113.簒奪帝攻略戦(1)
轟音。
大気が震える。
閃光。
夜空が煌めく。
向かっている先、つまり学校の方から届くそれらによって異様な事象が起きているのだと知る。
それも一度ではない。
二度、三度、あるいはそれ以上。
一緒にやってきている人間のうち二人の顔が不安の色を見せる。
まるで戦争でも起こっているかのようなそんな予想すらしてしまうほどの音と光に恐れを覚えるのは仕方のないことだ。ましてや一緒についてきている綾や月音先輩はこと戦いにおいては経験が圧倒的に不足しているのだから無理もない。
恐怖は悪ではない。
むしろそれがあるからこそ生き延びることが出来る。
そうわかるようになるには彼女らはまだ遠い。
序列4位の上位者である俺や、同じく上位者であるクズノハや隠身は特別だ。
「………さて、まもなく遭遇じゃろう。作戦の確認じゃ」
先頭を急ぐエッセさんが進みながら全員に確認する。
「機会はたったの一度、しかも時間制限つきのものとなろう。
もし失敗したのならば最早再挑戦の機会がない、という覚悟だけはしかと持っていてもらいたい」
先ほどから響いてくる衝撃を考えれば言われるまでもない。もしあれが何らかの攻防であればいかの上位者といえどもこの人数で長期戦は望めまい。
「充は伊達を討伐することに成功するが、そのための代償として能力に焼かれる事態になっておる。わかりやすく言えば自己の変質とでも言えばよいか。
能力そのものはあやつの本性、つまり“魂源”と繋がっておるから自らを滅ぼすようなことにはならぬ。自らが滅びれば能力もまた滅ぶゆえにな。
じゃがその反面。能力の制御に全てを傾ける余り必要な理性や感情が能力と結びついた感情に置き換わり優先させられるようになっていくのじゃ」
うぅむ。
今ひとつわかりづらいな。
「そうじゃな…目的のための手段であるべき能力。それが能力という手段を振るうための目的を探すようになると言えばよいかの。
例えば道を塞ぐ相手が現れたとする。道の先に行く必要があるとして普通であれば会話による交渉もあれば別に道を探すという方法もあろう。その相手を倒す、という選択肢は本来であればその中のひとつでしかないはずじゃ。じゃが能力という手段を優先されるようになっておるあやつは、そこで能力を用い敵を倒す方法を選ぶじゃろう。
他の選択肢がどれほどあっても意図的にそれを考えられなくなる、というべきか」
さっきの説明よりはわかりやすいな。
淡々と続けるエッセさんの説明を聞き逃すまいと俺たちは黙って進んでいく。
「“魂源”とは魂の在り方。始源から分化した魂がそう在るべきと定義した自己であれば、その使い手は必然的にその在り様へと近づいていく。闘争こそが在り方であれば究極的には闘いだけを求めるようになる。
今回の充の場合であれば、このまま近づいていけば単純に奪うためだけに目的を探すだけの存在に成り果てることじゃろう」
あの馬鹿みたいにお人好しで友情に厚い充が、ただ奪うためだけの存在となる。
それはこの上なく想像しづらいがそれこそが現実だと彼女は言った。
「今、あやつの相手はわらわがしておる。わらわたちの到着に合わせるよう露払いをしておると思ってもらえればよい」
「………? エッセさん、今ここにいますよね?」
言われればごもっとも。
思わず納得してしまうような綾の素朴な質問に、簡単なことだと答えが返ってくる。
「たわけ、わらわはこれでも管理者じゃぞ? 一人でその業務が行えるはずもあるまい。
わらわはこの世界の中であれば、どこにでも存在できるしどこからでも消えることが出来る。無論、一部制約はあるものの条件さえ整っておれば同時に別の場所に存在することは容易い」
確かに世界中に主人公は万を超える数がいる。それらのGMコールを取り仕切る管理者としては一人で業務を行うことは不可能に近い。てっきり管理者が何人もいて分割するなりなんなりして管理しているものだと思っていたがそうではなかったらしい。
単純にエッセさんがどこにでも同時に存在できる、ということであれば一人で管理することも可能だろう。この場合、一人といっていいのかどうかは謎だが。
クズノハが少し驚いたように口を開く。
「まるでシュレーディンガーの猫……それもエヴェレットの多世界解釈ですね」
「ああ、確か以前知り合った重要NPCが何やらそんな名前じゃったが……。
わらわを死んだかもしれぬ猫に例えるとはよい趣味をしておるわ」
シュレーディンガーの猫。
確か、箱の中に猫を入れて時間が経つと死んでるかもしれないようにしておいた実験。
箱を開けて見るまで中身はわからないから、猫が生きている世界と猫が死んでいる世界の重なりあいが、とかなんとかいう理系の難しい話だったはずだ。ぱっとそういう発想が出てくるあたりクズノハは理系タイプなのだろうか、とどうでもいいことをふと思った。
「さて、話が逸れたから戻すがの。
わらわたちが到着した時点で、充はおそらくその能力をかなり減衰させておるじゃろう。
じゃがそれはおぬしらにとってメリットであると同時にデメリットになる。
能力が弱っておるそのときであれば、まだ発現したての月音嬢の能力でも相殺することが可能であり、残るはすでに奪ってある攻撃及び防御手段での迎撃しか出来ぬ。つまり能力を奪われる心配なしに真っ向からの戦いになるわけじゃ。
上位者たちであればこれを突破できぬことはあるまい。無事に懐に飛び込めたのであれば、あとはよく知った綾嬢と出雲の二人の呼び掛け次第じゃな。
今であればまだ自己の変質の序盤、変質されていることに気づき我を取り戻されば問題なく戻れる階層におる。じゃからわらわによる弱体化、月音嬢による相殺、上位者による拮抗、これらにより能力の影響をギリギリまでこそぎ落とせば呼び掛けで戻る可能性が十分にあろう。
理性が戻りさえすれば能力は制御を失い不安定になる。そうなれば、後はわらわが綺麗に片付けると約束しよう」
実際のところ、充の思考が変質している、と言われても正直ピンとこない。
どんなに暴れていてもちょっと呼びかければ簡単に笑顔を見せてくれそうな、そんな気さえする。
会ってみて判断するしかないところだ。
作戦としてはめちゃくちゃに能力を使いまくる充がエッセの手で弱体化するからつけこめる。
メリットは実にわかりやすい。
ではデメリットとは…?
「そしてここからがデメリット。
充の能力が減衰する、弱っておると言ったが正確には“奪う能力”が弱まるに過ぎぬ。
なぜならわらわたちが到着するまで、わらわが絶妙なギリギリ加減で片っ端から攻撃を繰り出しておくからじゃ。それらをたらふく喰らわせ一時的に充の器を膨れあがらせる。わかりやすく言えば満腹になっておるから食べるのが大変になる状態じゃな。
それらを消化と吸収をし再び食欲が戻るまで、つまりそれらの攻撃を喰らい尽くして再び奪えるようになるまでおよそ5分。それが先ほど言った制限時間というわけじゃ」
「つまりそれは充さんの能力を―――」
「うむ、一時的に減衰させるために強化することに他ならぬ。
もし制限時間を超えた場合、最早これを止める手立てはなくなるじゃろう。あやつは、わらわとて生かしたまま倒すことが不可能なレベルの怪物になるじゃろう」
月音先輩の結論に同意するエッセさん。
もしそうなってしまえば確かに再挑戦は難しいだろう。そもそもこちらの命が助かるかも怪しい状況だ。だがまだ可能性があるというのならば、例えそれが制限時間付きでもやる価値がある。
「作戦としては以上じゃ。
これを作戦と呼んでよいものかどうか微妙な線じゃがな」
こちらの決意を感じ取っているのか、彼女は小さく笑った。
「さて…いよいよ開幕じゃ。このまま正門にて待つがよい。
おぬしらが動き出す合図はわらわが送る。見逃すでないぞ?」
正門が見えてきた。
そこでそう言うなり―――
「…ッ!?」
―――エッセさんが突然消えた。
まるで隠身のように忽然と。
さっきまでそこに居た確かな存在感すらかき消すように見事に消えていた。
驚き少しの間呆然とつつも、再び校庭のほうから起こる閃光と轟音に俺たちは我に返る。
最後に残された言葉に従って校門へと急ぐ。
見慣れた校門。
隼とランタナの花をあしらった校章が高校名と一緒に彫り込まれている。
だが毎日通っているはずのそこから見える光景は、いつもと明らかに異なっていた。
それを生み出している元凶はたった二人。
校庭の真ん中近くにいる人型の赤黒い塊。
正門と校舎の間に佇むエッセさん。
ごぼ……ッ。
まるでスライムか何かのような不気味な赤黒い塊はその体から無重力の宇宙で水が浮かびあがる如く液体の球を放っている。
足元からはじわじわと侵食するかのように同色の気流のようなものが大地に染みていく。
ばぢ…ッ…。
対するエッセさんが纏うは金色に光輝く白の鎧。
光そのものを纏っているかのような全身甲冑といえばいいのか。その流麗なフォルムの表面に時折帯電したかのように電光が煌めいているように見えるのは錯覚ではあるまい。
対峙する対照的な二人、その周囲は悲惨な状況になっていた。
地面がところどころ大きく抉れ、校庭にあったサッカーフェンスや用具入れのプレハブは溶け落ち、周囲に生えていた木々が薙ぎ倒され燃えているし、よく見れば部活棟の屋上も大破している。
彼女の口がゆっくりと開いて詞を紡いだ。
“九連雷吼”
鎧から雷球が9つ浮かび上がり震えようとする。
だが次の瞬間、赤黒い人型の塊のうち頭部にあたる部分がはげ落ち顔が一部露わになった。
その顔を見間違うはずもない。
「…充…ッ!?」
ぎゅぎゅぎゅ…ぎゅらり。
顔の半分だけ露出させた状態で見えている片目の周囲が点滅するかのように何度も歪んだ。
次の瞬間、エッセさんの周囲に漂っていた雷球が弾けて消滅する。
消滅を逃れた2発が弾けそこから生まれた雷光が充に殺到するが、すでに標的は再び漆黒に身を染めて横に走り出していた。
ドゴォぉんっ! ズガァァァンッ!!
うるさいほど音を響かせて先ほど充がいたところに雷が一発着弾し大きくクレーターを作る。残るもう1発は通り過ぎて背後にあった部活棟の4階を半分ほど吹き飛ばした。
先ほどまで外に漏れていた轟音と閃光はこれか!
充は移動しながらその体から赤黒い気流をまるで触手のようにエッセさんに伸ばす。
だが想定内だったかのように彼女は動かない。
“閃焔”
唱えたエッセさんの目の前30センチほどのところまで届いた瞬間、その指先に着火でもしたかのように小さな火が灯り、さながら閃光の如く一瞬で10メートルほどに伸びた触手ごと充を紅蓮の炎が包む。
劫火に焼かれつつも、まるで脱皮でもするかのように赤黒い塊だけを残し充はそこを脱出。なんとか炎から逃げ切ると再びその体から同様の液体とも気流ともつかない流体が噴き出し埋もれていく。
「やれやれ……気障男を叩きのめしに来たってのに、とんだ奴の相手をすることになりそうね」
「ソの様ダ」
クズノハの言葉に隠身が頷く。
目の前で繰り広げられているこの戦いがどれほどのものなのか、上位者であれば理解が出来ないはずがない。
詠唱を必要としていないエッセさんの術。
本来、魔術であれ陰陽術であれ術と体系づけられているものは威力に応じて代価を支払う必要がある。例えば初歩的な威力のものであれば通常通り消費する霊力や魔力だけであとは術の名を唱えるだけでよいが、威力が大きくなったり範囲が広くなったりすれば祝詞や詠唱と呼ばれる長い文言を唱える必要が出てくる。
エッセさんが放っているのは明らかにそれが必要な威力だ。
詠唱省略もしくは詠唱簡略といった詠唱を抑える術があることは知っている。それらで詠唱を省くことが出来るのもわかっている。だがそれには条件があった。
自らの力量よりも遥かに格の低い術であること、だ。
1の消費ですむところを2の力を使うことで強引に発動プロセスを飛ばす。
正直なところかなりの力技だ。
建築物をあっさりと破壊するような威力の雷撃を同時に9つも放った上での詠唱省略。それだけでエッセさんの力量がどれほどのものかわかるのだ。
そして問題はその先。
押され気味とはいえそれに対抗している相手。
それが今回俺たちが戦わなければならない、助けなければいけない相手だということだろう。
「……………それでも」
「ん、やるしかないよね」
小さく呟こうとした台詞を綾が続けてくれた。
「無論です。女に二言はありませんよ?」
月音先輩が覚悟を決めたように静かに充を見据えて答える。
そう、いくら目の前の戦いが脅威だとはいえそれを繰り広げている片割れはこちらの味方なのだ。ならばあとは信じてただ勝負のときを待つのみ。
刀を握る手に力を込めつつ、ただそのときを待つ。
実際はそれほど長くもないその時間が、このときばかりはとてつもなく永く感じられた。
作品冒頭にあらすじを追加致しました。
今後、久しぶりに見る方であらすじを忘れてる方などいらっしゃいましたら利用頂ければと思います。




