11.お主でよかった
―――と、いう夢を見た。
目が覚める。
いつも通り最初に言うべき言葉は決まっている。
これを言わずに一日は始まらない。
「……まだ眠い」
もぞもぞと動きつつ、そう呟く。
いつも通りの朝。
いつも通りに目覚ましが鳴る、その10分前。
目覚ましが鳴るまでのその時間。わずかとはいえ朝の10分ほど貴重なものはない。短い10分という時間であれ、例えばオレが微生物でありその10分が寿命だとするならその密度は計り知れないほど。
無駄にするのは馬鹿げている。
是非二度寝するべきだ。
そう決意して布団を被り、
「―――って、夢かよッ!?」
思わず飛び起きた。
ばっくんばっくんと心臓が高鳴っている。
布団を捲ってみるが身体のどこにも異常はないようだ。
下半身はもとより腕だってちゃんとくっついている。
【当然じゃ。わらわが契約を違えるような真似をすると思うか】
唐突に頭に響いてきた声にびっくりして左手を見る。
千切れたはずの腕に大きな縦の傷がある。
その声の主との、昨夜の出来事の続きを思い出した。
■ □ ■
ここが分岐点。
間違いなく人生が変わる。
確信じみたものはあった。
それでもオレは彼女の願いを聞き、受け入れた。
「………」
その返答をゆっくりと噛み砕くかのように、しばらく彼女は黙り込む。
そしてしっとりとまるで心に染み入るように、笑顔を見せた。
小さく、でもしっかりと。
「ありがとう」
……いや、こう。
美人がこういうはにかんだ笑顔を一瞬だけ見せて礼をいうとか、思春期の青少年としては萌えてしまうのは仕方ないと思うんだ、うん。
だがそんな仕草もそこまでだった。
すぐに彼女は冷静に次の算段を始める。
「では早速処置にかかるとしよう。まずは再生で足りるか、それとも蘇生が必要なほどのレベルまで生命値が下がっているかどうかの確認を行わなければならん」
つまり、重傷なのか重体なのかの違いだろうか。
いや、この場合危篤なのか、事切れる寸前なのか、のほうが正しい気がするけども。
ちなみにどうするんでしょう?
「生体の能力情報を見る…そうだな、お主が昼間やったおんらいんげぇむでのステータス情報とやらと思えばいい」
ふぉん、と。
先ほどこちらに向けてきた手の周囲で軽快な風を巻くような音がすると、エッセの目の前に銀の文字の列が浮かび上がった。
勿論読めない。
「今後はお主も自分で見れるようにならねばならん。
わらわが見る場合は“あちら側”の言語がベースになっておるから読めぬと思うが、基本的に各項目は使用者の使用言語状態に応じて表記が変わるゆえ、それぞれの項目が何を示しているのかは使っているうちに覚えるであろう」
オレが使えば日本語で出てくるから大丈夫、ってことか。
ちなみにどうやって見れるようにするんでしょうか。
「どうやるも何もプレイヤーならステータス表記をダウンロードして……ふむ。
お主はそうではなかったか。今回はまぁおいおいそのへんは教えていくとしよう」
どうやら何かやりかたがあるらしい。
出雲も実はこっそり自分のステータスとか見れてたのかな。
弱点が数値化されてて、それが具体的にわかるとか現実社会においては随分とチートな仕様だなぁと思わなくもない。
は! まさかアイツのイケメン具合も魅力の数値弄ってたとか!?
………さすがにぐにゃぐにゃ顔が変わってたこともないだろうし冗談だけど。
そのままエッセはいくつかの数値を確認していく。
内容はさっぱりだが見ている限りいくつかの項目が赤くなっているので、おそらくはそのへんが生命力とかなんかそんなもんなんだろう。
つまり、こうHP的な。
「単純な生命値もそうだが、状態として四肢の欠損に内臓の不全、神経系統の損耗率に血液消失値も高いあたりが微妙じゃが…まぁ脳に負荷をかけたせいで、わらわが壊してしまった部分も含め、これくらいなら再生でなんとかなりそうじゃな」
あれ? 何か不穏な言葉が聞こえたような…。
「あっはっは。細かいことを気にするでない。
放っておけばどの道死ぬわけじゃったから、後で再生させることを考えたら多少脳を加速させて損傷しても後で取り返しがきくだろうと思っただけじゃよ。許せ」
………。
ヤバい。
なんか色々早まった感が否めないのはなんでだろう。
「再生で済むとなると、予定よりも余裕分が確保できるな。
で、あれば可能な限り保険はかけておくのがよいか」
さっき脳をどうこう、って話を聞いたせいで次はどんな無茶をさせられるかヒヤヒヤしてきた。今の状態じゃそんな感覚はないけども、とにかくヒヤヒヤしてきたんだ。
「そうじゃな、幸い左腕が無くなっておることじゃ。
そこをベースに能力を付与してやるとしよう」
おぉ、なんかやっと希望の見える言葉が出てきた。
少年誌マンガなんかでよくある特殊能力的なものがもらえるんだろうか。
なんだか楽しみになってきた。
「現金なやつじゃな。
その発想は間違いではないが…正確にはわらわからもらう、のではない。そもそも蟹の鋏や鳥の翼のように能力というものはそれを扱うだけの十分な経緯を経て手に入れるものじゃ。
後付で無理矢理与えられた能力で破滅する例は神代の時代から枚挙に暇があるまい。自らの毒で死ぬ蛇など冗談としても劣悪だとは思わぬか?」
確かに言っていることはわかる。
例えば蜻蛉の複眼みたいに目が無数にあったら、それは守衛室で無数のカメラを同時にチェックするようなものなのだろう。
絶対にオレなら処理しきれない。
「それゆえ通常の感覚とかけ離れた能力を与えるのはリスクが大きい。
また離れている分だけ与える側の消費するエネルギーも膨大になるからの。今回はそういった方向ではなく、別の方面から援護するとしよう」
しゃらん。
そっとエッセは手を伸ばしてきた。
額に近づいてくる指先に妙な既視感を覚えつつ、黙って見守る。
しゅぉん。
額に触れるか否かというところで、オレの額から何か赤黒い靄のようなものが彼女の指先に触れるように溢れてきた。
まるで水飴のように器用にエッセはその靄を引きずり出して、自分の下まで引っ張って掌で丸める。
「これでよい。これほど形を為しやすいのは稀じゃが、直前に生死の狭間を垣間見た結果というのもあるのだろうな」
満足そうなので聞いてみることにしよう。
それは一体なんでしょうか?
「これか?
これは…そうじゃな。いわばお主そのものじゃ。
言い換えるならば、本能、本性、本質。お主という存在の最も奥底で脈打つもの。後天的に身に付く社会性、道徳、常識、そういったものとは最も遠いもの。
例えば今のように自らの死の瞬間、悲嘆に暮れる者、静かに受け入れる者、憤怒する者、絶望する者、様々おるがそれは通常では有り得ない不測の事態において現れる本質が各々異なっているゆえじゃ」
本能の底にある魂の在り方なのだと。
そう管理者は説明する。
「それが濃い者、薄い者、強い者、弱い者、様々あるが、そもそもそれを自覚していない者からは引き出すことは出来ぬ。
そういった意味ではお主がこういった状態であるのは不幸中の幸いといったところじゃな」
覚えがある。
意識が死に瀕したときの理由のないあの熱情。
それがあの塊だっていうんだろうか。
「本質を核として失われた腕を構築する。
これでお主自身の最も強い衝動に引きずられるような能力が生まれるであろう。これならば元々そこに在ったものを伸ばすだけじゃから問題はない。勿論、一般のNPCならば本来伸ばせるわけもないものを伸ばすのじゃから、やはり力は使うがの。
形も日常生活で最も使う普通の手にしておいたほうが馴染むという意味でも無難じゃろう。わらわの力とお主の本質をリンクさせたのじゃから、今後様々な場合に基点として利用もできよう」
さすがに手に吸盤とかついてたり鋏とかあっても学校生活で不便なときが出そうなので、そのへんの配慮はありがたい。
というか、さすがに隠し切れなくて大事になりそうだな、その場合。
ちなみにひとつ問題がありそうなので言っておくとしよう。
「なんじゃ?」
不思議そうな顔を向けてくるエッセに意を決して伝える。
便利な左腕を作ってくれる、って意味はわかったんですが実はオレ右利きなんですよ。
だから出来れば左手よりも右手のほうが便利かなぁ、と。
「そういうことなら右手を千切ってつけても構わんが」
……。
いえ、左で大丈夫です。失礼しました。
「むしろ利き腕ではないほうが便利な場合もあるからどっちがいいとは言えんと思うがの。
楽しみにしておくことじゃ。
どんな能力かはそのうちわかるじゃろ……死ななければ」
うああぁ…。
最後の小声で言った部分がすげぇ不安だ…。
「~~♪」
そんなオレの様子を気にすることもなく、エッセは上機嫌で掴み出した塊を宙に浮かべたまま手を動かす。手首に嵌めこまれた金属の輪を規則正しく点滅させながら手を振ると、触れているわけでもないのに塊は勝手にその姿を変えていく。
最初はまるでドロドロに溶けた蝋細工が形を為していくような、次第に陶芸家の廻すロクロに乗った陶器のように、回転が進む度に少しずつ少しずつ。
そして遂にオレの無くなった腕と寸分違わぬものへと変化した。
「こんなところかの。あとは残りの部分を通常通り再生させるだけじゃ」
十分な出来にエッセは満足そうに頷く。
「脳の損傷も癒すゆえ、しばらく意識を失うことになろう。
お別れじゃな、充」
…。
ここで名前を呼ぶなんて卑怯だ。
なんてズルいのか。
名残惜しいと素直に思う。
「子供か、お主は。
わらわの運命を託したのじゃ。責任をもって迎えに来てもらわんと困るぞ」
違う、と叫ぶ。
本心を隠してあらん限りの口実を。
ステータスの開き方、もらった能力の活かし方、敵、まだまだわからないことが沢山あるじゃないかと。彼女がこう言っている以上、それはもう自分で見つけられるものなんだろうとわかっていても。
だが知らなければならない。
そして何より―――
―――エッセを縛っているものが何かを。
だからまだ一緒にいてほしい、と。
「困った奴じゃ。
じゃが……今生、託せる相手がお主でよかった」
本当に困ったかのような笑み。
でもその中にある小さな喜びがまぶしい。
エッセが聞きなれない言葉を唱える中、そのままオレは意識を失った。
■ □ ■
そう、オレが頼んだことだ。
腕を見下ろしたまま、
「あれ…エッセ?」
恐る恐る話しかけてみる。
【なんじゃ?】
「とりあえずどうなってるのか説明が欲しいかな」
声は腕のほうから聞こえているように思えるが、どうなっているんだろうか。
【お主がいうから仕方なく、わらわの意志を腕に込めておいたんじゃろうが。
ああ、心配することはないぞ。腕から体を経由させ直接骨の振動で声を届けさせておるからの。第三者に聞こえることはない】
ほっと胸をなでおろす。
腕が喋るとか街中でやったら大問題だ。
意外と腹話術師です、とかで誤魔化せるもんかもしれないけど、とか考えたりもしたけど。
「それはそれでちょっと安心したけど、そういうことではなくて。
腕に意志を込める、ってそんな簡単に出来るわけ?」
【簡単ではないぞ。現にこれをやったおかげでわらわの余力は完全に0じゃ。
その上本体のほうはGMとしての仕事に戻っておるが、わらわが戻らぬ限りあちらは本当にただの管理者としての行動しかできぬ。つまり余力を貯めることすらできんわけじゃな。
結果としてお主をこれ以上助けるような手助けは絶対に出来ん】
「………」
あれ、もしかしてあんなこと言わなければもうちょっと手助けが期待できたのか?
【そうは言っても、どのような小さな手助けでも物理的なものなら年単位はかかるからアテには出来んぞ? じゃから考えようによってはこちらのほうが良い選択やったやもしれぬ。
幸い蘇生よりも労力のすくない再生をつかい、能力付与も消費を抑えたからこそ、なんとか余力が足りたわけじゃからある意味、効率よく使い切ったと言えなくもない。
向こうからの情報は期待できんが、わらわが現在知っている範囲内での助言はできるしの】
そっか。
攻略本がある、と思えば下手なもんをもらうより有意義なんだ。
そう思っていると、ちょっと腕が熱くなった。
「……もしかして怒ってる?」
【書籍扱いとは随分とまぁ、いい度胸じゃの?】
「ひぃ…ッ」
思わず恐怖を感じた途端、タイミングよく目覚まし時計が鳴り始めた。
時計君のナイスな仕事ぶりに感謝しつつ手をのばす。勿論起きているのだから止めるのに問題はない。
いうまでもないけども自分でスヌーズを解除する余裕があるので電池を外したりもしない。
「充~、早く起きないと遅刻するわよ~?」
いつも通りの母親の声。
そしてすこし後に部屋の扉が開かれた。
がちゃり。
「まったく、なんで毎朝毎朝…」
愚痴を零しながら入ってきたのは兄貴だ。
そしてベッドの上に座っている目があう。
「おはよう、兄貴」
「お、おはよう……」
何か信じられないものを見た、という顔で固まった兄貴はしばしその場で立ち尽くしてから回れ右して階段を降りていった。
ずだだだーッ。
あ、めずらしいことに兄貴のやつ階段で滑って落ちたらしい。体だけは無駄に頑丈な兄貴だから心配することもないだろうけど。
「か、母さんッ! 充の奴が―――」
どたばたどたばた。
慌てた様子が階下から伝わってくる。
失敬な。
朝ちゃんと起きてるくらいで、そんなに大袈裟にすることもないだろうに。
【お主が普段だらしなすぎるのじゃろう】
「うっさい」
先ほどのお返し、とばかりに囁くエッセ。
普段通りの朝。
でも昨日とはまるで見え方が違う。
どれだけこの平穏が危ういバランスの中で成り立っているのか知っている。
日常を迎えられるというただそれだけのことが、どれほどありがたいことなのか理解している。
だからその恩を返さなければならない。
「エッセ、今のうちに聞いておきたいことがある」
やらなければならないことは多い。
道の果てもわからない。
それでも進まなければならないのだと知っていた。