたかった。
だがどれだけ願っても醒めてくれない。
近づいてくる足音。
弓小手を中心とした半身を覆う防具と和弓を装着した伊達だ。
「何をしている。早く追うぞ」
その何事もなかったかのような物言いに酷く腹が立つ。
「撃つのは待てと叫んだだろう!」
「何をそう激昂しているんだ? ああ、そういえばこのNPC、貴様を見て何か反応していたな。知り合いだったのか?」
悠然とアイツは血で濡れた階段を下っていく。
足元に横たわっている親友の体にまるで足の千切れた蟻でも見るかのような視線を向ける。
「イベント戦闘で巻き込まれたNPCが死ぬなんてよくあることだろう。それよりも今は逃げた羅腕童子を追跡するほうが先決だ。
あそこまでやっておいて逃がしたなど到底納得できないぞ」
なんて勝手な物言いだ。
こいつの言いうことも主人公として間違ってはいない。
間違ってはいないが、感情は納得してくれない。
「だが今回は何のイベントでも無かったはずだ。ただの戦闘で一般のNPCが巻き込まれるはずが…」
「現実をよく見ろ。そいつはもう手遅れだ」
そんなのはわかっている。
倒れている充は目の焦点が合っていない。
それ以前にこのダメージでは即死であってもおかしくない。回復系の技能を持たないオレたちには何も出来やしないだなんて、そんなことはわかりきっている。
「腑に落ちんなら、イレギュラー扱いでGMコールでもして処理してもらえ。
後の処理まで上手くやってくれるだろうさ」
先にいくぞ、と伊達は森へと足を進めた。
とてもそんな気分にはなれない。
なれなかったが、ついていかないわけにはいかない。
後衛主体のアイツが一人で渡り合うには羅腕童子は危険度が高い。
待ち伏せに有利な“隠”を持っている相手であれば尚更だ。探査技能が不十分であればフォローができる複数人であることが対策の最低条件。
約束は今夜、あの鬼を狩るまで。
まだ解散する条件は整っていない。
そして行動を共にした仲間は見捨てない、それが龍ヶ谷出雲が主人公として己に課した誓い。
「……充」
無理矢理押し込めて蓋をした感情が静かに一片だけ口をついて出る。
伊達の後を追って森へ向かう俺が出来ることはただひとつ、GMコールだけ。
懐から出したスマートフォンを操作する。
追跡を行った俺たちだったが遂に羅腕童子を発見することはできなかった。どうやら相手もこちらを脅威と看做したらしく、待ち伏せよりも逃走を優先したんだろう。
機嫌の悪い伊達とパーティーを解散したのは2時過ぎ。
終電も無くタクシーで帰宅したのだが、結局朝まで一睡も出来ていない。
本当なら解散した段階で確認しにいくべきだったのだろう。
それすらも出来ない。
要するに怖いのだ。
もう一度見てしまったら、もう否定できなくなってしまうとわかっているから。
自分がこれほど臆病だったとは思わなかった。
気づけば学校についていた。
「…ホント、今日の出雲ヘンだよ? 体調でも悪いの?」
「いや、大したことないよ。正直言うとちょっと昨日部活で頑張り過ぎちゃってさ。
筋肉痛がちょっとひどいせいで、ちょっと余裕ないだけ」
余り元気のない俺を心配して、道中綾が色々話しかけていてくれたのには気づいていたが上の空でおざなりな返事しかしていなかった気がする。
申し訳ないと思う。
悩みを相談できたら、どれくらい楽かと思う。
でも綾も一般NPCではないだけで、主人公ではないことに違いはない。
つまるところ共有できる話題ではないのだ。
充相手にもいえることだが、それを寂しいと思うようになったのはいつからだろう。
いつも通り教室へ向かう。
無駄だとわかっていても一抹の希望を抱いて。
あけましておめでとうございます。
そんなわけで新年早々、出雲視点でスタートとなりました。
定期的に更新できるよう今年も頑張りますので、今後ともよろしくお願い致します。
誤字脱字指摘含め、執筆の励みにもなりますので感想などもございましたらお送りください。
昼ごろまでにもう1話投稿できればいいなぁ、と目論んでおります。