126.契約破棄
頭上に在るは薄い雲に遮られたぼんやりとした月。
その柔らかい光が淡く降り注いでいる屋上。
予期せぬエッセとの再会。
思わず感極まっておかえりとか言ってしまったものの、その後になんと続けていいものか少し悩む。とりあえず座ったままなのも何か格好つかないので、身じろぎしながら立ち上がった。やはり体を襲う軋みに呻く。
「ぐ……」
『まだ本調子とはいかぬようじゃな。何、“医狂”の治療技術は主人公の中でも群を抜いておると聞く。
その医者が退院させたのじゃから、すぐに体調も戻るじゃろう』
「そんな有名な人なのか、あの人」
『うむ。以前わらわがおぬしにしたように、再生や蘇生も術として行うことが可能じゃ。じゃがそんな中で敢えて外科的要因に拘った治療を続けておる変わり者じゃ』
「へぇ…」
でも魔法的なもので蘇生とかが出来てしまうのに、外科手術とかニーズはあるんだろうか。
そんな疑問が顔に出ていたのかどうかはわからないが、エッセは続ける。
『単純な即時性ということであれば、例えば高位の“神聖祈術”なら瞬時に治る。
じゃがそれにはひとつ問題がある。肉体の経験もリセットさせてしまうという、な』
「肉体の経験?」
『うむ。例えば筋肉痛などじゃな。負荷を与えた分肉体はより頑強さを増す。つまるところ能力を増すための刺激をはじめとするもの。
例えば自己治癒能力を促進するタイプであれば問題ないが、蘇生ををはじめとした高度な治癒術は肉体を損傷のない特定地点まで復元させるタイプのものが多い。結果として死亡直前に肉体が持っておる経験や感覚がある程度リセットされてしまうわけじゃ』
あー。
確か前に似たような話をジョーから聞いたことがあるな。
デスペナルティ、だっけ? オンラインゲームで死んでも復活できるけど、経験値が一部失われてレベルダウンしたりしちゃうとかなんとか。
そういうことだろうか。
『“医狂”の持っておる技術は外科的な要因が主じゃ。無論使用しておる医薬品の類に河童の軟膏の成分など、主人公でなければならないものも含まれてはおるがの。
手術などの手間がかかる上に出来ることに限りはあるものの、反面肉体の記憶を維持することが出来る。ゆえに術との住み分けができ結果としてニーズがあるわけじゃ』
「……」
まさかここで河童の軟膏が出てくるとは。
確かにあれは治癒能力の促進だったけども。
そこで一旦会話が止まる。
ぎこちない間。
久しぶりの会話のせいだろうか、微妙にぎくしゃくしている気がする。実際は久しぶりと言っても羅腕童子との戦いからまだ一週間も経っていないんだけどなぁ。
空を仰ぎ見る。
頬を撫でる風が心地よい。
目を凝らせば上空でも強めの風が吹いているようで雲が徐々に流されていくのがわかる。待っていればいずれ月は顔を出すことだろう。
風景を見ながらゆっくりと思いついたことを口に出した。
「まぁそれはいいとして。エッセ、どうしてここにいるのさ」
『なんじゃ、せっかくの再会じゃというのに、充は会えぬほうがよかったと言うのか?』
よよよ、と泣き真似をするエッセ。
「い、いや、そうじゃなくて! 会えたのは嬉しいんだ、それは本当!」
わたわたしているオレを見てにやりと笑った。
くそう、遊ばれてるなぁ。
『おぬしの左腕、そこに意識を分けて入れておいたのは前に話したじゃろう?』
左腕。
“魂源”をベースにエッセが再構成した腕。
確かにエッセは最初に会ったときにそこに意識体を混ぜ込むことで、それ以後オレと会話することが出来た。だがそれは羅腕童子との戦いの折、オレを庇って消滅したはずだ。
『あの小癪な小鬼の攻撃でわらわの意識体は統率を失いズタズタとなった。わかりやすく言えばバラバラに部品単位まで分解された機械のようなものかの。ゆえにそれを吸収した小鬼から、おぬしが奪った後も単なる力の塊でしかなく復帰することが叶わなんだ。
じゃがその後。伊達との戦いのあった夜、気を失う直前のことを覚えておるかの?』
「……えーっと」
正直霞がかかったかのように朧げではあるものの、間違いなく実体験だと思える記憶。
それを引っ張り出していく。
確か……そうだ、綾や出雲たちと戦って最後、“簒奪帝”との融合が解けて、その後に―――。
『覚えておるようじゃな。あの折、おぬしの“簒奪帝”に干渉した。その際に銀色の光が内側から出てきておったのを見たかの? あれが羅腕童子との戦いで破壊された意識体そのものじゃ。
いくらバラバラになっておるとはいえ元々わらわそのもの。あれだけ近くであれば操作することは造作もない。そこから干渉したわけじゃが、同時に千切ていた意識体そのものを再構成して戻しておいた』
なるほど。
例えば時計がバラバラに分解されて部品の集まりになってたけど、もっかいその部品を組み立て直して動くように時計を作り直しました、的な感じかな?
つまり―――
『―――面倒な説明が省くのなら、少し違っているものの再びおぬしと一緒にいられるようになったということじゃ』
「!!」
ただそれだけのこと。
理由とか過程とか方法とか、そういうものにも意味はあるのだろうけど、一番大事なのはその結論。
思わず頬が緩む。
きっとエッセは知らないんだろう。
庇って彼女が消滅したあの時のことをオレがどれだけ後悔したのか、とか。
その後、独りきりになったオレの傍に彼女がいなくてどれくらい寂しかったのか、とか。
だから―――
『じゃが……今からの話次第では、もう二度と会うことはないかもしれぬ』
―――そんなことを言うんだ。
頭の中が真っ白になった。
なんで、そんなことを言うんだろうか。
何か気に障ることをしてしまったんだろうか。
それとも……。
ネガティブな想像がいくつも浮かぶ。
あまりの予想外の言葉に頭の中をぐるぐると思考が廻る。
その様子を見てエッセは小さく笑った。
『そう思いつめるでない。原因はおぬしではない。おぬしはよくやった……むしろ予想以上に頑張ってくれておる。褒められこそすれ、責められる筋合いは皆無じゃ。
特にわらわには、な』
なら、なんで……。
言葉を出そうとするも詰まる。
鼓動が激しくなる。
『じゃから原因はわらわなのじゃ』
困ったように、申し訳ないように。
彼女の表情が少し翳る。
『まず……おぬしに謝罪せねばならぬことがある』
「え?」
『おぬし、“簒奪帝”を発現させた伊達との戦いのあった日のことを覚えておるかの?』
静かに頷く。
『あのときの惨事を引き起こした要因のひとつは、わらわじゃ。
正確にはああなるように道を作った、という意味になるがの』
「……っ!!」
『そもそも、おぬしに“逸脱した者”としての力を与えた段階で状況は違うにせよ、その能力が暴れだすのは想定されておった。
正確には世界の秩序からはみ出す、というべきかの。今回のように暴走したかどうかはともかく、重要NPCになるために日々を重ねておればいずれ能力は発現した。そしてその使用を重ね強力になっていけばおのずと逸脱する。
結果わらわの本体がGMとしてその修正に乗り出す必要が出てくる、というのが計画じゃった』
オレはただ無言のまま聞くことしかできなかった。
『GMとしてその使命を全うする際はわらわは十全の力を使うことが許されておる。そこでわらわは考えた。おぬしの“魂源”に触れその本質が“簒奪”だと知り、それを利用できないか、とな。わらわが目的を果たすために必要な力、それを得るために』
目的。
そう、彼女は当初から目的があると言っていた。
『おぬしが暴走したときならば、わらわがGMの力を振るうことが出来る。じゃがこの力はわらわのものではない借り物。ならば、おぬしがそれを奪ってしまえばいい。その上でわらわがその力を得ればいいのじゃと』
エッセはそっと自分の胸に右手を当てた。
『あの夜、おぬしがわらわから奪った“雷吼”や“宵獄”、“天震轟災”といった力は奪い返させてもらった。
つまりわらわはおぬしを利用し計画通り目的を達するための力を蓄えた、ということになるかの』
最初に彼女が言った言葉を思い出す。
管理者としての日々の中、漏れ出る余ったかすかな力を蓄えていつか来るチャンスに賭けるために待っていたのだと。その力でオレを再び生きれるようにしてくれた。
だがそれは失敗してしまえばまた長い間雌伏せねばならないということも意味している。
ならば失敗したときに備える意味でも、オレそのものに目的を達成させるのではなく、オレを利用してまず自由になる力を得るようにする、というのはひどく理性としては合理的に思えた。
「………利用……って」
だが所詮それは言葉の上でのことだ。
そのためにどれほどの試練を越える必要があったのか、どれだけのモノを失わないといけなかったのか、どれくらいの労苦を支払わねばならなかったのか。
知っている身としては、利用されたという事実は酷く……苦い。
『そうじゃ。おぬしの考えが正しい。わらわがおぬしを利用したのじゃ。
わらわが加害者でおぬしが被害者であることは天地が裂けても変わらぬ』
顔に出ていたのだろうか。
この胸の苦さを肯定するように話は続く。
『じゃが、さすがに一方的に利用され続ける、というのはフェアではなかろう』
……?
少し風向きが変わってきた。
ゆっくりと背を向けて月を見上げるエッセ。
その表情を窺い知ることは出来ない。
『かつておぬしはわらわと約した。死に瀕していたおぬしを助ける代わりに、わらわをこの役の軛から解放してもらうという内容のな。
じゃが、おぬしはよくやった。実際のところ助けた対価としては十分過ぎるほどに。
ゆえにここでひとつ提案をしようと思う』
さらりと銀の髪が揺れる。
『うむ。約を解除しようではないか』
静かに、そう告げた。
『そうすればまた平穏な生活に戻ることもできよう。無論、再び“魂源”は眠らせてもらうし、その他奪った能力も消滅させてもらおう。
ここまで付き合ってもらった礼、というわけではないが身体能力については少し残してもよかろう。おぬしが今奪っている主人公ほど有利ではないが、重要NPCくらいには恵まれるようにはなると思うぞ?
そう……この選択ならば友も、そして家族も戻る』
「……ッ!!!」
もし狙って言ったのならば効果は覿面だったろう。
彼女は言う。
自分に利用されて失ったものが戻ると。
ジョーたち友人や、そして家族まで。
またあの日常が戻ってくる。
それはとても…とてもとても魅力的な提案だった。
だけど、なぜか……素直に肯けない。
何かが邪魔をしている。
『……………納得してもらえたようじゃな。では契約破棄といこうではないか』
そんなオレの沈黙を肯定と取ったのだろう。
ゆっくりとエッセは振り返った。
そのままオレのほうへと近寄ってくる。
その数歩の間にオレは反芻するように思い返していく。
返答を邪魔する何かを探し求めるように、さっきまでの彼女の言葉を。
そしてようやく理解する。
だから目の前にやってきたエッセに告げるとしよう。
思いっきり舌を出してやろうじゃないか。
「やなこった」
思わぬ返答にエッセが硬直した。
『おぬし、人の話を聞いておったのか? そもそも―――』
「やだって言ってるだろ。約束を破棄するだなんてゴメンだ」
本当にふざけんな、だ。
ナメるのも大概にしろと思う。
「そもそもこれまで利用してた相手の言葉を信用して、そいつの勧める方法に同意する?
冗談だろ。矛盾してるじゃないか。
第一本当のとこボカしてるままのエッセを信用しろってのが無理過ぎるし!」
『な、何を…』
返答を戸惑った理由は簡単なことだった。
エッセの話、その内容の辻褄の合わなさだ。
「トボけるならトボけたままでいいよ。
冷静に考えたら時系列がおかしいじゃんか。最初から予想通りだった、とか言ってたけどさ、確かに“逸脱した者”としての能力が暴れだすと思ってたってのはその通りかもしれない。
でもオレを今回みたいに力を得るために利用しようと思ったのって能力を与えるときに“魂源”に触れて本質が“簒奪”だって気づいたからだろ。
つまりオレを助けると決めたとき、つまり最初の約の段階じゃ知らなかった。最初からこういう利用の仕方しようと思ってたわけじゃなかったはずだ」
『……ぐ。確かに充の言うとおりじゃ。
じゃが後で思ったにせよ最初から計画していたにせよ、わらわがおぬしを利用していたことに違いは…』
「大有りだよ、馬鹿。エッセって長生きしてる割に本当、そういうとこダメだよなぁ」
『ば、馬鹿じゃと…!?』
「馬鹿だよ、馬鹿。最初から利用だけしようと近づいたのと、動き出した後に偶然利用してしまったのとじゃ全然話が違うだろ。よしんば結果が同じだとしても、オレん中の理屈が違うんだよ」
軛から解放する。
そのためにオレと約したはずなのに、今のエッセは自分でなんとかする力だけを得てオレを解放しようとしている。明らかに当初と違ってきている。
結局のところ、約した後で能力を与える段階で“逸脱した者”と相まってああいう暴走してしまうことに気づいたのではないだろうか。オレの本質が“簒奪”であればそれはもう仕方ない話だ。
かといって、能力をもらわなければ違う結果になるかもしれないが羅腕童子との戦いで、いや、その前の伊達とのやり取りで死んでただろうから意味の無い仮定でしかない。
ちょっと好意的に解釈しすぎかもしれない、というのはわかっている。
でもそう考えるとしっくり来るんだ。
というかエッセが本当にオレを利用するだけ利用したいだけの悪辣な相手なら、そんなことを正直に話して解放するメリットがない。上手く騙してもっと利用すればいいだけなんだから。
だからそれを考えればおのずと結論は出る。
「どうせアレなんだろ? このまま“逸脱した者”としてこれまで通りエッセの目的のために動いたら何かもっとヤバいこととかキツいことがあるから、もうそれを味わわなくても済むようこんなこと言い出したんだろ?」
『………おぬしそこまでわかっていて…』
「はいはい、ああ、さっき馬鹿って言ったの訂正する。エッセは大馬鹿だ。
あれだけ一緒にいて何もわかってないんだから」
正直怖い。
無くすことの恐怖は確かにあるのだから。
それでも、
「ここでそんなエッセを放り出すような男は、オレのなりたい三木充じゃない」
前に進むんだ。
全部失ったと思っていた先に、こうして救いがあったように。
きっとこの道の苦難の先にも何かがあると信じて。
それよりなにより。
オレを助けてくれた目の前の彼女を救うというこの胸の誓い。
その情熱は未だ冷めないまま熱く胸に在るのだから。
『……馬鹿はお互いさまじゃろう』
あまりの頑固さに呆れたのだろう。
ついにエッセが観念した。
『じゃが…確かにわらわのほうが馬鹿じゃな。
おぬしがこんなにいい男じゃと気づいておらなんだのじゃから』
雲が去って月が顔を出す。
どんな曇りもいつかは晴れる。
その光に照らされた彼女の表情は、少し嬉しさを何とか誤魔化そうとしているかのような、とても可愛らしいものだった。
照れ隠しのようにエッセは言葉を続けた。
『よかろう、これからも頼むぞ。
そうと決まればわらわから話さねばならぬこともある。
明日の集まりでゆっくり時間を取ってもらおうかの』
「あいよ」
月夜の幻想的な雰囲気の中、淡く輝いて彼女が消える。
それでも左腕に宿るかすかな感覚を知っているから。
もう少しも寂しくはなかった。
さあ、明日から頑張ろう!!




