120.ひとつの終わり、次なるはじまり
どこまでも茫洋としていた。
そこは世界の何処でも在ると同時に何処でもない。
ある意味、世界そのものが凝縮された裏返しの場所と言えばいいのだろうか。
戻ってきた。
管理者となってから今までの永い時間を過ごしているその宮へ。
全てのはじまり。
ここから何もかもがスタートした場所。
都市、と言えばいいのだろうか。
地平の果てまで無数の建物が所狭しと並んでいる。
建築方式も時代すらも和洋中問うことがないほど雑多で規則性すら無い。
果てのない巨大な街。
だがそこには人気が全く無い。
それも当然のことだろう。
ここに住んでいる人間は誰ひとりとして存在しないのだから。
その中心部にある一際大きな宮殿。
古代の趣を残した神殿のデザインを取り入れた建築物。
そこが彼女の座であった。
その入口に佇みゆっくりと正面の入口に至る階段を登り始める。
白亜の大理石をそのまま継ぎ目なく嵌め込んだような見る者を魅了しそうな見事な作り。建物の装飾となるべく刻まれた彫刻は人、獣、自然とモチーフこそ違うもののどれも精緻の限りを尽くされている。
その中を艷めくような長い銀髪をゆっくりと揺らしながら彼女が歩く姿は、自身の幻想的な容姿とも相まってどこか現実感を感じさせない光景だった。
厳かな足取りやその振る舞いは静謐に満ちている。
ふと、階段の途中で足が止まった。
建物まではあと5段ほどで登りきる位置。
立ち止まったまま入口から出てきた人物に視線を向けた。
出てきたのは1人。
年の頃は20歳前後といったところだろうか。
ただ何がそのように感じさせているのかわからないが中性的な目鼻立ちの人物で、女性だと言われればそのように見えるし、男性と言われればそのように見えなくもない。
便宜上、彼と呼ぶことにするその人物が身に付けているのはビジネスマンが着るようなスーツ。その上からロングコートを纏っていた。その現代的な衣服もそれだけであれば宮殿と少し違和感を感じるだけで済んでいたかもしれない。
だが纏っている服全てが真ん中を中心に左右で白黒に色分けがされており、さらにコートの裾には等間隔で10本ほどの短い紐が付けられておりその先には鈍く輝く金属の十字架が吊るされていた。
結果、様々な意味で目立っている。
「やぁ、おかえり。エッセ」
軽い口調が投げかけられた。
その現実離れした外見の優美さは相対している彼女と同じ。
「何を白々しいことを……。
おぬしもあの場におったであろうが」
「あれ? バレちゃってた? いやぁ、別に隠すつもりはなかったんだけども。
ほら、エッセが頑張っているところを見てみたいなぁと思っただけだから! ホントホント! とりあえず神様とか何か色々なものに誓ってホントだから!」
エッセと呼びかけられた女性が白い目を向けると、彼は慌てたように弁明をはじめる。
「相変わらずよく回る舌じゃな」
「ホント、人間って凄いよねぇ。
彼らの言葉遊びを見てたらあんなに無口だった僕が今やこんなにお喋りになっちゃうんだから」
おぬしのそれは元々じゃろう、と言いながらエッセは歩みを再開した。やってくる彼女に道を譲って彼はその後に続いた。
鏡のように見事に磨きあげられた床を打つ靴の音が空虚な宮に響いていく。
「白状すると、あのとき横あいから乱入して掻き回してあげようかと思ってたんだよね。
ほら、“逸脱した者”と上位者たちの間に割り込んで三つ巴とかなったら面白そうじゃない?」
「…………先ほどの言は偽りか。随分とあっさりと吐いたものよな」
「あはは、冷静に考えたら僕ら神様の敵っぽい感じだし。別に誓ったのをあっさり破っても構わないことに気づいちゃってさ。
残念ながら、超怖い狂った狼さんと超凶悪な魔女さんが見てたからやめたけどね。絶対乱入してくるもんなぁ、あの人たち。いや、もしかしてそうなったらなったでもっと面白くなってたかも?」
宮殿の中に走る巨大な石柱の間を抜けていく。
床は時折幾筋かの光の線が現れている。不規則走っては消えていくその光景すら彼女らにとってはいつものことなのだろう、意に介することなく先を進んでいった。
「ああ、でも残念なことばかりじゃないんだ。
遊び足りなかったけども収穫もあったからね。とっても面白そうな玩具も見つかったことだし」
「……おぬしのその言葉を聞く度にくびり殺したくなるの」
「ふふ、そりゃ光栄だ。情熱的な言葉に感動して涙しちゃいそうだよ」
どれくらい進んだだろうか。
一際大きい扉が見えてきた。
高さは10メートル、幅は6メートルほどの両開きの扉。
鈍い光沢のある金属で作られておりその表面にはあらゆる宝石が嵌め込まれた上で様々な模様をあしらった装飾に飾られていた。
およそ重すぎて動かすことすら出来なそうなその扉も、エッセが軽く手を触れるだけで震えるような振動と共に左右に開かれていった。
ゴゥ……ン。
扉の先にあったのは部屋。
いや、これを部屋と呼んでいいものかどうか疑問なほど、広大な空間だった。
そこには玉座が置かれているだけで他に何もない。
真っ白に構成された果てのない空と果てのない床とでも表現すべきか。
入ってきた扉は何もないところに忽然と現れたように単独で立っており、その寄る辺となるべき壁はどこにも見当たらなかった。
エッセは躊躇うことなく玉座に腰掛けた。
この空虚な座こそが管理者である彼女個人に与えられたものだから。
そう、あのときまでは。
「……まだ、言いたいことがありそうじゃな?」
座ったままの体勢で同様に入ってきた彼を見据えた。
「え? やっぱりわかる? とりあえずはおめでとう、かな。
目論見通り進んでいるようで何よりだよ、お祝いの言葉を伝えよう。
あとは謝罪だね。ほら、以前僕が言ったことを覚えているかい? 君が彼に好意を持ってるんじゃないか、って言ったことさ。いやぁ本当に失言だったよ。勿論あのときもそうじゃない、って話になったんだけど改めてこうなってみると酷い勘違いだ。
計画のためならちゃんと彼にあんな非道いことが出来る。証明された今となっては的外れもいいところの指摘をしたことが悔やまれてね。ホント、ゴメンゴメン」
ぺらぺらと喋っていた彼はそこで一度彼女の反応を確認するが表情からは何も窺い知ることが出来ずに続ける。
「君がイチオシの“逸脱した者”君も無事にそんじょそこらの主人公には負けないだけの強さになったわけだし、順調過ぎてつまらないくらいだなァ」
「…………あの入れ知恵はおぬしか?」
「え? ああ、あの娘のことを言ってるのかい? 事実無根だよ冤罪だ。
そもそも前に “東”と“西”、あと“南”も君の今のやり方に興味を持っているって話はしてあっただろう?
その上で選別に関しては完全にそれぞれの基準次第。
つまりあれは“南”の独断以外の何物でもないさ」
“北”と名付けられた彼は、この場にいない3人の名を挙げて抗弁した。
「信用してもらえたかな? え? 信用できない? 日頃の行いが悪いせい?
ああ、人を信じれないだなんてなんて哀しいことなんだろう」
「鏡を見て物を言うんじゃな」
「ああ、確かに僕も自分以外を信じてないや。つまりは問題ないって話だね、うん。
で、ちょっと疑問があるんだけども」
意味深にそこで一度言葉を切る。
「それ、どうするの?」
探るような“北”の言葉が示すものに気づいたエッセは隔絶空間に封じておいたそれを取り出す。
昏き黒色に蠢くその球体を。
飴玉以下の大きさにも関わらず密度の高さゆえか光を再現なく吸い込みそうな闇色。
「決まっておるじゃろう」
悠然と彼女はそれを運んだ。
同時に唇がゆっくりと開き―――
―――ごくり。
明確に嚥下する。
だが彼はその行動に驚く様子もない。
「あー、やっぱりそうなっちゃうか。そのためにあそこまで手間をかけたわけだし気づいてたけども。
後戻りする気はやっぱりないんだね?」
「無論じゃ。そも後戻りするつもりであれば最初から進もうとは思わぬ。ここでわらわが怖気づき退いたとあらば、それこそ彼の犠牲に対する侮辱じゃろう」
揺るぎのないその声が覚悟を裏付ける。
「そっかそっか。なら僕も急がなくちゃいけないなぁ。
いやぁ忙しくなるぞ忙しくなるぞ、面白くなりそうでとても素敵だ」
ちゃり。
彼が翻るとコートにぶら下げた十字架がぶつかって音を立てた。
「ああ、言い忘れていたけれど。
もうひとつ。いつか僕は皆が逸脱した者に拘泥するなら、その有様を見て盛り上がるように立ち振る舞う、って言っておいたよね?
あれも撤回しておくから」
背中ごしに軽く手を挙げて入ってきた扉のほうへ向かう。
「面白そうだから僕も参戦させてもらうよ」
「…………本気か?」
「本気も本気さ。本音を言えばあまり乗り気でもなかったんだけどね、何せ他の皆と同じことしてもつまらないじゃないか。でも、さっき言っただろう?
面白そうな玩具が見つかった、ってね」
喜々とした感情が漏れ伝わる。
「心配しなくても平気さ。
色々と趣向も懲らしたいしお披露目は当分先になるんだろうから安心してよ。
これ以上ないほど面白くどうにもこうにも収拾がつかなくなるくらいになるよう、しっかりお膳立てはしておくから」
口調そのものは変わらない飄々としたもの。
だが彼の場合、その中にこそ最も恐ろしい毒を潜ませていることがある。
それを知っているエッセの見送る表情は固い。
「じゃあ、また。愛してるよ、エッセ」
ゴゥ……ン。
扉が開き、彼だけを室内から消して再び閉じる。
そっと玉座の肘掛を指でなぞりながら管理者は小さくため息をついた。
途中に様々な修正はあったものの、ここまでは概ね計画の通り。
今の段階に到達するまでもっと時間がかかるかと思っていたが、客観的に見れば予想を遥かに上回る速度だと言える。
問題はここから先だ。
同じように積み重ねて最終的に目的を達成するという当初のやり方もある。
だがおそらく不可能だろう。
彼女が生み出した“逸脱した者”。
同様の存在を他の者たちが生み出してしまったことは、もう変えられない現実。しばらくは先のことになるだろうが、最終的にぶつかり合うのは避けられないだろう。
以前“北”が言った蟲毒の壷、という表現。そこからも他の連中は“逸脱した者”同士をぶつけることをすでに既定路線と考えている節がある。
確かに“逸脱した者”同士をぶつけて生き残った最も強い者を使うのが成功の確率を高める手段のひとつであることは否定できない。
心情的にどうかという問題を別にすれば、有効であることは間違いないし、そもそも最早止めようのない未来になっている。
「………出来るのは引き伸ばすくらい、じゃな」
契約を交わした“逸脱した者”の下から此処に戻って以降、管理者として使命を果たす傍ら、他の管理者たちに自制を呼び掛けはした。
だが止めることが出来なかった。
そもそも止められるわけがない。
彼女がやった以上、他の者がやらないはずがない。
そういった意味では参加しないと言っていた“北”が、この鞘当てに加わるというのはある意味予想通り。ただ彼が参加する以上、その本質が著しく歪んでいく可能性があることだけが気がかりだったが。
―――結局、彼らがぶつかり合うその元凶、責任は全てわらわにあるということじゃ。
彼女の罪は彼女のもの。
彼らの罪も彼女のもの。
それが彼女の役割なのだから。
静かに自覚し、そのまま肘掛にあったコンソールを操作しはじめた。
先のことを考える前にしなければならないことがある。
そう結論づけた管理者は“主役枠の陥穽”とタイトルをつけた主人公向けの歪み(バグ)告知処理を始めた。
長くなりましたが、これにて簒奪帝編終了です。
しかし伊達戦を含めて長かった……ちょっと展開が一辺倒でしたので、次章からしばらく目先を変えた展開になる予定です。
なんとか120話までこれたのもお付き合い頂いている読者の皆様の御陰です。本当にありがとうございました。
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