123.しっかり教えこんでやる
集中しているときは時間が経つのが本当に早い。
なんとか体を動かそうと四苦八苦しているうちに、時計を見ればすでに3時間が経過していた。とはいえ、その甲斐あって本当に鈍亀くらいゆっくりではあるがなんとか体勢を変えたり立ちあがったりはできるようになったのは嬉しい。
「……ふぅ」
タオルでじっとり滲んだ汗を拭う。
生まれたての小鹿のようにぷるぷると揺れる足でなんとかバランスを取りながら窓まで歩いていった。
「この調子なら歩くくらいは出来るな」
多分階段は無理そうだけど。
まぁ病院だからエレベーターくらいあるでしょ。
そんなことを考えながら病院の敷地の景色を楽しむ。青々と茂った緑の木々の間に出来た散歩道を車椅子やリハビリ中の人たちがのんびり歩いているのを見下ろしていると、病室の扉が開いた。
「出雲!」
「ああ、体はもういいのか?」
予定した時間よりも大分早くやってきた幼馴染は軽く手をあげて近寄ってきた。
? 心なしかあまり機嫌がよくないように見える。仏頂面なのはよくあるのだが、顔から感情を意図的に消そうとしているというか。
うーん、長い付き合いだけにいつだったか出雲がこういう態度を取ったこともあったから、何が原因かわかりそうなものだがすぐに思い出せない。
とりあえず単刀直入に、
「何かあったのか?」
「いや。とりあえず表にタクシーを呼んで出るから準備をしてくれ」
慌てて着替えることにする。
一応枕元にあるサイドボードにおそらくオレが着ていたであろう制服が畳んで置いてあったが、広げてみたらそりゃ見事にボロボロだった。
まぁあれだけ戦えばそうなるよなぁ…と思いつつ、幸いなことに隠袋を持っていたので中に入っていた洋服を着る。
そのまま準備を終えると病室を後にした。
入院費は出雲に借りて精算。申し訳なく思いつつも後に続いてタクシーに乗り込んだ。
ちなみに“医狂”は手術中らしく退院の挨拶はできなかった。どうも手術大好きな人のようで何よりもそれが優先されるため多忙を極めているらしい。
なんでも1日が24時間あれば毎日12時間以上は手術をしているらしい。
よく体力持つなぁ。
鈍い振動と共にエンジンが動き出してタクシーが走りはじめた。
後部座席に横に並びながらもオレと出雲は無言。
「あー、綾とか皆も元気?」
「…ああ」
なんとなく雰囲気に耐えかねて話しかけるが、なぜか返答はそっけない。
「なんか色々迷惑かけたみたいでゴメン」
「…ああ」
「…………」
「………」
「か、借りた金はちゃんと頑張って返すからさ! ドロ舟に乗ったつもりでいてくれ!」
「…ああ」
「…………」
「………」
は、話が続かん…ッ。
渾身のボケもスルーされてしまい思わず沈黙するしかなくなってしまう。
普段はもうちょっとノリがいいんだけどなぁ…何か怒らせるようなことをしてしまったのだろうか。
いや、まぁ散々迷惑をかけた自覚はあるんで怒られても仕方ないといえば仕方ない。
とはいえさすがにこの空気は痛すぎる。
かといって何か打開できる話題が浮かぶわけもなく。
一生懸命頭の中でネタを考えているうちに車はどんどん進んでいく。
「えっと…これからどこへ?」
「行くところないだろう。うちに当面居候しろ」
安堵する。
これでどうやらしばらくの宿は確保できそうだ。今のオレの状況がどうなっているのかわからないが、最悪一人暮らしをするにしても時間がかかるだろうし、そうさせてもらえると正直ありがたい。
だがそこで、ふと気づく。
何が原因かわからないがなんとかこの空気を改善しないと、居候している間中肩身の狭い思いをするということに。正確には居候なので肩身が狭いのは当然としても、もうちょっと気軽に会話できるようにしておきたいというかなんというか。
「?」
頭を抱えるように俯いて思案しているとふと出雲からの視線を感じて顔をあげた。
だが隣の出雲は車窓に視線をやっていてこちらを見てはいない。
勘違いかな???
オレの葛藤など余所にタクシーはあっという間に出雲のデザイナーズマンションに到着した。
時刻は5時半くらいか。
荷物といっても一式隠袋に入れているため嵩張る手荷物などはない。代金を払った出雲の後を手ぶらのままついていく。
何度も来たことのあるマンションのエントランス、出雲が手元のキーについているリモコンを操作するとオートロックが解除され自動ドアが開いていく。
歩くたびに大理石の床がたてるコツコツという音が今日はやけに耳に残った。
一歩一歩進んでいくのがこんなに永く感じるのは体の動きが鈍いせいだけじゃないだろう。
あー…なんか、変な雰囲気のままタクシー降りちゃったから緊張してきたな。
心臓がバクバクするのを隠すように一番奥に立った親友に続くようにエレベーターに乗り込んだ。
すぐに目的階に止まり出雲の部屋へ。エレベーターの手前のほうに乗っていたので必然的にオレが前になる。玄関に近づくとエントランスと同じように後ろの出雲はリモコンでキーロックを解除した。
ほんと、どうしたもんかな……何か気に障ることしたんだろうか…。
そんなことを思いつつ、いつも通りドアノブに手をかけて開いた。
―――ぱんッ!!
耳を打ったのはそんな音とカラフルな色。
「………は?」
ぱん! ぱぱん!
扉を開けたオレを中から出迎えたのはいくつもクラッカー。
待ち受けるように綾、月音先輩、咲弥が玄関奥の廊下にいた。
思わず固まっているオレに、
「「「退院おめでとう!!!」」」
そんな声がかけられた。
「え、ちょ……っ」
戸惑うオレに、
ぱんっ!! ぱぱんっ!!
「わわっ!!?」
背後からも音が二連。
びっくりして振り向くと見るとニヤリとしている出雲、そしていつのまに現れたのか隠身さんの姿。
それぞれの手には撃ち終わったクラッカー。
そこでようやく思い出した。
意図的に仏頂面で感情を隠そうとしていたそっけない態度の出雲。
こいつがそういう態度を取るのがどういうときだったか。
「……やれやれ。途中で気づかれたらどうしようかと思ったよ」
そう、隠しごとをしているときだ。
「ぐずぐずするな。今日は充の快気祝いだ。どうせお前のことだから、冷静になってみて自分の居場所がどうなるのか不安な方向に思考がいっているだろうと思ってな。
二度と暴走しないように俺たちがどれくらいお前の無事を喜んでるか、しっかり教えこんでやる。
ほら、入れ入れ!」
背中を押される。
何が快気祝いだ。
得意げな顔しやがって。
みんな嬉しそうに出迎えやがって。
………くそぅ、涙出てきた。
■ □ ■
中はすっかりパーティーの準備が出来上がっていた。
ダイニングとリビングのテーブルにそれぞれ料理がいくつも並び、ソフトドリンクやシャンパン、なぜかビールまでドリンク類も豊富に用意されている。
「こりゃまた……」
「ずっと寝てたから腹減ってるだろうと思ってな。
連絡をもらってから急いで女性陣に頑張ってもらった」
ローストビーフ、ちらし寿司、パエリア、酢豚、麻婆豆腐、サラダ、コーンポタージュ……おぉ、なんかデザートのケーキまである!
「そういうわけで、料理は私と月音先輩、咲弥ちゃん、そして隠身ちゃんでーす」
「ふふ、こんなに料理をさせて頂いたのは久しぶりです…。お口に合うとよいのですが」
「……………隠身やっタ、サラダだケ」
「大丈夫大丈夫、これから覚えていけばいいんだから!」
「ちらし寿司」
おぉ、月音先輩料理もできるのか。
って、綾はいつの間にそんなに隠身さんと仲良くなったんだろう。
落ち込む隠身さんと励ます綾の横で、ちらし寿司を作ったらしい咲弥が満足げな顔でブイサインをしていたりする。
とりあえず料理の種類がバラバラな理由はなんとなくわかった。
「ほらほら、主役は座って座って」
おしぼりを渡されてソファに座らされる。
なんか楽しすぎて夢の中にいるみたいでふわふわした感覚だ。
グラスを渡される。
何か泡の出ている飲み物が注がれている気がするが、さすがに今日は敢えてツッコまないことにしよう、うん。
それぞれグラスを手に取った。
隠身さんはオレンジジュース、他はオレと同じくシャンパンだ。
「えー…正直なところ充には聞かなきゃいけないこととか色々あるわけだが……」
コホン、と出雲が前置きする。
「ひとまず横に置いておいて、今日は親友が元気でいてくれることを祝いたいと思う。聞きたいこととか詳しい話については週末にでもまたここでしよう。
というわけで、充、乾杯の音頭を頼む」
「お、おう…」
ゆっくり深呼吸するように息を吸い込み。
グラスを掲げた。
「乾杯!」
「「「「乾杯!!」」」」
ぐぐ、とグラスの液体を飲み干す。
シュワっとした弾ける炭酸が喉を刺激しながら通過していく。
乾杯だけすると和やかな感じでパーティーは始まっていった。
それぞれゆっくり食事をしながらお喋りをするのんびりとしたスタイルだ。
「はい、充」
「ありがとう」
綾から適当に料理が盛られた皿を受け取る。
食べ始めてみると驚いたのは自分の空腹具合だ。
どうもあまり腹が空きすぎて麻痺していたらしく、少し食べ始めると猛烈に腹が減ってきた。ガツガツと料理を無心に貪っていく。
料理はどれもこれも美味そうなだけど、やはりボロボロの体を治すために必要なのはタンパク質。つまりは肉! ということでまず最初にローストビーフをガツガツと食べる。
むぅ…ソースが濃厚で単体で食べても美味しいけど、付け合わせの野菜を巻いて食べると食感がよくていくらでも食べられるなぁ。
「気にいって頂けたなら嬉しいですけれど、そんなに急いで食べなくても大丈夫ですよ」
いつの間にか近くにきていた月音先輩が優しく声をかけてくれた。
口に入っていた肉を大急ぎで呑み込み、
「もしかしてこのローストビーフ…」
「わたしが作りました。母から習った家庭料理なのでそこまで大したものではないのですけれど」
これ……家庭料理なの?
ローストビーフなんてテレビでやってたホテルの立食パーティーとか、クリスマス用にスーパーで売られてるやつくらいしか知らないんだけども。
「いや、本当美味しいですよ。すみません、わざわざ作ってもらっちゃって…」
「とんでもありません。むしろお礼を言うのはこちらの方です」
申し訳なさそうにするその表情にちょっとドキっとする。
いや、ほら、やっぱり美人にそういう顔されるとドキドキしちゃうのは思春期の男としてはむしろ健全なわけだし!
「充さんがどれほどのことをしてくれたのか、今のわたしには想像することしかできません。
それでもその御陰で今のわたしが在るということくらいは理解しているつもりです。
ですからこのご恩は―――」
「……………えぇと、ちょっとストップ」
なんとなく言葉を遮る。
「恩を返すとか返さない、とかそういう風に思いつめないで下さい。
オレは自分のやりたいようにやっただけです。結果として月音先輩が助かったっていうなら嬉しいですけど、そんなに気にしなくていいですよ。最後は月音先輩に助けてもらったわけですしね」
「でも……」
とはいってみたものの、あまり納得はしてくれないようだ。
「うーん、わかりました……もしまだお釣りがあるっていうなら、今度またオレが困ったときに助けを求めますからよろしくお願いします」
「はい!」
なんとなく押し切られた感はあるものの、金髪の髪を揺らしながら微笑む月音先輩を見ていると嬉しそうだからヨシとしようという気になった。
「あと…もうひとり、充さんにお礼を言いたい子がいるんです」
「?」
「充さんが助けてくださった仔猫です」
「………あ゛ーーッ!!?」
しまった!
家を追い出されたことでパニックになってすっかりミケのことを忘れた!!
「ふふ、うちに連れていきましたから大丈夫です。いずれ見に来てあげてください」
「うぅ……あれだけ偉そうなことを言っておきながら申し訳ない。必ず行きます……」
あれ? 月音先輩の家が猫飼えるんならうちに引き取ることなかったのでは。
まぁいいか。とりあえずミケが無事なことに安堵した。
「もっとお話したいですけれど他に話したい子もいるようですので、また後でお邪魔しますね」
「?……はぁ」
必ず行きます、でなぜかさらに嬉しそうにしながら月音先輩は離れていった。
それを見計らったように咲弥がこっちに近寄ってこようとする。
「あの―――」
ピンポーン。
間が悪い。
そういう表現がぴったりなタイミングでインターフォンが鳴った。
出雲が立ち上がってインターフォンのモニターを確認しようとするも時すでに遅し。鳴らした何者かはあっさりと鍵のかかっていた玄関を突破し中に入ってきた。
「愉しそうにやってるじゃないか。
でもあたしの目を盗んで盛り上がるには1000年は足りないんじゃないかい?」
「……インターフォンを鳴らしたんだったら勝手に入るんじゃねぇと何度言えば……やれやれ。
元気そうじゃねぇか? 充」
やってきたのは二人。
得意げに胸を張った亜麻色の髪の美女。
凛とした引き締まった体躯を持つ黒髪の青年。
魔女と人狼だった。




