124.魔女の罠
やってきたのはモーガンさんと八束さん。
どこで聞きつけたのかはわからないけども、どうやらオレの退院を知って駆けつけてくれたらしい。それ自体はとてもありがたい。
ありがたいのだが―――
どうしてこうなった。
目の前の光景に思わずそれしか言えず、お手あげだとばかりに天井を見上げた。
まるで睨み合うように視線を交わし合うモーガンさんと綾以外の女性陣。
ぴりぴりとした肌を刺すような緊迫した雰囲気が室内を制圧している。
思い返してみる。
そもそも入ってきた当初はこうではなかった。
「そこまで大した部屋じゃないけども、まぁまぁってトコかねぇ。さすがに祝いに来て不満を言うのもどうかと思うし、ここは我慢しようじゃないか」
「退院したらしいが、病み上がりは栄養をつけないといけないぞ。
今朝狩りたての鹿肉を持ってきたから厨房を少し借りてもいいか?」
さらりと図々しいことを言うモーガンさんと、何やら1キロはありそうな肉の塊が入った包を抱えている八束さん。一体どこから聞きつけてきたのだろうか。
とはいえ、わざわざオレの見舞いに来てくれているのだ。
なんともありがたい。
が、そこで違和感に気づいた。
玄関から入ってきた二人がリビングの入口で立ち止まっている。
対する室内では出雲と咲弥が見つからに警戒していますと言わんばかりにいつでも動ける体勢を取っており、隠身さんに至っては姿がかき消えた。
わかりやすくいうと主人公たちが二人に対して最大限の注意を払っている。
綾と月音先輩の二人だけはわけがわからないのかいきなり室内の雰囲気が変わったことに戸惑っているが。
「えっと……」
理由はわからないが険悪な雰囲気なことだけはわかる。
なんとか事態を打開しようと思うがどうしたらいいのかわからず言葉に詰まる。
次に口を開いたのは出雲だった。
「……お二人がどうしてここに?」
どうもこいつは二人のことを知っているらしい。
まぁ確かに“神話遺産”として有名らしい二人だから、上位主人公である出雲が知っていても不思議じゃあないか。
「あら? アタシが来ちゃいけないってのかい? どこに行こうとそりゃアタシの自由ってもんだろうに、それを阻害する権利があるとでも?」
うわぁ、なんて言い方を。
明らかに挑発するかの如く意地悪い返答が返ってくる。
室内の空気が一層凝固の度合いを強めたような気がした。
「……確かにいけ好かない匂いだけどよ」
それを解消したのは意外なことに八束さんだった。
「主人公ってだけでどうこうするつもりはねぇから安心しろ。あんたらがオレのことをどう聞いてるのか知らないが、基本的にそっちから襲ってきたのを返り討ちしてるだけだぜ?
そもそも充の友人だっつうんなら、祝いの席で主役の面子を潰すような真似はしねぇ」
その言葉と共に彼が緊迫した空気を受け流すかのように気配を緩めると、つられて出雲たちも警戒の度合いを下げる。それを感じ取ったモーガンさんもつまらなそうにトゲトゲしい雰囲気を引っ込めた。
一触即発の空気が緩和されて平穏が戻る。
いや、本当上位主人公ひとり倒すのにあれだけ苦労した身としては、“神話遺産”と上位主人公同士のガチンコ複数集団戦とか御免被りたい。
下手をしたら、というか下手をしなくてもこのマンション跡形も無くなっちゃうんじゃないだろうか、そんな怖い考えが頭をよぎった。
「わ、わざわざ来てくれてありがとうございます。あ、シャンパンでいいですか?」
話題を変えるように振舞うと、八束さんが笑って手で制して自分でやるからと意思表示した。
「言うまでもないけど、アタシの分もだよ」
「うるせぇよ」
言いながらも人狼は律儀にシャンパンをグラスに注いでいく。
その様子を見ながら、
「……なぁ、出雲。八束さんってそんなに怖ぇの?」
「八束さんと言うのか……いや、外見と二つ名しか知られていないから俺も本名は知らなくてな。
主人公にとってみれば最悪の相手だ。基本的に“神話遺産”というのはそれぞれ個性が強い。
例えば一緒にいるモーガンさんあたりなら気に入らない相手には厳しいが気に入った相手には手を貸してくれる。例えば“天賦能力”のようにな。
だがもう一人の、お前の言うところの八束さんと接触した主人公は例外なく殺されている。最も最近まで希少魔物の人狼扱いされて襲われていたせいなんだが」
あー、なるほど。
確かにモーガンさんみたいな人間タイプはともかく、もし八束さんが狼かなんかになったとしたら初見では“神話遺産”なのか、それともそういう魔物なのか見分けつかないというのはあるのかもしれない。
そもそも“神話遺産”かどうかの明確な違いってのが、まずわかってないんだけど。
「今まで殺された主人公は二桁。おまけに神出鬼没、ついた二つ名が“人喰い狼”だ」
「ひぇぇ…」
「……二人とも、そういうのは本人のいねぇとこでやんな」
ばしん!と頭を八束さんにはたかれた。
まぁ小さく笑いながらだから別段腹を立てているとかそういうことじゃないようだけど。
そのまま和やかな雰囲気のまま自己紹介。
ふと見るとモーガンさんがシャンパンを手にソファに優雅に腰掛けたのを見て、綾と月音先輩が話しかけているのが見える。確かにあの二人はモーガンさんがどんな相手なのか知らないし主人公でもないから、モーガンさんも少しリラックスして受け答えしているように見える。
主人公の二人は警戒が先に立つのか少し様子を見ている感じだが。
とりあえず問題はなさそうなので再び男同士の会話に戻る。
「しかし“人喰い狼”ねぇ……」
「申し訳ないですがそういった経緯がありましたので、さっきのように警戒していたわけです。気に触ったのならご容赦を」
「愉快な話じゃないが気にすることはないさ。
今回だって充の知り合いってことだからこんな対応だが、道端で会った縁も由もない主人公だったら、もっとキツい対応になってたかもしれないしな」
ちょっとだけ口調に不満げな感じが混じっている。
つけられていた二つ名に本人はあまり納得がいかないらしい。
「人食べるんですか?」
「わけねぇだろ! ンな大層なことをした覚えはないんだけども……。
どっちかっつーと、人喰ってるのはオレよりあの女だろうが」
視線でモーガンさんを指す。
なるほど、確かに人を食ったような対応を……って、誰が上手いこと言えと。
そこからはまず八束さんと知り合った経緯を出雲に、それから出雲との関係を八束さんにしながら会話が進んでいった。
「充はつくづく運勢がおかしな方向に突き進んでいるな」
「そうなんだよなぁ……オレも最近実感してる」
「そこ落ち込むとこか? 平凡でつまらねぇ人生送るのも悪かないが、それなりに波乱万丈な人生だって乙なもんだぜ? 大事なのは自分の意志で選びとった結果を楽しむって姿勢だ。
ああ、出雲。キッチン借りていいか? さっき言った通り鹿肉に手ぇつけてくる」
「ええ、どうぞ」
いちいち男前なことを言いつつ八束さんは一度そこで会話を中断して厨房のほうへ入っていった。その様子を見送りつつ、
「会ってみれば“人喰い狼”とは思えない人だな」
「オレにしてみたらその二つ名が信じられない気のいい人だよ。面倒みがよくて頼り甲斐があるっていうのかな」
「言いたいことはわかる。所詮噂は噂、というのは確かだな」
こくっとグラスの飲み物を傾ける。
話しながらも食べ続けるのは止めていない。
我ながら久しぶりにこんなに食べているな、というくらいだがまだまだ食欲は減っていない。一体どれほど腹を空かせていたのやら。
まぁ自分の退院祝いの会なんだから、遠慮なく倒れるくらいまで食べちゃいますけどね!
しばらく食べているとモーガンさんが向こうからやってきた。
わざわざお祝いを言いに来てくれたのかな?
……そんな馬鹿なことを考えていた時期がオレにもありました。
モーガンさんがオレの隣に座った。
相変わらず凄い美人だな…こう、健全な男子としては思わず視線が顔から下がってガン見してしまうのを止められないかもしれないほどに。
「もう体のほうはいいのかい?」
「ええ、おかげさまで」
普通といえば普通の発言。
病み上がりの相手にするにはよくある平凡な話題。
だからオレは忘れていたのだ―――
ゆら、とこっちが身構える間もなくモーガンさんが首に両手を廻してきた。ふわりと揺れる亜麻色の髪が甘い香りをさせる。
そして周囲に聞こえる声で、
「ふふ、充はもう身も心もアタシのものなんだから、無茶をしないようにするんだよ?」
「……ッ!!?」
―――この魔女が人をからかうことが大好きなのだということを。
モーガンさんみたいな美女に至近距離から首に腕を回されて上半身を密着された状態で、そんなことを甘く囁かれてどうにかならない男がいるだろうか。
いや、いない。
思わず倒置的表現を使ってしまうくらいだ。
が、オレの煩悩はあっという間に綺麗さっぱり霧散した。
ぞくり。
背筋を上ってくる寒気のせいで。
「……………」
逆上せてしまいそうになったオレに対して、いつの間にか周囲にきていた女性陣の目が冷たかった。
そのまま今に至るわけだ。
耐えかねて振り返り助けを求めようとしたがいつの間にか出雲がいない。
よく見ると少し離れたテーブル席に避難しており、そこで綾と一緒に微笑ましそうにしながらこちらを見ている。
く、さすが上位者!
危機回避能力は折り紙つきか!!?
「充さん、モーガンさんのものって……どういうことですか?」
あれ、なんか月音先輩が怖い。
笑顔なんだけど全然笑ってない気がする。
「ミッキーちゃんは、オンラインゲーム部みんなの、玩具!」
咲弥の語気が荒い。
そして玩具かよ、と思わずツッコみたい。
「隠身の弟子、忘れル、ダめ」
隠身さんの姿はないけれどどこからともなく声が聞こえてくる。
そういえば弟子でしたね、はい。
と、そこでタイミングよく八束さんがやってきた。
どうやら料理を置くスペースを確保するために空いた皿を回収しにきたらしい。
思わず視線で助けを求める。
「? ……ああ、そこの魔女のその手のからかいをあしらうのは簡単だぞ」
かちゃかちゃと皿を重ね
「本気の相手がいるってことをちゃんと伝えておきゃ大分マシになる」
大したことでもない、というようにそう言って去っていく八束さん。
いやいやいや、その発言火に水というよりも、むしろガソリンを投下したのに等しいじゃん!? フォローになってないよ!?
それを聞いた女性陣が一瞬顔を見合わせてから、オレに視線を集中させた。
あれ? でも八束さんの言ってることを冷静に考えてみると実は皆オレのことが好きってことになるぞ。おぉ、もしかして人生初のモテ期到来ってやつだろうか?
一瞬だけテンションが高まったが、冷静になって女性陣を見てみるとひとつだけ気づいたことがある。
正確には気づいてしまった。
高鳴る鼓動、熱を持っている頬、潤んだ瞳。
……あれ?
思わず叫んでしまう。
「…………酔っ払うの早すぎねぇ!!?」
にやりと傍らで魔女が笑った。
「充、モテモテだね~」
「……たまにはいいんじゃないか? それにしても八束さん焚き付けますね」
「そうか? まぁあの魔女、しょっちゅう酒をすり替えてベロンベロンに酔わせてひっかき廻すのが趣味のひとつだからな。今後のことを考えたら今のうちに慣れておいたほうがいい」
そんな声が聞こえたり聞こえなかったり。




