122.医狂オピニオン
「………? あれ?」
目が覚めると、そこは病室だった。
LEDの照明がついた天井が見える。
まるでどこかのホテルのように白と濃い茶色のツートンで構成されたシックな内装からはとても病室のようには見えない。
だが横たわっていたベッドに手すりがついていたりナースコール用のボタンがあったり、点滴まであるのだからそう思う以外あるまい。大きな窓からは青々と茂った木々が見えており心地のよい風が吹き込んでくる。
上っている太陽を見るにすでに夜は明けてお昼も過ぎているように思える。
どうやら個室らしく室内には誰もいない。
全く記憶にない周囲の風景に混乱しつつなんとか上半身を起こそうとする。
「しkさ、んhdrs。えかv、w:kッ~~!?」
口から出てきたのは言葉どころか声になっているのかどうかすら怪しい意味のない音だった。
途方もない激痛と脱力感。
起き上がるどころか少し身じろぎでもしようものなら叫び出してしまいそうなほどの激痛が走る上に、体に力が入らず動きそのものも遅々としている。
わずかに動いただけで体勢を変えることをひとまず諦めて脱力。
どうしてこうなっているのか知るべく記憶を紐解いていく。
対抗戦から羅腕童子との戦い、モーガンさんや八束さんとの出会い、そして学校で行われた伊達たちとの戦い…、ゆっくりと順を追って辿っていった。
「…………」
ヤバい。
何がヤバいって色々とヤバい。
汗がだらだらと出てきた。
もうすぐ7月。
確かに気温もそれなりに高く汗をかく陽気ではあるものの、今はそれが理由で汗が出てきているわけじゃない。
原因は言わずもがな。
記憶の一番最後。
綾や出雲たちとのやり取りだ。
いくら戦い続きでテンションがおかしくなっていたからといって冷静になってみると、アレは恥ずかしい。ここがどこかはわからないがあそこで気を失ったオレを運び込んだのは出雲たちに間違いない。
つまりここにオレがいることを当然承知しているはずだ。
「うあぁぁぁ、見舞いにでも来られたらどのツラさげて会えばいいんだ……」
バツが悪いとはこのことだ。
どのくらい恥ずかしいかといえば、小学生のときにテストの裏側に書いたマンガを今目の前で読まれているくらい恥ずかしい。
ガララ…ッ。
そんな感じで精神的に身悶えしていると、突然病室の扉が開いた。
そちらに視線を向けると、白衣を着た人物が入ってくる。
その格好は見るからに医者、といった感じだ。
「看護師から目覚めたと聞いたのだが……うん、健康そうで何より何より」
髪をベリーショートまで短くしている女性だった。
外見からするとおそらく年齢は20代後半くらいだろうか。
この暑いのに長袖の白衣を着ており、ポケットに手を突っ込んだまま、口に煙草っぽいのを銜えつつ満足げに話しかけてくる。
その瞳はどこかとろんとして物憂げだ。
「えっと…」
「おっと、自己紹介が遅れた。
僕は“医狂”。わかりやすく言えば君と同じく主人公といったところさ。安心したかな?」
君と同じく。
彼女はそう言った。
つまるところ誰かがそう説明をしたのだろう。
名前と場所からして彼女が医者なのは間違いないようだ。
だけど昨今禁煙なことの多い病院で煙草を口にしているのはちょっと違和感を覚える。
「あ? これね。これ、シガレットラムネなのさ、いひひ」
その怪訝な視線に気づいたのだろう、質問を口にするまでもなくその疑問にあっさりと答えられた。
要る?と白衣のポケットから出されたのは確かにシガレットラムネの小さな箱だ。丁重にお断りして話を続ける。
「はぁ……三木充です」
「どうも。目覚めたばかりで君も混乱しているだろう。順を追って説明したいのだが」
構わない?と聞いてきた彼女に頷く。
とりあえず名乗られた名前にクレイジーとか入ってるあたり、何かロクでもないことにならないか結構どきどきしているがそれは内緒だ。
「そんなに長い話じゃないから身構えなくても構わないさ。
ここは僕が経営している病院なのだけれどね?
君が運びこまれたのは一昨日の深夜のこと。運び込んできたのは“刀閃卿”たちだけども、心当たりがあるかな?」
「一昨日ッ!?」
思わず声に出してしまった。
てっきり翌日だと思っていたのに丸一日以上意識がなかったのか。
確か6月26日、水曜日に学校にいって伊達たちとの戦いになったはずだ。
そこから2日経っているという。
つまり今日は28日。
まぁ何が言いたいかというと―――
―――学校一週間サボちまったゼ! という話。
まぁ冗談はともかく、出雲や綾がオレのことを覚えているっていう喜ばしい事実はあったものの、その他の人々にとってどういう扱いになっているかわからない以上単純に登校できたかどうかは怪しい。
サボってしまったとかは考えるだけ無駄だろう。
「運び込まれた君を治療して、そのまま寝かせておいて今に至る、という話だね。
ちなみに“刀閃卿”たちについては心配で病院に残りたいと言っていた人もいたけど、お引取り願ったよ。ここは病院だ、基本的に健康な人はお引取り願いたいからね」
治療して~、のあたりで恍惚を感じさせる声色になったのはきっと錯覚だろう。うん、そのときに一瞬瞳が妖しくトロけるような光を帯びたのも錯覚に違いない。
何を治療されたのかわからないが、起きてみた感じからすると体に余程負担がかかっていたのは間違いない。あの夜は大分無茶したからなぁ。
「あのぅ、治療費なんですが……」
そういえば余り持ち合わせがなかったことを思い出して恐る恐る口にした。
一応ここが主人公がやっている病院だと考えればペクーニア通貨で支払えるはずだけども……分割払いとかできるのだろうか?
「そのへんは心配無用さ。あんな楽しい治療をさせてもらったんだからね、格安激安大爆安にしておくのは請け負おうじゃないか」
「……へ?」
いや、安くしてくれるのはいいんだけど、ちょっと気になる単語があったような……楽しい治療って一体何よ?
「何せ全身の骨はまんべんなくヒビが入っていたし、筋組織も至るところで断裂してたり神経群も妙な癒着してたり、毛細血管はぶちぶちぶっちぶちで血流も不規則だった。勿論内臓の損傷もセットのバリューパックで頭の中も血でどろどろ、なんで君生きてるんだろうね? という面白さだったよ。
腕も皮一枚でぶらさがってるくらいなぜか中身がぐっちゃぐちゃだったし、なんか癌細胞もちらほら出来てた徹底っぷり」
うぁぁ、想像して気持ち悪くなってきた。
なんでこの人はこんな清々しい喜びの表情を作りながらなんでもないように言うんだ。
「……それ、よく治せましたね」
「僕を誰だと思っているんだい? そりゃあ社会不適合で家事ひとつ満足に出来ないせいで家の中がゴミ屋敷になっては家ごと燃やしてリセットするレベルの人間失格であることに否定はしないさ。
だがこと治療に関しては譲るつもりはないよ、いひひ」
なぜだろう。
治療の技術が凄そうなのはわかったけど、全然尊敬する気が起こらないのは。
最後の一言以外ツッコミどころ満載である。
「とりあえず骨折箇所の再生矯正と臓器周りの不全解消、頭も一度あけて綺麗にしておいたよ。勿論神経については癒着を剥がして繋ぎなおしておいたし筋組織についても同様だ。
完全に治したといっても過言じゃないんじゃない? あとはちゃんと安静にして馴れさせれば後遺症も完全無欠に一切ないよ」
知らない間に凄い大手術されてる!?
反射的に頭や体をぺたぺたと触ってみるが縫合した跡とかそんな痕跡は一切見られない。
ぶっちゃけ本当にそんな手術されたのか半信半疑なくらいに。
「そんなに心配しなくても、あの程度のことで傷跡を残すわけないじゃないか。
と、いうわけで今日君、退院ね」
「……え?」
唐突過ぎて何が「と、いうわけ」なのかさっぱりわからない。だがそんなことはおかまいなしに“医狂”は続ける。
「あとは体を馴らすだけだから健康体じゃないか、病院は健康な人お断りなんだよ」
話しながらてきぱきと点滴の管を抜いていく。
絶対この人、学校の通信簿とかで人の話を聞かないとか書かれてたに違いない、そう確信できるくらい一方的だ。
「一応“刀閃卿”には連絡しておいてあげたから、あと4時間もすれば迎えに来るよ。治療費精算してさっさとベッド開けてちょうだいな。
僕のた……おっと。次の患者さんのためにね」
思わず本音が漏れそうになりつつ彼女は手をひらひらさせて病室の出入り口へ。
呆気に取られていたオレに最後に一言。
それを聞いたオレは今度こそ完全に固まった。
「治療費は20000P、保険は効かないし分割も認めないよ」
………ああ、また借金が増えるぅぅぅぅ!?
出雲マジごめん、ホントゴメン、ちょうゴメン。
これ以上頼りっぱなしにはなりたくないけども他に方法がない。
まだしばらく金欠な日々からは抜け出せそうにないのは確かなようだ。
ガラガラ…ピシャッ!
無情に出て行った彼女を見送り、またオレは独りになった。
「……まぁ、頑張って稼ぐかぁ…」
確かに今のオレには凄い額ではあるものの、聞いた内容の手術であれば20000Pというのは決して高くない、むしろ安い。というか破格だ。
明らかに死ぬ相手に1日かそこらの入院で退院できるレベル…かどうかはともかく、こうしてしっかり会話したり出来るくらいのレベルまで回復させるのだ。
その手術費用が日本円換算で300万円もいかないとなれば価格破壊もここに極まれりといったところ。いくらだって手術を受けたい人間が出てくるだろう。転移やら副作用なしでこんなにあっさりと癌細胞をどうにかできるとかどう考えても現代医療の水準を大きく超えている。
ただ相手が主人公であれば、現代の技術云々に囚われていても仕方ない。そういうものだと納得するしかないだろう。
そもそも普段使っている河童の軟膏ですらオーバーテクノロジーと言って過言ではない代物なわけだし。
「……?」
ふと腰に手をやってみる。
たったそれだけのことに脂汗を浮かべつつ1分ほどかかったがそれはそれ。すると確かな感触が返ってきた。
身に着けていた隠袋。
制服のベルトに付けていたはずで、さらに今は入院患者用の浴衣のような服を着せられているのだから無くなっていてもおかしくないのだが、このアイテムは所有者から意図的に外されない限り常に身につけていられるのかもしれない。
原理はわからないが確かに腰に身につけていた。
その事実にほっと安堵した。
正直、あれだけ苦労して倒した羅腕童子からの稀少戦利品なのだから無くなってたりしたら酷く切ないことになっていたのは間違いない。
さて、どうしたもんだろうか。
あと4時間もすれば出雲が来るらしい。何から何まで世話になりっぱなしだけど他にどうしようもないことだし今は頼らせてもらう他ない。
問題はそれまでの間、何をするかということ。
「嫌だけど頑張るか…」
本音を言えばこのまま寝てしまいたい。
それはとても魅力的な提案のように思えた。
だけど今日退院をするのであればもう少し体をどうにかしないといけないのだ。せめて遅くても何とか歩けるくらいにはなっておきたい。どうもさっきの感覚からすると多大な労苦と時間が発生するものの、体そのものは動かないということはないらしい。
ならばやるべきことはひとつしかない。
「よし…ッ!」
ひとつ気合を入れる。
そうと決まればこれ以上格好悪いところを見せないために、出雲が来る前に出来ることをやっておこう。
そのままオレはゆっくりと体を動かし始める。
まずは指のいっぽんいっぽんから、徐々に徐々に体全体へ。
身体のあらゆるところを意識の手で触るかのように感覚を研ぎ澄ませて状態を把握しつつ、ただひたすらに没頭する。
狩場に行くために体を鍛え始めたとき、ボクシングを始めたとき、羅腕童子戦の後など筋肉痛で体が動かなかったことは何度もあるが、今回はそのどれよりも強敵のようだ。
本当に少しずつ、亀の歩みすらかくやというくらいの速度でしか体は目覚めていかない。
でもそれはそんなに嫌な行動ではなかった。
だってそれは久しぶりに、本当に久しぶりに前向きな気持ちの作業だったから。




